第5話「石、子どもに説教する」
ネアが俺を路地の石の上に置いて、仕事に出た。
もう何日目かの「中継地点」扱い。朝、ポケットから出されて地面に置かれる。ネアが荷物を運ぶ。昼に戻ってくる。また連れて行かれる。——このリズムには、俺も慣れつつあった。
石が「慣れる」という感覚があるのか、自分でもよく分からないが。
(置いてもらった。感覚、開く)
広さ。足音。水路の流れ。一昨日、壁を強化した路地の石積みが、まだうっすら「締まっている」のが分かった。
(持ってるな、この効果。よし)
静かな午前だった。市場の賑わいは遠くから微かに聞こえるだけで、路地には人気がない。
——と思っていたら、来た。
◆
足音。
ばたばたした、乱暴な走り方。重心が低い。子ども。でも、数日前に転んだ子よりもずっと重かった。もう少し大きい。たぶん10歳より上。
(誰かから逃げてる。いや、追いかけてる?)
足音の主が路地の角を曲がった。後ろからもう1人、軽い足音がついてくる。追いかけっこらしかった。
先頭の足音が、急に止まった。
それから——
どさっ、という振動。
(転んだ。後ろのやつが、ぶつかったか)
泣き声が来た。後ろの小さいほう。先頭の大きいほうは、黙っている。
「……っ、痛い……」
大きいほうは、黙ったままだった。
(おい。お前がぶつかったんだろ。何か言え)
そう思った。
思っただけだった。
——はずだった。
『転んだ子に謝れ』
(あ)
出た。
念話が、出た。
ネアはここにはいない。30歩は先だ。なのに、出た。そして——
「っ!?」
大きい子が、跳んだ。
◆
「だ、だれ!? 今しゃべったの、誰!?」
(届いた。届いてしまった)
念話が、ネア以外に届いたのは初めてだった。なんで届いたのか、どこまで届くのか、さっぱり分からない。分かっているのは、俺が今、知らない子どもに「しゃべる石」の正体を悟られかけている、ということだけだった。
「おい、出てこい! 誰だよ!」
路地をきょろきょろしている気配。足音があちこちに向く。
(どうする。出ていけない。俺は石だ)
——
その子どもが、止まった。
「……石?」
(は?)
「……お前か?」
なんで分かった。
「だってお前、すげー透き通ってるし、光ってるし。……ふつうじゃねえ」
(あ、そうか。昼の光か)
ネアも最初に「透き通ってて、きれい」と言っていた。どうやら俺はこの世界の普通の石とは見た目が違うらしい。それが今、仇になった。
「……っ! お前、しゃべる石だ! すげー!」
(すげえじゃない。困ってるんだ俺は)
「もっかいしゃべれよ!」
(うるさいな)
『うるさい。それより、転んだ子に謝れ。お前がぶつかったんだろ』
「っ!」
大きい子が、黙った。
沈黙。——それから、しぶしぶと転んだほうに歩いていく足音。
「……悪かった」
ぶっきらぼうだった。でも、ちゃんと言った。
(……意外とちゃんとしてる)
◆
小さい子が鼻をすすった。
「……いたい」
「膝か? 見せろ」
布が動く音。大きい子がかがんで、小さい子の膝を確認している気配。
「血は出てねえ。大丈夫だ」
(手際もいいな)
小さい子が、ぐずりながら立ち上がった。それから、また走り出して、路地の向こうに去っていった。
——そして、大きい子だけが残った。
(帰ってくれ)
帰らなかった。俺のところに、戻ってきた。
「なあ、石」
『何だ』
「お前、名前あんの?」
『ある。イシルだ』
「いしる? 石なのにイシル? まんまじゃん」
(うるさいな。ネアがつけた名前だ)
「俺はタロ」
名乗ってきた。腹から声を出すタイプだった。歳は12〜13くらい。この辺りの子どもたちの中では1番でかい声だった。
『タロか』
「覚えとけよ」
(この声量なら、忘れようがない)
◆
で、タロは、そのまま居座った。
俺の横の地面に、ぺたんと座り込んで、ずっとしゃべっている。
「お前さ、なんでしゃべれんの?」
『分からない。目覚めたら、できた』
「目覚めたって……寝てたの?」
『半年くらい、意識なかった』
「半年!? 石って寝るの!?」
(お前の中で石はどういう存在なんだ)
「動けんの?」
『動けない』
「見えんの?」
『見えない』
「じゃあ何が分かんの?」
俺は少し考えた。
『音、振動、温度。あと、地面に触れてる時だけ、もうちょい広く分かる』
「すげー」
本気で感心している声だった。「動けない見えない」を聞いても、引かない。ただ「すげー」だった。
(素直な反応だな)
「お前、ネアんとこの石だろ?」
(……ネアを知ってるのか)
『そうだ』
「ネア、いっつも1人じゃん。荷物運びとかしてるの、見たことあるけど。誰ともしゃべんねーの」
タロの声が、少しだけ普通のトーンになった。腹から出さない声だった。
「俺のまわりのやつ、ネアのこと、ちょっと怖いとか言うやつもいるけどさ」
(怖いか)
『怖くないぞ』
「分かってる。俺は別に怖くないよ」
その声だけは、威勢を張っていなかった。
◆
昼過ぎ、ネアが戻ってきた。
足音で分かった。いつもの、少し軽い歩き方。
その足音が——ぴたりと止まった。
「……誰」
声が、低かった。
「お、おう。俺、タロ。この石と、しゃべってた」
「……石と?」
「しゃべるんだよこの石! お前知らないの!?」
ネアが、黙った。
——それから、俺に向けて。
「……イシル」
『すまん。念話がうっかり届いた』
「……」
ネアの沈黙が長かった。怒っているのか、呆れているのか。——たぶん、半々。
「……まあ、いい」
(許された)
ネアの声の低さが、少しだけ緩んだのが分かった。本気で怒ってはいなかった、と今さら気づいた。ネアは俺に驚いたタロよりも、見知らぬ子どもが俺のすぐ横に座り込んでいることのほうが気がかりだったのかもしれない。
ネアが俺を拾い上げて、ポケットに入れようとした。
「あ、待って! 俺まだ話してたんだけど!」
ネアは、止まらなかった。が、ポケットに俺を入れ終わった後、少しの間を置いて——
ポケットから、何かを取り出した。布に包まれたもの。硬い音がする。パンだ。
「……食べな」
「え?」
「パン。余ったやつ」
余ったやつ、とネアは言った。半年ネアの食事を聞いてきた俺は、ネアが「余る」ほど食べる日を、1度も知らない。
(お前の分だろ、それ)
言わなかった。言ったら、たぶん、ネアはパンを渡すのをやめる。
「……いいの?」
「食べな」
タロは、少し迷ってから、受け取った。
食べる音。少し、急いでいた。
(こいつも、腹が減ってたのか)
◆
夕方。タロがまだいた。
「なあ、ネア」
「……何」
「また来ていい? この石としゃべりたい」
ネアが、少し考えた。
「……イシルに聞いて」
(俺に振るのか)
『別にいいぞ』
「やった!」
タロの声が路地じゅうに響いた。近所迷惑だった。
ネアが俺をポケットに入れた。帰り道。
少し歩いてから——
「……イシル」
『ん』
「……友達、増えた」
それだけだった。
声は、いつもの素っ気ないネアの声だった。
でも、鼓動が、少しだけ軽かった。
◆
夜。
ネアが眠った後。俺は今日のことを思い返していた。
念話がネア以外に届いた。タロという、腹から声を出す子ども。転んだ子に謝れと言ったら、ちゃんと謝った。膝も確認した。そして、ネアの余ってないパンを、急いで食べた。
(意外とまっすぐなやつだった)
タロが帰り際、一度だけ、威勢のない声で言った言葉を、もう1度思い出した。
「また、しゃべってくれるか」
それだけは、腹から出ていなかった。
(——友達、って、こんな風にできるのか)
石なのに。動けないのに。しゃべれるようになってから、まだ数日なのに。
まあ、石にしては、悪くない。
今日、子どもに説教をした。
石のくせに、と思ったら、説教された側の子どもの方が、意外と素直だった。
名前はタロ。腹から声を出す子だ。
たぶん、明日も来る。
俺は石なので拒めない。
☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。
お前も、来てくれ。しゃべらなくていいから。
次回「俺の石」もよろしく。
タロが色々主張してくる。
——石より




