愛
ヴィティア王国、王都スライ。
ヴィダード誘拐から数日後、シンカは現地の長丈の黒い民族衣装と白の筒履を纏い、街の一角に佇んでいた。
ヴィダードが山渡りの毒矢に倒れた時より約束していた2人きりでの逢引である。
同じ宿ではあるが、四半刻早く宿を出て待ち合わせ場所で待機していた。
待っている間に1度女に声を掛けられた。
遊びの誘いであった。良い身なりをしていたせいだろう。
女との約束があると断ると直ぐに喧騒の中に消えて行った。
時間ぎりぎりにもう1人の女に絡まれた。
中々見目麗しい女だった。
女との約束があると告げても
「私の方が貴方を楽しませることができる」
と言い引こうとしない。
そうこうしているうちに着飾ったヴィダードが歩いて来た。
此方の姿を見つけた瞬間から目が怪しげな光を湛え、周囲の人混みが割れた。
「貴方様ぁ?この女は何処の誰でしょぉか?」
声を掛けられ、振り返った女は固まった。
当然だろう。これ程美しい女は生涯で出会えるかどうか怪しい程である。
何時もは後頭部で丸めている輝く麦穂色の髪が下され、柔らかそうな緩く波打った髪が動きに合わせて揺れていた。
「待ったぞ。ヴィー」
絡んで来た女はヴィダードの狂気の瞳を覗き込んでしまい慌てて退散して行った。
シンカの鼻は僅かな尿の臭いを嗅ぎ取っていた。
「ヴィーがいるのに早速女とは、ヴィーは頭が可笑しくなりそうよぉ」
「もう可笑しいから、そうなると普通の女に戻るということか?……それはいい。早く可笑しくなれ」
「ぐ、ぐ、ぬ、ぬぅ………こうなったら、貴方様が他の女に見向きしないように身体をばらばらに分けて塩漬けに……」
「そんな事をすればもう抱く事も話す事も出来ないな。さよなら、ヴィー」
「あっ、あっ、あっ、しません!ヴィーはもっと貴方様と一緒に!」
「そうか。じゃあ行くか」
ヴィダードの手を取ると歩き出した。
手を取られたヴィダードは不思議そうに繋がれた手を見つめた。
手を繋ぐと言う知識が彼女には無いのかもしれない。確かに今までこうして2人で街を歩いた事は無い。手を握った事は無かったかもしれない。
手を引いているとヴィダードは薄く可憐な口角を引き上げて美しく笑った。
ヴィダードは誘拐された日に買っていた空色の民族衣装に下は白の筒履きを身に付けている。
髪には以前買い与えた稚児車の髪留めを、一房だけ横髪を括るのに使っていた。
瞳と髪留めと長衣の色が合っていて似合っている。
「ヴィー。綺麗だな」
「そお?」
イーヴァルンの民は美しいと言われる事を喜ばしい事と捉えていない。
返事は味気ない。
「ヴィー。可愛いぞ」
面白く無かったシンカはそう付け足した。
効果は覿面でヴィダードの頰に赤みが差した。
「貴方様のヴィーですよ」
「うん。ヴィーは重たい女だからな。生半可な男では相手に出来ないだろう」
「貴方様に相応しい女と言う事ぉ?嬉しい……」
シンカの嗅覚はヴィダードが興奮している事を察知した。
何処にその要素が有ったのかシンカには分からなかったので、何時ものことながら不気味に感じてしまう。
話も微妙に噛み合っていない。
だが既に、シンカにとってその事は考慮に値しない瑣末な事だ。
結局の所、人は自分に好意的な人物を好み、敵対的な人物を嫌う。
シンカとてそれに変わりはない。自身を慕うヴィダードを嫌いになる事は出来なかったというだけの話である。ただの好意はそれほど珍しく無いが、彼女は盲目的だ。
少々変質的部分はあるが、シンカに制御出来るのであれば問題では無い。
2人で街をのんびりと歩き、食事処を目指した。
場所はヴィダードが探し出した野菜料理主体の店だった。
店は木造で、樹皮を削り落としていない木材が多用されており木々の臭いを感じ取ることが出来た。
彼女も故郷が恋しいのかもしれない。
ヴィダードは口数が少ない。
シンカがここ1年で出会った女達は軒並み口数は少ない。
1番多かったのはシャーニ グレンだろうか。彼女は1人で勝手に話し続ける。
ヴィダードに関して言えば、口を開かずにじっとシンカの顔を見つめているか、ただシンカに触れているかが殆どである。
だが話し掛ければ反応はある。
「今日は何かしたかった事はあるか?」
料理を注文した後に口を開く。
「そうねえ。夜に抱いて貰えれば後は一緒に居られればいいわあ」
「人のいる所でそう言う事を臆面もなく言うな」
「貴方様に聞かれたからぁ」
「小声で言うか隠語を使えと言っているんだ」
「まぁ……」
何が楽しいのかヴィダードは微笑を浮かべながらシンカを見つめ続けた。
食事を終えると再び街を歩いた。
そろそろこの街を出てコブシに向かおうか考えていた。人通りが多い区画を抜け、街の南にある大きな湖の畔まで手を繋いで歩いた。
湖には木材で組まれた桟橋が岸を埋め尽くす様に架かり、桟橋に天幕を張った船が所狭しと着けられている。
船には家族が住んでおり、日々湖の魚を捕って糧を得ている。
今も昼の魚を捕る船が何艘も漕ぎ出して網を湖に放っている。
陽射しを反射して輝く湖面をゆっくりと湖畔を辿りながら2人で見つめていた。
「ヴィー」
「なあに?」
今まで何処か聞き辛く感じて有耶無耶にしていた事を尋ねようと口を開いた。
「初めて会った時のことを覚えているか?」
「勿論よぉ。運命の出会いねえ」
「ヴィー。真面目な話しだ。茶化さないでくれ」
「茶化してないわぁ。私、本当にそう思ってるわ」
シンカを見上げる瞳を見つめ返した。
「俺にはどうしても御導きという特性が理解出来ない。触れ合って関係を築きその上で気持ちを通わせ、人間はお互いを愛する。或る日突然気持ちが通う御導きにお前達は最大の信頼を寄せる。だが俺は人間だ。どうしてもついて行けないのだ。特にお前の場合。勿論今でこそ愛おしくは思うが、それでも何故お前が俺を愛するのか俺は知りたい」
「………覚えてるわぁ。貴方と闘った時の事」
「何度もな」
「私は……里にいた時、シャハラの民を強く信奉していたの。無条件に彼等を敬いその森を守る事に意義を見出していたわぁ。今のナウラの歳には里の戦士団に入り魍魎や他民族を排除していた。20年以上そうして来たわ。そんな時にシンカ様がやって来た。為す術なく負けたわぁ」
「俺はお前を殺さなかった。自身がイーヴァルンの民の禁を犯している事は分かっていたからな。彼等との対立を避けるためだった」
「そうよねえ。分かってたわぁ。貴方に害意がないことは里も分かっていた。でも私は分かった。私だけは。闘ったのは私だけだから。貴方が悪意を持ってシャハラを襲えば誰も止めることが出来ないって。だから殺さなきゃならない。それに屈辱だった。今まで口を開く間も無く侵入者を除いてきた私が情けを掛けられた。情けを掛けられた理由は全く私とは関係なかった。凄く憎んだ。だから追い掛けて殺す事にした」
「お前は粘着質だ」
「そうねぇ。初めはシャハラやイーヴァルンを出た以上殺されるかもしれないと思っていたわぁ。だからシンカ様と闘って、敗れた後は恐怖で吐いたものねぇ」
「イーヴァルンやシャハラに危害を加えるつもりは元々無かったがな」
「それは2回目に闘った時に何と無く分かったわよぉ。でもねえ。私は老練な男にも負けない腕を持っているつもりだったの。危機感は消えたけど誇りは穢されたままだった。貴方は強かった。勝つ想像すらできなかった。その内私はシャハラの信仰心を喪っている事に気づいたの。だってそうでしょお?イーヴァルンを守るシャハラ。でも貴方はシャハラの民なんて目じゃないくらいに強い。貴方の戦士としての力は信奉に値したの」
「どれ程続いたのだったか?」
「夏が秋になるくらいねぇ」
「お前には本当に迷惑を掛けられる。昔も今も」
「うふふ」
綺麗な笑い声だった。涼やかで耳に心地よかった。
「それで?」
「どのくらいかしらぁ?半分くらいで私は貴方様と闘う事を楽しみ始めたの。今度はどうやって襲うか考えて楽しんで、実際に退けられてあんまりにも歯が立たないからそれを笑った。1番笑ったのは土行で逆さまに埋められた時かしらぁ?」
「俺は面倒だった。闘えば時には気配に魍魎が引き寄せられるからな」
「それで、最後ねえ。あの時はどうしてたんでしたっけ?」
「うん。確か風行 小々波で俺の脳を揺らして動きを抑えた後に風行 金縛りで耳を潰そうとしていたな」
「そうねえ。そうしたら、小々波は樹を盾に躱されて金縛りは耳を塞いで防いで、私の矢を跳んで躱したんだったわねぇ。どうして矢の軌道がわかったのお?」
「空気の振動だ」
「あぁ……経を薄く出して」
「空気の振動くらい経が無くてもヴィーだって感じ取れるだろう。張りめぐらせる方が精度は高まるがな」
「最近はそれも出来るようになっできたわぁ。私は貴方様のように見えない霧のように噴き出すのは難しいわねえ。蒲公英の綿毛の様に広げるのが向いているかしらぁ」
「お前は3人の中で1番放出に適性があるからな」
「遠くの術を知る事で他の民族には負けたくないわねぇ。特に肉団子には」
「悪口は程々にしろよ」
「いいのよぉ。あの娘、この前私の事、麦の穂って言ったのよ」
「陰口は拗れる。言うなら直接だ」
「そうねぇ。ナウラは言わないの?」
「うん。言わないな。ナウラはお前を家族と思っている。意地悪はお前にしかしない。喧嘩が楽しいのだろうな」
「私だって家族だと思ってるわぁ。姉とは思っていないけれど」
ヴィダードはひくりと口元を痙攣させた。
「よかったじゃないか。若く見えて」
「良く無い」
表情が失われて来たのでこの話題は止めにした。
「ヴィーの腹を殴って意識を奪おうと駆け寄った時に獣脚爪竜に襲われたのだったか?」
「そうねえ。貴方様が首を落として……それからどうなったの?」
「ヴィーは首無しの竜に吹き飛ばされた。勢いが失われなかったからだ」
「貴方様が守ってくれた記憶を私はきっと一生忘れない。あの時私は導かれた」
「確かナウラが導かれたのも助けた時だったな。助ければ導かれるのか?」
「里ではそうでは無かったわぁ。関係があるかは分からないけど、貴方様が放った経の中にいると凄く気分が良くなる」
「経か。何か関係があるのだろうか?」
スライの湖トレッサ湖は湖畔の5分の1が、スライの街に含まれている。
その3分の1程をシンカとヴィダードは歩いていた。
時折湖面に亀や蛙等の穏やかな気性の魍魎が浮かんでいる。
大きく美しい湖だ。
「だから、私が貴方様に伝えたいのは、急ではないという事なの。貴方様にとっては険悪な関係に見えていたかも知れないけれど、私は貴方様との仲を詰められていたの。分かるかしらぁ?」
「うん。よく分かった」
「そこから5年と少し。貴方様には分からないと思うけどぉ、とても辛い日々だったわぁ。黒山脈の北も南も軒並み回ったの」
「大陸東の南部は俺も足を踏み入れたことはないぞ。行く時は案内して欲しい」
言うとヴィダードは頼られたのが嬉しかったのか奇妙に腰をくねらせて踊った。
「貴方様と結ばれた夜も忘れないわぁ。貴方様……もうヴィーを置いて何処にも行かないでください……」
「約束は出来ない。こんな世だ。命を投げ出さねばならん時も来るかも知れない。だが順当に行けば俺が死に、ヴィーが死に、ナウラが死ぬだろう。それは幸福なことだと思う」
「貴方様を探し回る日々はまるで拷問にかけられている様でした。居場所の情報と引き換えに何かを強いられていれば。私は何でもしたでしょう」
暫く2人で何も話すことなく畔りを歩いた。
「ありがとう。漸く腑に落ちた。お前の気持ちが分かった」
「触れていたい。声を聴いていたい。私はシンカ様に全てを捧げることができます」
「俺もお前を愛しく思う。俺の妻になってくれ」
「…………」
ヴィダードは涙を流した。
涙は止まることなく次々に両目から溢れ出す。
シンカはヴィダードを抱き締めてそれを肩で受けた。
2人は湖畔を後にして酒場に向かった。
小洒落た酒場に入るとヴィダードはシンカの正面では無く隣に掛けた。
ヴィダードは酒はあまり飲まない。
代わりにシンカのお酌や摘みを食べさせたりと甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。
傍から見ると反吐がでる程甘ったるい光景だろう。
「ヴィーは何かこれからやりたい事はあるのか?」
「貴方様の子を孕んで産みたいわぁ」
「子供が好きだったか?」
「好きも嫌いも無いわぁ。自信が無いから産まれたらナウラに世話を手伝わせればいいのよぉ」
「おい」
「だって子供に掛り切りになったら貴方様のお世話を出来ないじゃなぁい?」
勾玉木から採れる種実を炒めた物を摘み蒸留米酒を口に含む。
この酒は米酒の元となる酒母に蒸した米を加えて発酵させた後に蒸留したものだが、ヴィティアではそこに果実を漬け込んだ酒がよく出回っている。
「俺は自分の事は自分で出来るぞ。子の世話も当然手伝う」
「後は添い遂げたいわ」
「分かっているのかな?俺は先に死ぬのだぞ?」
「……分かってるわ」
「森渡りは人間の中でも比較的長生きする方だが、それでも後50から精々が70年だ」
「ヴィーは100程です。嫌です」
「それより早くに追い掛けてきたら絶対に許さんぞ」
「…………分かったわぁ。でもナウラは貴方様が100まで生きたとしても60年は残されるのねぇ」
「あいつはお前程弱くは無い。割り切ってくれるだろう」
「……お導きはそんなに甘いものでは無いけどぉ……。時には耐え切れず命を断つ者もいるのよぉ?」
「何なのだ、お導きとは……」
ボソボソと会話を続けながらそこで2刻程を過ごした。
酔いが回り会計を済ませて店を出ると蒸し暑い街を並んで歩いた。
「貴方様は本当に後3人も伴侶を迎えるつもりなのぉ?ヴィーだけじゃ駄目ですか?」
「さりげなくナウラを外すな」
「だって」
「俺の親は俺が幼いうちに森に飲まれた。2人は里に決められた伴侶だった。あまり仲は良くなかった。俺は自分で嫁を選びたいと考えた。その後母の弟に引き取られることとなった。養父は5人の妻を持っていた。5人の養母は平均4人の子供を最終的には産んだ。まだ増えている可能性もある。煩い家だったが、彼らは俺を受け入れてくれた。今更1人増えたって変わらないとな。彼らの在り方は俺の憧れとなった」
「いいお養父さんだったのねぇ」
「養母もな。ナウラとヴィーも連れていかなければ。それに式も挙げなければならない。イーヴァルンの様式はあるのか?」
「いいの……?」
「式は女の為にやるものだ。リュギルの白山脈麓、結晶堂での挙式などは王侯貴族に人気があるが、イーヴァルンはどの様な様式なんだ?」
「シャハラの森に木漏れ日の丘という場所があって、イーヴァルンの民はそこで導かれた事を里の者やシャハラの民に祝われるの。白と緑の婚礼衣装を着て伴侶の儀式を終えると皆に祝われ、後は夜まで踊るの。月の見える丘で夜更けまで歌って、食べて、踊るの」
「おお!人間の儀式とは異なるな!婚礼儀式とは何をするんだ!?」
「伴侶の女が精霊に歌を捧げるのよぉ。シャハラの民がそれに合わせて梢と葉を擦らせて、未婚の女達が歌を歌う女の体を白樺の木の葉で叩いて清めるのぉ。それでねぇ、木漏れ日の丘は藤の枝で被われてるからヴィーは儀式をするなら絶対に春の上月後半がいいわぁ!ヴィーの妹もその季節で、藤の花がすごく綺麗だったの。ヴィーも歌うなら藤の花の下がいいわぁ!」
ヴィダードも少し酔いが回っているのか、夜道での声が大きかった。
「お前妹いたの?というか歌、歌えるの?」
「イーヴァルンの女は儀式のために小さい時から歌の練習をするのよぉ」
「今度聴かせてくれ」
ヴィダードの腰を抱き宿に戻った。
今日は久しぶりにヴィダードを抱く。
深い口付けをして衣類を脱がせる。稚児車の髪留めを外して部屋の机の上に置いた。
ヴィダードの抜ける様な白い肌を撫でる。
細くしなやかな足、腰には脂肪のかけらも付いていない。
肋骨が少し浮き出し、腹は皮下脂肪が少ないため割れている。
乳房は殆ど無くシンカの手で作った椀よりも少ないだろう。
芸術的な美しさだとシンカは思った。無駄を省いた究極の女体。
浮き出る骨格すら美しい。
力を込めれば折れてしまいそうな腰を抱いて寝台に横たえた。
白い。清潔な敷布と遜色のない肌の白さだ。桜色の小さな乳首が控え目に存在を主張している。淡い色のきめ細かい髪が広がっている。
色合いも、存在感も儚いヴィダードの体の中で瞳だけが強烈に自己主張をしていた。
その瞳が真っ直ぐにシンカを覗き込んでいる。
瞳から見受けられるのは肯定だけだ。拒絶の意思など微塵もない。
ヴィダードはシンカに全てを許し、明け渡す。
「愛している」
シンカに必死にしがみ付くヴィダードと何度目かの逢瀬を行った。




