第58話「グラン爺が全てを語る①」
数日後の昼。坂を上がる、ネアの足音。
◆
ネアのポケットの中で、俺は地脈の振動を聞いていた。
ネアの足音は、坂の上のグラン爺の家の方角に向かっていた。手には、フリンの届け物の薬草の束を、抱えていた。今日のグラン爺の家の重さは、いつもよりも半段、深かった。咳の周期は、半段では済まなくなっていた。
市場の音は、いつもの昼の音だった。タロの足音は、市場の中央。子どもの足音が、タロの動きの周りで半歩、薄く跳ねていた。ぐりは、雑貨屋の隅。何も食べていなかった、らしい。
いつもの廃都の音だった。けれど、坂の上の家の重さだけが、いつもの周期から、ひと段、深いところに沈んでいた。
◆
グラン爺の家の扉の前で、ネアの足音が止まった。
「……入りなさい」
扉の中から、グラン爺の声がした。低く、掠れていた。声の出る場所が、いつもよりも、ひと段、深かった。
ネアが、扉をくぐった。家の中の重さは、いつもの薬草の気配に半段、別の温度が薄く混じっていた。話す動きが、長く待っていた、らしい温度だった。
◆
家の中の地脈に、俺の感覚が触れた。乾いた葉の気配。火の入っていない竈。机の上には、本が、開かれたまま、置かれていた。けれど、グラン爺の足音は、机の前ではなかった。寝床の縁だった。
杖は、寝床の縁に立てかけられたままだった。グラン爺の手の重さは、寝床の縁の木の上で、ふた呼吸ぶん、長く沈んでいた。
「ネア。そこに、座れ」
グラン爺の声だった。ふだんよりも、ひと段、低かった。声の出る場所が、ひと段、深かった。けれど、口調は、いつものグラン爺の口調だった。
ネアが、寝床の縁の手前で、足音を止めた。それから、半歩、座る動きの周期で、地面の上に下りた。地脈の振動で、ネアの呼吸は、ひと呼吸、深かった。けれど、いつもに近い周期で、続いていた。
◆
「話す時が、来た。廃都の話だ」
グラン爺が、短く、それだけ言った。
地脈の振動で、グラン爺の呼吸が、ひと呼吸、深くなった。それから、戻った。咳が、ひとつ、混じった。けれど、声は、続いた。
「礎守、という、家の流れがあった」
グラン爺の声が、続いた。
「いしもり、と読む。代々、廃都の地脈を聞く家だった。今は、わし、ひとりだ」
短く、それだけ言った。地脈の振動で、グラン爺の手の重さは、寝床の縁の上で、半呼吸、止まっていた。話す動きの周期は、咳の動きの周期と、半段、ずれていた。話す動きの方が、咳の動きよりも、半段、ゆっくりだった。
ネアは、答えなかった。地脈の振動で、ネアの呼吸が、半段、深くなった。指は、ポケットの上で、止まっていた。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
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「廃都の地面の下には、要石が、あった」
グラン爺の声が、続いた。
「この世界には、7つ、あると聞いた。廃都の地下には、そのひとつの跡だけが、残っている」
地脈の振動で、雑貨屋の方角の地下の重さが、薄く揺れた。半円の小部屋の方角だった。前の日にネアが、ダン爺さんと一緒に降りた場所だった。地脈の振動の中で、その揺れが、グラン爺の声と、半呼吸、共鳴した。
「廃都の本来の名は、イシュラ」
グラン爺が、短く、それだけ言った。
「7つの要石の、ひとつめの上に、あった大都市」
短く、それだけ言った。地脈の振動で、グラン爺の声の温度は、いつもよりも、ひと段、深い場所からだった。けれど、声は、続いた。咳は、混じらなかった。話す動きの周期だけが、地脈の振動の中で、ゆっくり続いていた。
ネアは、答えなかった。指の動きが、ポケットの上で、ふだんよりも半段、深くなった。
◆
グラン爺の咳が、ひとつ、混じった。半呼吸、長かった。それから、また、声が続いた。
「350年前」
グラン爺の声だった。
「ある組織が、ひとつめの要石を、傷つけた」
短く、それだけ言った。地脈の振動で、グラン爺の呼吸が、ひと呼吸、止まった。それから、ゆっくり、戻った。
「それが、根の衆の、前身だ」
ネアの呼吸が、ひと呼吸、止まった。地脈の振動で、ネアの指の動きが、ポケットの上で、半段、深くなった。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
念話を、組み立てかけた。
(……俺が転生する前から、この話が、動いていたのか)
短く、それだけだった。念話には、出さなかった。
地脈の振動の中で、廃都の地面の重さが、半段深い場所で、薄く揺れた。350年という年数の重さが、地脈の振動の中で、半呼吸、続いた。いつもの廃都の地面の振動とは、違う重さだった。
◆
グラン爺が、しばらく、何も言わなかった。
地脈の振動で、グラン爺の呼吸が、いつもよりも、半段、ゆっくりだった。咳は、混じらなかった。けれど、声を出す前の、半呼吸ぶんの間が、いつもよりも、長かった。
「……その組織の、流れを、継ぐ者が、今もいる」
グラン爺の声だった。低かった。地脈の振動で、グラン爺の手の重さが、寝床の縁で、半呼吸、止まった。
「わしの……昔の、知り合い、かもしれん」
声の出る場所が、ひと段、深かった。地脈の振動で、グラン爺の呼吸が、半段、揺れた。
「若いころは、同じものを、見ていたのに。道が、分かれた」
短く、それだけ言った。それ以上は、言わなかった。地脈の振動の中で、グラン爺の呼吸が、いつもよりも、半段、深い場所で、続いていた。何かを、もう少しだけ言いかけて、止めた、らしい間が、半呼吸、混じっていた。
◆
ネアは、答えなかった。地脈の振動で、ネアの呼吸が、ひと呼吸、揺れた。それから、戻った。指の動きは、ポケットの上で、止まったままだった。
「昔の知り合い、かもしれん」
その声のあと、グラン爺の手が、寝床の縁で止まった。
怒っている音ではなかった。
悲しんでいる音でもなかった。
ただ、長く置かれていたものを、少しだけ動かした音だった。
◆
グラン爺が、もう一度、咳をした。それから、止まった。地脈の振動で、グラン爺の呼吸が、半呼吸、戻った。
「ネア。お前の、石」
短く、それだけ言った。ふだんのグラン爺の声に、半段、近い温度で、続いた。
「カルスという、学者の、話を、聞いたことが、あるか」
短く、それだけ言った。
ネアは、答えなかった。地脈の振動で、ネアの顔の向きが、グラン爺の方角に、半呼吸、向いた。それから、止まった。指の動きは、ポケットの上で、止まったままだった。グラン爺の声に、答える言葉を、ネアは、持っていなかった、らしかった。
俺は、ポケットの中で、地脈の振動を聞いていた。
(……カルス)
念話には、出さなかった。
知らない名前だった。前世の記憶の中にも、廃都の地脈の中にも、その名前の重さは、なかった。けれど、地脈の振動の中で、ふだんよりも半段深い場所が、半呼吸、薄く揺れた。フリンの家で揺れた、あの揺れと、同じ周期の揺れだった。地下の半円の小部屋で揺れた、あの周期とも、同じだった。前世の記憶の方角でも、廃都の地脈の方角でも、はっきりしなかった。
揺れただけだった。半呼吸の揺れだった。それから、止まった。
地脈の振動の中で、グラン爺の呼吸が、半段、戻りはじめていた。話す動きの周期も、咳の動きの周期も、半呼吸ぶん、ゆっくりに戻っていた。話は、ここで止まる、らしかった。続きは、また、別の日、らしかった。グラン爺の手の重さも、寝床の縁の上で、ふだんの位置に、戻りはじめていた。
グラン爺が、話を、始めた。
廃都の本来の名は、イシュラ、らしい。
要石が、7つ、あった、らしい。
350年前に、傷つけられた、らしい。
カルスは、知らない。
俺は、聞いていた。
石だが。
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ネアがあまり喋らないので、代わりに何か言ってくれると助かる。
次回もよろしく。
——カルス、らしい。
——石より




