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転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
王都編

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白い手


指が、袋の口に触れた。


ネアの手が、その上から押さえる。


布越しに、司祭の指先の冷たさまでは分からない。分かるのは、ネアの胸が固くなったことと、腕の力が急に増えたことだけだ。


「開けてください」


司祭の声は、怒っていなかった。


怒っていないから、余計に断りにくい。会社員時代にもあった。相手が丁寧なほど、こちらが面倒な人間みたいになるやつだ。


(いや、俺は人間じゃない。石だ。面倒な石。最悪だな)


「石です」


ネアが言った。


「石でも、危ないものはあります。刃を隠したもの、薬を染み込ませたもの、呪いを込めたもの。門では、それを確かめます」


「危なくない」


「それを、こちらで確かめる決まりです」


列の後ろで、誰かが靴を鳴らした。


「見せりゃ終わるだろ」


「子どもに難しいこと言うなよ」


どちらの声も、ネアのために言っているようで、結局は列を進めたいだけだった。


ネアは袋を胸に寄せたまま動かない。


『ネア』


「いる」


返事は小さかった。けれど、すぐ返ってきた。


俺はそれ以上、声を送らなかった。


温めることはできる。袋の中で、ほんの少しだけ力を出せばいい。ネアの手の中で、俺が特別な石だと分かる。司祭も手を引くかもしれない。


その次に来るのは、たぶん別の手続きだ。


「珍しい石ですね。奥へ」


「石を調べる者に」


「どこで拾いましたか」


想像だけで、もう嫌だった。守り神の証明を出した瞬間、俺たちは大神殿の持ち物検査から、大神殿の興味に変わる。


だから、しない。


俺はただの石として、袋の底に沈んだ。


「開けません」


ネアが言った。


司祭の息が、近くで止まった。


「預けることも、できませんか」


「預けない」


「中で祈る時、両手を合わせられませんよ」


「合わせない」


(神殿で両手を合わせない宣言。強い。強すぎて、俺が上司なら一回別室に呼ぶ)


司祭は少し黙った。


その沈黙の間に、門の内側から別の音が流れてきた。大勢の足音が硬い床をこする音。香を焚く皿が置かれる音。誰かが咳をして、誰かがそれを小さく叱る声。


ネアが顔を横へ向けたらしい。


布越しに、香が濃くなった。甘い蝋の匂いと、人いきれの熱も混ざる。俺には、ネアが受け取った分だけが届く。大神殿の中がどんな形をしているかは分からない。ただ、音が広い場所へ逃げていくのは分かった。


「どうしてそこまで隠すのです」


司祭が聞いた。


ネアはすぐには答えなかった。


袋の口を押さえる指が、少しずつ強くなる。爪が布に引っかかる。俺は動かない。動けないし、動かない。


「拾った」


ネアは言った。


「拾った石ですか」


「うん」


「祈りに使う石ではない?」


「違う」


「誰かの形見でもない?」


ネアの指が止まった。


形見。


その言葉は、袋の中まで落ちてきた。俺は死んだ会社員で、今は石で、ネアに拾われた。形見と言われると間違っている。間違っているのに、完全には外れていない気もする。


ネアは答えなかった。


司祭は、答えを待った。列の人間は待たなかった。


「おい、後ろが詰まる」


「司祭様、ただの石なら通してやれよ」


「いや、決まりは決まりだ」


声が重なる。


俺は、ネアの胸の奥で鳴る鼓動を聞いていた。速い。けれど逃げる速さではない。立ったまま、押し返すための速さだ。


司祭の手が、袋の結び目に近づいた。


ネアが体を引いた。


「見せない」


その一語で、列がまたざわついた。


司祭の声が少し低くなる。


「娘さん。ここは大神殿です。中へ入るなら、門の決まりには従ってください」


「危なくない」


「それを信じたいから、確かめるのです」


「触った」


司祭は言葉を切った。


ネアは続けた。


「いま、触った。動かない。鳴らない。刃もない」


それは説明というより、見たままの報告だった。


俺は袋の中で、石として何もしていない。布も震わせない。熱も出さない。ありがたい気配もない。今この場で俺にできる最大の協力は、最低限の存在感でいることだった。


(守り神の仕事が、ただの小石の演技になる日が来るとはな。転生もの百冊読んでも、この業務内容は見たことない)


司祭は手を引いた。


完全には納得していない。声の奥に、まだ迷いが残っている。


「袋ごと、私が持って重さを見ます」


「持たないで」


「では、あなたが持ったまま、袋の外から触れます。中に刃がなければ、それでよい」


ネアは袋を下ろさなかった。


胸に押しつけたまま、少しだけ向きを変えた。司祭の手が、袋の底の方へ触れる。布が押され、俺の端に圧がかかった。


ここだ。


ここで光れば、終わる。


ここで温かくなれば、ネアは楽になる。


ここで何かを返せば、俺は「いる」と言える。


俺は何もしなかった。


司祭の指が、袋の上をゆっくり移動した。布のしわがずれる。ネアの腕が震える。袋の口は、ネアの手で押さえられたままだ。


「硬い石ですね」


「石だから」


「それは、そうですが」


司祭が困ったように言った。


列の誰かが、ふっと笑った。すぐに別の人が咳払いをした。


俺も少し笑いそうになった。笑えない石でよかった。ここで袋が笑ったら、全員が帳へ連れていく。


司祭の手が離れた。


「刃物ではないようです。薬の匂いも、袋の外からは分かりません」


「通る」


「待ってください」


ネアの足が止まる。


司祭は声を整えた。


「中では、人にぶつからないよう抱えてください。祈りの台には置かない。水盤にも入れない。誰かに渡さない。それでよければ、進んでかまいません」


「うん」


「それから」


ネアは黙っている。


「何かあれば、近くの司祭に声をかけなさい。石を見せろと言われたら、今の検めは済んだと伝えてよい」


それは許可だった。


追い返されない。預けさせられない。袋を開けさせられない。


大神殿の門で、ただの石がただの石のまま通った。


『ネア』


「なに」


『……通れた』


「うん」


ネアは短く答えた。それだけなのに、袋を押さえる手の力が少し抜けた。


   ◆


門の内側は、外より静かではなかった。


ただ、声の跳ね返り方が違った。ネアが進むたび、足音が冷たい床から戻ってくる。袋越しに伝わる振動が、広場の石よりも硬い。地面へ置かれていない俺には、床そのものの広がりは読めない。ネアの足が踏む分だけ、大神殿の中が少しずつ届く。


「祈りの間へ進む方は、灯の列に沿ってお進みください」


「病の名を告げる方は、左の書き台へ」


「供え物は、係の者へ渡してください」


案内の声は多い。けれど門の前ほど同じ言葉を押しつけてはこない。人の流れがいくつかに分かれて、それぞれ勝手に迷っていた。


ネアは端を歩いた。


袋を抱える腕が重そうだ。俺は軽くならない。さっき軽くならなかったのに、今だけ軽くなるのも変だ。だいたい、石が気を利かせて軽量化する時点で、ただの石レースから失格である。


「大丈夫か」


『いや、それ俺の台詞』


「大丈夫」


ネアが答えた。


すぐ近くで、老婆の声がした。


「この子の名は、どこで告げればいいんだい」


「書けないなら、こちらでお聞きします。ゆっくりでかまいません」


「ゆっくりだと忘れちまうよ。最近、名前も逃げる」


「では、逃げる前に聞きましょう」


若い司祭の声が、少し笑った。


ネアの足が、その声のそばで遅くなる。老婆が誰の名を告げるのか、俺には分からない。ネアが見たものも、言葉にしない限り流れてこない。ただ、ネアの指が袋を押す力で、そこに人がいるのだけは分かった。


別の方から、男たちの話し声が近づいた。


「南の古い街から、薬草の束が届いたそうだ」


「廃都の方か」


「いや、名前までは知らん。枯れた場所でも、今年は芽が早いとか」


「神殿が調べるのか」


「調べる前に、腹を減らした連中へ回せばいいのにな」


声はすぐ遠ざかった。


ネアは追わない。


廃都の名前は出なかった。水の話でもない。ただ、枯れた場所に芽が早いというだけの噂だ。それでも俺の中で、遠い市場の朝が少しだけ動いた気がした。


もちろん、ここで確かめる方法はない。


俺は大神殿の床に置かれていない。廃都の地脈にも触れていない。ネアの腕の中で、ただの石として運ばれている。


それでいい。


   ◆


祈りの間の手前で、空気が変わった。


ネアの鼻が小さく動く。香が強い。蝋も多い。人の体温がこもっているのに、床から返る振動は冷たい。熱と冷たさが、袋の外でぶつかっている。


「ここから先は、声を小さく」


年配の司祭が言った。


「初めてかい」


ネアはうなずいたらしい。


「なら、壁沿いに立つといい。前へ出なくても、祈りは届く。疲れたら外へ戻りなさい」


「……うん」


「その袋は、大事なものかい」


ネアの手が、また袋の口を押さえた。


けれど年配の司祭は、触れようとしなかった。


「門で見てもらったなら、それでいい。ここでは落とさないことだけ気をつけなさい」


「落とさない」


「よろしい」


その声は、ネアを子ども扱いしているのに、不思議と急かしていなかった。


ネアは壁際へ進んだ。人の流れから少し外れる。袋の中の揺れが小さくなる。腕の力も、少しだけ落ち着いた。


『ネア』


「いる」


『さっき、よく通したな』


「石だから」


『俺が言うのも何だけど、その理由で全部押し切るの、かなり強いぞ』


「石でしょ」


『はい。石です』


ネアは返事をしなかった。


けれど、袋の上から指が一度だけ押された。強くはない。確認するみたいに、そこにいるかを確かめるだけの触れ方だった。


俺は返事をしない。


光らない。温めない。震えない。


大神殿の中で、俺は何もしないまま、ネアの腕の中にいた。


白い手は、もう袋に触れていない。


それでもネアは、しばらく袋の口を押さえたままだった。


☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。

次回「祈りの間」もよろしく。中へ入ってからの話です。


——石より

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