29. エピローグ ~ あなたにも花束を ~
「悲運の令嬢」騒動は、貴族社会に暗い影を落としたが、その中でなぜか脚光を浴びることになった人物もいた。
スタンリー・モファットである――。
スタンリーは、今や社交界の人気者になっていた。
彼は、領地で神殿の慈善活動などに勤しみ、そこそこ真面目に暮らしていた。
夫に浮気され店を追い出された商家の元妻や某男爵の誘いを断ったためにお屋敷勤めをクビになった元メイドなど、傷ついた女性たちの話を親身になって聞いてやっていた。下心があったのかもしれないが、良い相談相手として頼りにされていた。
いつどこで、誰から聞いたのかは定かでないが、彼は「悲運の令嬢」の話を知るや、「それならば、わたしが彼女を幸せにしたい。わたしはけっして死んだりしないぞ!」と宣言し、婚約者として名乗りを上げたのだった。
つまり、古物商やジールマン商会には一切関わらず、エリアルとの婚約を自らスタインズ侯爵家へ打診してしまった。
父親であるモファット侯爵も、さすがにこの暴挙は許せず、婚約話は立ち消えとなった。
しかし、『悲運の令嬢』騒動の胡散臭さがはっきりした今、それにあえて立ち向かおうとしたスタンリーは、社交界の寵児となっていた。
その話のどこまでが本当で、どこからが虚構なのかはわからないが、彼の評価が上がったことは間違いなかった。
「――というわけでね、夜会が開かれる社交場や貴族の屋敷は、『彼の話を聞きたい』『彼の姿を見たい』という人々で、大いに賑わっているらしいよ。だからジェニー、新しいドレスも届くことだし、君もそろそろ社交の場へ復帰してみたらどうだい?」
王宮魔道士団での会議から帰ったジェレミーは、居間のソファにつまらなさそうに座り、冷め切ったミルクティーを飲んでいたジェニーに、スタンリーの近況を面白おかしく語って聞かせた。
妹の気持ちを、少しでも外へ向けさせたいという思いからだった。
ジェニーは、兄の話を興味深そうに聞いていたが、彼の誘いには首を振った。
「ごめんなさい、お兄様。まだ、そういう気持ちにはなれないの。わたしだって、社交の意味や目的はわかっているし、ドレスを褒め合ったり、商店街の菓子店の新作を教え合ったりすることが、楽しくないわけではないの。でも、何か恐ろしいことを考えている人が、素知らぬ顔であの場にいると思うと、とても笑顔ではいられないわ――」
ジェニーは、そうつぶやいて、力なく微笑んだ。
普段なら、この話はこれで終わるのだが、今日は続きが用意されている。
ジェレミーは、耳を澄ませた。
そろそろ、聞こえてきても良い頃だった。
この屋敷に向かって、ゆっくりと坂を下ってくる馬の蹄の音が――。
*
「まあ、グレネル様! どうされたんですか、その花束!?」
ジェレミーから来訪の話は聞いていたが、珍しく花束を抱えて現れたグレネルを見て、クレアは大きな声を上げてしまった。
隣にいたアレックスが、小さく咳払いをしてたしなめたが、彼女の興奮は収まらない。グレネルの案内をアレックスに任せると、居間で待つジェレミーとジェニーの元へ、さっさと知らせに行ってしまった――。
アレックスはアレックスで、クレアの態度を詫びながらも、騎士団の制服ではなく普通の外出着で現れたグレネルを、少し失礼なぐらいじっと見つめていた。
大きな体をもぞもぞさせながら、きまり悪そうに佇んでいるこの人物を、アレックスはけっこう好ましく思っている。
彼は、良い家柄の生まれだが、警備騎士団に所属し王都の治安に努めている。
見栄や体面をあまり気にしないし、尊大とか高慢とかいう言葉とは無縁な人物だ。
そして、アレックスが敬愛する主の心友でもある。
「ジェニー嬢は――、お元気でお過ごしなのだろうか?」
「はい。いつも通りでございます。読書をされたり、ピアノを奏でられたり、庭いじりをされたり、屋敷での時間をのんびり楽しまれておいでです」
グレネルは、いったん安心した顔になったが、すぐにまた眉を曇らせた。
彼は、ジェレミーから手紙をもらい、喜び勇んでダフィールド邸へやってきた。
だが、ジェニーは、まだ自分に会いたくないのではないかという気がしていた。
サロンや夜会に顔を出さないのは、人と関わるのが苦痛だからだ。
それならば、不躾に訪ねてきた彼のことも、うっとうしく思うかもしれない。
ジェニーに嫌われるかもしれないと思い、グレネルの足取りが重くなったとき、居間の方から明るい笑い声が響いてきた。
振り向いたアレックスが、彼にしては珍しく笑みを浮かべながら言った。
「さすがグレネル様です。何やら、愉快な話題を提供してくださったようでございますね。久しぶりに、お嬢様の元気なお声を聞くことができました。さあ、どうぞこちらへ!」
居間には、グレネルが届けた花束を抱えてジェニーが待っていた。
その横では、ジェレミーとクレアが、必死で笑いをこらえていた。
「グレネル様、花束をありがとうございます! あなたの優しい心づかい、とても嬉しく思います。でも――、これはこのままお返しするわね」
「えっ!? な、なぜですか? あなたによく似合う、明るい黄色の花束を用意したのですが、お、お気に召しませんでしたか!?」
ジェニーから花束を返すと言われ、グレネルはひどく慌てた顔をした。
ジェニーは澄まして立っていたが、ジェレミーとクレアは、こらえきれずに吹き出した。
「もう、二人とも、グレネル様を笑うのはやめて! ごめんなさいね、グレネル様。そのう――、たぶん、あなたは、女性に花束など送ったことがないのでしょうね?」
「は、はい。自分で花を選んで、花束を買ったのは――、初めてです」
気恥ずかしそうに顔を赤らめたグレネルを、ちょっと気の毒そうに、だが、どこか嬉しそうにジェニーは見つめている。
「グレネル様、黄色はとても元気が出る色で、わたしも好きだけど、黄色い花には、あまりいい花言葉がないの。例えば、この黄色いバラは、『薄らぐ愛』とか『別れ』。黄色いチューリップは、『望みなき愛』。それから、黄色いストックは、『さびしい恋』。この花は『はかない恋』で、こちらは『絶望』。あなたはわたしに、そんな思いを伝えに来たわけではないわよね?」
グレネルは、頭を抱えながら「ああっ!」と叫んで、その場にしゃがみ込んだ。
そして、顔も上げずに、「すみません、すみません」と謝罪を繰り返した。
ジェニーは、花束をアレックスに渡すと、自分もひざまずいてグレネルの手を取った。
「これから、一緒に商店街の花屋へ行きましょう! そして、花束を買い直してくれないかしら? 今度は、バラもチューリップも赤がいいわ。ピンク色の花も添えてもらえたら、きっと素敵な花束が出来上がるはずよ!」
「わかりました、喜んでお供します!」
連れだって居間を出ていく二人を、ジェレミーとアレックスはほっとした顔で見送った。
クレアは、ジェニーの帽子や傘を取りに行き、急いで二人を追いかけた。
(いろいろと気づいてしまうお嬢様とちょっと気が利かないグレネル様――。ちょうど良いお二人なのかもしれないわ――。当然、尻に敷かれることにはなるでしょうけれど、そのときは、わたしがグレネル様をお助けするしかないわね!)
クレアは、花屋へ着いたら、グレネルにこっそり耳打ちするつもりだ。
赤いバラや赤いチューリップの花言葉が、「あなたを愛しています」であることを――。
* * * 終わり * * *
ようやく、完結いたしました!
当初の予定の倍以上の長さになってしまいました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
*花言葉は、一般的に使われているものを参考にしています。




