#7
地の底を這う低い震動が、足裏から脛へ、脊髄へと這い上がる。不快感を覚える暇もなく、オルファは岩食い蠕虫の突進を跳んで避ける。
すれ違いざま、剣鉈を振り下ろすが、伝わって来たのは刃が痺れる感触だけであった。
長い体躯を引きずるだけで辺りに砂埃が舞い、旋回する度に家屋や煉瓦が砕け散る。
岩食い蠕虫の頭部が四つに開き、無数の牙を蠢かせながら次の標的へと突進を開始する。
「散れ!」
アイヴィの号令で、トゥルとシューガは左右に走る。
岩食い蠕虫は軌道を変えず直進。
アイヴィは軽やかな足取りで近くにあった煙突に上ると、突進で煙突が破壊されると同時に飛び降り、岩食い蠕虫の背を蹴って着地した。
「良い身のこなしですね」
「避けてるだけじゃ倒せない」
トゥルの賞賛を軽く払う。その間に次はシューガが狙われていた。
大股で走るシューガの眼前に、人ひとりを容易く飲み込む大口が迫る。
「ぬぅっ!」
呻き声を漏らしながら身を捩り、槍杖を振り上げた。
穂先は外殻に弾かれてしまうが、微かに軌道を逸らしたことと、姿勢を崩したことで回避に成功する。
「我としては、そう何度も避けられようにないな」
シューガは肩を上下させ、槍杖を構えながら岩食い蠕虫の動きを凝視した。
「ああいった手合いは、動きを止めて口から体内を破壊するのが定石ですが……」
「ボクの蔓じゃ一瞬で引き千切られるぞ」
「あの大きさですと、あたくしの手札もあまり具合がよろしくありませんねぇ」
「魔法さえ撃ち込めれば……」
術師達が頭を悩ませている間、オルファは二度、三度と岩食い蠕虫の突進を避けては剣鉈を打ち込んでいた。
やがて、岩食い蠕虫は突進を延長させ、広間の奥にある大穴に体を滑り込ませる。
岩壁の向こうから伝わる振動が四人を囲む。
捕食を諦めたわけではない。
「考えがある」
三人と合流したオルファが、トゥルに向けて言った。
「あたくし? なんだかあまり良い予感はしませんけれど」
言葉とは裏腹に、尻尾をくるりと回して見せた。
「さっき腐食を封じただろう。次に奴が突進して来た時、使え」
「腐食?」
忘れたわけではない。虚人蟻との戦いで、オルファが浴びた蟻酸を封じた木瘤は所持している。
「あれだけじゃ外殻は溶かせませんよ?」
「構わん。それと、呪いの準備をしておけ」
押し付けられた短槍をトゥルが受け取る。その時──
──轟音を立てて天井が破裂した。
「避けろ!」
アイヴィの叫びより早く、散開は始まっていた。
降り注ぐ岩の雨。
立ち上る塵埃。
押し潰され、弾け飛ぶ家屋の破片。
そして、地底そのものが呻くような激震。
視界が晴れる間も、仲間の無事を確認する間もなく、岩を潰す音が蠢き始める。
姿が見えずとも、音が聞こえずとも、においが嗅げずとも、岩食い蠕虫には獲物の場所が理解できた。
地中で生きるために発達した、振動を察知する皮膚は、外殻に覆われていてなお敏感であった。
獲物は四体。その中で最も大きく、重い振動を発する者に狙いを定める。
岩食い蠕虫が地面を鳴らし、岩を砕き、砂煙を蹴散らして進んだ先には、灰色の大剣を揺らして走るオルファの姿があった。
オルファは首を巡らせ、迫り来る大口を引き付けてから横に転がり込んで回避する。
通り過ぎていく岩塊をじっと見ながら、確かめるように剣鉈を一振り。それからは逃げることも、仲間と合流することもなく、その場に立ち止まった。
「もぅ、体中が砂まみれ。何度も落石を狙われたら堪ったもんじゃありませんねぇ」
体中を払うが、砂埃が立ち上る中でどれほどの意味があるだろうか。
「ささっと、役目を果たすとしますか」
黒羽の外套から木瘤を取り出すと、大きく息を吸った。
「みなさーん、無事ですかー!?」
砂のにおいと、地鳴りが続く広間に、鈴のような声が響く。
返答はない。だが、それでよかった。
速度を増した地鳴りが近付いて来る。
姿は見えないが、狐の聴覚は確かに標的との距離を捉えていた。
「フン、フン、フン──」
地鳴りに合わせて小刻みに喉を鳴らし、破砕とは違う、岩石の稼働音が飛び込んで来る。
「──フン。移リ穢・解」
鳴らした喉に合わせて、踊るような足取りで跳ぶ。
岩食い蠕虫とすれ違い様、木瘤を外殻に向けて放る。
封じられていた腐食が飛び散り、外殻の一角に黒ずみを残す。しかし、岩食い蠕虫は意に介せず、大きく身を捩らせて旋回してくるのであった。
「後は呪いだけど……避けながらやらないといけない感じです?」
自問──否。トゥルは接近する鉄と革の音に気付いていた。
「俺が引き付ける」
通り過ぎて行くオルファの左手には鉄楔が握られていた。
「フフーン。お願いしますねぇ」
トゥルは破顔すると、黒羽の外套から一枚の札を取り出す。札には文字も、記号も書かれておらず、歪んだ線が暗い赤色で綴られていた。
指に挟んだ札が、巻き上がった風圧でたなびく。
狙いを変えた岩食い蠕虫がオルファ目掛けて突っ込む。
迫る巨体。無数の牙を生やした口腔。体内を震わす地鳴り。それらはまったくもって脅威であり、常に一撃必殺である。
それでも、何度目か分からぬ攻撃となれば、迎え撃つ心構えもできる。
地を削り、飛び散る土砂を鎧で受けつつ側面に滑り込む。狙いは腐食によって変色した外殻。
鉄楔を握る左手に力を籠め、外殻の隙間に捻じ込む。固い泥に似た感触が伝わって来たかと思うと、直ぐに岩壁に激突する。想像以上の衝撃に、危うく引き摺られそうになるが、寸でのところで離脱する。
外殻に異物が刺さったことで岩食い蠕虫は異変を感じたのだろう。これまで直進していた軌道に、蛇行が混じるようになった。
オルファは岩食い蠕虫の頭を抑えるように回り込み、剣鉈を両手で逆刃に持ち替えた。
回避と同時に剣鉈を振り上げ、外殻に突き刺さった鉄楔を力の限り叩いた。
剣鉈は折れ曲がり、鉄兜の側面に傷を残して遥か後方に飛んでいく。
武器の損失と、鎧の内側で悲鳴を上げる腕。オルファは意に介さない。鉄兜を振り、岩食い蠕虫の姿を追いかける。
先ほどよりも大きくなった蛇行に、体を地面に叩きつける屈伸運動が混じる。
岩食い蠕虫は壁をよじ登り、天井に開いた大穴へと入って行く。
岩壁が一枚、落ちる。黒ずんだそれは、地面にぶつかると潰れ、折れた鉄楔を吐き出した。
「逃げましたか?」
短槍を担ぎ、札をひらひらと振りながらトゥルが歩み寄る。
「いや……来る」
天井の揺れが降りて行く先は、最奥の大穴。
「なら──蝕命ノ呪・解」
呪術を発動した札を正面に放り、短槍で貫く。札に綴られていた暗い赤の染料が短槍に吸い込まれていき、やがて無地になった札は千切れ落ちた。
「どうぞ」
恭しく差し出された短槍を掴み取ると同時に、大穴から岩食い蠕虫が飛び出した。
頭部の先端を開閉させながら迫る姿から、外殻を剥がした相手を押し潰すことに躍起になっているようだった。
だが、相手の狙いがどうであれ、オルファのやることは決まっていた。
「下がっていろ」
「あら、惚れちゃいますよ?」
冗談には取り合わない。トゥルもそれを理解しているので、二言目は残さず、静かにその場を離れた。
オルファはその場で大きく足踏みを一回。
引き付けられた岩食い蠕虫は、これまで通り突進してオルファに迫る。
横に跳んで回避し、外殻の剥がれた内皮に呪いの短槍を突き刺す──はずだった。
オルファの横跳びに合わせて、岩食い蠕虫は頭部を振り上げ、叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。
「くっ……!」
飛び退くことで直撃は避けていたが、連続で走る激震によって、ついに体勢を崩してしまう。
頭上から振り下ろされる岩塊。
「掴まれ!」
突風の如き声と共に、伸びた鉄刀木の枝が横に薙いだ。
反射的に腕を伸ばし、枝に運ばれた直後、その場には轟音が鳴り響いた。
獲物を叩き潰したと判断した岩食い蠕虫は一時的に動きを止める。その隙をオルファは見逃さなかった。
枝から手を放し、地面を転がって勢いを殺しつつ立ち上がる。
岩食い蠕虫が振動を察知する。
疾駆。
蠕動。
跳躍。
開口。
前転。
巨響。
乾いた土色の世界に、肉の色が差し込んだ。
短槍を振り上げる。
歯を食いしばり、骨から伝わる悲鳴を無視し、呪いの穂先を内皮に突き立てた。
短槍を手放し、即座にその場を離れようとするが、岩食い蠕虫の体はオルファを囲むように湾曲していた。
包囲の抜け道に向けて駆けるが、先に呪いの効果が表れた。
体内で広がる呪いに命を食い荒らされる。
未知の苦痛に、岩食い蠕虫は体液を吐き出し、激しく身を捩り、叩きつけた。
狙いの定まらぬ出鱈目な暴力。それはやがてオルファの頭上に訪れた。
「駆けろ、始まりの輝き──魔力の流星」
淀みない詠唱が流れ、打ち出された魔力が尾を引いて駆ける。
高速の一撃は暴れていた巨躯を外殻ごと穿ち、オルファの身に降りかかった暴力を逸らした。
岩食い蠕虫は地に伏せてから暫くの間、身を捩っていたが、四人が合流する頃には完全に沈黙していた。
「……助かった」
三人に対し、オルファが選んだ言葉はそれだった。
トゥルは尻尾を揺らし、片目を閉じる。アイヴィは素っ気なく視線を逸らして鼻を鳴らす。シューガは荒く息を吐いた後、片膝を着いた。
驚くオルファとトゥルに対し、シューガは片手を上げる。
「いやはや……落石の時、少し避けそこなってしまってね」
落ち着かない呼吸を無理やり抑え込み、苦笑する。
「無理は禁物──」
トゥルがくるりと回って、手軽な岩の上に腰掛けた。
「──虚人と同化した蟻と、岩食い蠕虫。成果としては十分ですよ」
「依頼は未達成だけどな」
「たしか、期限はありませんでしたよねぇ」
「チッ、嫌な冒険者だ」
アイヴィの悪態に、トゥルはいつもの喉を鳴らす笑いを返した。
「戻るなら好きにしろ」
緩みかけた空気が一変し、緊張の糸が張られた。
「俺は虚人を断つ」
鉄兜の奥の瞳が揺るぎないものであることは、三人にとって容易に想像できることだった。
「虚人以外が出たらどうするんだ? 普通の武器はもう無いだろ」
「その時ある物でどうにかする」
アイヴィは眉をひそめてオルファを見やる。しかし、直ぐにそれが無駄な行為だと理解した。
目の前の男が、己の行動に対して誤魔化しや強がりを言う筈がない。本気で、真面目に答えている。それこそ、その辺りに落ちている石ころで殴り掛かることだって平然とするだろう。
「二手に分かれるという案も、一応あげておきますよ」
前髪を手櫛で整えながらの提案。
「いや、選ぶべき道は一つだけだよ」
対立し、広がった選択肢を、シューガが頭を振って否定した。
視線が集まったのを確認し、勿体ぶるように眼鏡の位置を直す。
「未踏領域の調査だ」
不敵な笑みを浮かべると、腰を抑えながら槍杖を支えに立ち上がる。
「アイヴィがくれた痛み止めも効いてきたしね」
「薬は治すための物だ。無理するための物じゃない」
「ハハ……全くもって同意するよ。ただ、大丈夫。少し前、魔術書を取ろうとして腰を痛めた時に比べれば、随分と動ける」
明るい表情と声音。そして額に滲む汗。
「冒険者はその身に何が起ころうと、最終的には自己責任。わかってる?」
トゥルの細めた眼から突き刺さる視線を受けて尚、シューガは穏やかだった。
「無論だとも。ただ、前衛は控えるよ」
アイヴィは「当然だ」と言うために開けた口を、静かに閉じた。シューガを見るトゥルの視線があまりにも冷たかったからだ。
沈黙。それは意外なほど短かった。
「術はあと何回使える?」
鉄兜の奥から届く、少し籠った、抑揚のない声。
「二回かな。強力なものなら一回」
オルファは首肯すると、背中の業断ちを留め具から外し、肩に担いだ。
「行くぞ」
オルファに続くシューガ。トゥルは二人を横目で眺めた後、岩から跳ぶようにして立ち上がり後を追う。
何か反発があると思っていたアイヴィは少し遅れてから、小走りでトゥルの横に並ぶ。
横目で彼女の表情を確認しようとすると、相手も横目で視線を合わせ来た。
「あたくしの美貌に気付いたからって、覗きはよくありませんよぉ」
いつもの飄々とした表情に、アイヴィは苦虫を嚙み潰した。
「チッ、黙れ!」
「フフーン!」
吐き捨てる口調。それに続く喉を鳴らす笑い声。
いつも通りのやり取りと、いつもより少しだけゆっくりとした歩調で一行は進んでいく。
大穴の奥からは、地下とは思えないほど広い空気が流れてきていた。




