番外編④ パルファムの女神
苺依がメイクに入ってから、三十分。
俺は撮影用の椅子に座ったまま、何度目か分からない時計を見た。
その時だった。
苺依がスタジオに戻ってきた。
「……っ」
現場の空気が変わったのが分かった。
深いネイビーの、シルクのキャミソールドレス。
華奢な肩のラインと、透き通るような背中が大胆に露出している。
いつもの苺依とは、まるで別人。
その変わりように誰もが思わず息を呑む。
もちろんTOMAも……。
「あ、あの……」
「わぁぁぁ! すっごくいいわ! 理想通りよ!」
スタッフやカメラマンの反応は上々だ。
「TO、TOMAさん?」
「……いんじゃね」
咄嗟に視線を逸らす。
普段の苺依のイメージからかけ離れた雰囲気。
正直……複雑だった。
(……肌見えすぎ、化粧濃すぎ)
「よし、KAI! 入ってくれ」
「はい。じゃ苺依ちゃん、行こうか」
お姫様のようにエスコートされ、苺依はカメラの前に立った。
カメラを向けられるだけで緊張して、立ち方ひとつにも戸惑っている。
「じゃあKAI、恋人っぽい感じで頼むよ」
「はい」
シャッターを切る音が響き渡る。
その度に、苺依はぎこちなく笑っていた。
時折KAIが苺依を引き寄せたりしてカメラマンの要望に応えてる。
「……ちっ」
順調に進んでいるのに腹が立つ。
KAIが終わってRYU、そしてSHO。
「よろしくお願いします、SHOさん」
「足手まといにならないでよね、大福」
「うっ……頑張ります……」
何度見ても胸がざわつく。
普段ならただの撮影に動揺なんかしたりしない。
だけど、今日は違う。
「……最悪だな」
誰にも聞こえない声で呟いた。
苺依は相変わらずオロオロしてて。
それでも一生懸命、スタッフの指示に応えようとしている。
だから余計に腹が立った。
何で断らなかった。
何でこんなことまで引き受けるんだ。
そんなことを考えているうちに、俺の番が来た。
「じゃ、TOMA! 入ってくれ」
「はい」
コツコツと靴音を鳴らし苺依の前に立つ。
「TOMAさん……よろしくお願いします」
まだ少し緊張してる顔。
「………」
……可愛い。
そんなことを思った自分に腹が立つ。
喉まで出かかったその言葉を飲み込み腰に手を回す。
(細……)
思ったよりずっと細い苺依の腰を優しく引き寄せた。
「……あんた……何で断らなかった」
口から出たのは、そんな言葉だった。
「断るつもり、でしたよ……」
「なら断れよ」
「それは……そうですが……」
苺依が困ったように答える。
その表情を見て、少し言い過ぎたと思ったが謝る気にはなれなかった。
むしろ俺のほうが、余裕がなかった。
「いいよ! TOMA、彼女の髪を掻き上げて!」
撮影の合間にカメラマンの声が響く。
その言葉のままに従い苺依の髪をまとめ上げると、細い首が露わになった。
「っ………」
苺依の肩が小さく跳ねる。
その反応を見て、息が止まりそうになった。
「そうそう! そのまま首筋に近寄って!」
指示通りに剥き出しのうなじに近づく。
ほんのり赤い耳と、乱れた呼吸が聞こえる。
「……っ」
シャッター音が鳴り続ける。
相変わらず震える苺依の耳朶にそっと唇を寄せた。
「ん………ちょっと、TOMAさん?」
これ以上はだめだ……。
だけど自分で自分を抑えられなかった。
この首筋、腰、耳……。
さっきまでの撮影風景が脳裏をよぎる。
俺を制止する苺依の声などお構いなしに、行動が大胆になる。
そしてついに……。
ちゅッ……と優しくその耳朶を噛んだ。
「ト、ト、ト、ト……TOMAさん?」
「……なんだよ」
「そんな指示……っ、出てないです、よ……」
「いいんだよ、俺の判断だから」
「でも……」
「うるさい」
真っ赤に震える苺依を見て、止められなくなる。
ぺろっ……。
「ん、ぁっ……」
「…………あんた」
「な、なんですか」
「……なんでもねぇ」
反応がいちいち可愛い……。
とか言えるわけがない。
「まだ緊張すんの?」
「そりゃしますよ……」
「ふーん」
話題を逸らす。
「顔、固い」
「TOMAさんが急に近づくからですよ……」
「俺のせい?」
「……ちょっとだけ」
「じゃあ慣れて」
「無理です」
「即答かよ」
「はい」
「……ふっ」
いつもの苺依に自然と頬が緩む。
「今、笑いました?」
「笑ってねぇ」
「いや、絶対笑いましたよ!」
「気のせいだ」
「えぇ……?」
俺を疑うその顔が可愛くて。
「そのままでいいんだよ」
「え?」
出かかった言葉を飲み込んだ。
「いつも通りでいいんだよ」
「……はいっ」
屈託のないいつもの笑顔。
俺の知ってる苺依の顔だ。
「ん……」
その後まもなく撮影は終了。
しかし、モニターに映し出された写真には……。
「これ、採用したいけど今回のテーマに合わないわねぇ」
「そうですね。すごくいい顔してるのにもったいないですね」
「ま、いつか使える時がくるかもしれんぞ」
スタッフが見つめるその先には。
普段では見れない優しい笑みを浮かべたTOMAの写真。
その視線の先には苺依がいた。
Fin




