第三話【壊れはじめたもの】
人類統合母艦──。
闘技場。
リットブレイカーの選定が終わっても、闘技場のざわめきは収まらなかった。
誰もが、リョウコの右手を見ている。
銀色の指輪。
人類最高峰の秘宝。
リットブレイカー。
「……。」
リョウコは、出来るだけ右手を隠すように胸元へ抱え込んだ。
目立ちたくない。
出来れば、今すぐ帰りたい。
その時。
「静かにしろ!」
艦長の声が響いた。
ざわめきが止まる。
艦長は、リョウコの右手を一度確認すると、集まった生徒達を見渡した。
「選定は以上だ」
闘技場が静まり返る。
数百年前に生み出されて以来、一度も所有者を選ばなかったリットブレイカー。
その歴史で初めて、所有者が決まった。
艦長は、声を張り上げる。
「リットブレイカー所有者は、リョウコに決定した!」
どよめきが、闘技場いっぱいに広がった。
リョウコの肩が縮こまる。
艦長が続ける。
「なお」
「所有者に選ばれたからといって、特別扱いをするつもりはない」
リョウコが、少しだけ顔を上げた。
「明日予定されている合同模擬戦も、予定通り行う」
男子側。
女子側。
それぞれの生徒達が、僅かに身構える。
艦長は続けた。
「模擬戦は、男子五名、女子五名による対抗戦とする」
そして。
男子側に立つ監督へ目を向ける。
続いて、女子側の監督へ。
「両監督」
二人が同時に姿勢を正した。
「それぞれ五名ずつ、本日中に選抜しておけ」
「「はいっ!」」
気合の入った返事が、闘技場に響いた。
女子側の監督が、一歩前へ出る。
「女子側は、現時点で四名を決定する」
生徒達の視線が集まった。
「タカノ」
タカノが、短く答える。
「はい」
続いて、監督が名前を呼ぶ。
「カスミ」
カスミも、表情を変えない。
「はい」
最後に。
「ミカコ」
ミカコが、勢いよく返事をする。
「はいっ」
そして。
監督の視線が、リョウコへ向いた。
「リョウコ」
「……え?」
リョウコが、間の抜けた声を出した。
「お前も参加だ」
「えぇっ!?」
ざわっ。
一瞬で、
女子側が騒がしくなった。
「何で!?」
「リョウコが!?」
「最下位じゃん!」
「それってずるくない!?」
リョウコは、慌てて両手を振った。
「ち、違うよ! あたしは出たくないよぉ!」
監督が声を張る。
「静かにしろ!」
不満の声が、少しだけ弱まった。
「リットブレイカーが所有者を選んだ以上、その能力を確認する必要がある」
女子達は、納得していない顔をしている。
監督は続けた。
「残り一名については、少し考える」
再び。
女子側がざわついた。
それ以上、選抜についての発表はなかった。
リョウコは、嫌な予感しかしない。
「……。」
隣を見る。
カンナは、黙って前を見ている。
さっきまでと同じように見える。
けれど。
ほんの少しだけ。
その表情が、硬くなっているように見えた。
やがて。
女子側の監督が解散を告げる。
「選抜された者は、明日に備えて各自調整しておけ」
生徒達が、それぞれ動き始めた。
リョウコだけが、その場に取り残されたように立っている。
「どうしよう……。」
小さく呟いた時。
カンナが、隣へやって来た。
「ほな、リョウコ」
「え?」
カンナは笑った。
いつものように。
「選ばれたからには、しゃあないな」
リョウコが、不安そうに首を傾げる。
カンナは軽く拳を握った。
「うちが訓練、付き合ったるわ」
「ほんと?」
リョウコの表情が、少しだけ明るくなる。
「ありがとう、カンナ」
カンナは笑った。
「ええって」
その笑顔はまだ。
いつものカンナに見えた。
「じゃあ、軽くいくで」
リョウコも、ぎこちなく構えた。
「う、うん」
カンナが踏み込む。
「え──」
次の瞬間。
ドンッ!
「きゃっ!」
リョウコの身体が、床を転がった。
「いったぁ……。」
腕を押さえながら起き上がる。
「カンナ、ちょっと強くない……?」
カンナが、倒れたリョウコを見下ろす。
「明日は、ほぼ実戦やで」
「この程度で音ぇ上げとったら、お前──」
「殺されてまうかもしれんで」
リョウコの顔が、僅かに強張る。
カンナは、もう一度構えた。
「さぁ、はよ立って構えや!」
「う、うん……。」
リョウコは、痛む腕を押さえながら立ち上がった。
ふらつく足。
それでも。
何とか両手を上げる。
カンナが、構えたまま告げる。
「いくで」
リョウコが、慌てて声を上げた。
「待っ──」
ドンッ!
腹に衝撃が走った。
「かはっ……!」
息が、一気に抜けた。
リョウコの身体が折れる。
その肩へ、カンナの腕が振り下ろされた。
バンッ!
「うぁっ!」
膝をつく。
「まだや!」
「ちょ……待って……。」
リョウコが顔を上げるより早く、カンナの足が飛んできた。
ドガッ!
「きゃあっ!」
リョウコの身体が、再び床を転がった。
止まる。
動かない。
数秒して。
ゆっくり顔を上げる。
口元から、細い血が一筋だけ流れていた。
数秒して。
「けほっ……けほっ……。」
ようやく、小さく咳き込んだ。
腕に力を入れる。
立とうとする。
けれど。
肘が震えるだけだった。
「カンナ……。」
掠れた声。
「もう……無理……。」
カンナの眉が動いた。
「何が無理やねん」
ゆっくりと近づいてくる。
「明日、敵に『もう無理です』言うたら」
リョウコの前で止まった。
「攻撃、止めてくれるんか?」
「……。」
「止めてくれへんやろ?」
リョウコは答えられない。
呼吸を整えるだけで精一杯だった。
「ほら」
カンナが顎をしゃくる。
「立ち」
リョウコは、もう一度床へ手をついた。
震える。
力を込める。
「……っ。」
身体が少しだけ持ち上がる。
だが。
そのまま、床へ崩れ落ちた。
「立てない……。」
カンナの声が、さっきより低くなる。
「甘えんなや」
「リットブレイカーに選ばれたんやろ?」
リョウコの肩が震えた。
「だったら、それくらい出来るやろ」
カンナの声が、低くなる。
「出来へんのやったら」
一歩。
リョウコへ近づく。
「その指輪、うちに寄越せや」
「……外れないよ」
掠れた声だった。
カンナの眉が跳ね上がる。
「知っとるわ!!」
その怒鳴り声に、リョウコの身体がびくっと震えた。
カンナの声が更に低くなる。
「出来へんのやったら」
一歩。
近づく。
「最初から選ばれんなや」
リョウコが、掠れた声を漏らす。
「……あたし……。」
カンナが、苛立ったまま問い返す。
「何や?」
リョウコは俯いたまま、小さく答えた。
「選ばれたくなんて……なかったよ……。」
一瞬。
カンナの表情が変わった。
「……。」
そして。
「それ、嫌味か?」
「え……?」
リョウコが顔を上げる。
カンナは、もう笑っていなかった。
リョウコは、震える足で立ち上がった。
その少し離れた場所。
タカノ、カスミ、ミカコの三人は、いつものように戦闘訓練を続けていた。
だが。
いつの間にか、三人の動きは止まっていた。
タカノが、黙って二人を見る。
「……。」
隣で、カスミが静かに口を開いた。
「彼女が言ってる事は、間違ってはいない……。」
周囲にいた女子達も、何も言えなかった。
明日の模擬戦は、遊びではない。
実戦を想定した戦闘訓練。
甘いことを言っていれば、本当に命を落とすかもしれない。
だから。
誰も止めなかった。
ドンッ!
「うっ……!」
リョウコの身体が、床へ叩きつけられた。
もう。
立てなかった。
「カンナ……もう……。」
それでも、カンナは止まらない。
「何寝てんねん!」
倒れたリョウコへ、さらに踏み込む。
「立て言うとるやろ!」
リョウコは、もう顔を上げることさえ出来なかった。
それでも。
カンナは足を止めない。
その瞬間。
ガンッ!!
鈍い音が響いた。
カンナの身体が、横へ弾かれる。
ミカコが、トンファーを振り抜いた姿勢のまま立っていた。
「……。」
カンナが、呆然とミカコを見る。
ミカコはトンファーを肩へ担ぐ。
「戦う以前に、戦闘不能になるだろ」
カンナが、殴られた脇腹を押さえながら立ち上がった。
「いてて……。」
顔をしかめ、ミカコを睨みつける。
「いきなり何すんねん!」
「止めただけだ」
ミカコは、悪びれもしない。
カンナが、ミカコを睨みつける。
「止めるって何やねん!」
床に倒れたリョウコを指差した。
「うちは、こいつの訓練してただけや!」
カンナは、さらに声を荒げる。
「明日、戦うんやで!?」
リョウコへ視線を戻す。
「こんなんでどうすんねん!」
リョウコの肩が、小さく揺れた。
カンナは止まらない。
「そもそも何やねん!」
カンナが、リョウコを睨みつける。
「リットブレイカーやで!?」
「何百年も誰も選ばれへんかった、人類最高峰の秘宝や!」
リョウコの肩が、小さく揺れる。
「みんな欲しかったんや!」
「うちかて、選ばれたかった!」
声が、さらに強くなる。
「それをお前は何や!」
カンナは、リョウコを睨みつけた。
「選ばれたくなかった?」
「いらんかったみたいな顔して!」
声が、さらに荒くなる。
「ふざけんなや!」
リョウコは、何も言い返せない。
それでも、カンナは止まらなかった。
「欲しくても選ばれへんかった奴が、どんだけおると思ってんねん!」
リョウコの右手を指差す。
「それを選ばれた本人が」
「いらん?」
「戦いたくない?」
「帰りたい?」
カンナが、一つずつ噛みつくように並べる。
「選ばれたくなかった」
「戦いたくない」
「帰りたい」
「そんなんばっかりで聞き飽きたわ!」
リョウコは、何も言えなかった。
カンナは、さらに吐き捨てる。
「そんなんでリットブレイカー持つ資格あんのか!」
「弱いくせに!」
「やる気もないくせに!」
「何でこいつやねん!」
静寂。
その時。
カスミが、静かに口を開いた。
「……それは」
カンナが振り返る。
カスミの表情は、変わっていない。
「訓練とは言わない」
カンナが、眉をひそめる。
「は?」
カスミは、淡々と続けた。
「相手を強くするための行為ではない」
倒れているリョウコへ目を向ける。
「ただ、痛めつけているだけ」
カンナの顔が歪む。
「ちゃうわ!」
「こいつが弱すぎるから──」
「リットブレイカーをいらないと言う感覚は」
今度は、タカノが口を開いた。
「私にも理解できない」
カンナの動きが止まる。
タカノは、倒れているリョウコへ目を向けた。
「人類最高峰の武器に選ばれて、それを喜ばないなんて」
少しだけ眉を寄せる。
「どうかしてるとは思う」
リョウコが、小さく俯いた。
だが。
タカノの視線は、すぐにカンナへ戻った。
「でも、だからって」
声が、少しだけ鋭くなる。
「明日の戦闘パーティーを、始まる前から駄目にされたんじゃ」
「たまったもんじゃない」
カンナは、言葉に詰まった。
その横で。
ミカコが眉を寄せる。
「それよりさ」
カンナを見る。
「お前」
一歩、前へ出る。
「リョウコの親友じゃなかったのかよ?」
「……。」
カンナの目が、僅かに揺れた。
それを誤魔化すように、少しだけ笑う。
「親友?」
リョウコへ視線を向ける。
「……そんなん」
言葉が、そこで一度止まった。
「こいつが……。」
カンナは、自分に言い聞かせるように続ける。
「そう、うちより下やったからや」
ミカコの目が、すっと細くなった。
「……は?」
カンナは続ける。
「こいつ見てたら安心出来たんや」
「うちより弱い」
「うちより出来へん」
「せやから──」
ドンッ!!
最後まで言わせなかった。
ミカコのトンファーが、カンナの足元へ叩きつけられた。
ミカコは、低い声で吐き捨てる。
「ふざけんな」
闘技場が、静まり返った。
リョウコは、俯いたまま動かなかった。
ぽたっ。
床に、涙が落ちた。
「……そうだよね」
誰にも顔を見せないまま、小さく呟く。
「あたしなんか……嫌われて当然だよ」
ミカコが振り返る。
「リョウコ……。」
だが。
リョウコは、その場から走り出した。
「お、おい!」
ミカコの声にも、リョウコは振り返らなかった。
闘技場を飛び出す。
誰とも目を合わせないまま。
ただ、逃げるように走った。
────
女子教育船。
自室。
扉が閉まる。
リョウコは、その場に座り込んだ。
膝を抱える。
身体を小さく丸める。
「……。」
ぽた。
ぽた。
涙が、膝の上へ落ちていく。
「親友だって……。」
声が震えた。
「本気で信じてたのに……。」
ふわり。
小さな羽音がした。
「何でやり返さないのさ?」
リョウコが、ゆっくり顔を上げる。
そこには、ピックが浮かんでいた。
「無理だよ……。」
ピックは食い入るようにリョウコの顔を覗き込む。
「何で?」
「カンナって……結構強いんだよ」
ピックは、しばらくリョウコを見つめた。
「いや、そういう意味じゃないんだけど……。」
「……。」
いつものように、リョウコは言い返さなかった。
ピックの表情が、少しだけ変わる。
しばらく泣いているリョウコを見つめる。
「ねぇ」
リョウコが、涙に濡れた顔を上げる。
「……何?」
ピックは、その顔をじっと見つめた。
「今、どうしたい?」
リョウコの唇が震えた。
「親友だって……。」
涙が、また溢れる。
「本気で信じてた……。」
膝を、強く抱きしめる。
「寂しいよ……。」
「……。」
「本物の友達が……。」
声が崩れる。
「欲しいよぉ……。」




