第10話「石喰い、現る」
石を食う魔物がいるらしい、ということを、俺は今日、初めて知った。
しかもそれは、ちょうど俺のポケットに飛びかかってきた、目の前のやつだった。
(おい。俺、今、食われかけてないか?)ポケットの中で、そう念じた。
◆
——話は、少し戻る。
ネアが雑貨屋の裏手で、いつもの仕分けをしていた昼前のこと。
指の動きは淡々としていた。鼻歌もない。ため息もない。集中している時のネアだった。
そこに、気配が来た。
『ネア』
「……ん」
『何か、近づいてない?』
ネアの手が、一瞬止まった。
「……」
答えない。
でも、答えなかったということが、答えだった。ネアも気づいている。気づいていて、言わないだけだ。
◆
カタ。
乾いた音がした。硬い何かと、硬い何かが当たる音。斜め前あたり、ネアの足元。
ネアの呼吸が、一瞬止まった。何かに気づいた時の、あの止まり方だった。
仕分けの手を止める。持っていた物を台の上に置く音。
「……」
何も言わない。でも、動きが「構え」の動きになった。肩が少し下がって、重心が前に移る。半年ポケットで揺られてきた俺には、そのくらい分かる。
カタ、カタ。
音が、近づいてくる。
這っているのではなかった。跳ねている。小刻みに、地面の硬い部分を叩きながら移動している。足はあるのか、ないのか。あるとしても、とても小さいらしい。
大きさは、たぶん、手のひらより少し大きいくらい。重さは、地面を叩く音の鈍さからして、そこそこある。表面は硬い——鱗のような、骨のような、何か。そういう硬さの音だった。
(何だ、こいつ)
ネアが片足をわずかに引いた。
「……しっし」
犬猫を追い払うような、でも、棒読みの「しっし」だった。気合いが入っていない。淡々と、手順として声を出した感じ。
カタ。
音が止まった。
でも、気配は消えていない。じっと、そこにいる。
(居座ってるな、こいつ)
◆
次の瞬間、空気が鋭く動いた。
小さい。速い。跳ね上がる勢いが、地面の振動から伝わってくる。そして——ネアの腰の、俺の入っているポケットに向かって、真っ直ぐに飛びかかってきた。
(は?)
(——俺?)
ここまでの半年で、俺が誰かに「襲われた」のは、これが初めてだった。踏まれたことは何度もあるが、狙って襲われたのは、初めて。
ネアが腰をひねった。片手で軽く払ったらしい。硬いものが跳ね返る音。地面に転がる気配。
カツン、カツン。
3回ほど跳ねて、止まった。でも、気配は動いている。
起き上がる。——また、起き上がった。
「……石喰いだ」
ネアが、ぽつりと呟いた。
(石喰い)
名前は知らなかった。でも、言葉通りなら——石を食うやつ、だ。
(俺、今、狙われてるってことか?)
ネアの鼓動は、落ち着いていた。怖がってはいない。むしろ「面倒なやつに出くわした」という温度だった。
——つまり、知ってるんだな、こいつを。廃都で生きてきたら、普通に出くわすやつらしかった。こっちは初対面だが。
◆
カタ、カタ、カタ。
石喰いが、また近づいてくる。
「……あっち行って」
ネアが、もう1回、棒読みで言った。
当然、聞かない。
ネアが靴の先で、軽く蹴った。カチン、と乾いた音。何かが吹っ飛んだ。
カツン、カツン、カツン。
転がる音。そして——また、起き上がる気配。
(しぶといな、お前)
「……」
ネアがため息をついた。長めの、今日初めてのやつ。
◆
それからは、同じリズムが繰り返された。
石喰いが飛びかかる。ネアが腰をひねって、俺の入っている側のポケットを、反対側に回す。石喰いが回り込む。ネアも回る。足で蹴る。転がる。また起き上がる。飛びかかる。
カタ、カチン、カツン。カタ、カチン、カツン。
(……慣れてるな、この子)
ネアの動きは、淡々としていた。焦らない。驚かない。ただ、こういう時の手順として、体が動いている感じだった。
1人で生きてきた子の動きだな、と思った。
途中、ネアが一瞬、俺のポケットの上から軽く触った。ぽん、と。「まだいるか」の確認だった。俺がちゃんとそこにいると確かめてから、次の動きに入った。
(……守られてるな、俺)
石なのに。動けないのに。ネアに、守られている。
——で、俺の感想としては、
(……そこまでして、食いたいか? 俺、美味しくないぞ)
石だ。栄養はない。噛んだら歯が折れる。前世なら間違いなく歯医者だ。こっちの世界に歯医者があるのかは、知らないが。
石喰いの食い意地の源は、謎だった。食って何になるのか。そもそも噛み砕けるのか。あの小さな体で、石を割る顎があるのだろうか。
ネアの蹴りに何度も跳ね返されて、なお起き上がる執念だけは、立派だった。
◆
何度目かで、石喰いの動きが鈍くなった。息切れしたのか、諦めの入り口に来たのか。
カタ……カタ……。
動きが遅くなる。蹴られる。転がる。起き上がる——のだが、1度目より2度目が遅く、2度目より3度目がもっと遅くなっている。
ネアが最後にもう1回、軽く蹴った。
カチン。
今度は、起き上がらなかった。少し離れたところで、動かなくなった。
——動かない「ふり」だった。
気配が消えていない。息を潜めているだけ。俺には、地面の振動で分かる。
(狸寝入り、か)
ネアも、たぶん、気づいていた。足を止めて、一瞬、そちらに向いた気配があった。でも、蹴り足を伸ばさなかった。止めを刺さなかった。
何も言わずに、仕分けに戻った。仕分けの音がする。指が台の上で動く、いつものリズム。
石喰いは、少し離れたところで、じっとしていた。
——なんというか、図太いやつだった。ネアも、止めを刺さないあたり、たぶん、この手のやつに慣れている。
◆
夜。
ネアが眠った後、俺は考えていた。
(石喰い、か)
石を食うらしい。でも、俺が食われかけたのは、偶然じゃない気がした。
半年、ネアのポケットで廃都を歩いてきたのに、石喰いに会ったのは、今日が初めてだった。廃都には石なんて、その辺にいくらでも転がっていた。なのに、石喰いは俺を狙ってきた。ネアのポケットに、真っ直ぐに、飛びかかってきた。
(俺のこと、ちょっと普通じゃない石だって、気づいてるのか?)
仮説だった。食い意地の張ったやつに理屈が通じるかは、別の話だ。
でも、そう思うと、しっくりくる部分があった。半年間、俺はネアのポケットに入れられて、たくさんの路地を歩いた。そのどれでも、石喰いは来なかった。今日、初めて来た。
俺が何かを変えたのか、石喰いが何かを察したのか、たまたまタイミングがそうなったのか。
分からない。分からないが——
(あの執念は、1日で終わる類のものじゃなかった)
狸寝入りの姿勢のまま、ずっと気配を消さずにいた。諦めていない動物の、溜めの姿勢だった。
(……明日、また来るかもな)
そう思ったら、少しだけ身構えた。石に身構えるも何もないが、気持ちの上で。
◆
翌日。
同じ市場。同じ雑貨屋。同じ仕分け。ネアのリズムは、いつも通り。
昼前。
カタ。
(……あ)
カタ、カタ。
ネアの指が、一瞬止まった。
「……」
ため息。昨日より、ほんの少しだけ、長かった。
——つまり、諦めてないらしい、こいつ。
ポケットの中で、俺も、少しだけ、溜息を吐いた気分になった。石に肺はないが、気持ちだけ。
「……しっし」
棒読みの「しっし」で、今日の1日が始まった。
ネアの仕事に、1つ増えた項目があった。
石喰いの相手、という項目が。
(お前、美味しくないって、何回言ったら、分かるんだ)
石喰いには聞こえていないはずの独り言を、俺は念じた。
今日、食われかけた。
石を食う魔物がいるとは、知らなかった。
しかも、翌日も来た。
……美味しくないって、言ってるのに。
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次回「力石スキルの限界」もよろしく。
——石より




