表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
業断ち  作者: 一丸一
1/12

#1

 地平線の彼方で陽が全身を現すと、夜の名残を追い払うように、空から鐘の音が五つ降り注いだ。

 日の出を知らせる始鐘の次に鳴るこの鐘は、聖都に住む人々にとって生活の始まりの合図であった。

 鐘の音の方角──聖都の中心にある高台に鎮座する大教会。そして、そこで女神の声を聞く聖女に向けて祈りを捧げ、人々は一日を始める。


 五つ目の鐘が世界に溶け切った頃、聖都の大通りには既に人の流れが生まれていた。

 石畳を踏み鳴らしながら、農夫が荷車を引く。眠たげな子供の手を引いて、教会へ向かう母親。徹夜明けの兵士は欠伸を噛み殺す。鎧を鳴らして歩く冒険者。店先に集まった商人達は、仕入れの調子を語り合う。

 人々は職業や立場だけでなく、見た目も様々だった。尖った耳を持つ者。獣の尻尾を生やした者。皮膚が鱗で覆われた者。翼をはためかせる者。

 多種多様な人々が作る喧騒の中を、大きな歩幅で横切って進む男がいた。

 淡黄色の外套の隙間から、よく磨かれた鎧を覗かせ、右手の書状は確かに、しかし潰さぬように注意を払って握りしめられていた。

 大通りを外れ、いくらか狭まった通りを進んで行くと、とある二階建ての建物の前で数人が列を作っていた。農夫に商人に冒険者、装いに統一感はないが、皆一様に封書や羊皮紙を手にしていた。

 男は足を一度止め、建物の扉の上に視線を送る。吊るされた看板には、紙と羽根筆が交差して描かれていた。


§


 店内には紙と墨液の匂いが満ちていた。

 棚には巻かれた羊皮紙と、粗紙の束が分けて置かれている。窓際の日当たりの良い机では、台に乗せられた紙が書かれたばかりの文字の乾きを待っていた。


「はい、こちらですね」


 店内の中央では、受付台を挟んで若い女性と老婆が向き合っていた。

 若い女性はまだ幼さを残した顔立ちであったが、落ち着いた態度で手紙と代金を受け取ると、紙面へ目を落とした。

 顔の横から伸びて来た茶髪を耳に掛け、青緑の眼を柔らかく細めて文字を追う。

 彼女の名前はシフィル。形だけの文字を言葉に変えて伝える代読屋にして、無形の言葉を文字に変えて届ける代筆屋。世間からは文書屋と呼ばれる店の、若き女主人だ。


 シフィルは手紙を一通り読み終えると、老婆へ視線を移す。

 老婆は顔に刻まれた皺を少しだけ深くし、視線を揺らした。


「北の農村にいらっしゃる息子さんからですね。”今年の麦畑は順調です。羊の具合も良いので心配しないでください”」


 柔らかな笑みと共に一文を読み終えると、老婆の顔から皺の深みが取れた。


「ああ……よかった。あの子、元気にやってるんだね……」


 老婆が胸を撫で下ろすと同時に、シフィルも内心で安堵の息を吐いた。朝早く訪ねて来た客に悪い知らせを読み上げるなど、誰がすき好むだろうか。

 文書屋には様々な言葉が集まる。

 無事の知らせ。商談。嘆願書。依頼書。訃報。遺書。

 シフィルは言葉に触れることを好ましく思っていたが、心のどこかで必ず緊張していた。


 聖都は大規模な都市であり、教会の学び舎はいくつか存在するが、それでも読み書きができない者は多い。日々の労働に追われる者にとって、継続して学ぶ時間を作ることは難しく、何より人々の認識として、読み書きは一種の技術だった。学ぶ機会が開かれたからといって、これまでの認識──常識と呼んでもよい──を変える為には少なくない時間が必要だ。


「続き、読みますね」


 そう言ってシフィルが再び紙面に視線を落とした時、店の奥から少年の声が届いた。


「姉ちゃん、おれ洗濯行って来る」


「あ、はーい」


 シフィルが返事をして振り返ると、弟のウルリクが、小さな体に不釣り合いな洗濯桶を持っていた。


「……」


 ウルリクは勝手口に向かう途中、二階へと続く階段を見上げ、降りて来る人物がいないことを確認すると鼻を鳴らした。

 シフィルが代読と代筆で稼ぎを得、ウルリクが家事を回す。いつもの日常であった──外からの騒めきが流れ込むまでは。


「うおっ……!」

「おい、なんだお前!?」


 困惑の声を置き去りにして扉が開かれる。

 現れたのは、淡黄色の外套からよく磨かれた鎧を覗かせ、書状を手にした男だった。

 男が微かに眉間に皺を寄せ、店内を見渡していると、開け放たれたままの扉から、粗末な鎧を着た男が身を乗り出した。


「おう、順番は守れや!」


 外套の上から肩に掴みかかろうとしたその手を、別の客が止めた。


「お前さん、流れ者か!? あの聖印を見ろ、教会騎士だぞ」


「ああ……?」


 外套の背には、銀糸で聖教の証が縫い付けられていた。

 それは、左右から立ち上がる二本の滑らかな弧によって形作られた円。しかし完全ではない。上部で閉じ切らず、わずかな余白を残して向かい合っている。

 円の中心に花が咲いており、その花弁は柔らかく円の上部を目指して開いている。

 花の根元からは、左右対称に月桂樹の枝葉が広がっており、花を支える基盤としての半円を形成している。

 銀の双弧花章。聖都に住む者ならば誰もが知り、敬うべき象徴。


 粗末な鎧の男は、教会騎士なら順番を守らなくてよいのかと思ったが、教会に逆らうべきでないことは明確に理解していた。不満そうに口を曲げながらも引き下がる。


 教会騎士は背後のやり取りを意に介さず、店内を見渡した後に、店主であるシフィルに向かって口を開いた。


「用があるのは文書屋ではない」


 教会騎士ともなれば文字の読み書きは習得済みであり、文書屋に依頼があって訪れた訳ではないことは察しがつく。では何用か。

 その理由に、シフィルは一つ確信に近い心当たりがあった。


「業断ちはどこだ?」


 シフィルは自身の予想が的中したことに、少しだけ複雑な気持ちを抱いた。けれど、返答を誤魔化そうなどとは思わなかった。それは、彼にとっても望むところではないのだから。


「オルファさんなら……」


 居場所を伝えようとした時だった。二階から戸が開閉する音が届き、直ぐに足音が下りて来た。

 厚革の半長靴に、鉄と竜鱗で補強された黒革鎧を纏い、片手には飾り気の無い鉄兜。いずれの防具にも、擦れや傷が幾重にも刻まれている。

 背に携えた大剣はやや細く、剣身に刃を持たず、光を吸い込むような鈍い灰色をしている。そして、無造作に伸びた黒髪から覗く瞳もまた、鈍い灰色をしていた。


 教会騎士は彼の姿を認めると眉間に皺を寄せた。出自も経歴も信仰心も曖昧な冒険者ならいざ知らず、仮にも祈誓騎士である者が、古き闇を連想とさせる暗い装備に身を包むとは何事か。


「依頼だ」


 個人的な不快感は隠さず、しかし命じられた役割は果たす。

 祈誓騎士はオルファを呼び止めて書状を掲げて見せた。


「……俺にか?」


「他に誰がいる?」


「ここは文書屋だ」


 教会騎士は思うように話が進まないことに苛立つと、オルファに押し付けるようにして書状を差し出した。


「聖女様からだ」


 封蝋に刻まれた銀の双弧花章を見せつけるが、オルファは表情を一切変えずに書状を受け取る。


「虚人か」


 その言葉にシフィルと老婆の表情は強張り、いよいよ苛立ちが我慢できなくなった教会騎士は舌を打った。


「内容は知らん。ただ、書状を渡すよう命を受けただけだからな」


 教会騎士が言い終わる前にオルファは封を切り、整然と記された文字を目で追いかける。

 店内の空気が緊張し、依頼と関係の無いシフィルや老婆も成り行きを見守っていた。そんな様子を知ってか知らずか、オルファは眉一つ動かさずに読み終えると、依頼書を適当に丸めた。


「他の祈誓騎士は?」


「いればそちらを頼っている。なんだ、一人では荷が重いのか?」


「そうか」


 嫌味を言われたことに気づいていないのか、オルファの淡々とした態度に教会騎士は呆れに似た感情を抱いた。


「シダルタ卿がおられれば、お前のようなはぐれ者の手を借りずとも済んだのだが……」


 挙げられた名前に、オルファは聞き覚えがあった。序列や階級の無い祈誓騎士であるが、頭一つ抜けた戦闘能力から実質的な長とされ、騎士達からの信頼も厚い。加えて高い信仰心と正義感を持ち、市民からは人格者と呼ばれる存在。

 虚人討伐の帰り、怪物の群れに襲われていた隊商を難無く守り切ったとか、竜を操る虚人を単独で倒したとか、彼を歌った詩は数多く存在する。


「戻らないのか?」


「失礼な言い方をするな。壙穴の調査でしばらく離れると仰っていた。シダルタ卿の事だ、今後の為になる成果を持ち帰って来られるだろう」


「そうか」


 淡白な返答と頷きを返し、丸めた依頼書へと視線を落とす。


「言っておくが、騎士団からも援軍は出せん」


「ああ」


 初めから期待はしていない。いつもの事であり、騎士団が都市の守護を使命としているならば当然だ。人里を離れ、敵を探し出して屠るとなれば、おあつらえ向きの者達がいる。


「フン……精々、頼りになる冒険者でも集めるのだな」


 吐き捨てるように告げると、教会騎士は外套を翻して文書屋を去った。

 僅かな静寂の後、声を発したのは老婆だった。


「虚人が出たのかい……?」


 眉根を下げ、合わせた手を頻りに摩っている老婆に対し、オルファは相変わらずの無表情で答える。


「ああ」


「まさか北じゃないだろうね? そっちには息子がいるんだ」


「東の壙穴」


 方角を聞くと、老婆は手を摩るのを止めた。代わりにシフィルの眼が大きく開かれた。


「そうかい……」


 虚人が出た以上、安心はできない。しかし、直ぐに息子へ危害が及ぶ場所ではないと分かれば、一先ずはそれで良かった。老婆はシフィルへと向き直る。


「悪いね。続きを読んでくれるかい」


 中断していた手紙の続きを催促されたが、シフィルは直ぐに反応することができなかった。

 東の壙穴。雨。倒れた馬車。ぬかるんだ地面を濡らす赤。腕の中で震える弟。光の無い虚ろな瞳。


「おや、どうしたんだい?」


「あ、はい……ごめんなさい。続きですね」


 記憶の中から意識を取り戻したシフィルは、脳裏に残っている景色を忘れようと必死に手紙の文字を読んだ。

 手紙を読み終えると、老婆は喜んだ顔を見せ、手紙を大切に握り締め、何度も礼を言いながら去っていく。

 交代で店に入って来た商人は、予期せぬ待ち時間が発生したことで焦っている様子だった。シフィルもつられて少し早口になる。


 オルファは文書屋に日常の景色が戻ったことを認めると、勝手口から外に出る。

 扉の閉まる音を聞いたシフィルは、彼に告げたい言葉が込み上げて来たが、胸の奥に押し込める。そして、目の前に出される形だけの文字を言葉に変えて伝え、無形の言葉を文字に変えて届けるのであった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ