第64話「あと、ひとつだけ」
翌朝、グラン爺の家の中で、寝床の縁の木が、軋んだ。
◆
ネアのポケットの中で、俺は地脈の振動を聞いていた。
市場の音は、ふだんの朝の音だった。タロの足音、ヴェラの粉のついた手、井戸の婆さんの釣瓶。子どもの足音が、タロの周りで跳ねていた。
けれど、坂の上のグラン爺の家だけが、重かった。寝床の縁の木の上で、手の重さが長く沈んでいた。咳は、混じっていなかった。けれど、咳が止まっている時間が、いつもより長かった。
ネアの足音が、坂の途中で止まった。それから、扉の方角に向きはじめた。手には、いつもの薬草の束は、抱えていなかった。フリンの届け物は、昨日のうちに終わっていた。
ネアの足音は、昨日の坂を上がった時と、同じだった。
◆
扉が、軽く開いた。
「……入りなさい」
グラン爺の声だった。
低かった。
声の出る場所が、いつもより深かった。
ネアが、扉をくぐった。
家の中の重さが、ネアの足音で、変わった。
寝床の縁の木が、ふだんよりも深く沈んでいた。
グラン爺の手は、寝床の縁ではなく、机の方に伸びていた。
けれど、机の上の本には、触れていなかった。
杖の位置が、ふだんの場所から、少しずれていた。
寝床の縁の右側だった。
グラン爺の右手も、いつもより遠い場所にあった。
立ち上がる前で、止まった動きだった。
◆
「……ネア」
グラン爺の声だった。低かった。咳は、混じらなかった。
「寝床の下に、木の箱が、ある」
短く、それだけ言った。
いつもなら、そのあとに「取ってくれ」が続いていた。けれど、グラン爺は言わなかった。
ネアは、答えなかった。ネアの足音が、寝床の縁の手前で、止まった。それから、寝床の下に、下りた。
寝床の下に、木の箱があった。長く、そこに置かれていたものだった。
ネアの指が、蓋に触れた。蓋が、軽く開いた。乾いた木の音がした。長く、開けられていなかった音だった。
箱の中に、巻物が、ひとつ、置かれていた。布が、巻物を包んでいた。古い布だった。
ネアの指が、布をほどいた。それから、巻物が、ネアの指の上に、移った。
◆
ネアが、巻物を、机の上に、置いた。机の木が、巻物の下で、深く沈んだ。
巻物が、ゆっくり、ほどけた。古い紙の音がした。長く、巻かれていた音だった。
地脈の振動で、机の上の紙に、点が広がった。
7つ。
深いものもあった。浅いものもあった。
ひとつは、廃都の方角だった。地脈の振動で、その点が、廃都の地面と共鳴した。点の中に、市場の音が、薄く、混じっていた。釣瓶の音。タロの足音。ヴェラの粉のついた手。
北の方角の点には、誰かが祈った音が、薄く残っていた。
他の5つは、まだ、はっきりしなかった。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
(……7つ)
念話には、出さなかった。
◆
「7つ、ある」
グラン爺の声だった。低かった。咳は、混じらなかった。
「離れて、置かれている」
短く、それだけ言った。地脈の振動で、グラン爺の手が、寝床の縁の上で深くなった。それから、戻った。
「離れていても」
グラン爺の声が、続いた。声を出す動きが、いつもよりゆっくりだった。
「ひとつが、揺れると」
短く、それだけ言った。
「他の、6つも、薄く、揺れる」
机の上の7つの点が、薄く揺れた。ひとつが先に揺れた。少し遅れて、他の点も揺れた。
それから、止まった。
ネアの呼吸が、止まった。
ネアの指が、机の上の点の方で止まった。
それから、戻った。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
(……同じ音が、別の場所で)
念話には、出さなかった。
◆
グラン爺の手が、机の上の点のひとつを、なぞった。北の方角の点だった。その点が、いつもより深かった。
「次の、要石は」
グラン爺の声だった。
「ここだ」
短く、それだけ言った。グラン爺の指が、北の方角の点の上で止まった。
「王都の」
グラン爺の声が、続いた。
「神殿の、地下に、ある」
短く、それだけ言った。北の方角の点が、深くなった。それから、戻った。
ネアは、答えなかった。
ネアの指が、机の上の点の方で止まった。
それから、戻った。
指は、ポケットの中で、深くなった。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
念話を、組み立てかけた。けれど、組み立てきれなかった。王都の方角は、まだ、はっきりしなかった。遠かった。前世の記憶の中にも、うまく重ならなかった。
◆
グラン爺の手が、机の上から、戻った。
寝床の縁の木の上で、止まった。
手が、ふだんより深く沈んだ。
グラン爺の呼吸が、いつもより、ゆっくりだった。
声を出す前の間が、いつもより長かった。
咳は、混じらなかった。
けれど、咳の手前で止まっている動きが、いつもより深かった。
ネアは、答えなかった。
ネアの呼吸が、止まった。
それから、ゆっくり、戻った。
指は、ポケットの中で、止まっていた。
「……ネア」
グラン爺の声だった。
低かった。
声の出る場所が、いつもより深かった。
「あと、ひとつだけ」
短く、それだけ言った。
手が、寝床の縁の木の上で、深く沈んだ。
「教えておこう」
ネアの呼吸が、止まった。
ネアの指が、ポケットの中で、深くなった。
「お前の、石の」
グラン爺の声が、続いた。
声の出る場所が、いつもより深かった。
咳は、混じらなかった。
けれど、声を出す動きが、いつもよりゆっくりだった。
「名前の、意味を」
短く、それだけ言った。
◆
家の中の音が、止まった。
机の上の7つの点が、薄く揺れた。それから、止まった。
外の市場の音は、ふだんの音だった。タロの足音、ヴェラの粉のついた手、井戸の婆さんの釣瓶。ぐりは、雑貨屋の隅で、向きが、坂の上の方角に薄く向いていた。けれど、家の中の音は、ふだんに、戻らなかった。
ネアの呼吸が、ふだんより深かった。
指は、ポケットの中で、止まっていた。
俺の表面に、ネアの指が、触れた。
それから、戻った。
グラン爺の呼吸が、戻りはじめていた。
けれど、声の続きは、まだ、混じらなかった。
話す動きが、いつもより、ゆっくりだった。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
◆
(意味)
地図が、出てきた。
7つの点が、薄く、揺れていた。
次のひとつは、王都の神殿の地下、らしい。
——でも、まだ、あと一つだけ、残ってるらしい。
俺は、聞いていた。
石だが。
☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。
ネアがあまり喋らないので、代わりに何か言ってくれると助かる。
次回もよろしく。
——意味、らしい。
——石より




