第2話「何もできない」
結論から言う。スキルはあった。でも、俺は何もできなかった。
——石に転生して半年。昨日、俺はやっと念話を手に入れた。取得の瞬間、頭に直接、名前だけが届いた。「意志」と「力石」。前世で読んだなろう小説なら、ここから怒涛の無双編が始まるはずだった。
が、現実は違った。
夜明け前から1人(1石)で、スキルを発動しようと念じ続けていた俺は、ただ虚しく、虚空に向かって「発動しろ」「起動しろ」と念じていただけで、何1つ起きないまま朝を迎えた。
なろうの主人公は、大体こういうときに「うん、こんなものか」とか言いながら涼しい顔をしていた気がする。
俺はそんな顔はしていない。というか、顔がないからだが。
◆
ネアが起きた。
布の擦れる音。水を飲む音。靴を履く音。
「今日、仕事。荷物運び」
独り言だった。でも、ポケットにいる俺に聞かせる形の独り言だった。
(報告してくれるのか)
ちょっとだけ、嬉しかった。半年間、ネアのそういう声を何度も聞いてきた。でも、今日の「独り言」は、初めて「独り言じゃない」独り言だった。
『頑張れ』
念話を送ってみた。
「……なんか変な感じ」
ネアが頬のあたりに手を当てた気配だった。念話は、耳で聞く声じゃない。頭の中に直接届く。ネアも、どこに反応していいか分からないらしかった。
(俺も変な感じだ、正直)
ネアが路地に出た。砂利を踏む音が、だんだん遠くなった。
◆
置いていかれた。
「家に1人」とも「家に1石」とも言えない状況で、俺は転がったまま、半年ぶりに静かな部屋と向き合っていた。
半年前までは、これが普通だった。誰もいない。何も起きない。ただ、そこにある。
でも今は違う。スキルがある。念話が届く。ネアに言葉を返せる。
なのに、ネアが外に出た瞬間——ぷつんと、世界が元通りになった。
(試すしかないな)
試した。
(力石スキル——なんか、発動)
何も起きない。
(起動)
何も起きない。
(パワー・オン)
何も起きない。そして英語でも起きないと分かった。
(ステータス、オープン)
何も起きない。思いつくフレーズを片っ端から試したが、俺のスキルは片っ端から無視した。
(——ちなみに、ここで都合よくステータス画面が開いたりしないよな?)
開かなかった。
昨日は一応、名前だけが頭に届いた。「スキル:意志を取得しました」「スキル:力石を取得しました」という、いかにもなやつ。告知だけで、画面は出なかった。だから今日、同じ調子で「ヘルプ」とか「ステータス」とか念じれば、何かが開くんじゃないかと期待した。
開かなかった。
(1回限定のご案内だったらしい)
それにしても、俺の場合は「おめでとうございます」の1文もなかった。粗雑すぎる。
スキル=即戦力、というのが俺の中の暗黙の了解だった。主人公は覚醒したら笑ってみせて、翌日から無双が始まる。そういう話ばかり読んできた。
俺は、翌日だ。今日、俺の翌日だ。
で、俺は、依然として、転がっている。
(……話が違うんですが)
誰にも届かない抗議をした。
◆
昼前、ネアが戻ってきた。
何も言わずに、俺をポケットに戻した。
(今日もそのまま連れていくのか)
聞かれなかった。ネアは、置いていく理由を説明しないし、連れていく理由も説明しない。判断だけがあって、言葉はない。そういうやつだった。
ポケットの中で、俺はまたネアの鼓動を聞いていた。午前中の半日ぶりだった。
意外と、安心した。
◆
午後。
ネアが路地の壁際に座って、休憩に入った。重い荷物を下ろす音。呼吸が少しゆっくりになる。半年ポケットにいた俺は、この呼吸の変化で「休憩入ったな」と分かるくらいには、ネアのリズムを覚えていた。
——そこに、足音が走ってきた。
小さくて、軽い。でも、速度が出すぎていた。
砂利を踏む音、止まれない速度、どしゃっ、という振動。
「——っ、痛い……!」
泣き声が路地に響いた。高くて細い声。5歳か6歳。膝を打ったらしい。
俺は、反射的に意識を向けた。
(力石スキル——)
何も起きなかった。
起きるわけがなかった。午前中いっぱいかけて確認したはずだった。それでも俺は、反射的に「発動しろ」と念じていた。
目の前で子どもが泣いているとき、何もできない石の反応が、これだった。
(——念話も届かない)
届いたところで、知らない子どもに石の声が届いたら、余計に怖がらせるだけだ。
つまり俺には、今、何1つ——
ネアが立ち上がった。
ゆっくりとした足音。焦ってはいない。でも、止まる気配もなかった。
子どもの前にしゃがんだ。
「……痛い?」
短い声だった。いつものネアの声だった。でも、声の高さが少しだけ、いつもより低かった。
子どもが、泣きながら何か言った。「ひざ」と聞こえた。
水の音がした。布を湿らせる音。
(……自分の水じゃないか、それ)
たぶん、今日、ネアが仕事中に飲むはずだった水だった。
「はい」
膝に、湿らせた布を当てた気配。
子どもの泣き声が、しゃくりあげに変わった。
「……ありがと」
ネアは返事をしなかった。立ち上がる音がした。それだけだった。
——
少しして、子どもの声が変わった。
「あ」
足音が跳ねた。砂利を蹴って、路地の向こうに、走って消えていった。
膝を打って、泣いて、1分後には走って消えていった。
静かになった路地で、俺は少しだけ、呆然としていた。
何もできない石の俺と、水を分けたネア。
どっちもできたことは、大したことじゃなかった。いや、俺は何もできなかった。ネアが水を分けただけだった。
でも——子どもは、ネアが触れた場所から、立ち上がった。
(……ネアって、こういうやつなのか)
半年、ポケットの中で知っていたつもりだった。でも、今、初めてネアを「見た」気がした。見えてはいない。相変わらず顔も知らない。それでも、俺は今日、ネアのことを、昨日より少しだけ深く知った。
自分の水を、泣いている子どもに使う。しかも、得意げにやるのでもなく、礼を求めるでもなく、ただ、そうした。
それが、ネアだった。半年、俺がそのポケットで揺られていた少女だった。
(……俺、そんなやつのポケットで半年過ごしてたのか)
それは、まあまあ、悪くない人生だった気がしてきた。
◆
夜。
路地の音が、しゅるしゅると引いていった。
ネアが毛布に入った。呼吸がゆっくりになるまで、時間はかからなかった。1日働いた子どもの呼吸だった。
少しして。
「……おやすみ」
ポケットの中に向けた声だった。
『おやすみ、ネア』
念話を返した。布がほんの少し動いた。届いたらしかった。
ネアの呼吸が、寝息に変わるまで、しばらくかかった。
それから——俺の夜が始まった。
石に睡眠はいらない。朝まで何時間あるのか分からないが、俺はそのあいだ、全部、起きている。動けない。しゃべる相手は寝ている。やることは、考えることだけだ。
考えた。
スキルは使えなかった。子どもは助けられなかった。代わりに、ネアが水を分けた。1日を終わりまで動き続けたのはネアで、俺は、ポケットの中で揺れているだけだった。
(……俺、何のためにここにいるんだろうな)
半年前、道端で転がっていたときには考えもしなかったことだった。
何のため。存在理由。さんざん小説で読んだ主人公たちは、必ず答えを持っていた。俺の石には、それがない。
(——まあ、考えたって、朝までに答えは出ないだろうが)
考えるしかないから、考えることにした。石ができる数少ないことの1つだった。
石の1日は、こうやって、ずっと長い。
今日、俺は何もできなかった。
スキルあるのに、発動しなかった。
なろうの主人公、どうやってあれ起動してたんだ、本当に。
代わりにネアが、自分の水を子どもにやった。
自分の水だよ、それ。
……ちょっと、かっこよかった。
ちょっとだけな。
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ちょっとだけ、世界が広がる。
——石より




