27.音楽室での対決
音楽室へ吹き込む風は、そこに集った者たちの驚きや悲しみをしずめようとするかのように、庭の花々の優しく無垢な香りを運んできた。
ジェニーは、エルヴィーラの失踪に関する自分と兄の見解を一通り語り終えた。しばしの間、室内に沈黙が訪れた。
最初に声を上げたのは、エリアルだった。
「では――、ジェニー嬢は――、あのミエスが、エルヴィーラ叔母様の子どもではないか――、とお考えなのですね?」
すでに溢れていた涙を手巾で必死に抑えながら、エリアルは、一語一語を噛みしめるように口にした。
エルヴィーラが失踪した頃、彼女はまだ五歳だった。
無口な叔母とは、あまり言葉を交わす機会はなかったが、彼女が奏でるピアノの優しい響きは、今でも記憶に残っている。あの音色に憧れて、自分もピアノを弾いてみようと思ったのだった。
「ある朝突然、エルヴィーラ叔母様の姿が見えなくなって、家中が落ち着かない雰囲気になりました。父からは、彼女は、急な病のため別邸で療養することになったと言われました。そして、しばらくすると、病がもとで亡くなったと聞かされて――。わたくしや兄は、子どもだからと葬儀に出ることも許されませんでした」
「貴族会議にも、エルヴィーラ嬢は、急な病で亡くなったと報告されています。結婚を控えたご令嬢が失踪するというのは、不名誉なことですから、表立って探したり行方を追ったりすることはできなかったのでしょう。葬儀もごく内輪で行い、実際は空の棺を霊廟に納めたのだと思いますわ」
「かわいそうな叔母様――。でも、ミエスが生まれたということは、彼女は、屋敷を離れた後、テオフィルという人と幸せに暮らしていたということでしょうか?」
フォルカーは、何もかも承知の上で、二人を受け入れたはずだ。
セムラッドでの暮らしは、けっして楽なものではなかっただろうが、フォルカーの力を借りながら、二人が小さな幸せを手に入れたことをジェニーも信じたかった。
「ミエスが王都の石屋へ連れてこられたのは、赤ん坊の頃だったかもしれません。でも、彼の記憶のどこかに、ピアノを奏でる母――エルヴィーラ嬢の面影がずっと消えずにあって、あなたの姿に重なったのではないかと思います。それこそが、母子が幸せな時間を過ごしていた証拠なのではないでしょうか?」
エリアルは、再び手巾で涙を抑えながら、何度も小さくうなずいた。
ミエスは、石屋で育ちながら庭師を目指していた。
造園技師で、おそらくは庭師としても働いていたテオフィルの姿も、彼の心にいつの間にか焼き付けられていたのだろう。
「叔母様は、そして、テオフィルは、今、どうしているのでしょう?」
そう問いかけたエリアルの声は、少し震えていた。
幼い我が子を知人に託したということは、二人に何か良くないことが起きたからに違いなかった。
ミエスは、預けられたのではなく、石屋の次男として育てられた。
そのことは、彼がもう二度と本当の両親の元へ戻らないことを意味していた――。
「兄は今朝早く、フォルカーから詳しい話を聞くために、セムラッドへ出かけました。ミエスの身に起きたことを彼に伝え、その出自をきき出すと同時に、エルヴィーラ様とテオフィルのその後も明らかにしてくると思いますわ」
「まあ、ダフィールド侯爵が、そこまで――」
「兄は、術さえ施せば、それで自分の仕事が終わったとは考えません。術が確かな効果を持続しているか、いつも気にかけています。だから、ミエスが二度と命の危険にさらされないように、彼を取り巻く状況を把握しておきたいと思ったのですわ」
ジェニーは、そう言って、面白くなさそうな顔で椅子に座っているノーマンの方を見た。
彼は、例の古物商によって、この屋敷に送り込まれた見張り役兼調整役のようなものだろう、とジェレミーは言っていた。
エルヴィーラの失踪については、よく知らないのかもしれないが、「悲運の令嬢」騒動には深く関わっているはずだとも――。
ノーマンも、じっとジェニーを見返した。
もはや執事としての謙虚さなど微塵もなく、強者の傲慢さだけを感じさせるひどく不躾な眼差しをジェニーに向けていた。
彼は、もしかすると、貴族の血をひく者なのかもしれなかった。
「なるほど――。ミエスは、実は侯爵様の甥、つまりお嬢様の従弟だというのですね。あいつは、お嬢様のお姿に、幼い頃わかれた実母の面影を見てたってことか――。お嬢様が奏でるピアノが、あいつのおぼろげな記憶を刺激したのかもしれませんね。そして、久しぶりに生家へ戻ったとき、家族からあれこれきき出したってわけか――」
休みを終えて、ミエスが屋敷に戻ってきた夜、彼は、「どうしても侯爵様に伺いたいことがある」と言い出した。
ノーマンは、嫌な予感を覚えたが、「悲運の令嬢」に関することなら、自分がどうとでも説明できると考え、彼が騒がぬうちに侯爵に会わせることにした。
「あの夜わたしは、居間で寛いでいらした侯爵ご夫妻のところへ、ミエスを連れて行った。するとあいつは、開口一番、『旦那様、そして、奥様、俺の顔をよく見てください。誰かを思い出しませんか?』と言い出したんです――」
二人とも、最初はきょとんとしていた。
ミエスが屋敷へ来て一年近くたつが、庭師見習いの少年の顔など、気にとめたこともなかったのだ。よく見ろと言われて、彼の瞳の色や鼻の形などを一心に眺めているうちに、二人は、十五年以上前に失踪したエルヴィーラの顔を思い出した。
侯爵が、青ざめた顔で「まさか――」とつぶやいたとき、ちょうどメイドが茶の支度を運んできた。
「見習い庭師ふぜいが、侯爵様の居間で茶のもてなしを受けるなど聞いたこともないが、メイドがめくばせしてきたので、何か思惑があるのだろうとミエスに茶を勧めたのさ。ミエスは、ちょっと不思議そうな顔をしたが、遠慮なく茶を口にした。その直後だ、あいつが喉をかきむしって倒れたのは――」
「そ、そのメイドというのは、あのあと突然いなくなったバーサのことね?」
「そうですよ、お嬢様。この屋敷のメイドや下僕の何人かは、わたしと同じで、『ジールマン商会』の口利きで働きに来ているんです。バーサもその一人でした。彼女が何をしたのかはわかりませんが、前々からミエスの態度を気にしていて、商会に指示を仰いでいたようです――」
エリアルは、突然立ち上がると、悪びれもせず薄ら笑いを浮かべて話すノーマンに近づき、手にしていた手巾で彼の頬を叩いた。
「な、何をするんです!?」
「ノーマン、おまえはなんてことをしたの!? あの子は、ミエスはきっと、自分の実母であるエルヴィーラ叔母様のことをもっと知りたかっただけなのに!」
「はんっ! お嬢様は、おめでたいお方だ! あいつは、侯爵様に自分が甥であることを認めさせて、いい思いをしようと考えたんですよ! 今はまだ、あいつが本当にこの家の血をひく者だという証拠もありません! あのときあいつを排除しておけば、こんなお節介な連中とも関わらずにすんだものを!」
ノーマンは、ジェニーを指さし睨み付けた。
そして、敵意を露わにして立ち上がるとジェニーの方へ踏み出す。ジェニーは、エリアルを背後に庇いながら、音楽室の入り口の方へあとじさる。
隣には、クレアが駆け寄り、主を守ろうと身構えた。
ノーマンは、小馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべた。
「侯爵ご夫妻は、朝から貴族会議に呼び出されて、王宮へ出かけています。おそらく、お嬢様の新しい婚約について事情をきかれているのでしょう。今回のお相手は、財産家のご次男だが醜聞まみれのお方のようですからね。王都騎士団の人間が急に来たので、使用人たちは別棟に引っ込めました。つまり、あなた方がここにいることを知っているのは、わたしとお嬢様だけなのですよ――」
ノーマンは、上着の隠しの奥から、手巾と怪しげな小瓶を取りだした。
「この屋敷を訪ねてきたのは、田舎出のピアノ教師、ジェシー・オルグレンとその侍女だ。ジェニー・ダフィールド侯爵令嬢という方は、ここへは来ちゃいません。田舎者が、王都で姿を消すなんてことは、よくある話ですからね。しばらくの間、おとなしくしていてもらって、商会の方に後始末を頼むことにしましょう。お嬢様も少々お付き合いいただきますよ!」
ノーマンはそう言うと、手巾にくるんだまま、小瓶の蓋を開けようとした。
そのとき、玄関の扉が、激しく叩かれた。
「ジェニー嬢! まだ、こちらにいらっしゃるのですか!? いらっしゃるなら、返事をしてください!?」
「グレネル様だわ! クレア、急いで玄関の扉を開けなさい!」
「はい! お嬢様!」
呆然とするノーマンの前で、クレアは扉を開け放ち音楽室を飛び出していった。
今度は、ジェニーが笑いを浮かべる番だった。
「わたくしたちがいつまでたっても、約束の場所に来ないので、王都警備騎士団のグレネル様が心配して迎えに来たのです。最初から、そういう計画でしたから――」
「あの警備騎士団の男も、仲間だったのか!?」
「ええ、そうよ! それから、スタインズ侯爵夫妻が貴族会議に呼ばれたのは、新しい婚約の承認を知らせるためではないの。『悲運の令嬢』のからくりに疑問を持った貴族会議は、魔道士団の力も借りて、真実を明らかにしようと動き出していたのよ。今日は、侯爵夫妻が騒動とどのように関わっていたのかを明らかにするために、王宮へ呼び出したのだと思うわ!」
玄関が、ますます騒がしくなっていた。
どうやらグレネルは、騎士団員を連れてこの屋敷に乗り込んできたようだ。
「おとなしくするのは、おまえの方よ、ノーマン! おまえがここで語ったことを、王都警備騎士団にすべて話すわ。ミエスの件も、ジールマン商会のことも!」
「ちっ! 万事休すってわけか!」
ノーマンは、手巾や小瓶を投げ捨て、慌てて身をひるがえすと、音楽室の窓を開け逃げだそうとした。
ジェニーは、迷いなく右手の人差し指をノーマンの頭に向けると、心の中で素早く唱えた。
<魂消え!>
窓から半身を乗り出しかけていたノーマンは、小さく呻きながらその場に尻餅をついた。ジェニーの後ろにいたエリアルが、「ひっ」と小さな声を漏らした。
ほどなく、荒々しい足音が廊下に響き、グレネルと数名の団員が、クレアに案内され音楽室へ駆け込んできた――。




