16.ジェレミーの疑問
ジェニーがシャーロットに連れられて、初めてスタインズ侯爵邸を訪ねた日――。
張り切って出かけていく彼女を見送ったあと、ジェレミーは書斎に籠もった。
大きな机の上には、アレックスが書いた日報と自身の日記が載せてある。
どちらも、ちょうどノエル・ハドルストンの事件が起きた頃のものだ。
日報はきちんと棚に収められていたが、少しだけ動かした形跡があった。
ジェニーの仕業だと、ジェレミーにはすぐにわかった。
婚約者だったとはいえ、エリアルがノエル・ハドルストンの事件に関わりがあるとは思えない。その前の二つの事故に関しても、エリアルが何かしたわけではない。
彼女はいつだって、婚約者を失った「悲運の令嬢」でしかなかった。
いや、本当に「悲運」だったのだろうか?
(あのままノエルと結婚していたとして、エリアル嬢は幸せになれただろうか?)
ノエルは、子爵家の養子となっても、モニーク・ロセターとの関係を清算しなかった。
警備騎士団は、事件後モニークの妹からも事情聴取をしていた。
妹によれば、子どもが生まれたあと、モニークは何度かノエルに手紙を出したようだが、彼はわずかな金と共に、「落ち着いたらそのうちに」「いずれ子爵家を継いだなら」といった返事を送り、態度をはっきりさせなかったらしい。
もし、モニークが事件を起こさなかったら、ノエルはエリアルと結婚して子爵家を継いでいたはずだ。地位と財産を手に入れたのち、彼はどうするつもりだったのだろう――。
(そういう男のことだ、モニークには上手いことを言って王都へ来させず、社交場に入り浸り、別の女性に食指を動かしていたかもしれないな? どのみち、エリアル嬢は、妻として苦労の多い人生を送ることになっただろう――)
ノエルのような男と結婚せずにすんで、エリアルは「悲運」どころか「幸運」だったのかもしれない。
そう考えると、ジェレミーは、その前の二人の婚約者のことも気になってきた。
(二人についても、詳しく調べてみたほうが良さそうだな――。二人とも子どもだったから、ノエルのような醜聞とは無縁だっただろうが、何か特別な事情を抱えていた可能性はある。まずは、貴族会議の文献室を訪ねて、セヴァリー伯爵家について情報を集めてみよう)
ジェレミーは、アレックスに命じて、王宮へ出向くに相応しい支度を準備させた。
貴族会議は、王宮内の小宮殿にある貴族たちの問題を解決する機関である。
各貴族の系譜や所領はもちろん、税収、軍備、資産などを把握し、領地の境界や水利権をめぐる領地間の争いが起きたときは、その調停もおこなう。
貴族会議の文献室には、貴族が関わった事件や事故、訴訟に関する記録もある。
(魔道士団所属のわたしに、訪問の理由を尋ねる係官もいないだろうが、念のため何か適当な理由考えておくか――)
アレックスに着替えを手伝ってもらいながら、ジェレミーは、あれこれ思案していたが、そのうちぴったりな訪問理由を考えつき思わず破顔してしまった。
主のひどく嬉しそうな顔を見て、アレックスは襟元を整えていた手を止めた。
「ジェレミー様、何か楽しいご予定が、王宮で待っているのでしょうか?」
「アレックスに隠し事はできないな。ここだけの話だが、そろそろ真剣にジェニーの嫁ぎ先を考えなくてはと思ってね。貴族会議を訪ねて、釣り合いそうな相手を探してみるよ」
「さようですか。それは、当主として大変立派なお務めだと思いますが、先にジェニー様のお気持ちをお聞きになった方がよろしいかと――」
「それはそうだが……、こっちもあっちも、自分の気持ちを自覚していないように見えるのでね。ちょっとだけ、刺激を与えてみようと思うんだ」
アレックスは、ジェレミーの顔をじっと見て、何度かゆっくりうなずいた。
「それは名案でございますね。ことが上手く運ぶよう、わたくしも祈っております」
主と執事は、互いの見解が一致したことに安堵しながら、外出の準備を続けた。
ジェレミーを載せた馬車が屋敷を出発すると、アレックスはしばしの間自室に戻った。
そして、侯爵家の領地屋敷で暮らす前侯爵夫妻に、久しぶりに明るい話題を提供しようと手紙の下書きに取りかかった。
*
ジェレミーは、王宮正門の衛士の挨拶を受け、王宮前広場へと馬車を進めた。
馬車の扉に描かれたダフィールド家の家紋が、日差しを浴びて燦然と輝いていた。
「今日は、魔道士団の御用ではないのですか?」
ジェレミーに同行した近侍のクリフは、馬車がいつもとは違う方向へ進んでいくので、怪訝な顔で尋ねた。
主の職務の機密性を承知しているので、クリフは滅多なことでは質問などしない。
ただ、今日は、馬車に乗り込む前から妙に主の機嫌が良かったので、いつもはしないことをしても許されるような気持ちになっていた。
「ああ、魔道士団へは行かないよ。今日は、貴族会議を訪ねて、ちょっとした調べ物をするつもりだ。それほど時間はかからないが、待っていても退屈だろうから、クリフは王宮庭園を見学してくるといい」
「そうはまいりません! 調べ物が終わるまで、控えの間で待機しております」
主の優しい言葉は嬉しかったが、クリフは偉大なるジェレミー・ダフィールドの近侍として、余計なことを気にせずジェレミーが調べ物に集中できるように、自分の役割を果たさねばと思った。
主に「帰ろう」と言われるまで、じっと静かに待つ――それが、彼の果たすべき役割だった。
貴族会議の建物は、ひっそりと静まりかえっていた。
ほかには訪問者はいないようで、受付の係官は、ジェレミーが用件を伝えるとすぐに鍵束を取り出し、文献室の鍵を開け彼を中へ通した。
「ご存じと思いますが、ここの資料には、固定保存の魔法がかけられておりまして、書きかえたり損壊したりすることはできません。資料の持ち出しも禁じられております。何か御用がございましたら、呼鈴を鳴らしてくださいませ」
「ありがとう。できれば、控えの間で待っているわたしの近侍に、茶でも出してやってくれないか? 眠気覚ましになるように、熱くて濃いのを頼む」
「はい、承知いたしました」
係官は、緊張で強ばっていた表情を崩すと、お辞儀をしてから去って行った。
ジェレミーは、文献室に漂う魔法の気配を感じながら、目的の資料を探しに部屋の奥の棚へ向かった。
セヴァリー伯爵家の系譜や歴代当主の年譜などは、すぐに見つかった。
伯爵家は、二百年ほどの歴史がある家柄だが、戦などで大きな功績を残しているわけではなかった。過去に王女が嫁いできたことがあり、王家の縁戚に加えられている。
現在の領地は、狭いながらも穀物の栽培に適した暖地で、税収も安定していた。
ただ、現在の伯爵家は、少々複雑な構成になっている。
(スティーブは三男だったが、長男は幼くして病で亡くなっているし、次男は現夫人の連れ子で、実質的には前夫人の子である彼が、嫡子の扱いを受けていたわけか――)
系譜に記されたスティーブの名は、もちろん二重線で消されている。
次男は、縁戚の裕福な商家へ養子に出ていて、そこの後継者になっていた。
伯爵家の現在の嫡子は、伯爵と現夫人の間に生まれた四男である。
さらに、その下には五男と長女、次女までいる。
(名門侯爵家の令嬢の嫁ぎ先として、悪くはない家柄だし経済的にも不足はないが、家族関係はなかなか大変だ。現夫人の人柄にもよるだろうが、もしジェニーを嫁にと望まれても、セヴァリー伯爵家はお断りだな!)
スティーブが亡くなり、エリアルはセヴァリー伯爵家に嫁ぐ必要はなくなった。
それは、やはり「悲運」というよりも、「幸運」であったようにジェレミーは感じた。
そして、別のことにも気づいた――。
(現伯爵夫人は、スティーブが亡くなったことで、自分と伯爵の間に生まれた四男を跡継ぎにすることができたのか――。こちらにも、『幸運』が訪れたわけだ――)
考えて見れば、ハドルストン子爵家も、ノエルが亡くなったことで、隠し子までいる彼を当主にせずにすんだのだ。
養子縁組もなかったことにして、系譜からノエルの名前を抹消し墓も別にして、新たな養子を迎えた。彼の死は、子爵家にとっても「幸運」だったのかもしれない――。
(二つの出来事は、どちらも何だか上手くまとまりすぎている。『悲運の令嬢』ばかりが話題になったが、その陰でこっそりほくそ笑んでいる人間がいたということか――)
胸の奥にもやもやとしたものを抱えながら、ジェレミーは、セヴァリー伯爵家の資料を種へ戻しに行った――。




