28.ありがちな結末
ジェニーが植えた勿忘草は、「わたしを忘れないで」とでも言うように、次々と小さな青い花をつけ庭を彩り続けていた。
その様子を窓から眺めながら、ジェニーは優しく微笑んだ。
テーブルの上のカップは、今日も少しぬるめのミルクティーで満たされている。
スタインズ侯爵邸での騒ぎから、半月あまりがたった――。
あの日、音楽室へ駆け込んできたグレネルは、窓際に倒れているノーマンに気づくと、ひどく驚いた顔でジェニーを見た。
だが、ジェニーが、首を振りながら「大丈夫よ」と囁くと、急いでノーマンに息があることを確かめ、団員たちに命じて外へ運び出させた。
ほかの団員たちは、使用人たちが閉じ込められている別棟に向かい、そこにいた十人あまりの使用人たちを一人一人検分した。
スタインズ侯爵夫妻に付き添って、王宮へ向かった近侍と御者は、王宮騎士団によって身柄を抑えられていた。
王都警備騎士団の別動隊は、王都にあるジールマン商会を押さえに向かったが、そこは、すでにもぬけの殻で、商会は名称も変えてどこかへ移転したあとだった。
もちろん、バーサと名乗っていたメイドの行方もわからない。
もともと商会の出資元は隣国にあって、ジールマン商会は出店のようなものだった。
「結局、エルヴィーラ嬢に隣国貴族との縁談を持ちかけた古物商も、ジールマン商会の出資元が援助していたらしい。ほかにも、そういう商店や商会が幾つもあったようだ。どこも皆、すでに店をたたんでいたけれどね。『悲運の令嬢』のように話題にはならなかったが、そうした商会からおかしな投資話や養子縁組などを持ちかけられて損をした者がいたこともわかっている」
ジェレミーは、魔道団長と共に貴族会議を訪ね、スタインズ侯爵家の悲運に関する資料やこの件に関わっていたと思われる組織の全貌について調べ直していた。
そして、屋敷で心配しているジェニーに、結果を伝えていた。
ノーマンが、ジェニーが想像した通り、かつて投資の失敗から自死に追い込まれ、爵位を剥奪された一族の一人だったことも判明している。
「ノーマンは、スタインズ侯爵に付き添い社交の場に出かけては、貴族たちの醜聞を聞き集めていたんだ。そして、外出の機会があると、某男爵の弟になりすまし、貴族会議の文献室で醜聞の裏付けとなる情報を探していた――」
その情報をジールマン商会に報告し、企みの標的となる貴族を決める手助けをするのも彼の仕事だった。
十代の頃から、かれこれ二十年以上、彼はそういう暮らしをしながら、生き延びてきたのだった。王都警備騎士団では、彼に対する取り調べが続いているが、彼自身が「悲運の令嬢」騒動に直接関わったという供述は、今も得られていなかった。
「まあ、お嬢様! すっかりお茶が冷めてしまいましたわ! これでは、いくら何でも冷たすぎます。もう一度、淹れ直してまいりますね」
ぼんやりと窓の外を眺めているジェニーの気持ちを思いながら、クレアは、ずっと声をかけられるのを待っていたが、とうとう我慢できなくなって居間へ入ってきた。
ジェニーは、慎重に力を加減してノーマンに消魂術をかけたのだが、体力や気力を大きく消耗した。
上手くいったから良かったが、不本意にもノーマンの命を奪ってしまっていたらと考えると、なかなか心は晴れなかった。
クレアが、たびたび外出を促しても、ジェニーはずっと屋敷に引きこもっていた。
「ありがとう、クレア。今日は、いつもよりミルクを多めにしてくれたのね?」
「はい。その方が、口当たりが良いと思いまして――。乾酪を使った焼き菓子にも、合うのではないでしょうか?」
「そうね。よく味わって、いただくことにするわ」
少し冷ためのミルクを入れたカップに、クレアは淹れ立ての紅茶を注いだ。
ジェニーは、目を細めてその様子を眺めている。
(こういうときこそ、素敵な花束でも抱えて、お嬢様を訪ねてきてくれたらいいのに! グレネル様って、実直で温かみがあって気取ったところもなくて本当にいい方なのだけど、ちょっと気が利かないのよね――)
クレアは、笑みを浮かべながら、心の中でそっと愚痴った。
ジェニーだって同じ気持ちのはずだが、騒動の後始末や捜査に追われているグレネルを思いやって、彼の名前を口に出すことはない。
クレアも言いたいことを飲み込んで、そんな彼女を見守るしかなかった――。
「今頃はエリアル様も、ご領地のお屋敷で、ゆっくりとお茶でも召し上がっているかもしれませんね。一生懸命お庭の手入れをするミエスを見つめながら――」
「そうね。上手く声が出せなくなったミエスに、エリアル嬢は文字やピアノを教えることにしたそうよ。二人が従姉弟どうしであることもはっきりしたわけだし、これからは、領地で仲良く伸びやかに暮らしていけるといいわね」
ジェレミーは、セムラッドでフォルカーに会い、ミエスのことを問いただした。
フォルカーは、エルヴィーラとテオフィルを匿ったことを認めた。そして、ミエスが一歳になる頃、二人が山へ野草取りに行き、崖崩れに巻き込まれて亡くなったと話した。
フォルカーは、ミエスが大人になったら渡すつもりだったと言って、エルヴィーラの形見である髪飾りをジェレミーに託した。
貴族会議での聞き取りで、スタインズ侯爵は、古物商から持ちかけられる縁談を受け入れ支度金などを受け取っていただけで、婚約者の死には関わりがないことがわかった。
罪には問われなかったが、これまでの暮らしを見直し、巨大な王都屋敷を王家に返上する形で処分した。
屋敷に残っていた調度品や美術品の中には、高額で売却できたものもあり、その代金は借金の返済に充てられた。スタインズ侯爵夫妻は、わずかな使用人とともに別邸へ引っ越すことになっている。
貴族会議は、エルヴィーラの死亡年を変更し、スタインズ侯爵家の系図に、テオフィルとミエスの名を加えた。エルヴィーラとテオフィルは、セムラッドの神殿で密かに夫婦になっていたのだ。
侯爵がミエスの助命のために、魔道士団にまで助力を願い出たことが評価され、スタインズ侯爵家に対して罰が下されることはなかった。
体裁を保つために苦労をしている名家は、スタインズ侯爵家だけではない。
貴族会議の中でも、彼らに対して同情的な発言をする者が多かった。
それでも、婚約者の連続死については、あらためて調べ直されることになった。
貴族会議を中心に、再度行われた詳しい調査の結果、それぞれの事故や事件の現場へ、何者かが「死神」とでも呼ぶべき人物を送り込んでいたことが確かになった。
レイモンド・リオーダンの死後、エリアルに付き添っていたメイドが、屋敷をやめていた。リオーダンを救えなかったことに責任を感じて去ったことになっていたが、当時、一緒に乗船していた者からは、彼女が不必要に動いたことで船が傾き、レイモンドが転落したのではないかという話も聞かれた。
もちろん彼女は、ジールマン商会から派遣された人物だ。
スティーブ・セヴァリーの馬車の御者は、王都郊外の食堂で休憩をした後、急に馬の様子がおかしくなったと話していた。
食堂で掃除や馬の給餌などをしていた下働きの男が、事件のあと姿を消していた。この男が、馬に何かよくない物を与えたのかもしれないと食堂の店主は言っていた。
その男もまた、ジールマン商会の口利きで一週間ほど前から食堂で働いていた。
神殿で娘と暮らすモニーク・ロセターは、ノエル・ハドルストンのことを話したがらなかった。事件の記憶も曖昧で、自分は、子爵家の説明に不満はなく、命があるだけで十分だと言った。
モニークの隣人は、貴族の家の従僕風の人物に連れられて、モニークが王都へ出かけていくのを目にしていた。事件の現場から、逃げていく男を見たというパン屋の子どもの証言は、当時は信用できないと無視されていた。
事件の実像は、いまだに藪の中だが、モニークはノエルの墓参りを続けている。
貴族会議は、ノーマンのような資格のない者が出入りできないように、さらに厳重な結界を建物全体に張ることを魔道士団へ依頼した。
また、王宮の外交部は、隣国からの商会や商人の進出を厳格に審査することを決めた。隣国との国境警備も、人を増やし強化することになった。
「主謀者を取り逃がした感はあるけど、とりあえず『悲運の令嬢』騒ぎは、これで解決ということになるのでしょうね。亡くなった婚約者たちの死を望んだのが誰だったのかは、貴族会議も追究しないことに決めたようだし――。何だかすっきりしないけど、貴族社会っていうのは、そんなものなのよね。わたしも、しがらみから離れてエリアル嬢のように領地でのんびり暮らしてみたいわ――」
ジェニーは、溜息混じりにつぶやくと、ミルクティーが注がれたカップを手にした。
「何をおっしゃっているのですか、お嬢様!? まだ、婚約すらしたことがないのですから、そんな悲観的なことを考えている場合じゃありません! まずは、人生を楽しまなくては! 気が利かないお方のことなど放っておいて、どんどん社交に励みましょう! 昨日、仕立屋が生地の見本を届けに参りましたの。早速ドレスを注文いたしましょう!」
クレアは、跳ねるようにして居間を出ていった。
ジェニーは、(気が利かないお方って、誰のことかしら?)と思いながら、静かにミルクティーを味わっていた――。




