星下の再会
大陸で最も肥沃で多くの平地を持つのはクサビナ王国である事は衆目の一致する意見であろう。
しかし肥沃ではないという但し書きを付ければ南国ムスクアナ王国かリシリア王国であると国々の知識を持つ者は答えるだろう。
砂漠を見ない者は砂漠の事を草木が生えぬ荒れ地と混同している場合が多いがそれは大きな間違いだ。
灼熱の太陽に照らされ、刻一刻と蝕まれる体力に、滝の様に流れる汗。
森と同様知識が無ければまず越えられない土地である。
荒れ地とは訳が違う。
アガスタ王国の王都アガスから南に15里も行けば草木は無くなり多くの者の命を奪った魔境に到達する。
「シンカ。此の景色は何時まで続くのでしょうか?」
「三日」
「此の外套を脱ぎたいと思うのですが良いでしょうか?」
「死ぬぞ」
「水を飲みたいと思います。休憩にしましょう」
「駄目だ」
荒れ地が終わり、砂漠が始まり半日で意思が挫けつつあるナウラを連れて、広大な見渡す限り砂丘が続く大地を歩いていた。
冬も此れ程までに暑いとは、知識では知っていたものの何処か甘く見ていたのも事実だ。
でなければこんな所には来ていない。
体から滲む大量の汗に、隙間から入り込み不快感を催させる砂。
歩けど歩けど変わらぬ景色にナウラは挫ける寸前だった。
「シンカ。左手に樹が見えます。水場も。行きましょう。水の確保が出来ます」
「待て!待て!以前訪れた時は彼処に水場など無かった。あれは蜃気楼だ」
「何を仰りますか。現に見えているではないですか」
「だからあれは蜃気楼だと言うのに」
手を引き歩み続ける。何としてでも帰りは砂漠を通らない道程を開拓するとシンカは誓った。
日が沈むと砂漠は急激に気温が下がり、今度は暖を取る必要が出て来る。
急ぎ汗を拭い、服を着替えると服を着込んで夜に備える。
この辺りはまだましな方で、今二人が居るムスクアナから東のナルセフやリシリアの東側では冬のランジュー程にまで気温が下がるのだと言う。
行ってみるかとナウラに尋ねた所、断られている。
砂漠に入り二日目、二人は砂嵐に遭遇した。
遠方より凄まじい速さで白い固まりが迫る。
地平線いっぱいに広がる固まりが近づくと、ナウラはシンカの服の裾を掴んで何度も無言で引っ張った。
「頭巾を被り背中を向けろ。風が強いぞ。目を閉じていろ」
「逃げないのですか」
緊張しているのか何時もより口調が早い。
「手を繋いでいてやる」
轟音を立てて近づいて来る砂嵐に背を向けて座り込んだ。
ナウラはその強烈な握力でシンカの手を粉砕しようと握りしめて来た。
凄まじい強風と視界を奪う嵐であったが、じっとしていると四半刻後には通り過ぎてしまう。
「砂嵐よりお前の握力の方がきついぞ」
シンカの手は赤紫色に変化を遂げていた。
頻繁に休憩を訴えるナウラを退け二日目も南へ向かい歩き続けた。
夕刻、夜に向けた準備をしている最中シンカは徐に口を開いた。
「実はずっと黙っていたのだが……」
「何ですか?道を誤りましたか?だとすればそれは許し難い悪行です」
「お前はどうやら砂漠に連れられて来た事に対して恨みがあるようだな」
「………。それで、何ですか?」
「否定はしないようだが、俺はきちんと辛い事は説明したぞ。………実はアガスを出て暫くしてから俺たちを辿っている者が居る事に気付いた」
「近いのですか?」
「そこそこに。地に耳を当てれば確認できる範囲には」
「微妙な距離ですね。どうするのですか?」
「うん。それを聞こうと思ってな」
「?」
ナウラは首を傾げた。
「いや、先程力つきた様でな」
「死んだのですか?」
「いや。だが放置すれば死ぬだろう。何故後を追うのかも分からぬ。それに嫌な予感も有る」
「悪人なのでしょうか?」
「分からぬ」
ナウラは暫く考え込んだ。
「シンカらしくも無い。私は貴方に拾ってもらったのですよ?貴方の慈悲が無ければ今こうして嫌という程砂漠を眺める事も、暑さに苦しむ事も、二度と砂を見つめたくなくなる事もありませんでした」
「拾ってごめんなさい」
「………行きますよ」
「うん。まあ、行くが。しかしこういう嫌な予感が有る時は……なあ」
立ち上がると装備を一式身に纏い最後に振動が伝わって来た方向に向けて歩き出した。
暫く砂丘の峰を歩いていると月光の下光り輝く砂地の先に倒れ臥す人影を認めた。
武器を片手に近寄る。長弓を背負っていた為武装を解除した。
弓は漆の枝から切り出されたものであると分かる。
「………」
じっとりと、凍える気温のもと汗が吹き出して来た。
仰向けにし頭巾を取ると透ける様な白い顔に、柔らかそうな金色の頭髪が現れる。
とても華奢な女だ。
「……イーヴァルンの民ですね。珍しい」
唾を飲み込んで気を落ち着かせると額に手を当て体温の確認を行い、また心音や呼吸を確かめる。
「脱水症状だな」
「シンカ。如何かしましたか。心音が高まっていますよ。動悸も激しい。此の気温で汗もかいています」
「俺は弟子の成長がとても嬉しい」
水筒から水を少し飲ませると女は咳き込む。
水筒を掴もうとするのを止めて落ち着かせる。
「落ち着け。少しずつだ」
衣類を確認すると湿っている。此の女、日中の汗をそのままに砂漠にを歩いていたらしい。荷物は有るため着替えは持っているだろう。着替えさせなければならない。
「シンカ。いい加減に白状しては如何でしょうか?知り合いなのでしょう?」
「………残念ながらな」
「昔に捨てた女ですか?」
「人聞きの悪い。以前にシャハラの民に遇おうと旅をしていた時にな。付き纏われて命を付け狙われた。まさか此処まで追って来るとは。美しい見目だが空恐ろしい」
「イーヴァルンの民に付き纏われたのですか?」
「うん」
「シンカ。イーヴァルンの民はエンディラの民と祖を同じくする精霊の民です。彼らは殆どの異性に興味を示しません。………お導きが下されない限り」
「ん?!」
シンカの発汗量が急増した。
「人に対してお導きは下されないのではないのか!?」
「私も知らなかったのですが、下される様ですね」
「なにそれ恐っ」
唐突に背後からナウラに蹴られた。
「失礼な人ですね」
「お前が俺にそう説明したのだろうが!」
「その時はそれが真実だったのです。かく言う私もおみち」
「う………だ…れ?」
ナウラが何かを言いかけた時、水を飲み終えた女が声を上げた。
「………」
ナウラの舌打ちが聞こえる。機嫌が悪い。
「あ……そんなぁ。これは幻でしょうかぁ。此の声、此の匂い、間違いなく貴方様のもの」
「………さて、もう行こうか。用事は済んだ」
「あなた様ぁ。もう二度と離しません」
「ぐあっ!?」
奇怪な動きで一瞬にして絡み付かれる。
「あなた様の腕の中で目を覚ませるなんて。私は果報者です」
鈴の音の様に高く心地の良い声音にも関わらずどうにもねっとりとした印象を抱いてしまう。
「た、助けてくれナウラ!お導きはどのように撤回する!?」
「撤回できるものにお導き等と言う名称は付かないのではと考えますが」
ナウラの目が据わっている。宜しく無い状況だ。
「ヴィダード!止めろ!離せ!」
「あっ………っ……」
小さな声を上げイヴァルンのヴィダードの体が痙攣する。
「あなた様に名前を呼ばれて達してしまいましたぁ」
「き、気持ち悪い!助けて!ナウラ助けて!」
絡み付かれたままシンカは逃れる事が出来なかった。
「同じ精霊の民として同情の余地はありますが……ですが聞いて下さい。イーヴァルンのヴィダード」
「あなた様、此の女は?……おや。その汚い肌に無駄な贅肉の固まり。エンディラの民ですか。此の様な……あっ」
シンカは立ち上がりヴィダードを振り払う。
「俺の弟子への侮辱を訂正して貰おうか」
怒りが湧き出て来る。
シンカの表情を見たヴィダードは怯えて縮こまった。
「な、何故その女の肩を持つのですかぁ」
「俺の弟子で、家族だ。お前等イーヴァルンの民は家族を侮辱されて許せるのか?」
「………悪かったわぁ。興奮していて」
「俺はエンディラの民の肌色が汚いなどと思った事は無い。寧ろ滑らかで美しいとも思っている」
言うとナウラが背中に額を押し当てて来た。最近のナウラは接触が多い。
「う、ぎ、ぎ、ぎ、ぎぃ」
醜鬼の様な猛烈な表情を浮かべて歯ぎしりをし始めた。
「シンカ。貴方には分からないかも知れませんが、お導きが下ったにも拘らずその相手と結ばれなかった時、我々は彼女の様に狂ってしまうのです。最近それが分かりました。あの目を見て差し上げなさい。悲しみが渦巻いて混沌としています」
「最初からああだったが」
「………」
何年も前の事だ。シンカはヴィダードとシャハラの森で出会った。
「シンカ。そしてヴィダード。この際にはっきりしておきます。私はシンカに対して精霊のお導きが下されました。シンカが他の女性と結ばれようとも、シンカが死のうとも。シンカが私を憎んでも、殺そうとしようとも私が生涯愛するのはシンカ、貴方だけなのです」
「………」
重い。
「お前俺に好意を抱く事は無いなんて気取った顔をして豪語していなかったか?」
「はて。記憶に御座いませんが。仮に言っていたとしてもそれは飽くまでその時の事。何時迄経っても持ち出そうとするのはお里が知れますよ」
「………解せぬ」
自分が悪いのかシンカは自問自答した。どう考えても非は無い様に思われた。
「あなた様ぁ。私も。ヴィーもあなた様の事を、この1927日と7刻半の間片時も忘れず思い続けておりましたぁ。この肉娘とは年季が違うのです!」
「魅力のかけらも無い棒切れの様な体で何を言いますか。貴方の体で殿方を癒せるのですか?胸に抱いても骨が当たりますよ」
「………おのれぇ……」
シンカは考える。
これは果たして砂漠の中央で行う会話なのかと。
シンカは考える。
自分が目指した5人の妻の関係は此の様な荒んだ刺々しいもののでは無いと。
月光の下、見渡す限り白く美しく輝く砂丘を見渡す。
シンカは此の様な世界の景色を記憶に残す為に旅をする。
カヤテと話し、思い立った目標だっただろうか。
今夜は月が美しい。
カヤテは今頃どうしているだろうか。
あの美しい女騎士の事は暫く忘れられそうに無い。
南に足を向ける。砂漠の中の水場も、長大なレヒレ川も一見の価値は有る。
「何処へ行こうというのですか。シンカ。まさか弟子の私を置いて行こうと?」
「貴方様ぁ。ヴィーは身も心もあなた様の物です!貴方様がやれと仰るなら此の場で腹を割いて悪しき思いが無い事を証明致します!」
どうしてこうなった。
シンカは内心で頭を抱えていた。
二人の啀み合う女を連れて2日間砂漠を進む。
足りない水は明け方の結露と得意の水行を組み合わせてなんとか確保したお陰で、2日後の正午過ぎにムスクアナ王国中央を流れるレヒレ川まで後一日の距離に有る水場町に辿り着いた。
「水場町のミダ。水場の回りに築かれた宿場町だ。此処より南では黒糖黍で作られた蒸留酒が主流だ。それにかなり酸味の強い柑橘も多く育てられていて、その果汁をしぼった物と酒を混ぜ合わせる調合酒も名産と言えるだろう。後は好みが出るが、蘭酒か。塩と先の柑橘とを組み合わせて飲む」
「興味があります。美味でしょうか?」
「……酒よりヴィーと宿にいきましょお?二人で愛の時間を……」
「まずは飯。その後酒だ。部屋は俺が一部屋、お前達二人で一部屋だ」
「何故?!」
昼過ぎのミダは人出が少なく閑散とした印象を抱く。
元々あまり大きな町ではない。村に毛が生えた程度だろう。
日差しが強い時間の人出は此の通りだが、朝早い時間や夕刻はそこそこの人が出歩いている。
元々が宿を中心とした町であり、旅人を目標とした商売で食い繫いでいる。
水場に一番近い宿を訪れる。
木材で組んだ柱や梁を基本とし、壁面は泥で塗り固めたものがこの周辺の建造物の主流となる。板の上に植物の葉を葺いた屋根で庇がかなり張り出しており、窓は風を出来るだけ多く取り込む為に広く四方に取られている。
砂嵐が来たときの為に板で塞ぐ事も考慮されている。
快適な一夜を過ごす為、一番ましな水場近くの宿を選んだ。
部屋を取り、荷を解くと直ぐ様水浴びをするべく宿の水浴び場へと向かった。
男女が分けられ、町に只一つの水場までの板張り廊下が伸びている。
水場の片隅に佇む宿のため、周囲から喧噪は聞こえてこない。
手酌で水を掬い体に掛けた。
案の定湯の様な温度であった。
しかし爽快な気分になる事に変わりはない。
人の気配が近づいて来たので振り返る。
他の利用客かと思えば見慣れた顔であった。
ヴィダードである。
背は比較的高いものの華奢でほっそりとした肢体を隠す事無く晒している。
白く透き通る様な肌色も相まって触れれば壊れてしまいそうな印象を抱いた。
ナウラと比較するとやはり戦闘能力には欠ける。
シンカは自身の手のひらで椀を作りしげしげと眺めた。
間違いなく指をぴったりと付けた片手の平で十分であった。
「種族的な身体的特徴ですぅ!」
「何も言っていないが」
「その手つきをお止めください!」
「まあ………な?とりあえず女用にもどれ。な?」
「ぎ、ぎ、ぎ………」
血涙を流さんばかりの表情であったが大人しく引き返して行った。
「御導きか。俺の倍も生きると言うのに、二人とも難儀だな」
二人について考える。
精霊の御導きがどの様なものなのかシンカには分からない。
何処まで自分に付いてくるのだろう?死ぬまで共に居る必要があるのか。
先の従軍前に感じた人一人の人生を背負う重責を思い出す。悠長な考えは捨てるべきだ。
二人も連れて森を歩ける自信がまずシンカには無かった。
イーヴァルンの民が他の種族に比べて森に慣れている事は知っているし、その中でもヴィダードは特に優れた力を持つ事も知っている。
だが事はそういう問題では済まされない。
ナウラだけならどうにか抱える事が出来た。
だが、アゾクでナウラに矢が放たれた様に二人同時に助けなければならなくなった時どうすれば良いのだろう?
今の状態であればナウラを助けるだろう。
というよりまず、そもそも。シンカはヴィダードについて知っている事が少ない。お互いに条件は同じはずだ。
だが彼女は導かれたと言ってシンカに好意を示す。
御導きとは一体なんなのだろう?
お互いの事を殆ど知らないのにも関わらず下される其れに疑問を抱かざるを得ない。
ヴィダードは精霊の化身と言われても可笑しく無い美しい容貌をしている。
だが美しいから抱きたい、恋人になりたいと直結する事は無い。
数年前、シンカはヴィダードと殺し合いをした。一度ではない。何度も。
その時から彼女は粘着質だった。隙を見て彼女の前から完全に姿を消しそれ以来だった。
勿論何ら疚しい事は無い。
ナウラにしても似た様な状況であった。
弟子として、妹の様に愛して来たが、突然異性として見る事が出来るかと言われるとそれも難しかった。
恐らく2人とも放っておけば不味いことになるのは目に見えている。
近くに置いて様子を見るしかないだろう。
身体を清めて衣類を身に纏うと部屋に戻った。女2人はまだ部屋に戻っていない様だ。物音がしない。
する事もない為薬の調合を始めた。
実に一刻もの後に2人はシンカの部屋に現れた。
薄手の衣服を身に纏っており涼やかに見える。
但し薄着の為、片方の盛り上がりは著しい。
こうして並んで立っている2人を見ると祖を同じくしている事に違和感すら覚える。
いや、骨格は似通っているか。
肩幅や骨盤はナウラの方があるものの、頭の大きさや手足の長さは似通ったところがある。
興味深い。
であるにも関わらず、何故これほどまでに肉付きに差が出るのだろう?
生活習慣、食料、環境の差なのだろうか。
何を由来としてこうした差が出るのだろうか?
一つには樹林にて魍魎の目を避けながら暮らすイーヴァルンの民と地に伏し鳥や虫を避ける山岳にて暮らすエンディラの民という生活様式が大きいのではと考える。
樹上で暮らす上で体重は成る可く軽く維持する必要があるだろう。対して山岳では筋肉を必要とする……等だろうか?
エンディラの民の生活様式を知らない為何とも言えない。
「シンカ。私の身体をその様に見つめないでください」
「あなた様が見ていたのはこの美しいヴィーの肢体ですよねぇ?わかっています。無駄の無い美しいこの肢体を何なら有りの儘で」
「………出かけるぞ」
2人を無視してシンカは立ち上がった。
ムスクアナ以南の地域では豆料理と香辛料を多く用いた肉料理が主な食事となる。
豆と赤茄子の肉煮込みなどが最も有名な食事となる。
飯屋に赴き3人で食事を始める。
ヴィダードは肉や香辛料が苦手な様で、逆に豆料理を好んで頼んだ。
反面ナウラは豆は苦手な様である。
シンカは当然としても、ナウラまで食事時に併せて酒も頼むのは悪い所が似てしまったと言わざるを得ない。
「真剣な話なのですが」
いつも通りの真面目腐った無表情で真剣さを主張されても逆に煽られている様にも感じてしまう。
「シンカは私の事をどの様に考えているのでしょうか?」
「貴女、私の事を敢えて無視してますね?」
「我々の事をどの様に考えているのでしょうか?」
酒を片手に問われる。
思えば初めて出会ってから半年もの月日が経過している。
随分と親父臭い女に育ててしまった。
「ナウラに関して言えば、弟子として育てる事しか考えて来なかったからな。直ぐに女として見ろと言われても抵抗がある。ヴィダードに関しては」
「ヴィーと、ヴィーとお呼びくださいあなた様」
会話を切られて若干の苛つきを覚えたが内心は出さず話し続ける。
「お導きを信じるあんたにとっては」
卓の下で足を蹴られた。向きからしてナウラである。
顔を見ると咎める気配が見受けられた。
「ヴィーにとってその感覚は絶対なんだろうが、俺には良く分からん。お前の事を知らなさすぎる」
「幾らでも、何処まででもヴィーの事をお調べください!」
背筋が泡立つが特に反応は返さない。
「取り敢えず分かった。だが時間は貰ってもいいだろう?上から目線で悪いが」
「ええ。勿論です」
「何時迄もお待ちしております」
「所で、御導きには何の脈絡も無い物なのか?ナウラには俺のいい所を見せていたから惚れるのは当然としても、ヴィーはなあ」
「当然とは何ですか。言い方というものがあります」
「もう6年も前の事です」
「その話長いのか?」
「それはもう。3刻はお話しできますよぉ」
「ではいい」
「酷いっ!?」
切りのいいところで大事な話とやらが終わり、席を立って今度は酒場に向かった。
宿屋とあまり変わらない作りである。
酒。酒。何を置いても酒である。
ナウラは黒糖黍酒を気に入り、ちびちびと何杯も飲み、シンカは蘭酒を塩で飲む。ヴィダードは酒に弱いのか一杯目の調合酒を半分飲んで潰れてしまった。
流石にシンカの名を呼びながら泣くのには罪悪感が産まれたが、何ら悪い行いはしていないのに罪の意識を覚える必要はない。
結局この日も日付を跨いで飲み明かした。
翌日目覚めると旅装束を着込み、隣の部屋の娘2人を叩き起こす。
ナウラはけろっとしているが、ヴィダードは頭を抱えて唸っている。
襟元から乳が見えるが、本当に殆ど無い。
しかしその代わり血管が浮いて見えはしないかと感じるほどに薄い肌が艶めかしく映る。
2人の女性が自分と生涯を共にしてたいと主張してくれている事は、我ながらありがたい事であるし、望んでも女性と過ごす事が出来ない者もいる中でああだこうだと理屈をこねくり回すのは愚かであるとも分かっている。
だが、これから長い先共にするのだとしたら一時の感情や欲、それに雰囲気等に頼った関係を作れば後悔することになると信じていた。
だから安易に手を出さないし、気休めの言葉も投げない。
シンカはそれがお互いの為だと信じている。
やろうと思えば幾らでも出来る。
日が昇る前に出発したい。
準備を終えたナウラの頭を撫でていると気付いたヴィダードが親の仇を見るが如く視線を送って来ていた。
「わ、わ、わたくしには、ないのですか………?」
「お前支度終わってないだろうが」
「ふんぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぎぎい」
「遅いと置いて行くぞ」
「あっあっあっ、そんな、支度いたします!」
慌てているのを見てにやにや嗤っているとナウラに足を踏まれた。
「私が御導きの相手にそのような扱いを受ける事を考えると、憐れで見て居られません」
「しかしなぁ。ああして殊勝にしている時は可愛いと思えるが……」
言うとヴィダードが首だけぐるりと回転させ、背後のシンカを切れ長の眼で見つめた。
瞳は潤んでいたが、空恐ろしさを感じてしまう。
「ヴィーは、可愛いですか?」
「………」
「おのれっ!肉娘ぇっ!」
「私ですか」
ヴィダードと再会して3日だが、一連のやりとりも慣れた感がある。
名うての彫刻家が作った最高傑作の彫像のように美しい女だが、強烈な個性で今一魅力が湧かないのである。
日が昇る前に町を出て砂漠を歩く。
平地を歩いていると飼い慣らした獣が欲しくなる。
里にはシンカに慣れた魍魎が数体いるが、騎乗には向かないので連れてきていない。
「ヴィダードはいつシンカに御導きが下ったのですか?」
背後でナウラとヴィダードが会話を始めた。
「6年前の事。忘れもしないわぁ。あの時の私は高飛車な小娘で、森に踏み入った他民族を殺す為、何時もの様に100間の超長距離狙撃で木々の合間から狙っていました。その時視界に入ったのがシンカ様でした。笠を被った怪しい風態。私は100間先の木の枝から殺害を決めました。そして肩甲骨と腕の間の脇から肋骨の合間を縫って心臓を破壊するべく矢を放ったのです」
「それほどまでの明確な殺意からよく御導きまで辿り着きましたね」
「私の矢は発射音が標的に届くより先に矢が届きます。遠距離の、それも死角から放った一矢でした。しかしシンカ様はそれを察知して躱し、次の瞬間には私の視界から消えていました。隠れたのか。私は耳を澄ませ気配を探りました。しかし私の耳でも気配を察知できなかったのです。じっと固まっているか、こちらに向かっているか。 優れた戦士であれば矢が射られた角度、矢と音のずれでこちらの位置を察知できる。私は直ぐ様位置を変え笠の男の発見に注力しました」
「私はその話を聞いてどうすればよろしいのでしょうか?」
「恐らく敵は物音を立てず私の位置を探っている。私は森を流れる風を利用し行を使いました。風の、渡り鳥と言う私達の里に伝わる法です。風の流れる道筋にある物全てを小さな刃で斬りつける、殺傷性は低いものの範囲の広い法です。傷が付けば私の鼻で血の匂いを辿れる。しかし失敗に終わりました。そして、気付きました。私の全身がしとどに濡れていたのです。あたりは薄っすらとした霧に包まれていました。徐々に周囲の木々の枝葉が凍りつき、私の身体も鈍くなっていくのが分かりました。此の儘では体が動かなくなると判断した私はその場から動き、地に降りて真正面から挑む事にしました。幸いな事に枝から降りる際に笠の男を見つけることができました。短剣を抜き私は男に向かいました。行を使い背を後押しさせた一撃でした。ですが、私の渾身の一撃は防がれ、数度打ち合ったものの隙を見せた私は意識を刈り取られてしまったのです。次に目覚めた時には里の自室でした。それが初めての出会いです」
「色気のかけらもない殺伐とした出会いですね」
「あの戦いの折の鼓動の高鳴り。今も胸にあります。あれが恋なのねぇ」
「本当にこの人に御導きは下っているのか疑問に思えてきました」
「あなた様ぁ、如何してあの時、ヴィーが狙っている事が分かったのですか?」
「少し前から視線を感じていた。そして弓のしなる音が微かに聞こえた」
「………」
「化け物ですか」
「うん。俺の父が言っていたのだが、俺の感覚器官は人並外れているらしい。音で今、ナウラが尿を我慢している事も分かるほどだ」
「尿を我慢する音がどの様な音なのかは兎も角、そう言う事は敢えて口に出す必要は無いのです。何度言えば分かるのですか」
「では、では、あなた様にはヴィーがあなた様の事をお慕いしている音は聞こえますか?」
下腹を抑えて頰を染めるヴィダードから目を逸らす。
「ナウラ」
「何でしょうか」
「この女、重すぎて俺には背負えないかもしれない」
「………」
砂漠は暑い。
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