第四話 【時を越えて】
「本物の友達が……。」
「欲しいよぉ……。」
涙で濡れた声が、静かな部屋に消えていく。
リョウコは膝を抱えたまま、顔を伏せていた。
頬を伝った涙が、制服のスカートへ落ちる。
ピックは、泣き続けるリョウコをじっと見つめていた。
やがて、少しだけ眉をひそめる。
「ねぇ」
リョウコは顔を伏せたまま、小さく返事をする。
「……何?」
ピックは、自分を指差した。
「ボクは友達じゃないの?」
リョウコが、ぴたりと泣くのを止める。
「……あっ」
ゆっくりと顔を上げ、目の前に浮かぶピックを見る。
「ち、違うよ……。そういう意味じゃなくて……。」
ピックは頬を膨らませた。
「じゃあ、どういう意味さ」
「ピックは友達だよ……。」
「でも……。」
リョウコは、また膝へ顔を埋める。
「ずっと一緒にいられる……人間の友達が欲しいの……。」
その時――
リョウコの右手中指。
銀色のリットブレイカーが、微かに光を放った。
「……え?」
リョウコが涙に濡れた顔を上げる。
紫の光だった。
淡い光が脈打つように強まり、指輪から床へ流れ落ちていく。
細い光の筋が、リョウコを中心に円を描いた。
一つ。
その内側に、もう一つ。
さらにもう一つ。
幾重もの円と、見たことのない文字のような紋様。
中央には三つの光点が現れ、それぞれ別の軌道を描きながら回転を始める。
「うそ……。」
紫に輝く巨大な円陣が、部屋いっぱいに広がっていた。
ピックも目を見開く。
「何だよ、これ……。」
「ピック、これ何!?」
「知らないよ! ボクだって初めて見るよ!」
円陣の回転が速くなる。
三つの光点が中央へ集まり――
重なった。
その瞬間。
紫の光が一気に広がる。
「きゃっ!」
リョウコが目を閉じる。
ピックも両腕で顔を覆った。
部屋が眩い光に包まれ――
消えた。
「……え?」
リョウコが目を開ける。
紫の円陣は跡形もない。
リットブレイカーも、いつもの銀色の指輪へ戻っていた。
「……何だったの?」
ピックも辺りを見回す。
「分かんない……。」
────
青い空。
穏やかな風。
人々の声が行き交う、小さな町。
その片隅。
「ん~~っ!」
一人の少女が、たこ焼きを頬張りながら幸せそうに目を細めた。
「やっぱ、たこ焼きは熱いうちに限るよね!」
黒い髪を高い位置で束ねた少女。
額には赤いバンダナ。
赤を基調とした忍装束に、首元には黄土色の布。
腕や脚からは網状の装具が覗いている。
少女は舟皿を覗き込んだ。
残り三個。
「次はどれにしよっかな~」
竹串が、三個の上を行ったり来たりする。
「よし!」
一個に狙いを定める。
「お前に決めた!」
竹串を突き刺した、その時だった。
少女の足元に――
紫色の光が走った。
「ん?」
細い光が瞬く間に円を描く。
「……何これ?」
先ほどリョウコの部屋に現れたものと同じ、紫の円陣。
少女の表情から笑顔が消えた。
「ちょ、何!?」
慌てて飛び退こうとする。
その瞬間――
足元が消えた。
「へ?」
身体が沈む。
「え?」
地面がない。
少女は慌てて舟皿を抱え込んだ。
「待って待って! たこ焼き落ちる!!」
身体は容赦なく沈んでいく。
「いやいやいやいや!」
顔が引きつる。
「何なのこれぇぇぇぇぇぇ!!」
そして――
少女の身体が、一気に円陣へ引きずり込まれた。
「ぎえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
叫び声を残し。
少女の姿は町から消え去った。
紫の円陣もまた、何事もなかったかのように消える。
屋台から店主が顔を出した。
「お嬢ちゃん、お代は600……って!」
辺りを見回す。
「あのガキ! どこ行きやがった!?」
────
リョウコは、ベッドの上で右手を見つめていた。
リットブレイカーは静かに中指へ嵌まっている。
「本当に……何だったんだろう」
少し離れたところで、ピックが腕を組んだ。
「ボクに聞かれても分かんないよ」
リョウコは指輪から視線を外さない。
「聞いてないよ……。」
ピックが眉を寄せる。
「さっき聞いたじゃん」
リョウコも頬を膨らませた。
「今は聞いてないの……。」
ピックも負けじと頬を膨らませる。
その時。
尖った耳が、ぴくりと動いた。
「……ん?」
ピックが天井を見上げる。
「どうしたの?」
「何か……変な感じがする」
リョウコも天井を見る。
何もない。
だが――
次の瞬間。
頭上の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
「えっ……。」
「ななななっ!?」
歪みが一気に広がる。
その奥から――
「ぎえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
この世の者とは思えない叫び声が響いた。
「な、何!?」
叫び声が急速に近付いてくる。
そして。
何かが飛び出した。
リョウコと少女の目が合う。
「えっ!?」
「えっ……。」
もう遅い。
ドンッ!!
「ぐぇっ!!」
少女が、そのままリョウコを直撃した。
二人まとめて床へ倒れ込む。
「いったぁぁぁ……。」
少女が腰を押さえる。
「いたたたた……。」
その下で、リョウコが押し潰されていた。
「重いぃぃぃ……。」
「あっ、ご、ごめん!」
少女が慌てて身体を起こそうとした。
その時。
ぺちょ。
何かがリョウコの頭へ落ちた。
「……え?」
じゅわっ。
熱が頭皮へ伝わる。
「…………。」
リョウコの顔が引きつった。
「あっつぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
勢いよく飛び起きる。
「何!? 何これ!? 熱い! 熱いぃぃぃ!!」
頭に乗っていた物が床へ転がった。
少女の目が見開かれる。
「たこ焼きぃぃぃぃぃ!!」
舟皿へ飛びつく。
リョウコは頭を押さえたまま、その姿を見る。
「そっち!?」
少女は、この世の終わりの如く頭を抱えた。
「あたしのたこ焼きがぁぁぁぁ!!」
リョウコは頭に乗ったたこ焼きを払い落とす。
ぺちっ。
「人の頭に落としといて、最初に心配するのそこなの!?」
少女は床へ転がった三個のたこ焼きを呆然と見つめる。
「まだ三個も残ってたのに……。」
リョウコは頭に付いたソースを拭いながら睨んだ。
「知らないよ!」
少女が涙目で顔を上げる。
「三個だよ!?」
「数の問題じゃないよ!」
少女はリョウコの襟元に掴みかかり、指を三本立てた。
「三個あったら三回幸せになれたんだよ!?」
リョウコは頭を抱える。
「だから知らないってば!」
髪はソースと青のりでベトベト。
最悪だった。
涙。
鼻水。
そして、たこ焼き。
人生で一番ひどい顔をしている気がする。
「もう……何なの……。」
少女も、ようやく周囲を見る。
壁。
天井。
ベッド。
どれも見覚えがない。
「……ここ、どこ?」
「あたしの部屋」
二人が見つめ合う。
その横で。
ピックだけが――
固まっていた。
目を見開き、少女を凝視している。
少女も、その視線に気付いた。
「ん?」
宙に浮かぶ小さな姿を見る。
「…………ピック?」
ピックの口が震える。
「……ポム?」
「え?」
リョウコが二人を交互に見る。
ポムは驚いたまま、ピックを指差した。
「何でピックがここにいるの!?」
「それはボクの台詞だよ!」
ポムは首を傾げながら、しばらくピックを見つめていた。
そして、何かを思い出したように眉を上げる。
「ていうか、ロイドのところに戻らなくていいの?」
ピックは一瞬、きょとんとした顔をする。
「……ロイド?」
ポムは当然のように頷いた。
「ずっと付きまとってたじゃん」
その言葉に、ピックの眉がぴくりと跳ねる。
「付きまとってたって何さ!」
ピックは両手を腰に当て、むっと頬を膨らませた。
「そもそもロイドなんて、もういないよ」
ポムの顔から、すっと表情が消えた。
「……え?」
ピックの顔を見つめたまま、恐る恐る問い掛ける。
「……どこ行ったの?」
ピックは少しだけ視線を逸らした。
「死んじゃった」
ポムの目が一気に見開かれる。
「はあぁぁぁぁっ!?」
思わず身を乗り出すポムに、ピックは両手を広げた。
「だって、ロイドがいたのなんて、もう何千年も前だよ」
ポムの口が半開きになる。
「…………何千年?」
ピックはこくりと頷いた。
「うん」
そして何を思ったのか、自分の頬を両手で挟み、ポムの目の前まで飛んでいく。
「ほら、何千年も経っちゃったから、ボクもずいぶん老けたでしょ?」
ポムは眉を寄せたまま、ピックの顔をまじまじと見つめる。
右から。
左から。
少し顔を近付ける。
「…………。」
ピックは期待するように目を輝かせた。
「どう?」
ポムは真顔のまま答える。
「全然変わってないじゃん」
ピックの目が丸くなる。
「えっ?」
ポムはもう一度、ピックの顔をじっと見る。
「昔のまんま」
ピックは慌てて自分の頬をぺたぺたと触った。
「……そう?」
ポムは即座に頷く。
「そう」
ピックは首を傾げた。
「おかしいなぁ……。」
ポムは呆れたように眉を下げる。
「いや、何で老けたかったのよ」
ピックは、そんなポムを置いてリョウコの顔の近くへ飛んでいく。
「そんなことより、ほら」
リョウコの頬をペシペシと叩く。
「彼女が今のボクの大親友、リョウコちゃん♡」
ピックは得意げに胸を張った。
「ボクも可愛いけど、この子もめちゃくちゃ可愛いでしょう~」
リョウコは突然の紹介に目を瞬かせた。
しかも。
可愛いと言われた。
今の自分は、髪にソースと青のりまで付いている。
リョウコは少しだけ頬を赤らめながら、困ったように二人を見る。
「あ、あの……。」
二人が振り向く。
「何千年も前って……どういうこと?」
ピックはポムを指差す。
「ポムがいたのは、ずっと昔」
今度はリョウコを指差す。
「ここは、それから何千年も経った世界」
ポムは、ゆっくりと部屋を見回した。
見たことのない壁。
見たことのない家具。
さっきまでいた町とは、何もかもが違う。
「ちょっと待って……。」
ポムの表情が、少しずつ引きつっていく。
そして、恐る恐るピックへ顔を向けた。
「じゃあ、ここ……。」
ピックは、ニッコリ頷く。
「未来だよ」
ポムの目が大きく見開かれた。
口が半開きのまま止まる。
「…………。」
視線だけが、もう一度部屋の中を彷徨う。
壁。
家具。
リョウコ。
そして、ピック。
ようやく意味が頭に追いついた瞬間――
ポムは両手で頭を抱えた。
「またあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
その場に両手両膝をつく。
「時空超えたの人生で二回目だよ……。」
「二回目なんだ……。」
リョウコが小さく呟いた。
ポムは大きく息を吐く。
「まあ……来ちゃったものは仕方ないか」
「切り替え早っ」
ピックが呆れる。
ポムは立ち上がり、服についた埃を払った。
「悩んだって戻れるわけじゃないし」
そう言ってリョウコを見る。
「それより――」
表情が止まった。
頬。
口元。
腕。
あちこちに傷や痣が残っている。
「……キミ、随分ボロボロじゃん」
リョウコは咄嗟に腕を身体へ寄せた。
「ちょっと色々あって……。」
「色々ってレベルじゃないでしょ」
ポムはリョウコの顔を覗き込む。
「痛い?」
「……ちょっと」
「ちょっとじゃないでしょ」
ポムは立ち上がり、自分の胸へ親指を向けた。
「ちょうどいいや。あたし、魔法使いなんだ」
「……魔法使い?」
「そう!」
ポムは胸を張る。
「忍術も使える、正真正銘の魔法使い!」
リョウコは忍装束を上から下まで見る。
「……忍者じゃないの?」
「魔法使い!」
ピックが横から口を挟む。
「忍者でもあるけどね」
「どっちでもいいの!」
「いいんだ……。」
ポムはリョウコへ右手を向けた。
「まあ、見てて」
掌に柔らかな光が集まり、リョウコの身体を包み込む。
「わっ……。」
温かい。
身体に残っていた痛みが、少しずつ消えていく。
痣が薄れ。
口元の傷が閉じる。
身体の奥に残っていた鈍い痛みまで引いていった。
「え……。」
リョウコは自分の腕を動かしてみる。
痛くない。
肩を回しても、さっきまでの痛みが嘘のように消えていた。
「治ってる……。」
ポムは腰に手を当て、得意げに笑う。
「これが魔法!」
リョウコの顔がぱっと明るくなる。
「すごい……!」
「でしょ?」
ポムも満足そうに胸を張った。
リョウコが嬉しそうに腕を曲げ伸ばししていると――
ポムの表情が、ふと変わる。
「……ん?」
笑顔が消えた。
ポムは目を細め、リョウコをじっと見つめる。
その視線に気付き、リョウコの動きが止まった。
「何?」
ポムは答えず、さらに一歩近付く。
顔を覗き込み。
今度はリョウコの身体全体を確かめるように、上から下まで視線を巡らせた。
「ちょっと待って……。」
「えっ……。」
ポムが突然、リョウコの顔へぐっと近付く。
「あんた、何者?」
リョウコは驚いて身体を仰け反らせた。
「えぇっ!?」
ポムは真剣な顔のまま、リョウコを指差す。
「ものすっごい魔力あるよ?」
リョウコは目を瞬かせた。
そして、少し困ったようにピックを見る。
「……また、それ?」
今度はポムが首を傾げる。
「また?」
リョウコは、宙に浮かぶピックへ視線を向けた。
「さっきも言われたの。あたし、魔力がすごく高いって……。」
ポムの眉が少し上がる。
「なんだ、知ってるんじゃん」
「言葉だけはね……。」
リョウコは視線を落とし、自分の両手を開いた。
掌を返す。
指を動かしてみる。
けれど、そこに何か特別なものがあるようには見えない。
「何がどうすごいのかは、全然分かってないよ」
ポムはその様子を見つめたあと、ゆっくりとピックへ顔を向けた。
ピックは困ったように両手を広げた。
「この子、自分で魔力を使ったこともないよ。魔法も知らないし」
ポムの目が丸くなる。
「えっ?」
もう一度、リョウコを見る。
今度は先ほどよりもじっくりと。
頭の先から足元まで視線を動かし、最後にリョウコの顔で止める。
「こんだけ魔力あるのに、使い方知らないの!?」
突然声を張られ、リョウコの肩がびくっと跳ねた。
「……うん」
申し訳なさそうに、小さく頷く。
するとポムは両手で頭を抱えた。
「もったいなさすぎるよ!!」
「えぇっ……。」
ポムはそのままリョウコへ詰め寄る。
そして両肩をがしっと掴んだ。
「キミ、すごいんだよ!?」
顔を間近まで寄せられ、リョウコは目を丸くする。
「……あたしが?」
自分を指差す。
本当に自分のことを言っているのか。
そんな顔だった。
「そう!」
ポムは迷うことなく、力強く頷いた。
掴んだ肩を揺らすほどの勢いで、もう一度言い切る。
「キミがすごいの!」
「少なくとも魔力だけなら、とんでもないよ!」
「もっと自分に自信持って良いよ!」
リョウコは何も言えなかった。
これまで。
弱いと言われてきた。
戦えない。
足手まとい。
最下位。
今日も――
『弱いくせに!』
カンナの声が頭を過る。
けれど。
初めて会ったばかりのポムは。
自分を見て――
すごいと言った。
「……。」
「どうしたの?」
「……ううん」
リョウコは小さく首を振る。
「何でもない……。」
ほんの少しだけ。
嬉しかった。
ポムがピックを見る。
「誰も教えてないの?」
ピックは肩をすくめた。
「この時代じゃ、魔法なんて誰も使わないよ」
「えっ? 魔法なくなっちゃったの!?」
「少なくともボクは見てないね」
ポムは少し考え――
ぱっと顔を上げた。
「じゃあ決まり!」
「え?」
ポムはリョウコを指差す。
「あたしが教えてあげる!」
「あたしに……魔法?」
「うん! こんだけ魔力あるんだもん。使わない方がもったいないよ!」
リョウコは少し俯いた。
「でも、あたし……戦うの苦手だし……。」
「別に戦う魔法だけじゃないよ?」
ポムは掌を見せる。
「傷を治したり、誰かを守ったり。便利な魔法だっていっぱいある」
リョウコが顔を上げた。
戦うためだけではない。
「……あたしにも出来るかな?」
ポムが笑った。
「やってみなきゃ分かんないでしょ!」
「……うん」
リョウコが小さく頷く。
ポムは部屋を見回した。
ベッド。
机。
椅子。
「でも、ここじゃ狭いなぁ」
「魔法の練習するなら、もっと広いところがいい」
リョウコは少し考えた。
「……闘技場なら」
「闘技場?」
「うん。広いよ」
リョウコの表情が、僅かに曇る。
つい先ほどまで。
自分が痛めつけられていた場所。
戻りたい場所ではない。
けれど。
痛みは、もうない。
そして今度は――
自分が知らなかった何かを、知ることが出来るかもしれない。
ポムの顔が明るくなる。
「じゃあ、そこ行こう!」
「う、うん」
ピックも二人の後ろへ飛んでいく。
「面白くなってきたじゃん」
リョウコは部屋の扉へ手を掛けた。
振り返る。
赤い忍装束の少女が、当然のように自分の後ろに立っている。
数分前まで。
名前すら知らなかった少女。
それなのに。
さっきまで一人で戻ることを考えるだけでも怖かった闘技場が――
今は。
少しだけ。
怖くなかった。
リョウコは扉を開いた。




