17.エドマンド・ベルナップ
「待たせたね、クリフ。そろそろ、帰るとしよう」
控えの間に入ってきたジェレミーが、そう声をかけると、クリフは傍らの小机に慌てて皿とカップを置いた。あまりにも茶が熱かったので、まだ二口ぐらいしか飲んでいなかったが、「主を待つ」という彼の務めは、唐突に終わりを迎えた。
ジェレミーは、受付の係官に礼を言い、クリフを連れて貴族会議の建物を出た。
クリフは、いつものように急いで馬車溜まりへ走り、居眠りをしていた御者を起こし、建物の入り口まで馬車を連れてきた。
ジェレミーは、御者に何ごとかを耳打ちすると、扉を開けて待っていたクリフのところへやって来て、「もう一カ所行くところがある」と言ってから馬車に乗り込んだ。
「良い天気だね。こんな日は、野遊びや川遊びをしたら楽しいだろうね?」
「はあ――、ではお屋敷に戻って、準備を致しましょうか?」
「いや、別にわたしは、野遊びや川遊びをしたいわけではないよ。だいたい、クリフと二人で花摘みや船遊びをしても――ね?」
「はい……」
車内が、何となく気まずい雰囲気になったところで馬車が止まった。
そこは、市場の近くの馬車溜まりだった。
「クリフ、市場の花屋で花束を二つ買ってきておくれ。墓前に供えるから、白い花がいいだろう。あまり立派じゃなくていいよ。古い知り合いが、ふと思いついて墓参りに来た――みたいな感じの花束を頼むよ」
「承知いたしました。すぐに求めて参ります」
クリフは、一刻も早く務めを果たすため、目礼をするとさっさと馬車を降りた。
ジェレミーは、人で混み合う市場の中へ、吸い込まれるように消えていくクリフの後ろ姿を目で追いながら、次にするべきことを頭の中で思い描いていた。
(さて、《《彼》》が、わたしの思った通りの人物だったらいいのだが――。もし違ったら、そのときは、適当なことを言ってさっさと退散すれば怪しまれることもないだろう――)
ジェレミーにしては珍しく、十分な見通しがたたないまま動き出していた。だが、それはそれで何が起こるかわからず、少しだけワクワクしてもいた。
しばらくすると、人混みから押し出されるようにして、花束を抱えたクリフが現れた。
数種類の白い花をまとめた、なかなか上品な花束であることが、遠目にもわかる。
「お待たせしました、ジェレミー様! これでよろしいですか?」
「ああ、十分だよ。ご苦労だったね、クリフ!」
嬉しそうに馬車に乗り込んできたクリフの頭を、ジェレミーは思わず撫でたくなったが、それはさすがに我慢することにした。
*
馬車は、王都の外れにあるヘネイア神殿の墓地までやって来た。
ここには、侯爵家や伯爵家など上級貴族の霊廟がある。
馬車を降りたジェレミーは、花束を持ったクリフを従えて、ダフィールド侯爵家の霊廟へと向かった。ひっそりとした墓地には、周囲の木々で遊ぶ小鳥の声だけが響いていた。
「ええっと、ジェレミー様、今日はどなたのご命日なのですか?」
「さて、誰だったかな?」
「ええっ!?」
驚いた顔で立ち止まったクリフから、花束を一つ取り上げると、ジェレミーは霊廟の献花台に載せ、ひざまずいて頭を垂れた。
その後ろで、クリフも同じように祈りを捧げた。
しばらくすると、ジェレミーは立ち上がって振り返った。
「アレックスは、きちんとご先祖様の命日を覚えていて、その日は夜明けと共にここに花を供えに来ている。まあ、二百年の歴史があるから、けっこう頻繁に誰かの命日が巡ってくるんじゃないかな? いつ墓参りに来ても、誰かしらの魂を慰めることにはなるはずだよ」
「はあ……」
「さて、もう一つの花束は、この先の霊廟に捧げるよ。ついておいで」
「はい」
アレックスは、いくつかの霊廟の前を通り過ぎ、木立に囲まれた古めかしい霊廟の前に立った。そこは、リオーダン侯爵家の霊廟だった。
二人が、花束を供え静かに祈っていると、誰かが近づいてきた。
顔を上げたアレックスに、その人物は穏やかに話しかけた。
「王宮魔道士団のジェレミー・ダフィールド様でございますね。本日は、レイモンドの墓に花を供えてくださり、ありがとうございました。わたくしは、ヘネイア神殿で神官を務めておりますエドマンド・ベルナップと申します」
エドマンドは、礼を言うと、自身も霊廟に向かって祈りを捧げた。
ジェレミーは、御者に命じて、ダフィールド侯爵家とリオーダン侯爵家の霊廟に花を手向けに来たことを神殿へ連絡させておいた。
それを知れば、必ずエドマンドがやって来るだろうと彼は考えていた。
貴族会議の文献室の資料から、エドマンドがレイモンドの幼馴染みであったこと、あの日の船遊びに参加していたことなどを調べた上で、ここへやって来たのだった。
「ちょっと調べ物をしておりまして、偶然、一昨日がレイモンド殿の命日だったと知り、遅ればせながら訪ねて参りました。事故が起きた当時は、わたしも子どもでしたので何もできませんでした。今は、ああした悲劇が二度と起こらないように、日々、自分の務めに励んでおります」
「まことに――。今のジェレミー様のような方が、あのとき駆けつけてくだされば、レイモンドは命を落とさずにすんだかもしれません」
エドマンドは、しみじみ語ると、こらえきれずに手巾を取り出し目元を抑えた。
木立を抜けてきた風が、供えたばかりの白い花束をさわさわと揺らした。
「もしや神官殿は、あの事故がきっかけで神職の道へお進みになったのですか?」
「はい。わたくしは次男ですので、幼い頃より信心深い両親から、いずれは神官にと言われておりました。目の前でレイモンドが事故に巻き込まれるのを見て、人の命の儚さを知り、わたくし自身も心を決めました」
エドマンドは、過ぎし日を振り返るように、澄んだ眼差しで霊廟を見つめた。
「神官殿は、レイモンド殿とは幼馴染みなのですよね? お二人はたいそう親しく、良く一緒に遊んでおられたというのは本当ですか?」
そのとき、悪戯な風が衣の裾を巻き上げたので、エドマンドは少し驚いた顔をした。
その風が彼の心に変化をもたらしたのか、風が止むと、長年胸に溜まっていたものを吐き出すように、彼は話し始めた。
「幼馴染みではありましたが、特別親しかったわけではありません。実は、わたくしは、リオーダン侯爵夫人から彼のなだめ役を頼まれていたのです」
「なだめ役――ですか?」
「はい。レイモンドは、癇癪持ちと言いますか、幼い頃から聞き分けがなく、少し暴力的なところがありました。彼の世話をする者は、みな短い期間で交代していたようです。子どもばかりでいるときに、彼がもめ事を起こしたりほかの子を傷つけたりすることを、夫人はひどく恐れていました」
「それで、あなたになだめ役を――。それは、大変でしたね。あなただって子どもだったのに、レイモンド殿の暴言や暴力を一人で止めなければならなかったわけだ――」
エドマンドは、小さくうなずくと、悲しげな目をして黙り込んでしまった。
(十にもならないうちに、エリアル嬢との婚約を決めたのも、レイモンド殿の気質を考えてのことだったのかもしれないな? そういう気質の者は、年頃になるともっと激しい面を見せるようになることがあるらしい。早めに婚約者を決め、いずれは彼女にエドマンド殿の役割をさせようと思っていたのかもしれない――)
小さな声で祈りの言葉をつぶやいた後、エドマンドは顔を上げて微笑んだ。
「レイモンドは、いつもいつも気むずかしかったわけではありません。機嫌が良いときは、自分の菓子を分けてくれたり、おもちゃを貸してくれたりもしました。でも、仲良く遊んでいたのに、突然怒りだして殴りかかってきたり、物を壊したり、ひどい言葉を投げつけてきたりすることがありました。あのときも――」
先ほどまでの好天が嘘のように、空はいつの間にか雲で覆われていた。
湿り気を帯びた冷ややかな風が吹き寄せ、エドマンドは、おびえるように両腕で自分の体を抱きかかえた――。




