表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したのに動かない!?——でも、なぜか世界が少しずつ変わっていく【1章完結】  作者: シラフ
廃都編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/90

第35話「後日談」



 朝の市場は、少しだけ遅れて始まった。


   ◆


 いつもなら、夜明けのすぐあとに木箱が鳴る。


 今日は、その音がなかなか来なかった。代わりに、戸を開ける音が、あちこちで短く止まっていた。開けて、外を確かめて、また中へ声をかける。そんな動きが、地面から薄く伝わってくる。


 ネアのポケットの中で、俺はその振動を聞いていた。


 盗賊団が来た日の硬さは、もうなかった。けれど、何もなかった日の市場でもなかった。足音の間に、昨日より少し長い空白がある。誰かが笑うまでに、少しだけ時間がかかる。


(——そりゃそうだ)


 ヴェラの店の戸が開いた。粉を払う音。窯の奥で薪が鳴る音。そこに、タロの声が割り込んだ。


「石様! 朝だぞ!」


 でかい。


 昨日、あれだけ低い声を出していた同じやつとは思えない。


 ネアが足を止めた。


「……うるさい」


「聞こえてんじゃねえか」


「聞こえる」


 タロの足音が、少しだけ跳ねた。安心した時の足音、というものがあるなら、たぶんそれだった。


『朝から元気だな』


 ネアは、そのまま伝えなかった。


 代わりに、ポケットの上から指で俺を押した。


 余計なことを言うな、らしい。


   ◆


 市場の端では、壊れた木箱が並べられていた。


 盗賊団に蹴られたものだ。割れた板をダンが集め、使えるものと使えないものに分けている。金具の音が、朝の地面に小さく落ちた。


 捕らえられた盗賊たちは、もう市場にはいなかった。夜のうちに、奥の空き家へ移されたらしい。縄の擦れる音も、今は聞こえない。


 ただ、北の方角だけ、まだ少し薄い。


 そこから来た。


 そこへ、1人逃げた。


 俺の知覚では、今朝の北に足音はなかった。少なくとも、届く範囲には。


『ネア』


「ん」


『北のほう、今は静かだ』


 ネアは答えなかった。ポケットの上の指が、1度だけ止まった。


 言わなくていい、という止まり方ではなかった。


 でも、俺もそれ以上は言わなかった。


 今の俺が「静かだ」と言ったところで、それは届く範囲が静かなだけだ。届かない場所まで安全にする力は、俺にはない。


 石は、偉そうに警報器のふりをするべきではない。


 たぶん。


   ◆


 ヴェラは、いつもより早くパンを焼き上げた。


 小さいものばかりだった。売り物にする大きさではない。子どもが片手で持って走れるくらいの丸いパンが、布の上に並んでいる。


「持ってきな」


 ネアの手に、2つ置かれた。


「……お金」


「いらないよ」


「でも」


「今日は、いらない」


 ヴェラの声は短かった。強くもなかった。ただ、そこで終わる声だった。


 ネアはそれ以上、言わなかった。パンを受け取って、ポケットではなく、胸の前の布に包んだ。俺のいる場所と分けたのは、たぶん潰さないためだ。


 タロの弟妹の方角から、小さい足音が聞こえた。戸の前で止まり、すぐに引っ込む。腹は減っている。でも出てこない。昨日、家の前に立っていた時の震えが、まだ少しだけ残っている。


 ネアはパンを1つ、包みから出した。


「タロのとこ」


 ヴェラが言うより先だった。


 ネアは頷いて、歩いた。


 戸口にパンを置く音がした。子どもの手が、すぐには伸びなかった。少し遅れて、布が擦れた。


「……ありがと」


 小さい声だった。


 ネアは返事をしなかった。


 でも、戻る足音は急がなかった。


   ◆


「祭り、やるんだってよ」


 昼前、タロがそう言った。


 ネアはヴェラの店先で布を押さえていた。長い布だった。祭りの日に、店先へ吊るすらしい。何年も使っている布で、端の縫い目が何度も直されていた。


「祭り」


 ネアが短く返す。


「知らねえのか」


「知ってる」


「じゃあ何だよ、その声」


「別に」


 ヴェラが布の反対側で笑った。声にはしなかった。喉の奥だけで、少し揺れた。


 廃都の祭り。


 誰が始めたのか、何のためなのか、誰もはっきり言わない。屋台が出る。古い灯りを吊るす。子どもが走る。年寄りが、昔からそうだから、と言う。


 そのくらいのものらしい。


 でも、昨日のあとにその話が出ると、意味が少し変わる。


 やる。


 やめない。


 それだけで、市場の足音が少し前へ出る。


 ネアは布を畳んだ。角と角を合わせる動きが、いつもより丁寧だった。もう1度広げて、埃を払って、また畳む。


『手、早いな』


「……」


 返事はなかった。


 ただ、次の布を取るのが、少し早かった。


 俺はそれ以上、聞かなかった。


   ◆


 タロは、祭りの話を始めると止まらなかった。


「去年はリコが灯り倒しただろ」


「倒してない」


「倒した。俺、見た」


「見てない」


「見たって」


 近くでリコの足音が止まった。小さい足が、地面を2回叩いた。


「倒してない!」


 倒したやつの声だった。


 市場に笑いが戻った。


 大きな笑いではなかった。少し割れた茶碗を、まだ使えるか確かめるような笑いだった。それでも、笑いは笑いだった。


 タロが急に黙った。


 そして、ネアのポケットの方へ近づいてきた。


「なあ、石」


『なんだ』


 ネアが面倒くさそうに通訳する。


「なんだ、って」


「石も祭り、出れるのか」


『……は?』


 ネアが、ほんの少しだけ沈黙した。


 そのまま伝えた。


「は、って」


「いや、だって、石様だろ」


(お前は俺を何だと思っている)


 守り神扱いなのか、置物扱いなのか、たぶん本人も分かっていない。


『俺が何をするんだ。踊るのか』


 ネアは伝えなかった。


「出ない、たぶん」


「たぶんかよ」


「石だから」


 タロが納得したような、していないような足音で下がった。


「じゃあ、持ってくればいいだろ」


 ネアの指が、ポケットの上で止まった。


 短い沈黙だった。


「……考えとく」


 タロの足音が、また跳ねた。


 俺は何も言わなかった。


 祭りに出る石、というものを、俺は知らない。


   ◆


 午後は、祭りの準備になった。


 誰かが古い灯りを出してきた。油の匂いが、空気に少し混じる。欠けた皿を集める音。棒を運ぶ音。子どもたちが布の下をくぐって、ヴェラに叱られる音。


 ネアは店先の布を結んでいた。


 背の高いところはタロがやった。低いところをネアが直す。タロの結び目は大きくて、少し緩い。ネアが無言でほどいて、結び直した。


「おい」


「ゆるい」


「落ちなきゃいいだろ」


「落ちる」


「落ちねえよ」


 次の風で、布が少しずれた。


「……」


 タロは何も言わなかった。


 ネアが結び直した。今度は落ちなかった。


 ポケットの中まで、ネアの指の動きが伝わってくる。布を引く時の力が、いつもよりほんの少しだけ軽い。疲れていないわけではない。昨日の重さは残っている。


 それでも、手が止まらない。


『ネア』


「ん」


『似合ってるぞ。祭りの係』


「知らない」


 でも、ほどいた紐を捨てずに、きちんと丸めて脇へ置いた。


 それだけだった。


   ◆


 夕方、ダンは市場の北側にいた。


 人の輪から少し外れた場所で、煙管に火を入れていた。吸って、灰を落とす。板を1枚、足で押して端へ寄せる。もう1度吸う。


 誰も近くにいなかった。


 ネアはヴェラの店先で、最後の布を畳んでいた。タロはリコを追いかけていた。市場は、祭りの話で少し浮いていた。


 その中で、ダンの声だけが低く落ちた。


「……妙だったな」


 続きはなかった。


 煙管の灰が、地面に落ちた。


 俺は、その方角を聞いていた。


 聞こえた、とネアに言うことはできた。


 でも、言わなかった。


 ダンが誰にも聞かせなかった言葉を、俺がわざわざ運ぶ理由がなかった。運んだところで、今すぐ何かが変わるわけでもない。


 使えるものを、何でも使えばいいわけではない。


 ポケットの中で、俺は黙った。


   ◆


 夜、ネアは俺を机の上に置いた。


 祭りの布の匂いが、まだ指に残っていた。古い油と埃と、少しだけ焼きたてのパンの匂い。ヴェラが帰り際に持たせた小さいパンを、ネアは半分だけ食べた。


 残りは包んだ。


 明日、誰かに渡すのだろう。


 窓の外で、まだ市場の音がしていた。片付ける音。誰かが明日の準備を確認する声。タロが弟妹を連れて帰る足音。リコがまだ何か言い張っている声。


 北の方角は、静かだった。


 ダンの家の方角では、煙管の火が消えた。古い金属の小さな重さが、戸口の近くで一度だけ動いた。すぐに止まった。


 祭りの灯りは、まだ点いていない。


 それでも、油を入れた器の重さだけが、店先にいくつも並んでいた。明日を置いておく音だった。


 ネアの寝息が、ゆっくり整っていく。


 昨日とは違う。


 昨日の前とも、少し違う。


 でも、市場は明日の布を畳んでいた。祭りの灯りを出していた。子どもが叱られていた。パンが半分、残されていた。


 俺は地面の奥を聞いた。


(明日も、誰かが布を畳むらしい)


祭り、らしい。


——出るかどうかは、知らない。


俺は、石だ。

たぶん、出ない。


☆評価・ブックマーク、もらえると嬉しい。

ネアがあまり喋らないので、代わりに何か言ってくれると助かる。


次回もよろしく。

街は、まだ動いてるらしい。

祭りは、来週らしい。


——石より

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ