#4
聖都東門。
灰白色の巨石を幾重にも積み上げた門は、人の営みを見下ろすように、東へ延びる街道へその巨大な門口を開いていた。
門柱には聖教の聖印──銀の双弧花章をあしらった旗が立てられている。
門口では数人の兵士が、往来する人々を整理していた。
巡礼へ向かう信徒。
荷を積んだ商人。
故郷へ帰る旅人。
依頼へ赴く冒険者。
誰もが違う目的を抱きながら、この石門を境に聖都を後にし、または聖都にやってくる。
オルファは門の前までやって来ると辺りを見渡した。
人波の向こう、石門を背に三人の姿があった。深青の鱗を持つ魚人は、様々な種族が集う聖都であっても目立つ。
革張りの手帳を開くシューガの脇には、腕を組んで空を見上げているアイヴィと、しゃがみ込んで人の波を観察するトゥル。
「来たか」
手帳を閉じるシューガの声に、両脇の二人も視線をオルファへと移した。
「遅かったな」
アイヴィの声色はぶっきらぼうだったが、苛立っている様子ではない。彼にとっては挨拶のような一言であった。
「あら、いいじゃない。エルフは待つが得意な種族でしょう?」
「ボクは別に得意でも好きでもない」
否定するが、その返答にトゥルはさほど興味を示さずに立ち上がると、オルファに視線を向けた。
「ちゃんと、挨拶してきた?」
「ああ」
即答。
トゥルが挨拶を促した時、オルファは「わかった」と言った。であれば、彼は行動を違えない。元より疑ってなどいなかったが、トゥルは満足気に頷いた。
「では、出発するとしようか」
シューガは手帳を鞄にしまい、代わりに壁に立て掛けてあった槍杖を手にする。
オルファとアイヴィが人の波へ向かおうとしたところで、トゥルが声を上げた。
「一つだけ確認していいです?」
三人の視線が集まるのを確認し、トゥルは続けた。
「徒歩で向かうんです?」
問いかけに、三人はそれぞれ視線を交わした。それは確認であり、呆れであり、意見を求めるものであった。
「途中にある道標の小屋まで徒歩で約半日ですが、乗合馬車を使えば日が暮れる前には着けると思いますよ」
門の近くには馬小屋がいくつか見え、旅客を乗せた幌馬車が門を潜って行く。
「どの道、壙穴に入るのは明日だ」
オルファの返答は賛否が分かりにくかったが、馬小屋の方には視線すら向けていなかった。
「我も徒歩を勧める。街道の様子を見ておきたい。馬車は速いが、見落とすものも多いからね」
「決まりだな」
アイヴィはトゥルに反論があるかも聞かずに歩き始める。
「はいはい。多数決ですね」
トゥルは不満そうな口振りとは裏腹に、その表情はどこか楽しげで、黒羽の外套を揺らしてアイヴィの後を追った。
「そうだ! アイヴィの巫術で飛んでいくのはどうです?」
「馬鹿言うな」
一蹴。それすらもトゥルは面白かったのか、クスクスと笑っていた。
門に並ぶ人の列は長かったが、実際に並んでみると次々と順番は進んでいく。大荷物を持った商人風の男が、荷物検査のために詰所へ案内されると、オルファ達の番になった。
「次……冒険者か?」
四人の身なりを見た兵士が尋ねる。オルファ達は予め用意していた、冒険者としての等級証を兵士に見せる。
兵士は慣れた手付きで等級証の表と裏を確認すると、半身になって道を譲った。
「通ってよし。よい冒険を」
僅かな間の薄暗さを抜け、足裏へ伝わる感触が、石畳から踏み固められた土へ変わった。
再び陽の光を浴びると、眼前に広がるのは一面の草原。緩やかな丘が続く街道脇には、膝上ほどに伸びた雑草が生い茂っており、穏やかな風に撫でられて波打っていた。
混じりの無い自然な空気の匂い。それを吸い込むと、街中から聞こえる喧騒がずっと遠くに感じる。
街道を歩き始めて直ぐ、トゥルが口を開いた。
「聖女様からの依頼でも、祈誓騎士証は見せないんですね」
「ああ」
「使う場面ってあるんです?」
「聖女に会う時は必要だ」
「他には?」
「等級証の方が便利だ」
ただの雑談だというのに真面目に答えるオルファを見て、トゥルは軽く笑む。
二人の後ろでは、アイヴィとシューガがそれぞれ、街道の脇に広がる草原に視線を向けていた。
「一つ、気がかりなところがある」
シューガの言葉は独り言のようであって、全員に向けられたものだった。
「壙穴から帰還した祈誓騎士は、今どうしているのだろうか?」
「依頼書には何も書いていなかった」
オルファの返答に、全員が依頼書の内容を思い出して頷いた。
「特にその方の噂は聞いていませんねぇ」
「フン。噂なんて役に立つもんか」
「百の噂を集めれば一つの真実と言うじゃありませんか」
トゥルにしては珍しく、笑みは浮かんでいなかった。それに気づいたのはシューガだけであったが、会話には介入せずに成り行きを見守ることにした。
「聞いたことがないな」
「だって、今あたくしが思い付いたんですもの」
「お前っ!」
憤るアイヴィと、その様子を見て喉を鳴らして笑うトゥル。いつもの光景だった。
四人は歩き続ける。
種族も、年齢も、性格も違っていたが、歩調だけは自然と合っていた。
聖都に向かう巡礼者や荷馬車と幾度かすれ違い、時折、足を休めるなどして。日が暮れても歩き続けた。
§
道標の小屋──特定の場所に留まらず、巡礼し続ける風教が建てた休憩所兼礼拝所。教派を越え、旅人や冒険者など誰にでも開かれた場所となっている。
聖都東の街道のそれは、二年前に壙穴が開いたことで建てられた物だった。丸太を積み、切妻屋根を載せただけの簡素な造りだが、風雨を凌ぐには十分な広さがある。
日が暮れ、幾らか時が過ぎてから、四人は小屋の前に辿り着いた。入り口脇に焚き火跡があることから、先客がいる様子だが珍しいことではない。
扉を開けると、簡易祭壇に灯された蝋燭に照らされた室内で、数名の利用者がそれぞれ隅に寄って体を休めていた。
巡礼姿の老夫婦。
大きな荷物を持った商人と、息子と思しき子供。
簡素な装備の冒険者が三人。
彼らは新しく訪れた者へ視線を向けるが、冒険者が小屋を利用しに来たのだと察すると、直ぐにそれぞれの時間に戻った。
オルファ達は自然と、四隅の内の残った場所に陣取ることにした。
「は~……お疲れ様ですっと」
トゥルは黒羽の外套を脱ぎ捨てるように下ろし、脚を伸ばして座り込む。
「おい、邪魔だぞ」
アイヴィの文句など気にせず、トゥルは両腕を上げて伸びをした。
「もう、せっかく休めるのに、固いこと言いっこなしですよ」
「お前は少し固くなれ」
「二人とも、他の利用者もいるんだ。固さより静かさを重視した方がいい」
シューガに窘められ、トゥルは脚をたたみ、アイヴィは何も言わず腰を下ろした。
「さて、我は夜食の準備で火を使うが、他に使う者はいるかい?」
「はーい」
トゥルは手を上げると、外套の内側から包みを取り出した。
「後でボクも使う」
「わかった。種火は残しておこう」
シューガとトゥルが小屋を出ると、周囲の様子が目立って見えた。アイヴィは小袋から取り出した木の実を口に放り込んで、様子を探る。
祈りを終え、体を横にする老夫婦。
書類を眺めながら布財布の重さを確かめる商人と、その傍で既に寝息を立てている少年。
依頼を達成した帰りなのだろう。浮かれた雑談を続ける冒険者たち。
出入口近くの壁に背を預けて座るオルファ。
「……お前はいいのか?」
火を使いに行くわけでもなく、その場で食事を口にするわけでもない。心配したわけではないが、何を考えているか気になった。
「何がだ?」
「何も食べなくて」
少しの沈黙の後、雑嚢から黒麭と干し肉を取り出し、それぞれ一齧りした。
「雑だな」
アイヴィの呟きに応じる声はない。沈黙は嫌いではなかったが、何か話題はないかと思考を巡らす。
壙穴のこと、虚人のこと、怪物のこと、教会のこと。依頼に関連することは浮かび上がるが、この場で話すのは憚られる。
「……何を考えている?」
問われたオルファは、水袋を呷って口の中を流し込んだ。
「依頼のことだ」
「だろうな」
つまらない奴だと思った。尤も、オルファに愉快な話を求める方が可笑しなことであったが。
「街のことや、文書屋のことは考えないのか?」
「考えてどうする?」
「薄情な奴だな」
「俺があいつらのことを考えて、それで何かが上手くいくのなら考える」
「お前らしいとは思うよ」
他愛のない雑談。面白味はなく、参考になる事柄もない。多少の時間が潰れればそれでよかった。
再び訪れる沈黙を受け入れようとしたアイヴィだったが、ふと気になる点が浮かんだ。
「準備に時間がかかっていたようだったけど、何かあったのか?」
武器選びに悩む性分でもないし、術の触媒を選んでいたわけでもない。文書屋に寄ったとはいえ、それでも東門に集まるのが最後であったことは意外だった。
「……荷造りをやり直された」
「文書屋でか?」
「ああ。雑嚢を取られた」
予想外の答えにアイヴィは目を丸くした後、鼻を何度か鳴らして笑った。
「そういう話があるなら話した方がいいぞ」
「そうなのか?」
「ああ、そうだ」
「今度からは報告しよう」
真面目な顔で答えるオルファに対し、アイヴィは堪えきれず視線を逸らした。
アイヴィは”面白い話があるなら話せ”と言ったつもりだったが、恐らくオルファは”遅れた理由があるなら報告しろ”と理解したのだろう。理解の行き違いに気付いたところで、訂正などはしない。
「クク……そうしろ」
笑い声を嚙み殺して相槌を打つと、扉が開いた。
「あら意外。随分と楽しそうにしてますねぇ」
「何か、面白い話でもあったのかい?」
夜食を終えた二人に驚かれるが、アイヴィは教えない。荷物を持って立ち上がると、二人と入れ替わるように外へ出た。
「ねぇねぇ、何があったか教えてくださいな」
トゥルはオルファの隣に座ってせがんだ。シューガも聞き耳を立て、オルファの言葉を待つ。
「シフィルとウルリクに荷造りをやり直された。俺の集合が遅かった理由だ」
少しの間を置き、トゥルは吹き出すように笑った。シューガは笑い声さえ上げなかったが、その表情は緩んでいた。
「フッフフ……そんな真面目な顔で言わなくても……」
「面白い話でもないだろう」
「いや、あなたが言うから面白いんですって」
「そうなのか?」
「そうです」
遅れた理由の報告が面白いとはどういうことか。オルファにはよく分からなかった。
それから少しして、アイヴィが薬草の煎じ薬を皆に振る舞いに来た。
「飲んでおけ。疲労回復の効果がある」
「でもこれ、苦いのでしょう?」
椀を受け取りつつも、表情を曇らせるトゥル。
「薬だからな」
当然のことだと言わんばかりの返答。
「香りは悪くないがね。気分が落ち着く」
「それは……そうかもしれませんけど」
爽やかでありながら、柔らかさを感じる香り。
トゥルは目を閉じ、香りを一頻り楽しんだ後、一気に口の中に流し込んだ。
「うへぇ……やっぱり苦いじゃありませんか」
「そう言った」
「うん、苦いね」
シューガは相槌を打ちながらも、少しづつ煎じ薬を口に運ぶ姿はまるで味も楽しんでいるかのようだった。
「オルファはいつの間にか飲み干してますし……苦くありませんでした?」
問われ、オルファは空になった椀を見下ろした。
「……熱かった」
無表情の顔から発せられる予想外の言葉に、トゥルは呆れ半分、笑い半分で何も言い返すことができなかった。
§
アイヴィの煎じ薬を飲み終えた一党は眠りにつき、夜は深まりを増していく。
蝋燭の明かりが消えた、虫の音だけが森から聞こえる静かな夜。動く人影が一つ。
壁に立て掛けてあった灰色の大剣を背負い、兜を被り、静かに小屋を出る。
夜気と、高く昇った小陽の光を浴びる。火の女神の恩恵により、夜中であっても体が冷え切ることはなく、平地であれば視界もある程度は確保ができる。
オルファは森の方へと歩を進めながら、過去を思い返した。
──暗い空から降る雨は強く、冷たかった。倒れた馬車とその周囲には、多量の血痕が残っていた。馬車の陰に隠れていた姉弟は震え、泣き、酷く怯えていた。
二人を守ろうとしたわけではない。虚人がいたから断った。あの二人の生存は結果でしかない。
虚人は剣を持っていた……筈だが、姿を思い出そうとすると黒い靄がかかってしまう。どうやって倒したのかも曖昧だ。倒したからには業断ちの剣身を叩き込んだのだろうが……虚人の強さも含め、詳しくは思い出せない。
虚人を断った後、俺は倒れたようだったが、巡礼中に通りがかった風教によって介抱され、一命を取り留めた。
何故、俺はあの場にいたのか。どこか、岩壁のようなところを登っていた記憶が薄く存在しているが、それがどこなのかは不明だ。
何故、俺は業断ちを持っているのか。教会が調べたが、祈誓騎士としても、祝福武器としても登録はなかった。何かを隠しているとしても、こうして自由に歩き回れるということは、不利益よりも利益の方が大きいと思われているのだろう──
森の中でオルファは足を止める。そこは周囲の木が避けるようにしてできた、小さな空間だった。
二年前、オルファがシフィルとウルリクと初めて出会った場所。オルファの記憶が始まった場所。
背中から業断ちを抜き、一振り。
武器とは思えぬほど軽く、刃を持たない大剣が、空気を裂く。
改めて二年前の光景を思い返す。
雨。倒れた馬車。震えた体を寄せ合う姉弟。光の無い虚ろな瞳。酷く重い身体。教会の治療室での目覚め。
新しいことは何一つ思い出せなかった。元より期待はしていなかったが。
オルファは業断ちを背に戻し、来た道を引き返した。
思い出せなくても構わない。
虚人は断つ。
それだけは、二年前から変わらなかった。




