18.事故の真相
「『あのとき』――とは、『あの船遊びのとき』ということでしょうか?」
ジェレミーの穏やかな声が、温もりとなって、エドマンドの心にしみ込み広がった。
招魂術の遣い手である彼の声は、時として、沈んだ人の気持ちを上向きにして元気づけることがある。
過去を恐れるような素振りを見せていたエドマンドは、ジェレミーの声に励まされ、「あのとき」のことを語り出した。
「あの日は天気が良く、まさに川遊び日和でした。大人たちは、酒も入って昼寝を始めた者もおりましたが、子どもたちはまだまだ遊び足りなくて――。ですから、リオーダン侯爵様が船を用意したとおっしゃると、みんな大喜びで乗り込んだのです」
「船には、レイモンド殿とあなた、それからエリアル嬢、ほかにも同じぐらいの年齢の少年少女が、何人か乗っていたそうですね」
「はい。子どもが七人、あとは、エリアル嬢の侍女とわたくしの家のメイド、そして船頭の大人三人。計十人が、乗船しました。それほど大きい船ではありませんが、子どもが多かったので窮屈な感じはしませんでした」
貴族の子女七人に対し、世話係の大人が二人というのは、ちょっと少ない印象だ。
どこの家も、川遊びには複数の従者を連れてきているはずで、子どもの数だけ従者も乗っていたとしてもおかしくはなかった。
(それだけ乗せるには、船が小さかったということか――。婚約者であるエリアル嬢となだめ役であるエドマンド殿の従者だけは、万が一の事態に備えて乗船させ、あとは子どもだけを乗せることにした。船を雇ったリオーダン侯爵から言われれば、ほかの貴族はそれに従っただろうな)
従者が付き添わないからといって、すっかりその気になってしまった子どもたちに、船遊びを諦めさせるのは難しい。
ジェレミーは、エリアルとエドマンド以外の子どもの親たちは、二人の従者に任せる形で子どもたちを船に乗せたのだろうと推測した。
「乗った直後は、ほどよい船の揺れや川風の心地良さもあって、皆おとなしく座っておしゃべりなどしていました。しかし、しばらくして、船に乗り慣れていたマシューが、船縁から手を伸ばして水をすくい、近くに座っていた女の子たちに掛けたのです。女の子たちは、悲鳴を上げマシューに文句を言いました」
マシューというのは、スペアリング伯爵家の子息だ。
女の子ばかりが三人続いたあと、ようやく生まれた男の子だ。
今では、伯爵家の跡取りとして、ずいぶん貫禄もついてきたが、当時はわがままないたずらっ子として有名だった。
ジェレミーも、幼い頃どこかの家の庭で開かれた茶会で、トカゲを持って走り回る彼と出会っていた。
「マシューは、すぐに謝って、女の子たちもおとなしくなったのですが、その様子を見ていたレイモンドが、すぐさま真似をしたのです。服が濡れるのも気にせず、みんなに水を掛けました。止めようとした乳母やメイドにも、容赦なく水を掛け、彼女たちが悲鳴を上げるのを面白そうに見ていました」
「大人たちがいた場所からは、けっこう離れていたのですよね?」
「ええ。岸からは、子どもたちが、船遊びに興奮して騒いでいると見えたようです」
文献室で見た事故の記録にも、大人たちは最初そんな気持ちで船の騒ぎを眺めていたと書かれていた。
レイモンドの特異な気質を知る者は、もしかするとそれほど多くなかったのかもしれない。多くの人には、ちょっと気紛れで癇癪持ちの少年ぐらいに思われていたのだろう。
「さすがにわたくしも、そろそろ止めた方がいいだろうと考えました。船の揺れが怖くて、涙ぐんでいる子もいましたから――。わたくしは、彼に抱きついて水掛けをやめさせようとしました。彼が興奮したときは、何を言っても聞きません。そういうときは、抱きかかえて優しく声をかけ、落ち着かせることにしていました」
「それで、レイモンド殿は、水掛をやめてくれたのですか?」
エドマンドは、うつむくと小さく首を横に振った。
そして、両手で自分の顔を覆い、苦しそうに話を続けた。
「すっかり気持ちが高ぶっていた彼は、わたくしを罵倒し突き飛ばしました。わたくしがよろけて、後ろにいたエリアル嬢に倒れかかると、彼はさらに激高し、わたくしを足蹴にしようとしたのです! その後のことはよくわかりません。顔を踏まれると思ったわたくしは目をつぶりました。そして、船がひどくかしいだあと、たくさん悲鳴と共に大きな水音が聞こえました――」
実は、その瞬間のことについては、明確な記録が残っていない。
レイモンドが亡くなったので、同乗していた子どもたちも従者たちも大きな衝撃を受けた。事故のことを思い出させたくないという親たちの気持ちを尊重して、子どもたちへの聞き取りは控えられた。
船頭や従者たちに責任を問いたくないというリオーダン侯爵の寛大な申し出により、彼らにも、証言の整合性を確認するような詳細な調査はされなかった。
(侯爵家は、レイモンドを失ったことを悲しみはしたが、やけにあっさりとそれを受け入れた。『事故の責任は、あくまで我が子にあり、ほかの子どもたちや従者、船頭に罪はない』と言い切った侯爵を、ケブラーも日報で、『親の鑑』と評していたな――)
リオーダン侯爵家の後継者は、レイモンドの兄のフレデリックだ。
次男のレイモンドが亡くなっても、別に影響はなかった。
レイモンドの弟たちは二人とも優秀で、いずれはフレデリックを助けて領地の経営に携わるか、他家へ婿に行くことになるだろうと噂されている。
(レイモンドが、あのまま成長していたら、リオーダン侯爵家は、いろいろと面倒を抱えることになったかもしれない。少なくとも、今ほど穏やかではいられなかっただろう。そして、エリアル嬢は、『悲運の令嬢』と呼ばれることはなかっただろうが、『不運な花嫁』と呼ばれていただろうな――)
ジェレミーは、複雑な思いで、レイモンドが眠る霊廟に目をやった。
いつのまにかエドマンドは、献花台の前にひざまずき、再び祈りを捧げていた。
神の御許へ行ってしまった幼馴染みを、今でもこうやって宥めているのかもしれない。
「思い出すのも辛いであろう話を、いろいろとお聞かせくださりありがとうございました」
「辛くはありますが、レイモンドの短く儚い人生を知っていただくのは、彼の魂を慰めることになると思っております。こちらこそ、長々とお付き合いくださりありがとうございました」
二人は、丁寧に別れの挨拶を交わした。
エドマンドは、もと来た道を戻り神殿の方へ去って行った。
クリフは、途中から気を利かせ、ダフィールド家の霊廟の前へ移動していた。
二人の話が終わったと知ると、彼は素早くジェレミーに走り寄った。
「ジェレミー様、これで、御用はすべてお済みですか?」
「ああ、今度こそ屋敷へ帰るとしよう。馬車を呼んできてくれるかい?」
「承知いたしました!」
いそいそと馬車溜まりへ走って行くクリフを見ながら、ジェレミーは、これまでにわかったことを振り返ってみた。「悲運の令嬢」を巡る事故や事件は、新たな謎によって違う姿を見せつつあった。
(ジェニーは、今頃どうしているだろう? こうなると、スタインズ侯爵家は、やはり危険な場所であるような気がしてきた。無茶なことをしていなければいいのだが――)




