#3
冒険者ギルドを出た頃には、朝の陽光が聖都の石畳を温め始めていた。
背には扉越しに冒険者たちの喧騒が伝わって来るが、オルファは躊躇いなく歩を進めた。
露店商の客寄せには耳を貸さず、大道芸人の演技には目もくれず、市井の雑踏を早々と抜ける。
大通りから一本、二本と道を外れ、足裏の感触が石から土に変わる。それから少し歩くと、鉄と煤の臭いが漂い、槌音が響き渡る区域に着く。
鍛冶屋、大工、石工。様々な職人たちが集まるこの区域は、俗に職人街と呼ばれていた。
薄汚れた家屋の通りを進んで行くと、扉の上に、金槌が描かれたくたびれた看板が揺れている店を見つける。その店の扉をオルファは躊躇なく開けた。
扉の開閉音は鉄の擦れる音で掻き消え、店の奥で剣を研磨している中年の男は来客に気づく素振りを見せない。
室内の壁に所狭しと並んでいる武具はいずれも飾り気は無いが、よく磨かれており、それ自体が光を放っているかのようだった。
「武器の手入れか?」
オルファが近付くと、男は研磨を止め、剣の具合を確かめながら問う。
「いや」
作業台を挟んだところで立ち止まり、首を横に振った。
「武器の調達だ」
「うちは武具屋じゃなくて鍛冶屋だと何度も言ってるんだがな……」
鍛冶屋は不愛想な声で呟くと、剣を壁に立てかけてオルファに向き直った。
「それで、何が欲しい?」
「閉所で使える武器を」
「洞窟か?」
「ああ……東の壙穴だ」
その答えに、鍛冶屋は微かだが眉根を寄せた。
「最近また物騒になったって聞くな」
「だから俺に依頼が来た」
「そうかい。相手は?」
「不明だ」
「ふぅ……ちょっと待ってな」
鍛冶屋は少し薄くなった短髪を掴むように頭を掻きながら、工房の奥へと入って行った。
待っている間、オルファは壙穴内部の事を思い返す。
入口から降下した先は岩盤に囲まれた、幅の狭い洞窟。高さはどれほどだったか……腕を伸ばせるくらいはあった記憶がある。
怪物が巣食っているとしたら、先に進んだ所の開けた空間だろうが、こちらの侵入に気づいて襲撃して来ることは常に考える必要がある。
奇襲については分かれ道付近を警戒すべきだ。岩盤は硬い。壁を掘り進められる怪物は限られる。
少しでも候補がいるならば備えるべきなのだろうが、全てに備えた武具を持って行けるはずがない。
準備が万全でなければ、情報が十分でなければ歩を進められないのでは、怪物はおろか虚人討伐など出来る筈がない。重要なのは自身の対応力だ。そのために仲間も集めた。
「おい、石みたいに固まってどうした?」
「む……」
呼び掛けられ、オルファは意識を思考から現実へと戻した。
作業台には二種類の武器が並べられていた。
「短槍は言わずもがな。こっちの剣鉈は元々狩猟道具だが、刃の厚みや大きさを調整して怪物退治用にしてある」
短槍と剣鉈、どちらも飾り気は一切無く、それぞれが武器としての機能を果たす意匠であった。
オルファは剣鉈を手に取り、軽く振った。やや切っ先に寄った重心は振り抜くのに最適であり、短剣ほどの剣身であれば壙穴内での取り回しに不便はない。
「一応、突きも出来るが、正面を突くには向いてねぇ。振り下ろせ」
オルファは試しに正面突き、振り下ろし突きと剣鉈を振るい、鍛冶屋の言葉を感覚として覚えた。
「どちらも貰う」
小さな革袋から銀貨を掴むと、そのまま作業台に置く。
「アホ。そんな勘定の仕方があるか」
「不足か?」
「多すぎだ」
鍛冶屋は銀貨を数枚摘まんで突き返すと、何かを思い出して再び工房の奥に入って行った。
「こいつも要るだろ」
鍛冶屋の手の平には鉄楔が二本。細長い三角形をしており、上部には丸い穴が開いている何の変哲もない代物だった。
オルファは鉄楔を受け取り、鎧の上から巻き付けた帯革に差し込む。
「助かる」
「代金はこっちの分に含めてある」
鍛冶屋は作業台に残っていた銀貨を滑り落として回収する。
「他に用は?」
「十分だ」
言い切り、剣鉈を腰の帯革に差し込み、短槍を握りしめる。
「帰って来い。道具は使い潰されるより、手入れされる方がいい」
「ああ」
「そんで、たまには鍛冶の注文を持って来い」
鍛冶屋の言葉を、オルファは無言で受け取ると踵を返した。背後では、すぐに刃を研ぐ音が響き始めた。
§
文書屋の扉──朝に出た裏口からとは違い、正面の出入り口を開けると、乾いた紙と墨液の匂い混じった空気が流れてきた。
店内に客はおらず、窓際ではウルリクが机に向かっていた。墨液壺の周囲には、書き損じたであろう紙が散らばっていた。
「ん?」
怪訝そうに表情を歪めたが、オルファと視線が合うとばつが悪そうにそっぽを向いて、机の上を隠すように前屈みになった。
「あれ、おかえりなさい」
オルファがウルリクに居所を訪ねる前に、受付台の下からシフィルが顔を出した。
「何か忘れ物ですか?」
忘れたわけではないが。オルファは浮かんだ言葉を声にはせずに飲み込んだ。
「東の壙穴に行ってくる」
瞬間、室内の空気が張り詰め、シフィルとウルリクの身に重くのしかかった。
東の壙穴。雨。倒れた馬車。震えた体を寄せ合う姉弟。その二人を包む母親。父親の叫び声。光の無い虚ろな瞳。赤く濡れた剣身。
「……そういう依頼でしたね」
シフィルは平静を装おうとしたが、却って引きつった笑みを作ることになってしまう。
「危険なんでしょ」
言葉に詰まる姉に代わって、ウルリクが言葉を繋いだ。
「洗濯に行った時に聞いた。東に行った教会騎士がしばらく帰って来ないって」
「そうだ」
肯定。依頼に関わることを口外すべきではないが、既に知っている情報を隠す必要はないし、隠せとも依頼はされていない。
「……たまには断んないのかよ」
「断る理由が無い」
ウルリクは書きかけの粗紙を強く握った。
「姉ちゃんが怖がってるだろ」
絞り出すような声だった。
オルファは、自身を睨むように見上げるウルリクの瞳の内にある意思を、声音に込められた感情を読み取ることができなかった。仮に読み取れていたとしても、答えは決まっていた。
「だから行く。行って、俺が断つ」
その答えにウルリクが食い下がろうとした瞬間だった。溜め込んでいた息の吐く音が二人の間に割って入った。
「ウルリク、だめですよ。オルファさんは決めたことは曲げませんから。それに──」
受付台から出て来たシフィルがオルファの前に立つ。
「──オルファさんの役目なんですよね」
「ああ」
誰に命じられた訳ではない。自分で望んだ訳ではない。背中の大剣から伝わる、衝動に近い何か。
虚人を断つ。
失った記憶の中でも、それだけはいつも明確だった。
「それなら、ちゃんと準備しないとですね。東の壙穴ですから……二、三日は帰って来れませんよね」
シフィルの表情は、いつの間にか普段の柔らかいものに戻っていた。
姉の様子を確認したウルリクは、口を尖らせながらも不満は漏らさず、粗紙の皺を伸ばした。
「水や保存食は十分ですか?」
「ああ」
「薬草や包帯はどうですか?」
「問題ない」
「聖布や浄水滴はありますか?」
「……不要だ」
断ったものの、オルファはシフィルから向けられた胡乱げな眼差しから視線を逸らした。
「だめですよ。身体が汚れていたり、濁った水を飲んでいたりすると、すぐに具合が悪くなるんですから」
「壙穴に行く前に、教会か病院で説教された方がいいと思うぞ」
姉弟から非難され、オルファは何も言い返せずにいると、いつの間にか席から立っていたウルリクに腰の雑嚢を開けられていた。
「空の水袋に、千切れた干し肉と……枯草? それとぐちゃぐちゃの包帯……姉ちゃん、こいつだめだ」
「ウルリク、そのまま鞄を外してこっちの机に置いてください」
「うん」
ウルリクの手は器用なもので、あっという間に雑嚢を帯革から外してしまう。
「おい」
たまらず呼び止めるが、ウルリクがオルファの言うことを聞くはずもなし。雑嚢を空いた机の上に置く。
「こんな準備で行こうとしていたんですか?」
シフィルは呆れながらも手際よく雑嚢の中身を取り出し、台所から持って来た物資を新たに詰めていく。
浄水滴の瓶──水教の祈禱道具であり、汚れた水を浄化する。
聖布──聖教の祈祷道具であり、人や物についた穢れを払う。
新しい包帯。
小瓶に詰められた乾燥薬草。
黒麭と干し肉。
「干し葡萄も入れておきますね」
小さな布袋を最後に入れる。それをウルリクは少し物欲しそうに見つめていたが、口はきつく結ばれていた。
オルファは不要だと言おうとしたが、先に声を発したのはシフィルの方だった。
「いらなければ、仲間の人たちに分けてください」
そう言って雑嚢を閉めると、両手で抱えてオルファに差し出した。
「……助かる」
十分すぎる準備に対し、オルファは何と答えようか逡巡したが、口から出たのは愛想の無い感謝の言葉だった。無論、その言葉に嘘偽りはない。
随分と重くなった雑嚢を受け取ると、慣れた手つきで帯革に取り付ける。
「水は街を出る前に買ってくださいね」
「そのつもりだ」
「……帰って来てくださいね」
「そのつもりだ」
無機質な返答。しかし、それでもシフィルは安堵した。オルファが心に無いことを口にはしない性格であることを知っていたから。
逆に、オルファは違和感を覚えていた。助けてもらったお礼にと、文書屋に住まわせてもらった当初は、一時の状況判断のために受け入れただけだった。それが、虚人や怪物と戦っている内に、いつの間にかここが帰る場所になっていた。自然と、帰りを約束するまでになっていた。尤も、確実でないことを約束と呼べるかは定かではないが。
「行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
シフィルは柔らかく笑み、穏やかな声音で送り出す。無事にまたここに帰って来てもらうために。
彼女の傍らにいるウルリクは黙ってオルファを見送る。その表情に不安や疑念は無い。依頼を受けて、街の外に出かけて、何日かしたら帰ってくる。そんな日常を眺めていた。
文書屋の扉を開けると、入り込んだ外気が室内を巡り、紙と墨液の匂いを運んでオルファの鼻孔をくすぐった。
いつもの墨液の匂い。けれど何故か今日は懐かしさを感じた。先ほど少しだけ過去を思い返したからか、あるいは消えた記憶の中でも今と似た環境にいたのだろうか。
無意識に、ただなんとなく、後者であったら良いと思った。
扉を閉めながら、ちらりと姉弟を見やる。見送る二人の姿は、いつも通りだった。




