19.エリアル・スタインズ
グレネルは、ひどく緊張して、スタインズ侯爵邸の玄関前に立っていた。
扉を叩き名前を名乗ってから、ずいぶん長い時間が流れたような気がしていた。
屋敷の中からは、密やかではあるが、慌てふためく様子が伝わってきた。
(まあ、予告もなく、警備騎士団の人間が訪ねてきたのだから当然だよな)
待っている間に、ジェニーと打ち合わせたことを確認し、気持ちを落ち着けた。
どんな形であれジェニーの役に立てるということは、彼にとって大きな喜びだった。自分の不手際で、彼女の計画が台無しになるようなことがあってはならない。
目に力を込め、緩みかけた表情を引き締め直したとき、扉がゆっくりと開いた。
執事が、ぴんと背筋を伸ばし、冷徹な目でグレネルを見つめていた。
「お待たせして申し訳ございません、グレネル様。少々邸内が、立て込んでおりまして――。本日は、どのようなご用件でお越しに?」
招かれざる客と思われていることは明らかだったが、グレネルは愛想良く挨拶すると、玄関の奥まで届くような大きな声で用件を告げた。
「たいしたことではないのです。たまたま、近所の巡回をしておりましたので、その後の様子を伺おうと立ち寄りました。あれから、ミエスの兄夫婦や縁者が押し掛けてきたり、怪しげな輩が訪ねてきたりしはしていませんか?」
グレネルの話を聞いて、執事はほっとした顔になった。
彼は、両脇で握りしめていた拳を解き、あからさまに体の力を抜いた。
「ああ、さようでございましたか――。お気遣いくださり、ありがとうございます。幸い、その後は特に変わったこともなく、屋敷は平穏そのものです」
「それは良かった。ミエスは文字が書けないそうですから手紙は難しいでしょうが、ときどき兄夫婦には彼の近況を伝えてやってください。そうすれば彼らも安心して、投げ文などのおかしな悪戯は気にしなくなると思います」
「わかりました。主にもそのように伝えます。ええっと、ほかに何か――」
口では礼を言いながらも、もてなすつもりはなく、グレネルを早く立ち去らせようと必死になっているのが、執事の態度から見て取れた。
グレネルは、作り笑いをしながら、良く通る声を玄関ホールに力一杯響かせた。
「いえ、それだけです! 警備騎士団としても、特に異変がないようなら、この件については解決したと判断し、投げ文の差出人などは探さないことになりました! もちろん、再び何か気になることが生じましたら、いつでもご連絡ください! では、これで失礼いたします!」
一言一言、噛みしめるように告げたあと、グレネルは、挨拶をして玄関を出た。
玄関の奥の方には、何人もの使用人が、ひっそり聞き耳を立てている気配があった。
グレネルには、目的の人物がその中にいるかどうかはわからなかったが、ジェニーに頼まれた役割を果たすことができたので満足だった。
執事から睨むように見つめられながら、グレネルは警備騎士団の馬車に乗り込み、スタインズ侯爵邸を後にした。
*
グレネルを乗せた警備騎士団の馬車が、商店街の方へ戻っていくのを、ジェニーとクレアは、侯爵邸から少し離れた路地の奥から眺めていた。
二人は、初めて王都に出てきた者たちがよくやる、「お屋敷巡り」をしているようなふりをして、しばらくこの辺りを歩き回っていた。
「そろそろ行くわよ、クレア!」
「はい!」
辺りの様子を見ながら、ゆっくりと歩くジェニーの後ろから、花束を抱えたクレアがついていく。
二人は、田舎から出てきた娘たちが、王都に住む縁戚の家を探しているふうを上手に装っていた。
ようやく見つけたという顔で、スタインズ侯爵邸の玄関へ近づくと、ジェニーは控えめに扉を叩き、「ジェシー・オルグレン」であると名乗った。
「ジェシー・オルグレン」が何者なのか、なかなかわからなかったらしく、ジェニーは玄関前でかなり待たされた。
「ピアノの」とか、「お嬢様が」といった話し声が、ときおり聞こえてきたが、結局扉を開けて出迎えてくれたのは、執事ただ一人だった。
「失礼いたしました。先日、おいでになったピアノの先生ですね。主には、お稽古は来週からと言われておりますが、今日は、どのような御用で?」
執事は、眉間にしわを寄せ、わざといらだった顔をしてみせた。
先ほどは、王都警備騎士団の副団長が突然やって来て、大きな声でどうでもいい話をして帰って行った。今度は、先日雇ったばかりの田舎者のピアノ教師が、前触れもなく現れた。
由緒ある侯爵家への敬意が足りない者ばかりだ――と、彼は腹を立てていた。
「先日、お嬢様のお加減が良くないと伺いましたので、今日はお見舞いに参りました。お庭の様子から、青い花がお好きなのだろうと思いまして、このような花束をお持ちしました」
ジェニーは、クレアから花束を受け取ると、執事に差し出した。
多種多様な青色の花々が、少し乱雑に、だが、どことなく優雅にまとめられた面白い花束だった。薬草類も混じっているので、爽やかな香りもする。
花は高級そうには見えないが、王都の商店街の有名な花店の紋章が織り込まれた青いリボンが巻かれている。
執事は、花束を抱えながら、ジェニーの服装へ目をやった。
灰青色の慎ましやかなドレス。アクセサリーは、瑠璃貴石で統一されている。
そして、髪には、鮮やかな青色のリボンで作った花の髪飾りが付けられている――。
突如、既視感に襲われ、執事は軽いめまいを覚えた。
「ジェ、ジェシー嬢、あ、あなたはいったい、どういうつもりで――」
執事は、受け取ったばかりの花束を、思わずジェニーに投げつけようとした。
そのとき、玄関の奥から、突然声がかかった。
「おやめなさいっ、ノーマン! それは、わたくしがいただいた花束よ! そのような乱暴なまねをしないで!」
「お、お嬢様!」
「初めまして、ジェシー・オルグレン先生。エリアル・スタインズです――。ノーマンが失礼なことして、申し訳ありませんでした。あとで、きつくしかっておきますのでお許しください」
エリアルは、すっかり萎縮してしまった執事のノーマンから花束を取り上げると、ためらいなく顔を埋め、その香りにうっとりと目を閉じた。
彼女は今日も、ジェニーのドレスとよく似た灰青色のドレスをまとっていた。
そして、胸元には青いリボンで作った小さな花を飾っていた。
「先生、素敵な花束をありがとうございます。どうか、わたくしと一緒にいらしてください。そして、あの素晴らしい曲をもう一度聞かせてくださいませ」
病で伏せっていたとは思えない、しっかりした足取りで、エリアルは音楽室へとジェニーを案内した。




