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細雪



薄青い街に綿の様な雪が降る。

水分を含まぬ軽い雪は踝まで降り積もり、踏みしめるたびに心地の良い音を立てる。

夜にも関わらず、雪の夜は空がほの明るい。

厚手の外套を着込んだシンカとナウラはグレンデル一族の宴会に呼ばれて居た。


とは言っても参加者は行軍中親しくなったシャーニ、ウルク、サルバの3人だけであるが。


ダフネはあれで身分も高く、生死を共にして其れなりの親近感は抱いて居たものの気は使いたくないというのが心情であった。


「お前の里も今頃は雪が降っているのか?」


シンカの袖を掴み、顔を無表情で見上げてくるナウラに向けて尋ねた。


「………」


返事は無い。

最近、ナウラの様子がおかしい。

表情はいつも通りであるが、シンカの顔をじっと見る機会が多くなった。

(ふくろう)のようで少し恐ろしい。

そして端々に垣間見える感情に怒り、苛立ち、悲しみが多分に含まれる様になった。

原因を考える。

ナウラの身体に意識を向けると、体温が高く脈が早いことがわかる。

悪いものでは無い。病では無い。


興奮と緊張。それが共にいる多くの時分に見て取れる。


原因は何か。

シンカとナウラは四六時中共にいる。

風呂さえも一緒だ。

そういえば、もう今更なのか風呂で乳を手拭いで隠さなくなった。

見はしないが。

たまに視界に入る其れは兎に角存在感がある。


彼女と常時共にいて、その様な状態になる出来事は起こっていない。

脅されているだとか、嫌がらせを受けているだとか、そう言った事象は確実にありえない。


ではなんだろうかと考える。

シンカに対する感情の変化でもあったのだろうか?


偶に意地悪をする事もあるが、其れもお互い冗談であると理解している認識だ。

嫌われたと言うことはないだろう。


いかんせん不動の鉄面皮の為把握し難いが、其れはない……筈である。


では好意かと考えるが其れも腑に落ちない。

元々彼女とは良好な関係を築いていた筈である。

取り分けて好感度が上がる出来事があった記憶もないし、況してやナウラはエンディラの民。

精霊がお導きを下し、エンディラの民同士を結びつけるのだと言う。


本当かどうか知らないが、たいそうな自信のもと発言されていたし、発汗の傾向から嘘は付いていない事も分かっていた。


其れに一度唐突に名を呼ばれた以外特に何か特別な事を言われた記憶も好意を示された記憶もない。


怒りや悲しみを抱かれる覚えも無い。

八方塞がりとはこの事か。


薄青い傘を差したナウラは傘に積もる雪を見詰めていた。

シンカも黒い傘を少し掲げ雪空を見上げた。

今夜は冷える。


初めは旺んに遊んでいた白い息も、今や身体が冷えて薄くなっている。


グレンデーラの北町の一角、高級店と中級店の合間。

質は良いが気安い食事店での待ち合わせだった。

店へ入ると既に3人は既に席に着いていた。


「おーっ!遅いぞ!」


サルバが陽気に手を振った。


「すまん。雪が降っていたので傘を求めていた」


「はあ。あんなに森の中を縦横無尽にかけるのに傘がいるのかい?」


「街では文化的に過ごしたい。森に長く踏み込む分」


ウルクに答えて同じ卓に着いた。

ナウラが隣に座る。


「ではまずは祝杯だな!本当はダフネ様も来たがったんだが、あの人はあんなだが、知らない店に行くのが怖いってんで、今日は来てない!酒も飲めないしな」


あの脳まで筋肉で出来ている様な女傑がそんなに繊細なものを持ち合わせているとは思い難い。


「シャーニとは何度か潰れるまで飲んだが、ウルクとサルバは飲めるのか?」


「馬鹿にするなよ?何なら飲み比べるか?」


「ああ。あたしはサルバより飲めるよ!」


「私が一番ですけどね」


シャーニがしれっと言うと、2人は苦虫を噛み潰したかの様な顔をした。

シャーニとは先行した十数日で大分仲が良くなった。

途中の村に泊まった時もナウラと3人で飲み明かしたりもしている。

特にナウラは年の近い同性という事もあってか、かなり親しく付き合っている。

麦芽酒を全員分頼み、手元に杯が揃うと祝杯を上げた。


「いや、でもあんたの腕には驚かされたよ。ダフネ様も手合わせしたいと騒いでいたよ」


「魍魎を相手取るにはあの位使えなければ」


「其れだが、薬師ってのは魍魎の目を盗んで薬材を揃えてるもんだとばかり思ってたが、魍魎とも戦うもんなのか?」


「力も知識も無い薬師はそうかもしれんが……」


「そうでなければ困りますよ。薬師組合の方が下手な軍隊より力があるなんて話しになればどうなる事やら」


「今回の戦で我等は力を誇示した。王子様からの覚えもいいはずさ」


「まあその辺は当主様やミト様がなんとかすんだろ」


戦の話を肴に酒をどんどん頼んで行く。


「しかし、まだきちんと聞いてないが、潜入はどうだったんだ?厳しい戦いだったのか?」


「厳しいも何も、私はやられましたからね。傷は綺麗に直してもらいましたけど!」


「そうだったな。誰にやられた?」


「カルカンダ。鉄鬼の団団長です」


「あー、こっちでもルシンドラって奴をカヤテ様が斬ってたぞ」


「そいつの右手を落としたのは俺だ」


あれからもう直ぐ一年となる。懐かしい。


「情けないです。負けたの、私だけですよ!?」


「精進しろ」


言うとシャーニは怒って不貞腐れた。


「カルカンダの奥義を貰って白目剥いて涎垂らしていただろ。薬師風情に助けられるなんて軍閥貴族の名が泣くな」


「し、白目は剥いてません」


にやにやと笑いながら揶揄うと大人しくなった。


「そうそう、ダフネ様が槍の稽古を付けてくれと言ってたが」


「断る。寒いから南へ行こうと思っていてな」


「何処まで行くんだい?」


「砂漠を超えてグリューネに」


「王侯貴族でも寒いから南、暑いから北なんて生活は出来ないよ」


「ナウラは半年前に避暑で訪れたランジューで拾った」


「拾ったとは人聞きの悪い言いですね」


「浜辺で全裸で倒れていたでは無いか」


「服は着ていましたが。誇張するのをやめてください」


「狩幡で体を」


「いい加減にしてください。其れは言ってはいけない類の事です」


肘で肋骨を抉られた。


「でも、ナウラはいいですね。色々なところに連れて行ってもらえて。代わってもらえませんか?」


「無論、お断りいたします」


「こいつには世間というものを見せねばならん。まだまだ教える事も山程あるからな。解放は出来ない」


「あーあ。あいされてますよねー」


「まあな」


「………」


ナウラが杯を呷った。

彼女は既に5杯は酒を飲んでいる。

其れに配分も早い。そろそろ酔っている筈だ。


「シャーニ。話があります」


「はい?いいですけど」


「ここでは話せないので、少し外までいいでしょうか?」


「いいですよ」


2人が席を立ち、店の外に出て行く。


「変な男に引っかかるなよ!」


酔い始めたサルバが大きな声を送った。

卓には3人だけとなる。

周囲の程々の喧騒もあり、居心地の良い店だ。


「2人は何時もここに来るのか?」


「まあね。でも2人っきりでは……あったっけ?」


「いや……無いな」


「サルバは結婚はしてるのか?」


「おま、繊細な事を」


「いや、俺もそろそろ所帯を持たなければならない。結婚とはどんなものなのか知りたかった。沢山の子供に囲まれて平穏な余生を送りたい。だから妻は5人は欲しい」


「こいつ、馬鹿か?」


「そう思うのも分かる。理解してくれる女も少ないだろう。だが、決して抱きたいからという性欲や多くの女を自分の物にしたいという所有欲では無い。俺の育ての親は5人の妻を持っていた。皆仲が良くて、犬の子のようにちっこいのがわらわら走り回っていて、喧しくて………。1人で森を渡ると、どうしようもなく自分が1人である事を感じて、懐かしく思うのだ。俺もあんな賑やかな家族を持ちたい」


「いい話なんだけどね。難しい気がするよ。そんな事よりナウラとはどうなんだい?」


そんな事と切り捨てられてしまった。

シンカはもう一杯酒を飲み干した。

今日の酒はうまい。やはり賑やかだからだろうか。


「ナウラは大切な弟子だ。そして俺の家族だ。妹であり、娘でもある」


「へえ。向こうはそうは思ってないんじゃないのかい?」


ウルクに根掘り葉掘り訊かれる。

普段なら答えないだろうが、酒が進み答えてしまう。


「あいつは人間とは番にならない。種族の特性らしい」


「種族?よくわからないよ。情愛なんて種族だなんだでどうにかできるもんとも思えないけどね」


「うん。まあ可愛いとも思うし、弟子として家族として愛してもいる。きちんと大切にしているさ」


更に一杯酒を煽る。


「時に、あー、ウルクとサルバは何故相思相愛なのに一緒にならない?」


「っ?!は、な……え?」


「おい、またお前……ん?」


2人とも露骨に狼狽え、最後に疑問を顔に浮かべる。

反応がそっくりで笑ってしまった。


「ああ、お互いに気付いていなかったのか。それは済まない事を」


「ちょ、ちょっと待ちなよ!なんで、あたしが……」

「うん。今日ウルクが俺たちの顔を見る回数は俺を27回、ナウラを21回、シャーニを31回、サルバを6回。意図的にサルバをみないようにしていた。だが、盗み見た回数は42回だ。今も脈拍が上がっている。顔も酒とは異なる赤面だ。間違いないだろう」


「………」


「サルバも言うか?」


「………いや」


2人とも真剣な顔で手元の料理を眺めている。

いや、実際は料理など眺めていない。感情の整理をしているのだろう。

余計な事を言ってしまっただろうか?


「2人で歩いてきたらどうだ?」


「あ、ああ」


「会計は俺がしておく。餞別だ」


にやりと笑うと複雑そうな顔をした。

禿頭の大男が恥らう姿は目に悪い。


一方のウルクは、顔を赤らめて無言で俯いていた。

化粧っ気は無いし、着飾ってもいない。目が細く鋭い顔つきではあるが見目が悪い訳では無い女性だ。

普段は蓮っ葉な態度であるが、今は可愛らしく目に映る。


その姿を見た禿頭の大男もうっと声を詰まらせる。

しっしと追い払うと更に酒を呷った。


「俺も嫁を見つけねばなぁ」



繁華街の片隅で2人の女が向かい合っていた。

被り布を纏った艶のある褐色肌の女と、黒髪短髪の気の強そうな釣り目の女だ。


「シンカに訊かせられない話なんて珍しいですね」


「………」


「まさか、何かされたんですか?……いや、あれだけナウラを大切にしているシンカに限ってそれは無いですね。………わかりません」


短髪の女が頭を抱えた。


「私は、人では有りません。遥か東方に里を持つエンディラという民族です。貴方方が言うところの亜人という者です」


「まあ、何と無くそうなんじゃないかとは思ってましたけど」


「エンディラの民には人の持たない風習が幾つもあります」


「同じ人でも東西南北風習の違いはありますからね」


「その一つに精霊の御導きと言うものがあります。これは、ある日ある時、同じ精霊の民同士が互いに強烈な結び付きを覚えるもので、その2人は婚姻し、番いとなって将来を送るのです」


褐色肌の女は表情一つ変えず話す。


「それは、なんと言いますか。好きでも無い相手と結婚しなければならないという事ですか?」


「いえ。元々好意はあります。好意が無い相手との御導きは下されません」


「わかりませんね。必ず互いに好きになるとは思えないですけど」


「元々決められているのでは無いかと私は考えていました。結びつくべくして出会い、好意を持ち、導かれる。理解は難しいと思うのでそういうものだと思ってください」


「わかりました」


「お互いは同じ時にお導きが下り、互いを特別な終の伴侶として認識し、生涯を送ります」


「何と無く分かりました。それでそれがどうしたのですか」


「これから話すので落ち着いて聞いてください」


「私はこの上なく落ち着いてますが……」


褐色肌の女は少し俯き、口を閉ざした。

黒髪の女は辛抱強く待っている。

少しして漸く口を開く。


「私にお導きが下りました」


「………・」


「何かないのですか」


「え、今私が何か話すところだったんですか……」


「まあいいでしょう。兎に角、私にお導きが下ったのです」


「では故郷に帰るのですね……寂しくなります」


「違います。お導きは面と向かっていなければ下されません」


「うーん、一体何が言いたいのか分かりませんね。私は貴女以外にエンディラの民と見受けられる人物に出会った事は有りません。恐らくグレンデーラには貴女以外に存在しないでしょう」


「シャーニ。人は伴侶を選ぶ時どうしているのですか?」


「家どうしで決められた相手と政略結婚をするか、自由恋愛をするかですね」


「政略結婚をすれば、情が無い相手でも情は芽生えるのですか?」


「人それぞれですね。日々を共にするうちに愛情を持つ場合もあれば、死ぬまで互いを認められず、互いに別々の相手を持つこともあります」


「理解出来ません」


「仕方がないんです。望まない結婚もあるんです。それが人です」


「自由恋愛は如何でしょうか?」


「人が心の赴くままに人を好きになります。此方の方がそのお導きとやらには近いですけど、必ずお互いの事を好きになるとは限りませんね」


「率直に言いますが、私に下されたお導きの相手は先生です」


「あ、そうなんですか。え、でもシンカは人間ですよね?」


「はい。以前に酔った際、俺はアガド人とシメーリア人の混血だと言っていました」


「ああ、でも身体的特徴は殆どアガド人ですね。気質と骨格はシメーリア人かな?」


「私は、人間相手にお導きが下ってしまったのです。ですが先生は、シンカはそんな様子もなく何時ものままです」


「ちょ、ちょっと!如何して泣いてるんですか?!」


「感情が制御できません」


「無表情でそんなこと言われても!」


褐色肌の女は黒く輝く瞳から涙を流していた。

表情は微塵も変わっていなかったが。


「シンカにはお導きは下らないのですか?」


「下らないでしょうね」


「では私は如何すればいいと言うのでしょうか?」


「いやあ……普通に好きだと言えばいいんじゃないですかねぇぇ」


「元々先生の事は好きでした。愛してもいました。しかしそれは家族として、と言った方が良い感情でした」


「そもそもどうやって知り合ったんですか?」


黒髪の女が尋ねると、褐色肌の女は回想するように遠くを見つめてから口を開いた。


「そうですね。元々はここから遥か東、赤金山脈と言う山々に作られた我等の里に家族と共に住んでいました。

私は両親と妹の4人暮らしでしたが両親2人は伝染性の病に倒れ他界しました。赤金山脈は厳しい土地です。木々の生えない赤茶けた高地で15歳の、お導きも下っていない私には生きる事が難しく、私は1人山を下り見識を深めつつ生き永らえるための手段を探す事にしました。今思えばそこまでたどり着いたのも奇跡なのでしょうが、当て所なく彷徨った結果、小さな荒れ果てた港に出る事となりました。そこには人がおり、私は彼らに捕まり船に乗せられ売り払われる事となりました」


「悲しい事があったんですね。それにしても人身売買。如何なる国家でも第1級の犯罪行為です」


「ええ。両親を失った時は大層落ち込んだものです」


「もう少し悲しそうな顔をしてくれると此方も感情移入し易いんですけどね」


「ですがあの男共に捕まった事はシンカと出会うための、精霊のお導きであったのだと確信しています。大分経った頃男達は性欲を抑えられなくなり、私を犯すと言いました。人には分からないかもしれませんが、我々にとって、お導きが下されていない相手に触れられる事は苦痛です。況してや犯されるなど。私は泳げませんでしたが、彼らの手を逃れ海へ飛び込みました。その時背中も斬られ、また泳げない私はすぐに意識をうしなってしまったのです」


「見た目からは想像が付かない突飛な行動を偶に取りますよね、ナウラは」


「次に意識が戻った時、シンカが意識を失った私を護りながら大量の蟲と戦っていました。思い出すだけでも震えが来る絶望的な戦いでしたがシンカは私を見捨てず護り切ったのです」


褐色肌の女の肩が僅かに震えていた。それを見たもう1人が肩を摩った。


「そこらの女だったら其処で既に惚れるんでしょうけどね」


「はい。私は軽くはありません」


「ナウラは軽いんじゃなくて重い方だと思いますよ」


「先程から喧しいですね。ともあれ、其処からは面倒を見てもらっています」


「私には寧ろ其のお導きが下るのが遅過ぎるように感じる程ですけど。何時お導きは下ったんですか?」


「アゾクでの事です。矢から護られた時に」


「ああ成る程。いえ、アゾクでのシンカは惚れ惚れするほどの漢っぷりでしたからね。気持ちは分かります。普段は飲んだくれですが」


「里でエンディラの民同士であれば、お導きが下った時から夫婦となります。ですが、私とシンカは………」


褐色肌の女は無表情で再び涙を流した。


「本来ならば女を泣かせる男が悪いと言うんですけど、状況が特殊ですから……」


うーん、と黒髪の女は考え込む。


「そもそもなんですけど、異性として好意がある事、伝えてないですよね?」


「?」


「何か、シンカにわかるように伝えてます?」


「はい。顔に熱い視線を向けています」


「あー、その顔でですよね?」


「私にはこの顔しかありませんが何か?」


「いやー、これは前途多難ですねぇ」


かぶりを振る。


「良い雰囲気を作って接吻に持ち込めば良いんじゃ?」


「良い雰囲気とは如何すれば作れるのでしょうか?」


「………私だって男がいるわけじゃないのに。貴女に上手く伝えられるなら私にだって恋人の1人や2人できていますよっ!」


「貴女は分かっていません。お導きが下った以上、シンカが死んでも、他の女と所帯を持っても、私はシンカだけを愛し続けるのです」


「それは……」


「まだ里に居た際に聞いた事があるのです。エンディラの民と祖を同じくする別の精霊の民に、人間の男に対するお導きが下ってしまい、当て所なくその男を求めて彷徨っていると。私は、そうはなりたくありません。きっとその精霊の民はもう気が触れているでしょう。そういうものなのです」


「大変ですねぇ」


「如何して鼻を穿(ほじ)っているのですか?」


「………」


「シャーニ?真面目に聞いていますか?」


「私も恋人欲しいなぁ。頭にきちんと脳味噌が詰まっている恋人が」


「私、かなり切実なのですが」


「五月蝿え。努力してから出直して来い!何がお導きだ!楽してるんじゃねえよ!そもそも貴女、散々人間にお導きが下る事はないとか言っていましたよね?あの時は何の事やら、変な宗教かと思っていましたけど、そんなこと言っていたらシンカだって貴女が異性としての興味なんか持つ筈がないと思いますよ。自業自得じゃないですか!」


「………」


「ああっ!また泣いて!貴女は何でも良いから行動や言葉に出して好意を伝える!それを実行して駄目だったらまた相談してください!」



雪が降り酒を嗜んだ翌々日、シンカとナウラはグレンデーラの南門に立っていた。

今日も疎らに細かい雪が舞っていた。


「本当に行ってしまうのか?」


お忍びで見送りに来たカヤテが眉を寄せて尋ねた。

他にもダフネ、ウルク、サルバ、シャーニの親交を深めた面々が旅立ちを見送りに来ていた。


「付いて来るか?」


シンカの誘いを聴き彼女は深く悩んだが、やがて首を横に振った。


「……私には、支えなければならない人が居る。……行く事は出来ない」


「そうか。カヤテとはもっと色々な話をしたかったが」


「本当に、残ってはくれないのか?」


カヤテの問いにシンカは直に頷いた。


「敵を殺すのは止む無しと考えているし、屑を見かければ進んで命も奪って来た。だがどうしても俺には、戦争が受け入れられなかった」


「………わかった。………………もし」


「?」


「もし私が、軍を退く事になったら。私が一人落ちぶれる事になったら………迎えに来てはくれないだろうか?」


シンカは笑った。


「約束する」


苔色の笠を被る。


「では」


カヤテの手を取り別れの時に渡そうと思っていた物を手渡した。

短刀である。カヤテにその意味は分からないだろう。


東方の人間が獣人と呼び蔑む民族が大切な人間に渡すある種の儀式で、男が女に渡す事により自分の身を守れる様にとの思いを込めるのだ。


「奇麗だ……こんな………」


シンカが歩き始めるとシャーニと話していたナウラが話を終えて追いついて来る。


「お?」


ナウラから繋がれた手を見た。


自分は何をするべきなのか。


カヤテの様に目標に縛られ、雁字搦(がんじがら)めになってはたまらないが、成すべき事を見いだせる事は羨ましくも感じている。


繋がれた手を握り返してやりながらまずはこの娘が何処に行っても生きて行ける力を身に付けられるよう育てなければと決意を固めるのであった。



二人が平地を横切り麦粒よりも小さくなってもカヤテは彼らを、いや彼を見つめるのを止めはしなかった。


カヤテの部下達も、普段凛々しい彼女が涙を流して佇むのを止めようとは思わなかった。


カヤテの手に握られているのは鞘に納まった短刀であった。


見た事も無い硬質な濃い灰の素材で出来た鞘、その鞘の中には美しく煌めく澄んだ翡翠色の刃が収まっている。


カヤテは、(かつ)て世界を巡り短刀を集めてみたいと語った自分の話をシンカが覚えていてくれたのだと分かった。


一朝一夕で拵えられる代物ではない。カヤテと同じ翡翠の目を持った王族が居ても献上できる程の品だ。

こんな物は市場に出回る筈が無い。見たことの無い材質。


別れの日に備えてシンカが時間を掛けて作っていたのだと分かったのだ。


シンカに旅へ誘われた時、断るのに時間が必要だった。


カヤテはそれ程にシンカに対する好意を抱いていた。


それでもミトリアーレを置いて行く事が出来なかったのだ。


やがて涙を拭ったカヤテは一行と伴に城へと戻る道を辿った。


途中、一人の怪しげな人影とすれ違う。

頭巾を深く被った女で、地に這いつくばりぶつぶつと独り言を言いながら鼻を利かせていた。


「……ああ……新しい匂いねぇ。新鮮な今日の匂い。ああ……やっと見つけたわぁ。貴方様ぁ」


おかしな人物には関わる事無くカヤテは城へと戻って行った。


その日は一日部屋から出る事は無く、カヤテは短剣を抱きながら涙を流した。


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