#2
朝の聖都は既に賑わい出していた。
路面に商品棚を出して客を引く商人の声。吟遊詩人の歌声。聖都とその周辺で起きた出来事を伝える情報屋。
石畳を蹄が蹴り、車輪が転がる。遠くからは鉄を打つ音。
様々な生活の音に、諍いにも似た喧騒が混じる。発生源は、門にも似た大扉の向こう側。
”冒険者組合”
看板に書かれた文字を一瞥もせず、オルファは扉の片側を押し開けた。
「異教徒の討伐依頼は俺がもらった!」
「知るか、早いもん勝ちだ!」
「お! 俺の等級でも受けられる護衛依頼がある!」
「バカお前、そいつは黄玉以上を希望だ。琥珀は調査にでも行っとけ」
「山岳地帯まで行くのに、報酬が金貨10枚!? 馬鹿にしてんのか!」
「文句があんなら受付に言え!」
紙を剥がす音。
革靴が床を擦る音。
金具のぶつかる硬い響き。
室内の奥──依頼掲示板の前でごった返している冒険者からは絶えず粗暴な声が上がる。新参者が思わず気後れしてしまう程の空気だが、冒険者にとって依頼の取り合いは朝の挨拶のようなものだ。
記号と色と少しばかりの文字で記された依頼書を掲示板から剥がし、受付で詳細を聞き、受注するか否かを判断する。
受付には小綺麗な女性職員が並んでいるが、荒くれ者の態度に委縮することはなく、それどころか時には相手を食わんとする勢いで注意をし、同僚から咳払いが送られる。
オルファは冒険者組合の日常に関心を示さず、首を左右に振って周囲を見渡した。
受付に申し出て仲間を募る方法もあるが、生憎と今は何人待ちか分からない。加えて、壙穴の虚人退治ともなれば、相応の実力と信用のできる仲間が必要だった。
当ては──あった。
掲示板の反対の壁際。そこに並んだ長椅子に座る、一風変わった二人組。
一人は緑の髪から尖った耳を出し、美麗な顔を顰めて掲示板前の喧騒を冷めた目で見ていた。組んだ腕の片方の肘を、指が一定間隔で叩く。
もう一人は、体表に深青の鱗を持ち、平らな顔に分厚い眼鏡を掛けていた。分厚い本を片手で支え、もう片方の手でゆっくり頁を捲っている姿は、騒音など存在しないかのように静かだった。
二人組にオルファが近付くと、先に声を発したのは深青の鱗を持つ、魚人の男だった。
「……おはよう。今日は討伐依頼が多いみたいだ」
穏やかな声で挨拶を口にしながら、ゆっくりと視線を書物からオルファへと移す。
「そうか」
簡素な返事に、鼻を鳴らして反応したのは、顔を顰めたままの森人の男だ。
「お前がボクたちに用があるってことは、普通の依頼を探しに来た訳じゃないんだろう?」
「ああ」
オルファは即座に頷いた。彼の手に丸められた書状が握られていることに気づくと、森人は半ばひったくるように書状を手にした。
「アイヴィ……」
森人の遠慮の無さに、魚人は彼の名を口にして嘆いた。
「フン。こいつがこれくらい気にするもんか。それより、シューガも見るだろ?」
魚人──シューガもオルファの人となりは理解しているつもりだ。しかし、親しき中にも礼儀は必要だと、注意すべくアイヴィに視線を向けた時だった。
「銀の双弧花章……」
破られた封蝋を目にし、黒目がちな目を微かに細めた。
「中身を見たら、後には引けなさそうだ」
「いや、そこまでは書かれていない」
「おや、意外だ」
「中には口外禁止としか書かれていなかった」
シューガは苦笑した。口外を禁じられる内容であれば、それは”後には引けない”案件なのだ。
「読む気が無いならボクだけで見るぞ」
アイヴィは壁を背にするように座り直し、書状を開くと、やがて舌を打った。
「随分な依頼を持って来たな」
呆れと苛立ちと混じった声音だった。
一通り目を通し終えた書状をシューガに渡しながらオルファを睨んだ。
「だから、お前たちを探した」
「珍しいな。いつもなら”一人でも構わん”って言うのに」
「来ないのなら他を探すか、一人で行くつもりだ」
抑揚のない声。駆け引きを持ちかけているのではなく、アイヴィ達が断れば本当に言葉通りに動くのは想像に難くない。
「他を探すとしたら誰だ?」
「……トゥルには声を掛けるつもりだ」
オルファは喧騒の止まない室内を見渡す。
いくらか人だかりが減った掲示板前には、若い冒険者の姿が目立った。
受付の前では、依頼を受けようとする冒険者が雑な列を作っており、依頼を持ち込みに来た身なりの良い人物は迷惑そうな表情を浮かべている。
椅子や卓に着き、冒険者同士で情報交換をする者。受付を終え、仲間達と意気込みながら組合を出て行く者。
自在戸の奥は酒場になっているが、今は施錠されており、人の往来は無い。
「見ていないか?」
「あいつのことをボクに聞くな」
吐き捨てるような口調の傍らで、深い溜め息が吐かれた。
「……確かに、随分な依頼だ」
依頼書を読み終えたシューガは、丁寧に書状を丸めてオルファへと返した。
「そして、不可解だ」
「何が?」
アイヴィが透かさず問う。
「口外禁止にする理由が分からない。混乱を招きたくないのかもしれないが……」
シューガは顎に手を当てながらオルファへと視線を向けた。
「これを君の所に持って来たのは誰だい?」
「教会騎士だ」
「彼はこの依頼について何か言っていたかい?」
「内容は知らん。と言っていた」
短い問答を終えると、シューガは少しの沈黙の後に疑問を口に出した。
「教会騎士にも伏せなくてはならない何かがある?」
「こいつが偏屈だから、何も情報を渡さなかっただけじゃないのか?」
アイヴィはオルファを指差しながら冗談めいた事を言ってみせるが、シューガは変わらず思考を巡らせていた。
「……興味深い」
そう呟いたシューガの口元は僅かに緩んでおり、瞳には探求心という名の光が宿っていた。
「我は同行しよう。この依頼、内容以上に奥が深そうだ」
シューガの決定に、オルファが頷きを返し、アイヴィは白い眼を向けた。
「いつか好奇心で死ぬぞ」
「これが我が冒険者たる所以だよ」
シューガが微かに口角を上げて見せると、アイヴィは鼻を鳴らして会話を切り上げた。
「お前はどうする?」
「行く」
即答だった。
教会の思惑がどうであれ、敵が何であれ、脅威が巣食っているのならば突入し、探し出し、倒す。アイヴィはそのために冒険者となったのだから。
オルファが頷きを返し、話が纏まった時だった。
「フフーン。なんだか楽しそうですねぇ」
喉を鳴らした特徴的な笑い声と共に、彼女は現れた。
狐耳と尾を細かく動かしながら、冒険者の合間を踊るように縫い歩いて来る。彼女こそが、先ほどオルファが探していた人物──トゥルだ。
「なに? 虚人?」
「そうだ」
オルファの返答に、トゥルは少しだけ目を細めた。
「それ、祈誓騎士が帰って来ないって話と関係あります?」
「なんで知ってるんだ?」
反射的に聞き返したアイヴィだったが、トゥルに視線を向けられると、強い後悔の念を覚えた。
「フフーン。やっぱり大事のようですねぇ」
笑んだ口元を、広い袖口で覆う。その様を見て、シューガは額を抑えた。
「笑い事ではないのだがね……」
「今のうちに笑っておかないと、最期に笑ったのがいつか思い出せなくなってしまう気がしたので」
「フン。心にも無いことを平然と言う」
「あら、そんなことないですよぉ?」
袖口を下ろし、笑みの消えた表情を見せるが、アイヴィは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「来るか?」
トゥルは、差し出された依頼書とオルファを交互に見てから手を伸ばした。
「あたくしで役に立てそう?」
「知らん」
依頼書を読んだだけで誰が役に立つか分かったら苦労はしない。オルファは根拠のない予想を口にはせず、事実のみを語る。だからこそ「だが」と続けた。
「当てにはしている」
「あら、珍しい」
トゥルは目を丸くしてオルファを見るが、彼はそれ以上何も言わなかった。
「そう言われたら、行かないわけにはいきませんよねぇ」
依頼書を受け取ると同時に開き、赤褐色の瞳を左右に動かした。
内容は端的な文が並べられていた。
目標:聖都東部森林内壙穴の調査。虚人の討伐。祝福武器の回収。
報酬:金貨二十枚。祝福武器の回収数に応じて追加有り。
概要:十日前、壙穴周辺にて邪教徒の活動を確認。祈誓騎士を含む小隊を派遣。帰還者一名。
帰還者証言:壙穴最奥に未確認領域あり。邪教徒は討伐済み。古き闇出現。同行者複数名が虚人化。
証言を受け、祈誓騎士および精鋭部隊を再派遣。帰還者なし。
備考:同行者選定自由。本依頼に関する事項について同行者以外への口外を禁ず。達成後は速やかに大教会へ報告すること。
「"その歩みに道がありますように"ねぇ……」
末尾に記された聖句を声に出すと、トゥルは依頼書を手早く巻いてオルファに返した。
「噂は本当だったみたいですねぇ」
「噂?」
興味を示したのはシューガだった。
「最近、大教会が慌ただしくしていたから、祈誓騎士が虚人にやられたんじゃないかって話」
「よくある話だね」
「ところが、今回の噂は一段深いんですねぇ」
「ほぉ? 気になるね」
「そのやられた祈誓騎士がシダルタなんじゃないかって、言われているみたいですよ」
シダルタの名前が出た瞬間、シューガは表情を引きつらせ、アイヴィは舌を打った。
「勝手に話が大きくなっているだけだろ。人間がよくやるやつだ」
「そ。所詮は噂、噂」
手を振りながら軽い口調で返すトゥルに、アイヴィは眉根を寄せた。
「お前から言い出したことだろ」
「どちらでも構わん」
とりとめのない話に楔を打つのはオルファだった。
「虚人が出たのなら断つ」
表情は変えず、されどその灰色の瞳には確固たる意志が宿っていた。
「オルファの言う通りだ。のんびり話している暇があるなら準備をしようか」
シューガは脇に置いてあった分厚い本を鞄に仕舞って立ち上がる。その様を見て、アイヴィは顎に手を当てて小さく唸った。
「何か気になることでも?」
「怪物の情報が無い。いないとは思ってないが、どう備えたものか……」
「それはもう、ありったけを持って行けばよろしいじゃありませんか」
アイヴィは、薄ら笑いを浮かべて両腕を振るトゥルを一瞥すると、盛大に溜め息を吐き、それ以上は何も言わなかった。
「冗談はさておき、あなたの方は準備が出来ていまして?」
トゥルが水を向けたのはオルファだった。
「いや」
小さく首を振る。
「武器を調達する必要がある」
「そ。ところで、ちゃんと挨拶はして来た?」
「……いや」
誰に、というのは聞かずとも予想ができた。自身が挨拶をするような人間は数少なく、且つ彼女が気にする相手となればシフィル以外に心当たりが無かった。
オルファは否定した後に、仕事が立て込んでいた事を話そうとしたが、トゥルの立てた人差し指に制される。
「だめよ。下宿させてもらっている身なら、挨拶と予定はしっかり伝えなくちゃ」
「……」
反論は無かった。しかし、出発の挨拶をせず出て来たのは今回が初めてではない。
「ちゃんと”いってきます”しないと。待つ側だって、そんなに気楽じゃないのよ」
子供を躾けるような言い方だったが、その声音は実に真面目なものだった。
「……わかった」
東門に向かう途中に文書屋はある。断る理由は無かった。いや、例え遠回りに位置していたとしても、断ることはできなかっただろう。
「よろしい」
トゥルが満足げに頷いたのを見てから、シューガが口を開いた。
「それでは、各々準備が済んだら東門に集合でいいかな」
「ああ」
オルファは答えるや否や、踵を返して組合の出入り口へと向かった。
彼の背では無機質な大剣が揺れていた。それは、刃は無く、光沢も無い、ともすれば存在そのものを見逃してしまうような代物であったが、喧騒の中で確かな存在感を放っていた。




