表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
廃都編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/91

第51話「見知らぬ男」


 翌朝。市場の音は、戻ったふりをしていた。


   ◆


 ネアのポケットの中で、俺は地脈の振動を聞いていた。


 籠を置く音。

 パンを並べる音。

 子どもが走って、誰かに叱られる声。

 犬が水桶の横で爪を鳴らす音。


 昨日の3人の足音は、もう市場にはなかった。

 けれど、井戸の縁の石だけが、少し深く沈んだままだった。

 雑貨屋の壁も、昨日触られたところだけ、戻りが遅い。


(踏まれた跡、みたいなものか)


 いや、石に足跡が残るのは困る。

 俺は石だが、そこまで万能な感想製造機ではない。


 市場の音は明るかった。

 明るくしようとしている音だった。


   ◆


「魔石の調査だそうだよ」


 ヴェラの声がした。

 パン屋の前。粉を払う手の動きが、少しだけ長い。


「いやあ、急で申し訳ない」


 知らない男の声だった。


 昨日の3人のうち、前に立っていた足音。

 それと同じ重さが、市場の中央にあった。


 声は柔らかい。

 朝の挨拶に混ぜても、たぶん浮かない。

 少し低くて、よく通る。笑っている形の声。


 けれど足音は違った。


 足を置くたび、地面の下を測っていた。

 井戸の縁で止まり、雑貨屋の壁で止まり、パン屋の窯の前で止まる。

 見るための足ではなかった。

 探すための足だった。


「すぐ終わります。古い石が多い場所ですからね」


「古いだけだよ。ここは」


 ヴェラがそう返した。

 声はいつもの調子だった。

 けれど粉を払う手は止まっていた。


   ◆


 ネアはフリンの家から戻る途中だった。

 空の布袋を腕に抱えている。

 歩幅はいつも通り。

 ただ、ポケットの上に触れている指だけが、昨日から少し固い。


 男の足音が、井戸の縁から離れた。

 市場の流れに入る。

 人にぶつからない距離を取り、野菜籠を避け、子どもの走る先を先に空けた。


 上手かった。


 廃都の住民ではないのに、廃都の朝を壊さない歩き方をしていた。

 慣れていない者の遠慮ではない。

 慣れている者の調整だった。


「お嬢ちゃん」


 男が、ネアの前で止まった。


 近い。

 市場で知らない大人が子どもに声をかける距離より、少しだけ近い。


「いい朝だね」


 ネアは答えなかった。

 布袋を抱え直しただけだった。


 男は笑った。

 笑った形の息が、ネアの前でほどけた。


「薬草の届けかい」


 ネアは何も言わなかった。


 俺も、念話を出さなかった。


   ◆


 男の視線が落ちた。


 視覚で捉えたわけではない。

 けれど、重さの向きが変わった。

 声がネアの顔の高さにあったのに、息の端だけがポケットのあたりに下がった。


 俺の方だった。


 男の呼吸が、短く止まる。

 すぐ戻る。

 戻り方まで自然だった。


(この人は、普通じゃない)


 念話にしそうになって、止めた。


 男の手が袖の中で動いた。

 小さな動きだった。

 袖の布が擦れ、指の関節が折れる音がした。

 硬い。

 商人の手でも、薬師の手でもない。

 刃物を握る人間の手に近い。


 傷が多い手だった。


 笑う声と、手の形が合っていなかった。


「きれいな石だ」


 男が言った。


 ネアの指が、ポケットの上で止まった。


「見せてもらっても?」


 市場の音が、ひとつ浅くなった。


 ヴェラの粉を払う手が止まる。

 ダン爺さんの足音が、市場の角で沈む。

 タロが木箱の横で動きかけて、止まる。


 ネアは、男を見上げているらしかった。

 布袋を抱えた腕が、少しだけ上がる。

 ポケットを隠す位置だった。


「……だめ」


 短かった。


 男は、すぐに引いた。


「そうか。悪かった」


 声は柔らかいままだった。

 手だけが、まだ戻らなかった。


   ◆


 俺は地脈に触れた。


 広げれば、男の足音をもう少し追えた。

 井戸の縁の沈み方も、壁の戻りの遅さも、昨日より深く拾えた。

 この距離なら、男の靴底に混じる金属の癖も掴める。


 たぶん、できる。


 できるから、使わなかった。


 ここで強く探れば、地面が応える。

 地面が応えれば、男も何かに気づくかもしれない。

 昨日の3人は、地面の下まで聞こうとしていた。


 俺は石だ。

 動けない。

 だからこそ、動いた跡を残すのはまずい。


(……見てるだけにする)


 ネアに言わなかった。

 言えば、ネアは動く。

 動けば、男が見る。


 男はまだ何もしていない。

 何もしていない形を、崩していない。


   ◆


「ありがとう」


 男が言った。


 何に対する礼なのか、分からなかった。

 断られたことに対する礼か。

 見たことに対する礼か。

 それとも、見せなかったことに対する礼か。


 ネアは答えなかった。


 男は横に逸れた。

 市場の流れに戻る。

 パン屋の前でヴェラに会釈し、井戸の縁をもう1度だけ踏み、雑貨屋の壁には触れなかった。


 触れなかったことが、いちばん残った。


 ダン爺さんの足音は市場の角にあった。

 ふだんの位置。

 腰の後ろに手は回っていない。

 けれど指の関節が、深く曲がっていた。


 タロの足音が木箱の陰から出た。


「ネア」


 声が少し低い。


 ネアは答えなかった。


「あいつ、何」


「知らない」


 ネアはそれだけ言って、家の方へ歩いた。

 足音は速くなかった。

 ポケットの上の指は、離れなかった。


   ◆


 男はすぐには帰らなかった。


 市場の外れにある古い石段で止まり、腰を下ろした。

 休んでいる形だった。

 旅人なら、そこで水を飲む。

 商人なら、荷を置く。

 疲れた大人なら、息を吐く。


 男は、そのどれでもなかった。


 座った重さが軽すぎた。

 体を休める人間の重さは、もっと地面に預けられる。

 けれど男の重さは、いつでも立てる位置に残っていた。

 片足の裏だけが、石段の角を踏んでいる。

 もう片方の足は、薄く浮いているような重さだった。


 逃げるためではない。

 追うための姿勢だった。


(座ってるのに、立ってる)


 変な感想だ。

 だが、そうとしか言えなかった。


 ヴェラがパンを2つ紙に包んだ。


「持っていくかい」


「助かります」


 男は受け取った。

 金を置く音がする。

 軽い音ではなかった。

 銅貨の音に混じって、別の硬さが薄く鳴った。

 ヴェラの指が、硬貨の上で止まる。


「多いよ」


「迷惑料です」


「迷惑なら、置いていかない方がいいね」


 ヴェラの声は明るかった。

 明るいまま、硬かった。


 男は笑った。


「では、次から気をつけます」


 次。


 その言葉のところで、ダン爺さんの呼吸が止まった。

 市場の角。

 木箱の陰。

 タロの足音も止まる。


 男はパンを持って、石段から立った。

 立つ動きにも無駄がなかった。

 体が先に動いて、足音があとからついてくる。

 人の動きに見えるのに、地面には人より先の準備だけが残る。


   ◆


 ネアは家の戸口まで戻っていた。

 中には入らない。


 戸口の影で立ち、男の足音を聞いている。

 俺はポケットの中で同じ音を聞いていた。


『ネア』


 言いかけて、止めた。


 危ない、と言うのは簡単だった。

 でも危ないと言えば、ネアは男を見る。

 男を見るネアを、男も見る。

 それだけで、何かが渡る気がした。


 ネアの指が、ポケットの上で少し動いた。

 俺が何も言わなかったことに、気づいたのかもしれない。

 それでも、ネアも何も言わなかった。


 ただ、布袋を戸口の内側に置いた。

 両手を空けるための動きだった。


 俺は、それを止めなかった。


 止めないことと、動かすことは違う。

 たぶん、違う。


 男の足音が街道の方へ向かう。

 途中で1度だけ、ネアの家の前を通る道から外れた。

 外れた先には、古い石碑の欠けた土台がある。


 男はそこで止まった。


 手は触れない。

 足も近づきすぎない。

 ただ、立った。


 石碑の土台の重さが、薄く震えた。

 触れられていないのに、見られている重さだった。


(そこも、見るのか)


 グラン爺だけが意味を知っている古い石碑。

 誰も読めない文字の残り。

 市場の人間にとっては、邪魔にならない古い石。


 男は、その前で息を止めた。


 短く。

 すぐ、戻る。


 それから街道の入口へ歩いた。


   ◆


 夜。


 ネアの家は静かだった。

 竈の火が落ち、布が擦れ、ぐりが土間の隅で少し転がった。

 ネアの寝息は戻っていた。

 戻っているのに、指だけがポケットの近くにあった。


 街道の入口の方に、宿の重さがある。

 その中で、紙の音がした。


 その前に、男はパンを食べていなかった。

 昼に受け取った紙包みは、宿の机の端に置かれたままだった。

 紙の油が、木の板に薄く移っている。

 パンの重さは減っていない。


 水差しも、ほとんど動かなかった。


 男がこの街で口にしたものは、たぶん少ない。

 ヴェラのパンも、水も、まだそこにある。

 ただ、硬貨だけが市場に残った。


(食べに来たわけじゃない)


 当たり前のことを、今さら思った。

 当たり前すぎることほど、音になるまで遅い。


 ペン先が走る。

 止まる。

 また走る。


 数行ぶん。


 男の呼吸は乱れなかった。

 声もない。

 ただ、紙の上に薄い重さが増えていく。


 俺には文字は読めない。

 けれど、書かれているものが短いことだけは拾えた。

 報告の形をした音だった。


 紙が折られる。

 革袋に入れられる。

 紐が結ばれる。


 袋の重さが、男の手から離れた。

 別の足音が受け取った。

 軽い足音だった。

 市場を歩いた3人の足音とは違う。

 荷運びの子どもより軽く、商人の小間使いより迷いがない。

 受け取るためだけに来た足だった。


 その足音は、宿の戸口で1度も止まらなかった。

 袋を受け取り、すぐに向きを変える。

 男の声は出ない。

 受け取った足も、返事をしない。


 音だけで済むやり取りだった。


 宿を出て、街道の方へ向かう。


 遠ざかる。


 井戸の縁の石が、まだ深い。

 雑貨屋の壁も戻らない。

 市場の朝は、たぶん明日も戻ったふりをする。



見知らぬ男の話。


「見せてもらっても?」


——見せなかった。


俺は、見ていただけだ。

石だが。


☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。

ネアがあまり喋らないので、代わりに何か言ってくれると助かる。


次回「グラン爺の体調が悪化する」もよろしく。

また重い話になりそうだ。


——石より

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ