第7話「ネアの仕事カタログ」
ネアの1日を、俺は半年、ポケットで聞いてきた。
——聞いてきた、つもりだった。
今日、数えてみたら。
(……こいつ、こんなに働いてたのか)
正直、ちょっと引いた。半年ポケットの中で一緒にいて、俺は何を聞いていたんだろうな、と思った。
◆
朝。
ネアは市場の裏手で荷物を担いでいた。俺は路地の石の上に置かれて、ネアの足音を聞いている。
重い足音で行って、軽い足音で戻ってくる。片道、20歩くらい。数えてみたら、朝だけで8往復していた。
(この子、体が小さいのに、どうやってこの量を運ぶんだ)
片道20歩なんて、大人の男なら余裕だろう。でもネアの足は、半年ポケットで聞いてきた感触からして、大人の半分の歩幅だった。つまり実感としては、ネアの歩数でいうと片道40歩を、8往復している。
(合計640歩分。片手に荷物を抱えたまま)
途中、荷主らしき男の太い声がした。
「ネア、もう1往復いけるか?」
「……いける」
「助かる。他のやつより速いんだよな、お前」
ネアが、何も返事をしなかった。褒められても反応しない。足音だけが、少し加速した。
(嬉しいのを隠してるのか、本当にどうでもいいのか)
半年聞いてきてもなお、どっちか分からなかった。
ただ、ネアの「いける」は、いつもの「いける」より、ほんの少しだけ、張りがある気がした。
◆
荷物運びが終わると、ネアは俺を拾って、別の路地に移動した。
次の仕事場は、路地の奥まった一角だった。水の音が始まる。ネアがリズミカルに動く。バシャ、ざっ、バシャ、ざっ。石畳を洗っているらしい。
(これで2件目か)
誰の家かは分からない。ネアは黙々と作業している。半時間くらいか、音が続いて、止まった。小銭を受け取る音。それだけ。
会話が、ゼロだった。
(挨拶もなしか)
でも、ネアは気にする素振りもない。黙って次の場所へ歩き出した。
ちなみに、俺の観察では、ネアは「挨拶を交わすタイプの仕事」と「黙って受け渡して終わるタイプの仕事」を、だいたい同じ数こなしている。向こうが「よう、ネア」と言えば「ん」と返すし、黙っていれば黙っている。どっちでも構わないらしい。
(ネアに「雑談」はない。仕事は、仕事だ)
◆
——そこから、ネアの足取りが、少し変わった。
急いでいるのではない。迷いがない、という速さ。どこに行くのか、足が自分で覚えている、という歩き方だった。
(知ってる場所に行くときの歩き方だ)
そして、パンの匂いが——ポケット越しでは分からないが——市場通りの端に着いたら、ぐわっと来たらしい。ネアが軽く息を吸う音があった。
「ネアちゃん! 今日も来たのかい!」
大きな、丸い声だった。腹から出ているが、タロとは種類が違う。こっちは、年季が入っている。
(ヴェラだな。今日も相変わらず元気だ)
半年、このポケットで聞いてきた。ネアが「市場通りの端」に行くと、必ず出てくる声。
「はいはい、今日のぶん。あとこれ、ちょっと焼きすぎちゃったやつ。持ってきな」
「……多い」
「いいからいいから。どうせ捨てるんだから」
(捨てる、は嘘だな)
焼きすぎたパンを本当に捨てるパン屋はいない。売れないなら自分で食べる。わざわざネアに渡しているのは、つまり——そういうことだ。
「……ありがと」
ネアが、小さく言った。
「ありがとはいいから! ちゃんと食べなよ! あんた痩せてんだから!」
ヴェラの声が、路地じゅうに反響した。近所まで聞こえている。
半年、このやりとりを毎日聞いてきた。ヴェラは毎朝、ネアに「ちょっと多め」を渡す。「焼きすぎた」「形が悪い」「余った」——理由は毎回違うが、渡すことは同じだ。
(ネアのために、多めに焼いてるんだろう、これ)
たぶん、ネアはそれに気づいていない。気づいていたら、「もらうのは悪い」とか言いそうだった。気づかせないために、ヴェラは毎回、別の理由をつけている。
ヴェラは、それでいいと思っている声だった。「気づかれないようにあげる」のが、ヴェラなりの誇りらしかった。
◆
午後。また別の場所。
ネアの指が、細かく動いている。選り分けの動き。たまに止まる。止まるのは、迷っているのではなく、確認しているらしかった。
『何やってるんだ』
「……薬草。種類ごとに分ける」
『難しいのか』
「……似てるのがある。間違えると、毒になる」
(怖いこと、さらっと言うな)
「……大丈夫。間違えたことない」
(そこは自信あるのか)
ネアの指は、確かに迷いなく動いていた。半年、何度もやってきた仕事らしい。
「今日も丁寧だね、ネアちゃん」
渡し相手の声がした。たぶん、薬草を売る婆さんだろう。ゆっくりした声だった。年季が入っている。
「……」
「また来週もお願いね」
「……はい」
ネアの「はい」は、声というより、ほとんど息だった。でも、婆さんには「来週もお願いね」とちゃんと通じているらしかった。
(ネアの「はい」、ちゃんと通じる人には通じるんだな)
長く通っているからこそ、分かる。この婆さんは、ネアの「はい」を何度も聞いてきた人だ、ということが、短いやりとりから伝わってきた。
◆
夕方、最後の仕事を終えて、ネアが俺を拾い上げたところで——
「ネアーーー!」
タロだ。
(今日もかよ)
全速力の足音が路地を駆けてきた。
「石! 今日もしゃべれ!」
『お前は仕事終わったのか』
「終わった! 今日は早かったから来た!」
ネアが、静かにため息をついた。ポケットの中で、肩がほんの少し下がった気配がした。
「……パン、ある。食べな」
ヴェラのパンだ。今朝もらった「焼きすぎ」のぶん。ネアが自分で食べるかもしれなかった分を、タロに渡した。
「え! マジ!? いいの!?」
「……いいから」
タロがパンを齧る音。今日も、少し急いでいた。
「うめえ」
「……」
「ネアんとこのパン、うまいな」
「……ヴェラおばちゃんのパン」
「誰それ」
「……パン屋。市場の端」
ネアにしては、長い説明だった。2回もしゃべっている。
(お前、ヴェラの話をするときだけ、少し言葉が増えるな)
指摘しようかと思ったけど、やめた。言ったらネアは、たぶん次からヴェラのパンのことを口にしなくなる。そうなるのは、俺としては困る。
◆
夜。
ネアが眠った後。
今日1日を数えてみた。荷物運び、掃除、薬草仕分け、ヴェラに会いに行って、最後はタロにパンを渡して——1日の仕事のあと、食事を分けてから帰ってきた。
(11歳で、毎日これをやってる)
ヴェラは「多め」を渡す。荷主は「速い」と言う。薬草の相手は「丁寧」と言う。そしてタロは、しょっちゅう走ってきて、「しゃべれ」と言う。
どれも、ネアにかけられる声だった。
でも、ネアはぜんぶ「……」で受け流していた。感謝も、嬉しさも、表に出さない。
ただ、明日も同じ場所に行く。
明日もヴェラのところに行って、荷主に「いける」と答えて、薬草を丁寧に仕分ける。そして、たぶん、タロが走ってくる。
(行くってことは、帰る場所があるってことだ)
路地。市場。パン屋。薬草の家。ネアはそれを知っている。受け入れられている。
(俺が来る前から、ネアは、ここにいた)
そして、これからも、ここにいる。
俺はその途中で、ポケットに紛れ込んだだけだった。
(——紛れ込んだまま、ちょっと長居してもいいかな)
石の俺は、ポケットの中で、そう思った。
答えは、ネアは言ってくれないが。でも、ネアが俺をポケットから出さないのは、たぶん、答えに近い何かだ、と、勝手に解釈している。
(……まあ、追い出されるまではいるけどな)
今日はネアの1日を数えてみた。
仕事3つ。パン1個。タロ1人。
あの子、働きすぎだ。
でも本人は、全然、働きすぎだと思ってない。
☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。
石は動けないので、待つのだけは得意だ。
次回「夜の話」もよろしく。
夜の、静かな話。
——石より




