表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
廃都編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/91

第48話「言わない」


 朝の仕分け場は、湿った布の匂いがした。


   ◆


 ネアは俺を腰の布袋に入れたまま、木箱を運んでいた。


 地面を通して、足音がいくつも重なって届く。ヴェラの店の裏、干し場の手前、荷ほどき用の台。木箱の底が石畳を擦る音。濡れた布から落ちる水の音。


 ネアの足音は、その中でいちばん軽かった。


 軽い、というより、沈まない。


 同じ箱を持ったタロの足は、3歩目で少し崩れた。脛に力が入って、床板がぎしりと鳴る。向かいの女の人は、箱を置く時に息を逃がした。


 ネアだけが、置く音を小さくした。


 本人は何も言わない。


 箱を置いて、布をほどき、濡れた端をつまむ。指が白くなる。けれど呼吸は荒くならなかった。肩の重さも、ほとんど落ちない。


(……なんでだ)


 俺は布袋の中で、地脈の振動を聞いた。


 昨日、グラン爺は要石の話をした。世界を支える柱。1つ失われると土地が腐る。お前に関係のある話かもしれない。


 その言葉は、まだ俺の中に残っている。


 それと、ネアの足音。


 どちらも、同じ場所で引っかかった。


   ◆


 ヴェラが店の奥から出てきた。


「ネア、次は右の棚だよ」


「……うん」


 ネアは短く返した。濡れた布を抱え、棚の方へ向かう。


 その途中で、右の棚の上から薄い木板がずれた。


 音は小さかった。


 ぎ、とも言わない。釘が抜けかけて、板の重さだけが先に動いた。普通なら、落ちるまで気づかない。


 ネアの足が止まった。


 顔を上げたかどうかは分からない。俺には見えない。ただ、足の向きが少し変わった。抱えていた布の重さが、胸の前から横へずれる。


 次の瞬間、木板が落ちた。


 ネアの肩には当たらなかった。代わりに、床に落ちて乾いた音を立てた。


「うわ、危な」


 タロが近くで声を上げた。


「ネア、今の、見えてたのか?」


「……音」


「音したか?」


「した」


 それだけ言って、ネアは布を棚に置いた。


 タロはしばらく黙った。それから落ちた板を拾い、釘のあたりを覗き込んだ。


「俺、全然分かんなかった」


 ネアは答えなかった。


 俺も答えなかった。


 地脈の中で、さっきの板の重さを拾い直す。抜けかけた釘。先に傾いた板。落ちる前の、ほんの薄いずれ。


 そのずれに、ネアは反応した。


 たぶん、耳だけじゃない。


   ◆


 昼前、仕分け場の床に小さな血の匂いが落ちた。


 ネアではなかった。新しく来た家族の子が、麻紐を切る小刀で指を引っかけた。泣きはしなかったが、息が詰まった音がした。


 ヴェラが布を巻いた。


「今日はもう手伝わなくていい。水場で洗っておいで」


 子どもはうなずいた。足音が水場へ逃げる。


 その血の重さで、俺は別の指を思い出した。


 ネアの左手の人差し指。


 3日前、同じ台で切った。深くはない。ただ、布を巻く時の圧が長く残った。俺は布袋の中で聞いていた。ネアは「平気」とも言わず、残りの荷を運んだ。


 その夜、指の熱はもう下がっていた。


 次の日には、血の流れが戻っていた。


 今朝、布をほどく時、傷の重さはほとんどなかった。


 早すぎる。


 俺は、それを地脈のせいだと思っていた。廃都が戻りかけているから。水が澄み、土が軽くなり、人の体にも少しはいいのだろう、と。


 けれど、違う。


 タロの擦り傷は、まだ熱を持っている。ヴェラの手荒れも、冬の割れ目のように硬く残っている。新しく来た子の指は、今巻いた布の下で、しばらく脈を打つ。


 ネアだけが早い。


 ネアだけが、疲れにくい。


 ネアだけが、落ちる前の板に気づいた。


(……お前はずっと俺に守られていた。知らないまま)


 念話にはしなかった。


 言葉にした瞬間、仕分け場の音が遠くなりそうだった。


   ◆


 午後、ネアは井戸まで水を汲みに行った。


 俺は布袋の中で揺られながら、足音の下を流れる地脈を聞いていた。坂の石畳、井戸の縁、古い神殿跡の崩れた基礎。どこも、以前より少しだけ通りがよくなっている。


 俺がいるから。


 その言い方は、まだ、重い。


 俺が何かをしているつもりはなかった。ネアが俺を拾って、持ち歩いて、眠る時も近くに置いた。俺はただ、そこにいた。


 ただ、そこにいて。


 ネアの近くにだけ、力を流していた。


 意識していた。ネアが転ばないように。寒くないように。怪我をしても残らないように。


 意識していなかった。力がどう届くのか、どれくらい染みるのか、どこまで変えてしまうのか。


 井戸の前で、ネアが立ち止まった。


 縄を引く前に、少しだけ布袋に触れた。指の腹が俺の表面に当たる。


「……重い?」


(いや)


 返事は短くした。


 ネアはそれ以上聞かなかった。縄を引き、水桶を上げる。水の重さが腕にかかる。足の裏が石畳を押す。


 俺は、そこで力を強めることができた。


 たぶん、できる。


 水桶を軽くする。腕を疲れにくくする。足元をもっと固くする。そうすれば、ネアは楽になる。


 しなかった。


 今まで、もう十分に染みていた。


 それ以上は、別のものになる気がした。


   ◆


 夕方、グラン爺の家の前を通った。


 杖の音はなかった。扉の奥で、本を閉じる音だけがした。昨日の話の続きを、今はまだしないらしかった。


 ネアも寄らなかった。


 坂を下りる足音は静かだった。空の水桶は軽い。布袋の中の俺は、ネアの腰に当たって、小さく揺れた。


『ネア』


「なに」


 返事はすぐ来た。


 言える。


 お前の怪我が早く治るのは、たぶん俺のせいだ。疲れにくいのも、危ないものに気づくのも、俺が近くにいるからだ。


 お前は、知らないまま守られてきた。


 言える。


 ネアの足が、少しだけ止まった。


「……石?」


(なんでもない)


「そう」


 それだけ言って、ネアは歩き出した。


 怒らなかった。聞き返しもしなかった。布袋の上から、指で俺を軽く押しただけだった。


 その押し方が、いつもの強さだった。


 それで、もう言えなくなった。


   ◆


 家に戻ると、ぐりが扉の横にいた。


 硬い体を石畳に押しつけ、こちらを見ている。見ている、というより、俺の方に向いている。相変わらず、食べる気配だけは薄くある。


 ネアはぐりをまたいで中に入った。


「邪魔」


 ぐりは動かなかった。


 扉が閉まる。家の中は、夜に入る前の静けさだった。ネアは水桶を置き、布袋から俺を出して、机の上に置いた。


 指が離れる。


 左手の人差し指が、俺の表面をかすめた。


 傷跡は、もうほとんど分からなかった。


 ネアは何も言わない。水を飲み、干してあった布を畳み、寝床の端に座る。疲れたと言わない。痛いとも言わない。


 知らないから。


 知らないまま、明日も同じように歩く。


 いつか、誰かが言うかもしれない。俺ではない口で。俺よりも、もっと悪い形で。


 それでも今は、言わなかった。


   ◆


 夜になって、ネアは寝床に横になった。


 家の中の音が減っていく。水桶の水面が落ち着き、畳んだ布の重さが棚に収まり、扉の外のぐりが石畳の上で動かなくなる。


 ネアの呼吸だけが残った。


 俺は机の上で、地脈の細い流れを聞いた。壁の中。床の下。寝床の藁の下。そこから、ネアの体に触れている部分へ、薄い根のようなものが伸びている。


 俺の力だ。


 はっきり見えるわけではない。俺には見えない。ただ、重さが分かる。冷えた指に布をかける時の重さ。転びそうな足元に石を1つ置く時の重さ。声に出す前に、先に手が伸びる時の重さ。


 それが、ネアの周りにあった。


 タロにはない。ヴェラにもない。新しく来た家族の子にもない。


 ネアだけ。


 半年前、ネアは俺を拾った。


 雨のあとで、地面は冷たかった。俺はただの石で、誰にも気づかれなかった。ネアは俺を拾い、手の中に入れた。きれい、とも言わなかった。欲しい、とも言わなかった。


 持って帰った。


 それから、俺はネアの近くにいた。


 寒い夜。空腹の朝。荷物を抱えた坂道。石喰いの気配。知らない大人の足音。小さな傷。言わない疲れ。


 そのたびに、俺は少しだけ力を流したのだと思う。


 少しだけ。


 その少しが、半年ぶん重なった。


 ネアは知らない。


 知らないから、いつもの足で歩いている。自分の足で坂を下り、自分の手で荷物を持ち、自分の判断で危ない板を避ける。


 もし言ったら。


 ネアは、次の木箱を持つ時に、俺を触るかもしれない。坂を下る前に、布袋の重さを確かめるかもしれない。切れた指を見て、治りの早さを待つかもしれない。


 それは、少し違う。


 守っていたことを、なかったことにはできない。


 でも、ネアの足を俺のものにしたくはなかった。


 地脈の流れが、寝床の下で静かに続く。薄い根は、ネアの周りに残ったままだった。戻せない。切ることも、たぶん、できない。


 ただ、強めないことはできる。


 名前をつけないことはできる。


 明日の朝、ネアはまた木箱を持つ。誰より軽く歩くかもしれない。落ちそうなものに先に気づくかもしれない。傷が増えても、また早く塞がるかもしれない。


 それを、俺は聞く。


 言わずに聞く。


 ネアの呼吸が深くなった。


 俺は何も言わなかった。


   ◆


 ネアが眠るまで、家の中の音を聞いていた。


 寝息。扉の外のぐりの重さ。壁の中を通る、細い地脈。


 俺は、机の上で止まっていた。


 守っていた。


 黙っていた。


言わない話。


「……重い?」


——守っていた。


俺は、石なので顔に出ない。

たぶん、助かった。


☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。

ネアがあまり喋らないので、代わりに何か言ってくれると助かる。


次回もよろしく。

研究者が近い。


——石より

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ