掻き探れども手にも触れねば
「なっ、追って来たのか!?どうやって!?」
男が眼を見開いて口を開いた。
見渡す。足跡から推察した人数に間違いは無い。
中にカリムがいる。
彼は顔に痣を作り、拘束されていた。
「お前がシンカとやらか」
壮年の男が鋭い目つきでシンカを睨め付けた。
人間で50代程の見かけだ。実年齢は100を超えているだろう。
「シンカだ。ヴィダードを取り戻しに来た」
「……世迷いごとを。娘を人間なんぞの側に置けるものか!」
口元がヴィダードと似ている。ヴィダードが娘だという言葉に偽りはないだろう。
「痕跡は残さなかった!何故此処まで追ってこれた?!魍魎の類なのか?!」
「気を付けろ。強力な行兵だ!」
「ダール様とヴィダードを守れ!」
男達が弓を構えて立ちふさがる。
「本人同士が望んでもか?」
シンカは無手で相対した。ヴィダードが去りたいと言うのならいい。そうで無いのなら血を流す事も厭わない。相手がその父であってもだ。
ヴィダードは女に頭部の手当てをされながら力無く横たわっている。
娘を殴らせたのか。それが父親の行う事なのか。
「娘を出血する程殴る者に親の顔をされたくは無い」
意外な事に顔を顰めてちらと憎々しげに木に背を預けて立つ人間の男に視線をやった。
手傷を負った男たちは手当てをされ痛みに呻いていた。
「シンカ殿」
拘束されたカリムが呻きながら口を開いた。
「私の所為だ。ヴィーは幸せにやっているから、そっとしておくべきだと、父に告げたのだが………納得して貰えなかったのだ。すまぬ」
「イーヴァルンの女が人間の男に導かれるなど。作り話も大概にするが良い」
「作り話など。父よ。後悔する事になるぞ」
見るからに頑迷そうな面構えだ。この男は人への憎しみを抱えて百余年も生きて来たのだろう。
何と無く流れが掴めた。
里を出たヴィダードを求めて彼女の父は彼女を追った。
その中には彼女の兄も含まれており、そしてカリムはヴィティアのスライで到頭妹を見つけた。
兄は導かれたヴィダードの幸福を信じ、それを父に告げた。だが父はそれを信じなかった。
「俺とてイーヴァルンの民だ!妹の不幸など望むものか!俺はこの男がヴィダードと触れ合うのを見た!なんなら試せば良い!」
「娘を何処の者とも知れぬ野蛮な男に触れさせるものか!」
そして到頭、騒ぎ過ぎたのかヴィダードが呻き、意識を取り戻した。
「………ぅ、父様………ここは………」
「おお!気付いたか!?大事無いか!?」
「頭が……ここは、森?そんな!私は帰らないとあれ程!」
「落ち着くのだ、ヴィー。人間は狡猾だ。我らの女を求めて奴等は手練手管を使う」
「嫌っ!嫌あああああっ!貴方様ぁ!折角結ばれたのに!そんなっ!嫌あああああああああああ」
ヴィダードの取り乱し様は哀れなほどであった。
両脇でヴィダードの世話をしていた2人の女は宥めようと声を掛けた。
「どうして!?私は幸せだったのに!父様は私の不幸を望むのですか!伴侶を無くした彫像に私になれと!?まだ!生きて!一緒に居られるのに!?」
「人間相手に何を言っている!」
「もうあの苦しみを味わうのは嫌よぉ!連れ去るくらいなら殺してぇ!」
「ヴィー。俺は此処にいるぞ」
泣き喚いていたヴィダードは声が聞こえた瞬間目を見開いて此方を見た。
「あっ」
「お導きもイーヴァルンも人間も、俺には関係無い」
「里の事に部外者が口を挟むな!汝に何が分かる!」
「分からんさ。だからヴィダードに尋ねに来たのだ。俺の元を去るのがヴィダードの意思なら引き下がる」
「そんな訳ないっ!貴方様!ヴィーは!」
「ヴィダードは黙っておれ!人間の口車に乗せられるな!」
ヴィダードの父ダールは顔を赤らめ、唾を吐き散らしながら怒鳴り散らした。
「お前はどうしたい!俺はお前の事を自分の女だと思っているぞ!俺のところに嫁に来い!ヴィダード!」
「っ、う、ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ヴィダードは美しい顔をくしゃくしゃにして張り叫ぶように泣いた。
生まれ出た雛或いは赤児が力の限り声を張り上げ泣くように。
自分の存在を周囲に、世界に刻み込むように。
「シンカ様は、私の、夫です!他の誰でもありません!そう導かれました!」
「な、なんと!」
ダールは目を剥いて驚きを露わにした。
「人間との間に御導き!?」
「あり得ない。勘違いでは無いのか?」
ざわめくイーヴァルンの民の奥で、木にもたれかかって居た長身の男が身体を立てた。
長丈の外套の上からでも分かる。逆三角形に鍛えられて筋肉の発達した男だ。浅黒い肌はドルソ人にしては薄い。髪は焦茶。ドルソ人とシメーリア人の混血。ヴィティア、ラクサス、ベルガナ辺りの出身だろう。
感じる威圧感はかなりのものだ。
「女を攫う仕事だと、金を積まれて同道してみれば。なんだこの三文芝居は」
つかつかと3人の女に近付くと手前に居たイーヴァルンの女を張り倒した。
「用心棒と雇われていたが気が変わったぜ。おい旦那!この女3人、追加の報酬で貰っておくぜ」
「何を馬鹿なことを!報酬は既に支払っているぞ!」
「あ?じゃあ返すから女貰っていくぞ。いいだろ?」
「良いものか!約束を違えると言うのか!?」
「あー?だってよ。いーばるんの民とか言ったか?頗る別嬪じゃねーか。こんな女見てたら犯したくなって辛抱堪らねーよ」
暗い目つきだ。欲望にぎらぎらと光った目は女達を見据えている。
「なんと言うことを!矢張り人間は薄汚く欲望に濁っている!」
「分からねえな。力のある者に従うのが筋だろ?嫌ならお前らも力で歯向かえばいい。そうだろ?」
男が剣の柄に手を添える。
シンカに注意を払っていた男達は一斉に人間の男に武器を向けた。
「ふん。てめーらみてぇな生っ白い豆苗野郎共に舐められたもんだぜ」
男は無造作に座り込んでいるヴィダードの腕を掴んだ。
「触るな薄汚い輩が。私の心も体もシンカ様のものだ」
「は!生きがいいな!いいぜ。いつまで強がれるか楽しみだ。あの薬師の前で擦り切れるまで犯してやるぜ。それが嫌なら這い蹲って俺の逸物を舐めるんだな!」
「愚か者め。その様な未来永劫あり得ないわぁ。何故なら。私は導かれているから。森の精霊様。私をお護り下さい。私はただ1人の殿方に帰属する者。ヴィダード ダール ファルド!」
「いかん!よせヴィダード!」
「あ?」
始め、シンカにはヴィダードが何を行なったか分からなかった。
「そんな!では本当に!?」
「そんな事が!?あり得るのか!?」
男達が慌てふためいた。
そして気付いた。ヴィダードの肌が。男に握られた腕が。白く透き通っていた肌が灰色に変色していた。
いや、変色しただけでは無いだろう。それは硬質化して質感すら変じさせていた。
ヴィダードの体は石に変わりつつあった。
「私はイーヴァルンの民、ヴィダード………導きの君……以外、に……から……だは、ゆる………さ………ぬ………………」
「あ?何だこれは。石に変わっただと?」
男はヴィダードの彫像から後ずさった。
シンカの目の前が真っ赤に染まった。
ヴィダードの呼吸音が、心拍音が消えた。
「許さぬ。許さぬぞ!絶対に許さんぞ糞共め!」
シンカの体から経が迸った。笠が勢いで弾かれ外套が靡く。
背嚢と外套を打ち捨て翅を抜き構えた。
「汝等、生まれ出でた事を後悔させてやる!」
「ま、待て!落ち着け!」
「この人間!?尋常では無いぞ!不味い!説得しろ!」
「まさかヴィダード、本当に人間とお導きが……」
男共が囀るが、シンカはその言葉を認識するのを止めた。
ヴィダードが石に変わった。森渡りの知識ではこれを治す手立てを知らない。
つまり、シンカにはヴィダードを治す事が出来ないのだ。
シンカはヴィダードを失ったのだ。
「おのれ傭兵!娘によくも!」
「許さんぞロクア!導かれた女を拐かすなど!?硬像になる程の苦痛を与えるなど?!呪われたぞ!」
「呪いぃ?てめえ等の信仰なんぞ知ったこっちゃねぇが、こいつが勝手に固まっただけだろうが。呪いだと?馬鹿馬鹿しい」
「か、か、勝手に、だと?娘を汚して、勝手に、だと?」
「この男、我等を愚弄し腐って、許せん!」
シンカが動く前にイーヴァルンの男の1人が短剣を構えてロクアと呼ばれた男に肉薄した。
ロクアは掴んでいた剣を振りかざした。
外套に隠れて見えていなかったがその剣身は5尺もの長さがあり、幅も半尺、厚さも鎬の根元近くに至っては半寸もの厚みがあった。
男は片手でそれを高々と振り上げ、切り下ろした。
イーヴァルンの男は既の所で短剣を掲げ、斜めにして剣を受け流そうとした。
「いっ!?」
男は短剣を押し込まれた挙句それを折られ、更には右腕を断ち割られた。そのまま段平は鎖骨を折って体に深々と食い込んだ。
肺まで食い込んだだろう。
「マリク!」
接近しようとしたもう1人も横薙ぎの一撃を受け、剣で防いだものの吹き飛んで転がった。
シンカはこの隙に残るイーヴァルンの民に斬りかかろうと身体を沈めたが、眼前に手を拘束されたままのカリムが飛び出し立ち塞がった。
「待ってくれシンカ殿!我等の落ち度である事は重々承知している!だが!むざむざ一族を殺されるわけにはいかない!」
残る3人のイーヴァルンの民は遠巻きにロクアを囲んでいる。
「ダール様。信じがたい事ですが、ヴィダードが像に変じた以上、ヴィダードが導かれていた事は疑い様の無い事実。ならば相手はこの男で間違い無いでしょう」
女が口を開いた。
ダールは眉間に皺を寄せ、歯を食いしばった。
「………娘の言う事を信じずむざむざ同胞を失って、この様だ。お前がヴィダードの導かれた相手だと言うなら、あの石化は難なく解ける。案ずるな。いや、お前にしか解けんと言った方が良いだろう」
「……………」
「奴は我々だけで何とかする。汝は娘を連れて此処を立ち去れ。………娘を……頼む……」
「………」
ダールはカリムの拘束を解き武器を構えた。カリムも弓を構える。
「おいおい!お前ら全員束になっても俺には勝てねえよ!馬鹿か!?……まあ止めはしねえ。ちょろちょろされるのも目障りだ。此処で全員殺しておくのも手か」
「退いていろ、イーヴァルンの民ら」
シンカは翅を構えたまま歩を進める。
「おー。臭え奴が来たな。お前は劇でもしてる方が似合うぞ」
「シンカ殿!此処は我等に任せ妹を!」
「いや。……ヴィダードを俺に預けて問題無いと、見て理解してもらう」
「ほお?俺とやる気か?おとなしく逃げておかなかった事を後悔させてやるぜ」
ロクアを囲んでいた3人が斬られた仲間の元に駆けて介抱を始める。他の面々はさらに後退してシンカとロクアを囲んだ。
「千剣仁位、王剣礼位。銀剣のロクア」
「千剣徳位。シンカ」
ロクアはシンカの名乗りを訝しみ目を向けた。
銀剣のロクア。死んだと思っていた。
11年前までラクサスで活動していた有名な傭兵だ。
今ラクサスで名高い黒風ルイヒと白激アクアの師としても名を知られている。
だがとんと噂を聞かなくなった為、死んだものと考えられていた。
ラクサスの将軍位に就いていたこともある男だが、武力を尊び戦争時には必ず略奪を行なったと言う。
ラクサスはクサビナ王国と頻繁に衝突していた軍事大国である。
その国の将軍位にして戦場を駆け抜けた。
銀剣の由来はその大きな鋼の大剣が由来か。
経は多くはないが僅かには扱えるだろう。構えは変わっている。
千剣の亜流か。右手に剣、正眼に右足前。だが空いた左手を緩く前に出している。
先の動きを見る限り型は後の先。仁位を名乗る以上雷光石火を放つ事はできるだろう。
反撃を誘い更に反撃するのが効果的だろう。雷光石火を放たせない為に足運びには注意が必要だ。
月光が幾筋か漏れて幾筋もの銀色の帯を垂らしていた。
風は無い。外套を脱ぎ去った為に外気に二の腕が晒されている。
やや汗ばんだ肌に夜の森の空気が染み込むように触れる。
だが肌寒くはなかった。内から熱が湧き出て蒸散させていた。
同時に纏わり付くように全身の皮膚から経が漏れ出ている。
小さい魍魎はこれだけでシンカを避けていくだろう。
対するロクアは彫像のように動かない。
後の先。シンカの動きを待っている。
どう動くかを思考する。
動いたのは矢張りと言うべきかシンカであった。中腰から予備動作なしで流れる様に動いた。
先のイーヴァルンの男とは比べるべくも無い突進にロクアは反応した。
だが間に合わない。シンカの突進は大剣を合わせられる様な速度では無い。
翅を持つ腕を押し出そうとした。
その時ロクアの左手がひくりと動き、突き出されようとするのをシンカは見た。
迷いはなかった。地に付こうとしていた左足。本来なら体を前に進めるべく蹴り出す足を強引に張り後ろへ跳躍した。跳躍距離を稼ぐ為に身体も前後に回転させた。
シンカの頭下を風が駆け抜けた。元々伸びた右手と突き出した左手が揃っている。行法の名は杭打ち。
成る程。初見殺しである。
間に合う速度ならば大剣で力任せに叩き斬り、大剣の間に合わぬ速度で迫るなら風行法で仕留める。
杭打ちは発生が早い替わりに範囲は狭く、飛距離も短い。
だが起点となる手元付近での貫通力は群を抜いている。
宙に浮いたシンカに向けてロクアは大きく踏み込んだ。
横薙ぎに振るわれた大剣がシンカを上下に断つべく唸りを上げた。
避ける手立てはない。
「っらあっ!」
見物していたイーヴァルンの民達はシンカが2つに分かたれて腸を撒き散らしながら吹き飛ぶ様を疑わなかったろう。
だが。ロクアの一振りはシンカが打ち出した右の掌底により大きく軌道が逸らされ、シンカを傷つける事なく大地に突き刺さる事になった。
「は?」
そしてそのまま両手を握り合わせた。
「っ!」
危険を感じたロクアは身体を投げ出し九死に一生を得た。
直前までロクアの顔があった位置が月光に煌めいた。
空気が凍り、僅かに氷の結晶が散ったのだ。
シンカが地に足を付くのとロクアが立ち上がるのは同時だった。
だがその内心は天と地との差があった。
シンカは怜悧な表情で凍てつく視線をロクアに投げかけていた。
身体は万全で反応も優れている。経の巡りも速やかであった。
そしてロクアに対する強い怒りのもと迅速に殺すべく思考を巡らせていた。
一方のロクアは心臓の動悸と滲み出る脂汗を抑え、認めがたい事に足の震えまで隠さなければならない事に屈辱を感じていた。
何故気付かなかったのか、自身を責めていた。
今なら分かる。目の前で奇妙な剣を構え、浅い中腰で千剣流正眼の構えを取る男の異質さが。
戦場から去って12年。感覚が鈍っていたのか。
強い戦士と何人も闘った。そして殺してきた。闘う前から相手の実力を推し量り勝てるなら勝つ。危うければ状況を引き寄せてきた。
弱者を貪り糧として、強者を打ち倒して鍛え高みに立っていた。
自身の腕と軍。2つがあれば何にも負けないと考えていた。
大国クサビナに戦を仕掛け数年。
今も思い出せる。
其れまで順調であった大国との戦。ロクアは銀剣の2つ名とともに彼の赤鋼軍すらも押す闘いを繰り広げていた。
思い出す。
戦場に青い旗が翻った時の事を。
そしてロクアは知ったのだ。
世の中には決して剣先を向けてはならない相手がいる事を。
今でも幻では無いかと考えすらする。
炎の中に立つ10をいくらか超えた程度の幼女の剣にロクアは敗れた。
其れは才能だった。あり得ない事だ。幼子に大の大人が負けるなど。力では優っていたのだ。当たり前だ。
当時ロクアは既に仁位を得ていた。だが、技術に敗れた。
その後どうなったのか記憶は曖昧だが、白い光に包まれロクアは意識を失った。
ラクサスは敗れ、ロクアは生死不明のまま国を出奔した。
以来ぬるま湯に浸かってきた。その結果が今だった。
亜人程度と舐めてかかっていた。何故気付かなかったのか悔やんでも悔やみきれない。
逃れられるか考える。
無理だろう。自身の手癖の悪さで奴の女を奪うと告げ、知らぬとは言えその女を石へと変えた。
闘うしか無い。あの時は成す術なく逃げた。今度はあの時に捨てた誇りを拾う。
だが現実上手くいくのだろうか。
奴は初見でロクアの必殺の行法を躱した。
並々ならぬ勘だ。警戒心も兎並みだが熊の様に獰猛で蜻蛉の如く速く、燕同様に身軽だ。
今も瞬き1つせず此方を窺がっている。
まずロクアの必殺の横薙ぎを空中で往なして見せたあの術技が分からない。
巨岩を打ち付けられた様な痺れが今も手に残っている。
身のこなしも千剣流のものでは無い。
今の構えから高位の千剣使いである事は窺えるがロクアの杭打ちを即の所で躱した動きは鈴剣使いの物だ。
行兵としても一流。
足が震える。だが恐れていても先に動くわけにはいかない。其れがロクアの長年培ってきた戦い方だからだ。
其れ以外の方法は付け焼き刃だ。
シンカは再度動いた。左手の杭打ちに気を割き正面から突撃した。
ロクアが取った手は大剣による反撃だった。
左手を剣に添えシンカの速さに合わせたのだ。
其れはシンカの意表を突く結果となった。空気を割く音と共に逆袈裟に切り上げられる大剣はそのまま進めばシンカの腰骨を砕き、反対の肋骨を叩き割って抜けていくだろう。
シンカは低く身体を屈め、蛙の様に地に這いつくばって豪剣を躱した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ロクアが吼えた。
左脚を進め剣を振り下ろす。速い。
千剣流奥義怒濤の剣だ。
剣を無理矢理制して四方八方より斬り払う。
怒濤の剣は一息のうちに三度合計20以上剣を振る事で奥義としての体裁を成す。
縦横無尽に迸る大剣。シンカを竹割にしようとする豪剣を身体を開いて躱す。すぐさま振られる横薙ぎは身体を低くして頭上を通過させる。返して袈裟斬りを身体をずらして、すれすれで躱した。
シンカは確実に見切って躱していった。
ロクアの怒濤の剣は一息に4度、合計36回の攻撃であった。
しかし其れはシンカを近寄らせない為の牽制にはなれど当たる事はない。
其れはロクアにも分かっていた事だろう。
千剣流奥義怒濤の剣の最後の一太刀は横薙ぎであった。
シンカは其れを潜って躱す。
技が終わった。
無理に振り続けた腕には疲労が溜まる。
腕だけでは無い。息も当然切れる。怒濤の剣は強力な奥義ではあるが、その間に仕留められなければ大きな隙を生む諸刃の剣だ。
すかさず攻めるべく這いつくばっていた状態から身体を起こし、翅を持つ腕を伸ばした。
だが其れはロクアの欺瞞であった。もう一振り。シンカへ向けて大剣が振られていた。
シンカは剣が近付くのを左目で見ていた。
刻一刻と刃が迫る。シンカは前傾になっていた。下がる事は出来なかった。
刃が顔先三寸まで近づいた時。大剣は跳ね上げられた。
拳が剣の平を突き上げたのだ。
ロクアはそのまま後方に跳躍した。
追おうとしたシンカへの牽制に剣が袈裟に振られた。
追わなければ当たる事はない。
だがシンカは横に跳ねて剣線の延長線上から逃れた。
直後シンカが立っていた位置を鋭い風の刃が走り抜けた。
風剣だ。
「逃げてばかりじゃねーか。玉ついてんのか?あ?」
「無為に打ち合い刃を潰すなど愚か。玉も付いている。嘘だと思うなら俺を殺して確認してみるがいい。汝よりも大きい陰囊が付いているはずだ。うん。無理だとは思うが」
「…………」
ロクアは青筋を立てた。
彼は優れた戦士だ。今まで挑発をされた事が無いのかもしれない。
カヤテ グレンデル程の腕では無いが、以前闘った中では鉄鬼の団ルシンドラやアゾクで倒したロボクの将校よりも間違いなく腕が立つ。
だからこそ煽られた事がなかったのかもしれない。
だが、それでもロクアは剣を構えて動かなかった。
彼の戦法は後の先を取る事。
挑発にも乗らない。2つ名が付くだけのことはある。
ロクアは内心で歯噛みしていた。
ロクアは剣士として戦場に出た14の時から一度しか剣で敗れた事がなかった。
戦場で名付きと合間見えたのは都合5人。1人目は勝ったが逃し、4人目までは斬り殺した。そして5人目に敗れ軍を去った。
その5人目、当時10歳前後のグレンデル一族の幼女より確実にこの男は優っている。
シンカという薬師との接戦の際、1度目に出した杭打ちと2度目に出した風剣による風刃。この2つを出して血を流さなかった者は過去に1人しか存在しなかったのだ。
ロクアは荒々しい性格をしているが戦闘方法は極めて忍耐強く、奥の手はぎりぎりまで隠す用心深い者である。
其れを絶対の場面で繰り出し、悠々と擦り傷無く捌かれていた。
シンカは再び正眼に浅く構える。
足の間隔は前後に肩よりやや広く。
遠くで梟が鳴いた。柔らかく、だが物悲しい声は森の闇に染み込んで消えていった。風も無いのにシンカの跳ね放題の癖毛が緩くそよいだ。
その動きは2度の突進と比較し倍の速さがあった。
今までシンカの動きに合わせられていたロクアであったが今度は間に合わなかった。辛うじて柄を剣筋に合わせた。
そのままシンカの素っ首を叩き落とそうと剣を振るい違和感を覚えた。
柄が2つに割れていた。
「はあ?」
シンカはロクアが混乱した瞬間を見逃さなかった。
翅を左脇まで引き、素早く振った。
ロクアは防ぐべく剣を挟む。
「岩断ち……かよ」
千剣流奥義の1つ、岩断ち。
予備動作が大きい代わりに硬い物体を切断する事ができる。
今回はロクアの段平が断たれることになった。
ロクアは剣を捨てて両手を突き出した。
杭打ちでシンカに風穴をあける狙いだがやはり狙いは外れた。
宙へ跳んだシンカは厳しい表情のロクアの頭部を刈り取った。着地し、少し立つと鈍い音と共にロクアの頭部が地に落ち、其れからもう少しして体がどうと下草の上に倒れた。
僅かな土埃が立ち月光に照らされながら消えていった。
「………強い」
取り囲んでいたイーヴァルンの民が呟く。
「本当にヴィダードは元に戻るのか?」
「ああ。……すまないシンカ。父には説明したのだが人間と導かれる事などあり得ないと。硬像は導かれた者が別の異性に触れられた際に起こる現象だ。導かれていない者には起こらない」
「奇特な」
「人間にお導きは無いのであったな」
カリムが縛られていた腕も揉みさすって溜息をついた。
「父も理解したはずだ。像になるのであれば、導かれている証でもある。そのヴィーが好意を示し続ける相手が御導きの相手だ。もはや人間かどうかなど関係が無い」
「あれはどうすれば治る」
「抱いて撫でてやれ。他の人間では駄目だがお前なら問題無い」
シンカは石になったヴィダードの元まで歩いた。
ヴィダードがそのまま固まった美しい石像だ。
毛髪の一本一本、衣類の皺までが表現された像として、売られればさぞや高い値で取引されるだろう。
壊して仕舞えば元に戻らないかもしれない。
冷たく硬い頬に手を当てた。
ヴィダードを抱きしめた事はあっただろうか。
ヴィダードは決して背は低く無いが、皮下脂肪が全く無く、贅肉も無い。
だからこそ夜抱く時は強く抱いて壊してしまわないか不安になる。
固まったヴィダードを抱き締めていると徐々に温かみが生まれ、柔らかくなり始めた。
「ヴィー」
石、それも結晶石灰と思われる石像がすうっと滑らかできめの細かい肌に戻った。
ヴィダードは潤んだ目でじっとシンカを見上げた。
美しい顔立ちだ。瞬きがなくて恐ろしいが。
「………やっぱり来てくれたのねえ」
「お前には迷惑を掛けられてばかりだ。血の繋がりを甘く見るな。お前はどうでも良くてもお前の家族はお前を心配している。ナウラやユタですらお前を心配するのだぞ」
「……………口付けを」
「……………」
鼻をつまんだ。だがしっかりとヴィダードの唇に自分の唇を付けた。
これで彼女の一族も信じるだろう。
シンカは立ち上がると打ち捨てた背嚢を拾い、ヴィダードの頭を治療した。
続いてロクアに斬られた2人に薬を処方する。
2人目は骨折だったが腕と肋骨数本を折っていた。
骨の接着を早める薬効の湿布を貼った。
1人目は腕が切断され肺が破られている。破れた肺から血を抜き傷口から臓器の破れを接着するべく薬を塗り、また口腔から粉薬を吸引させた。
臓器の再生は小型の蟲、青桐渦虫を磨り潰した軟膏と、その乾燥粉末を使う。
腕の再生は更に複数の薬を使う。ただ今回は欠損部位が残っている為、再生では無く接着が治療の手段となる。薬剤は同じでも治療にかかる時間は段違いだ。
血管等の再生は先と同じ青桐渦虫の軟膏を。神経の再生は爬の瀬赤山椒魚の皮膚を乾燥粉末にした物。残る骨や筋肉は川鞘の内皮をすり潰した軟膏を使い再生させる。緊急を要する場合はそこに赤渡鹿の雄の幼角を合わせる。
ヴィダードが抵抗した際に傷付けた5名の切り傷もそのまま治療した。
「流石だ。その薬は一体何で出来ているのだ?」
「門外不出だ」
治療を終えナウラとユタが追い付くまでの間休むことに決めて木の根元に腰掛けるとカリムに声を掛けられた。
「その薬が有れば里の者の死亡率を下げられる。何とかならないか?」
「お前達は俺にとって誘拐犯だ。怪我をしたところで自業自得である。だがヴィダードの同郷の者でもある。好意で治療したが、この術を見せぬ方が良かったか?」
「………いや、お前の怒りは分かる。懸念も分かる。欲をかいた」
「………森渡りを里に受け入れるのだ。さすれば請えば現物が手に入る可能性は高い。我らにも汝ら同様掟がある。知識は拷問されようとも吐かぬだろうし、襲われても1人で10人は道連れにするだろう」
「我らはそのような事はせぬ。人間と同列には扱わないで欲しいな。里の者の多くも人間から知識を得るなど屈辱と考える者が多い筈だ」
「………まあそんな事はいい。1つ森渡りからイーヴァルンの民に正式に忠告する。三度笠を被った者達、山渡りに不穏な動きがある。出会っても適当にあしらった方が良い。騙されるな」
「忠告痛み入る。気を付けよう」
新たな人の気配が近付いてくる。気配は消しているが微細な地面の振動で感知する。
歩法でナウラとユタであると分かる。
「ダール」
シンカはヴィダードの父親の元に歩み寄った。
「………人間風情が」
ダールは額に手を当てて木に凭れた。
「貴方が人間をどう思っているかは分からない。だが俺は女を粗末に扱う様な育て方を親から施されていない。それは貴方にも分かった筈だ」
「………」
「人一倍の守る力も持っている。貴方の娘を貰いたい」
「拒否しても強引に攫っていくのであろうが」
「ヴィダードが嫌がるのなら置いていくしかない」
「ヴィーは嫌ではありませんっ!」
話しを聞いていたヴィダードが余計な口を挟む。
「………無口で陰気で攻撃的だった娘が、明るくなったものだ」
ヴィダードの現在の言動が一般的な意味で明るいかは甚だ疑問だが、昔の様に問答無用で襲いかかる事は無くなった。
言葉数も増えたのかもしれない。
「ヴィダード。………本当にいいのだな、この人間で……」
「だから良いって言ってるでしょお!?無理やりこんな所まで殴って連れ去るなんて!もう里には2度と戻らないわぁ!」
ヴィダードはダールの胸板を拳で3度ほど殴った。
「お、おい……それは言い過ぎだろう……?」
娘に弱い父親の姿がそこにはあった。
「それにお前を殴ったのはあの汚らわしい人間が突然!私達はお前を」
「煩いわぁ。こんな所まで連れて来てよく言うわぁ」
親子の口喧嘩を見ながらシンカは溜息をついた。
最近は騒動ばかりだ。これが女難の相と言うものなのだろうか。
荷を纏めているとナウラとユタが戦闘のあった森の空き地に駆け込んできた。
「ヴィー!」
相変わらずの無表情でナウラが声をあげた。
「無事ですか!?血は止まりましたか!?」
「と、止まったわよぉ。シンカ様のお顔が見えないから退いてくれる?」
「…………」
「冗談よお。来てくれたのねぇ」
「当たり前です。ヴィーは私の妹です。姉が妹を心配するのは当たり前でしょう」
「…………妹ぉ?私が?………言いたくはないけど歳は私の方が」
「無駄に歳だけ食っている貴女の様な世間知らずの我儘がよく言います。言っておきます。歳だけ取っていても何の意味もありません。もうじき43でしょう?人間で言うと閉経がそろそろ始まる歳です。年増と言われる年代です。ヴィーは年増の割に心も身体も少女にすらなりきれていません」
「…………」
ヴィダードは不気味な微笑みを浮かべると奇声をあげてナウラに突進した。
「……ヴィーが無事で良かったよ。……ナウラも嬉しそう」
「もっと別の表現方法をして欲しいがな」
「……ナウラとヴィーは仲良いよ?」
「それは理解している」
「良かったね。美人な娘を捕まえられて」
「まて。どう考えても捕まえられたのは俺だ」
「そうかもしれないけど……端から見ればそうは見えないよ……」
シンカはナウラとヴィダードを見遣る。
2人とも初めて会った時よりも内面的に随分と成長した。
かけがえのない女達。
1人でふらふらと旅歩いていた時には予想だにしていなかった事だが、シンカは今の生活を楽しんでいた。
1年と数ヶ月前、シンカはアガスタの王都アガスで1人酒を飲みながら自身の今後について考えた。
カヤテと出会った直後で、自分のやりたい事を見出した時分だったか。
あの頃は特定の恋人もおらず、漠然と使命について考えていた。
結婚し、子供を弟子として術技知識を伝える。結婚相手は義理の姉妹で妥協する。
今は自分を慕う女に囲まれ望みを果たしている。
金もない。権力もない。必要ない。
言う事を聞かない女達と過ごし、触れ合う。
体を駆使して森へと潜り危険と引き換えに金を得て、不自由の無い生活を送る。
栄光も無い。名誉も無い。
貴族や豪商から見ればシンカの生き方は価値の無い物だろう。
彼らは金や権力で人を傅かせ、自らの手を汚さずに更に上昇しようと蠢く。
民を搾取の対象と考えていかに搾り取り自身の益にするかを考える。
豪勢な食事を食べ切れぬほど作らせ、豪奢な装飾品で身を飾り美しい女を侍らす。
その生活を幸せと考える者は多いだろう。
だがシンカはそうは考えていなかった。
強い雨が朝から降り続く中、宿から出るのを嫌い、寝台にかけて取り留めのない話をナウラとヴィダードとするだけの1日。
騒がしい酒場で飲み食いしながら旅の感想を言い合う時間。
不満を抱いた事は無い。
だがヴィダードを失おうとして、そして取り戻した今、初めてこれが幸せであったことにはっきりと気付いた。
暴れ回っている2人を見ていて漸く気付けた。
早く宿に帰り、抱き締めて口付けしたい。
何に代えても守りたい。
この女の為なら死ぬ事も厭わない。
これが愛か。
長い事忘れていた。
胸の内に暖かい感情が沸き起こる。穏やかな感情をこうして抱くことができる。そして自分を慕ってくれる人間がいる。
自分は間違っていないのだとはっきりと自覚できた。
それはシンカにとって何にも勝る承認であった。
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