第4章 『友達の連絡先を教えなさい』――義母の一言で夫の顔色が変わった
「だから、知らない男だって言ってるだろ!」
トシアキが苛立ったように声を荒らげた。
さっきまであんなに余裕たっぷりだったのに、義母さんが写真の男性を大学時代の友人に似ていると言い出した途端、この慌てようだ。
……怪しい。
どう考えても怪しい。
私は改めてトシアキの顔を見つめた。
「ねえ、トシアキ。本当にその人のこと、知らないの?」
「しつこいな! 知らないって言ってるだろ!」
「だったら、別に確認したっていいじゃない」
そう言うと、義母さんも頷いた。
「そうよ。私の勘違いかもしれないんだから、確認すれば済む話でしょう?」
「だから、別人だって!」
「だったら、そのお友達の連絡先を教えなさい。私から聞いてみるから」
義母さんがそう言った瞬間、トシアキの顔が引きつった。
「はあ!? 何でそんなことしなきゃいけないんだよ!」
「別人かどうか確かめたいだけよ」
「友達の連絡先なんて、勝手に教えられるわけないだろ!」
……へえ。
さっきまで散々、私の不倫だの慰謝料だのと言っていたくせに、友達の連絡先一つ教えることもできないわけ?
もちろん、本人の許可なく連絡先を教えられないというのは、わからなくもない。
でも、それなら自分で連絡を取って確認すればいいじゃない。
何も、ここまで怒る必要はないでしょう?
「じゃあ、あなたからその人に連絡してみたら?」
「だから! あいつは関係ないって言ってるだろ!」
トシアキはとうとうテーブルを叩いた。
その音に、私の母がびくりと肩を揺らす。
「トシアキ! いい加減にしなさい!」
義母さんの叱責にも、トシアキは不満そうな顔をするばかりだった。
……おかしい。
絶対に、何か隠している。
そう思った私は、もう一度、あの写真について考えてみた。
そもそも、あの男性とは道を尋ねられたときに少し話しただけだ。
なのに、なぜトシアキはその場面を撮影した写真を持っているのか。
しかも、ホテルに出入りする写真まである。
そんな都合よく、何枚も写真が撮れるものなの?
「ねえ、トシアキ。そもそも、その写真って誰が撮ったの?」
「……は?」
「だから、誰が撮影した写真なのかって聞いてるのよ」
「そんなこと、お前に関係ないだろ」
「関係あるに決まってるでしょう! 私の不倫の証拠だって言ってるんだから!」
私が言い返すと、トシアキは面倒くさそうにため息をついた。
「はあ……お前、まだ写真が偽物だとか言うつもりなのか?」
「そうよ。だって、私はそんなホテルに行ってないんだから」
「残念だったな。そんな言い逃れができないようにしてあるんだよ」
……何?
どういうこと?
トシアキは得意げにスマートフォンを操作すると、写真の詳細情報らしき画面を表示した。
「これを見ろよ」
そこには、撮影日時や位置情報、それに何やら複雑な文字列が並んでいた。
……何、これ?
「証明アプリってやつだよ。知ってるか?」
「……証明アプリ?」
「ああ。撮影した写真をその場でクラウドに保存して、後から加工されていないことを証明するアプリなんだよ」
トシアキは、こちらが知らないことを説明できるのが嬉しいのか、やけに饒舌になった。
「撮影した日時も記録されるし、デジタル署名だって付いてる。保存した後に写真をいじれば、記録との食い違いがわかるんだ」
「……それで?」
「だから、この写真は加工なんかされてないってことだよ! お前の言う生成AIだの画像編集だのって言い訳は通用しないんだよ!」
……そんな。
私は思わず画面を見つめた。
確かに、撮影日時らしき数字も、複雑なコードも表示されている。
以前、ニュースで似たような仕組みについて見た覚えもあった。
一度記録されたデータは、後から勝手に書き換えられないようになっているとか、そんな話だったと思う。
もし本当に、撮影された後で一切加工されていない写真だとしたら?
……いやいや。
だからって、私がホテルに行ったことにはならないでしょう!
私は絶対に、あんな場所には行っていない。
それだけは間違いないのだから。
「……でも、それって保存した後に加工されていないって話でしょう?」
「はあ?」
「保存する前に何か細工していたら、どうなるのよ?」
「お前なあ! まだそんなこと言ってるのか!」
トシアキは馬鹿にしたように笑った。
「そんな都合のいい話があるかよ! いい加減、負けを認めろって!」
……くっ。
腹が立つ。
でも、今の私にはこのアプリの仕組みもよくわからない。
何が証明できて、何が証明できないのか。
その辺りをきちんと調べなければ、反論するにも限界がある。
だったら……。
「ねえ、その写真を撮った人って、誰なの?」
「……だから、何だよ」
「撮影日時も場所もわかるんでしょう? それなら、誰が撮った写真なのかも確認できるんじゃないの?」
「そんなの、俺が知るわけないだろ!」
……はあ?
「知らないって、どういうこと?」
「写真が本物なら、それで十分だろ!」
「十分なわけないでしょう! そもそも、誰が撮ったのかわからない写真を、どうやって手に入れたのよ!」
私が畳みかけると、トシアキは口を開きかけて、また閉じた。
そして、少し考えてから言った。
「……それは、情報提供者のプライバシーがあるから」
……プライバシー?
何、その言い訳。
「私の不倫を証明するために写真まで出しておいて、撮影者のことは教えられないっていうの?」
「だから、そういうことだよ!」
「じゃあ、その人はどうして私を撮影してたわけ?」
「そんなことまで知るかよ!」
「……あのねえ」
思わず呆れてしまった。
さっきまでは、あんなに自信満々だったのに。
少し質問しただけで、答えがどんどん曖昧になっていく。
すると、それまで黙っていた義父さんが口を開いた。
「トシアキ。お前、さっきから何を言ってるんだ?」
「……何がだよ」
「ノゾミさんが不倫していたと言うなら、きちんと説明しなさい。写真をどこから手に入れたのかも答えられないんじゃ、信用しろと言われても無理だろう」
「だから、写真があるだろ!」
「その写真について聞いているんだ!」
義父さんの声が、少し厳しくなった。
トシアキは不満そうに顔をしかめたが、それ以上は言い返さなかった。
義母さんも、腕を組んで息子を見つめている。
「ねえ、トシアキ。私はあなたが嘘をついていると決めつけたいわけじゃないのよ」
「だったら、信じてくれよ!」
「だからこそ、ちゃんと確認したいの。ノゾミさんが不倫したというのなら、間違いのない証拠が必要でしょう?」
「……っ!」
「それとも、確認されたら困ることでもあるの?」
トシアキが黙り込んだ。
……あら。
これは、もしかして……。
私は改めて両親たちの顔を見回した。
さっきまで、私のことを心配そうに見ていた母も、今はトシアキに疑わしげな視線を向けている。
父も、難しい顔をしながら腕を組んでいた。
少なくとも、もうトシアキの言い分をそのまま信じているわけではなさそうだ。
……よかった。
正直、さっきまでは本当に怖かった。
やってもいない不倫を疑われて、しかもそれらしい写真まで出されて。
このまま私が悪者にされてしまうんじゃないかと、不安で仕方なかったのだ。
でも、ようやく状況が変わってきた。
もちろん、私の潔白が証明されたわけじゃない。
それでも、トシアキの言っていることがおかしいと、他の人たちにもわかってもらえた。
それだけで、少し気持ちが楽になった。
私は大きく息を吸い込むと、はっきりと言った。
「私、不倫なんてしていないからね」
トシアキが顔をしかめる。
「だから、まだそんなこと……」
「最後まで聞きなさいよ」
私はその言葉を遮った。
「写真が加工されたものなのか、それとも別の方法で作られたものなのか、今の私にはわからない。でも、調べれば何かわかるはずでしょう?」
「……何が言いたいんだよ」
「だから、徹底的に調べるって言ってるの。必要なら弁護士にも相談するし、写真についても専門家に確認してもらうわ」
トシアキの顔が、見る見る険しくなった。
「はあ!? そんな大げさなことする必要ないだろ!」
「必要あるわよ! 私が不倫したことにされてるんだから!」
「もういいじゃねえか! お前だって早く離婚したかったんだろ!?」
「当たり前でしょう! 私だって、あなたとは一刻も早く別れたいわよ!」
思わず声を荒らげてしまった。
でも、ここだけは譲れない。
「でもね、だからって、やってもいない不倫を認めて慰謝料を払うなんて、絶対に嫌だから!」
「……っ!」
「離婚はするわよ。でも、嘘を認めてまで別れる気はないから。あんたも覚悟しておきなさい!」
トシアキは何か言い返そうとしたが、結局、何も言わなかった。
その様子を見て、義母さんが大きくため息をついた。
「……もう、いい加減にしなさい」
そして、私たちを交互に見つめる。
「今の話を聞いている限り、どちらの言い分も、そのまま信じるわけにはいかないわね」
私は黙って頷いた。
それでいい。
今すぐ信じてもらえなくても構わない。
ちゃんと調べれば、私が不倫なんてしていないことはわかるはずなのだから。
「とにかく、この写真についてきちんと確認が取れるまで、慰謝料や離婚条件の話は進めない方がいいでしょう」
義母さんの言葉に、私の両親も義父さんも頷いた。
「そうですね。私も、それで構いません」
私は素直に同意した。
一方、トシアキは明らかに不満そうだった。
「何だよ、それ……。せっかく証拠まで持ってきたのに」
「トシアキ」
義母さんが、静かに息子の名前を呼んだ。
「あなたには、まだ聞きたいことがあるわ」
「……は?」
「さっきの写真の男性のことよ。それから、その写真をどこで手に入れたのかもね」
「だから、何度も説明しただろ!」
「いいえ。肝心なところは何も説明していないでしょう?」
トシアキが口を閉じた。
義母さんは義父さんと顔を見合わせると、続けた。
「今日の話し合いは、ここまでにしましょう。ノゾミさんたちには申し訳ないけど、私たちの方でも少し確認したいことがあるから」
「……わかりました」
私は頷いた。
正直、まだ不安はある。
でも、もうさっきまでのような絶望感はなかった。
ようやく、反撃するための糸口が見つかったのだ。
トシアキは不服そうにしていたが、義父さんに促されて席を立った。
「トシアキ。帰ったら、もう一度詳しく話を聞かせてもらうからな」
「……何だよ、しつこいな」
「しつこくもなるわよ。あなた、自分がどれだけ重大なことを言っているかわかってるの?」
義母さんにそう言われ、トシアキは舌打ちをして顔を背けた。
……ふん。
さっきまでの威勢は、どこへ行ったのかしらね。
もっとも、これで終わったわけじゃない。
写真の男性が本当にトシアキの友人なのか。
あのホテルの写真は、どうやって作られたものなのか。
そして何より、トシアキがどうして私を不倫したことにしたがっているのか。
確かめなければならないことは、まだ山ほどある。
私は、自分のスマートフォンを取り出した。
まずは弁護士を探して、それから写真についても調べて……。
そんなことを考えながら、帰り支度を始める。
まさか、このときは思いもしなかった。
長期戦になると覚悟していたこの騒動が、翌日にはあっけなく決着へと向かうことになるなんて。




