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第8話 戻ることを許してやる

第8話 戻ることを許してやる


初雪から十日後、領主館の庭は白く覆われていた。花壇では枯れた野菊の茎だけが雪の上へ突き出し、軒下には白い鶏が一羽、落ちた麦粒を探して歩いている。魔獣騒ぎの日に逃げ出した鶏は、飼い主の老人が迎えに来ても厨房の前から動かず、そのまま領主館で暮らすようになっていた。


アリスは深緑色の厚手のワンピースを着て、執務室で備蓄台帳を確認していた。暖炉では薪がはぜ、机の端にはマルタが焼いた胡桃入りの菓子が二つ置かれている。仕事中に菓子を食べてもよいかについて、ルーカスと結論が出ていないため、二人ともまだ手をつけていなかった。


「お客様がお見えです」


若い書記が、赤い札を持って入ってきた。彼の前掛けから林檎ジャムの染みは消えていたが、今度は胸元に胡桃の殻がついている。アリスが指さすと、書記は慌てて殻を払い、レイモンド王国の使者が来たと告げた。


応接室には、黒い毛皮の外套を着た使者が待っていた。磨かれた長靴には雪がつき、敷物の上へ細い水の筋を作っている。彼はアリスを見ると立ち上がったが、頭は下げなかった。


「王太子殿下より、アリス・フェルナー嬢へ書状をお預かりしております」


使者が差し出した封筒には、王太子の青い封蝋が押されていた。アリスは銀盆の上で封を切り、中の書状を読む。使者は隣国の菓子が珍しいらしく、卓上の蜂蜜菓子を何度も見ていた。


書状には、アリスへの謝罪も、婚約破棄を撤回するという言葉もなかった。『国外追放処分を特別に取り消し、王太子付き整理官として王宮へ復帰することを許可する』と書かれている。その下には、三日以内に使者とともに帰国せよと付け加えられていた。


「整理官という役職は、王宮にはございませんでしたが」


「殿下が、あなたのために設けてくださるそうです」


「報酬、勤務時間、職務範囲が書かれておりません」


「王宮へお仕えできることが、何よりの栄誉でございましょう」


使者は当然のように答えた。アリスは書状を机へ置き、蜂蜜菓子の皿を彼の前へ押した。使者は一度遠慮したあと、一番大きな菓子を選んだ。


「婚約については、どのように書かれていましたか」


アリスが尋ねると、使者は菓子を口へ運びかけた手を止めた。書状には、エドワードとの関係について一言もない。アリスは王太子妃へ戻るのではなく、名目だけの役職を与えられ、以前と同じ仕事をさせられるのである。


「その点は、王宮へ戻られてから殿下とお話しください」


「婚約者ではない女性を王宮へ住まわせ、無報酬で私的に働かせるおつもりですか」


「言葉を慎まれたほうがよろしい。殿下は、あなたをお許しになるとおっしゃっているのです」


アリスは机の下で木の櫛を握った。今日は髪へ挿さず、黄色い布に包んでポケットへ入れている。欠けた部分へ巻かれた不格好な布の結び目が、指先に触れた。


「許されなければならないことを、私はしておりません」


アリスは返書を一枚だけ書いた。使者が菓子を食べ終わるまでに、インクを乾かして封筒へ入れる。文字は三行で済んだ。


『手放した物を、以前と同じ場所へ戻せるとは限りません。私は現在、正式な契約のもとで働いております。復帰する意思はございません』


使者は封筒を受け取ったが、すぐには立ち上がらなかった。卓上には蜂蜜菓子がもう一つ残っている。アリスが持ち帰ってよいと伝えると、彼は布へ包み、外套の内側へ大切そうにしまった。


返事を送ってから二週間後、辺境の町へ王家の馬車が到着した。雪にぬかるんだ街道へ金色の車輪がはまり、従者たちは何度も馬車を押した。エドワードは自分の靴が汚れるという理由で、中から降りようとしなかった。


町へ入ったエドワードは、窓越しに整備された街道を見た。倉庫の前には荷馬車が行き先別に並び、市場の店には小麦、豆、塩漬け肉が十分に積まれている。雪かきをする者、荷物を運ぶ者、帳面へ記録する者が、それぞれ自分の仕事を理解して動いていた。


「アリスが、すべて指示しているのか」


エドワードが御者へ尋ねても、答えはなかった。荷運び人たちは絵札を見て荷物を運び、アリスの姿がなくても迷わない。だがエドワードには、それが彼女の仕事の成果だとは理解できなかった。


領主館へ入ったエドワードは、玄関に飾られた薄紫の冬咲きの菫を見て鼻を鳴らした。自国の王宮なら、温室で育てた薔薇を冬でも飾らせる。使用人が差し出した温かい布で手を拭いたあと、応接室へ案内された。


アリスが部屋へ入ると、エドワードは立ち上がった。彼女は灰青色の上着と黒いスカートを着て、髪を木の櫛でまとめている。王宮にいた頃より質素な服装なのに、裾を気にして歩幅を小さくすることも、相手の顔色を見て頭を下げることもなかった。


「ようやく来たか。ずいぶん待たせたな」


「突然お越しになったため、予定していた会議を終えてまいりました」


「私より会議を優先したのか」


「こちらでは、先に約束した方を優先します」


エドワードの口元が引きつった。王宮では、アリスが彼の予定をすべて調整し、どのような割り込みにも対応していた。自分が待たされることなど、一度もなかった。


「手紙は読んだはずだ。戻れ。お前の国外追放は取り消してやる」


「お断りする旨を、返書に記しました」


「意地を張るな。王宮は今、多少混乱している。お前が戻って元どおりにすれば、今回の無礼は不問にする」


「どの無礼でしょうか」


「許可なく他国で働いていることだ」


「私は国外へ追放されました。退去させた国が、その後の就職先を決めることはできません」


エドワードは椅子の肘掛けを指でたたいた。その爪の脇には、青いインクが残っている。アリスがいなくなってから、署名した書類を自分で整理しなければならなくなったのだろう。


「お前は、私の婚約者になるために侯爵家へ拾われた。王家から受けた恩を忘れたのか」


その言葉を聞いた瞬間、アリスの指先から熱が引いた。窓の外で、屋根から雪が落ちる音がした。白い鶏が驚いて羽ばたき、厨房からマルタの叱る声が聞こえる。


アリスは、ポケットの木の櫛へ触れた。孤児院を出る日に、自分の手を離さなかった小さな指を思い出す。侯爵家へ引き取られた日の夕食は温かかったが、食べ終わる前から王太子妃教育の日程を聞かされていた。


ルーカスがアリスの前へ出ようとした。アリスは片手を上げ、彼を止める。ルーカスは何も言わず、一歩だけ後ろへ戻った。


「拾われた恩は、十年分の無償労働で返しました」


「無償だと? お前に衣服も部屋も食事も与えた」


「馬にも与えるものだと、こちらへ来て教えていただきました」


ルーカスが小さく咳払いした。エドワードは顔を赤くし、椅子から立ち上がる。毛皮の外套の裾が卓上の茶器へ当たり、飲み残した紅茶が受け皿へこぼれた。


「私の人生を差し上げた覚えはございません。私は、この領地の筆頭内政官です。報酬も休日も職務範囲も、契約書に記されています」


「契約など、王太子の命令で無効にできる」


「ここはクラウス帝国だ」


ルーカスが初めて口を開いた。低い声だったが、応接室の空気が変わった。エドワードの従者たちは互いに顔を見合わせ、扉の近くへ下がった。


「アリスは、私とではなく辺境伯家と契約している。彼女の意思を無視して連れ出せば、帝国の官吏を拉致したことになる」


「辺境伯ごときが、我が国を敵に回すつもりか。アリスを返さないなら、国境通商条約を破棄するぞ」


エドワードは胸元の勲章へ手を添えた。王太子として最大の切り札を出したつもりらしい。アリスは応接室の書類棚へ向かい、「確認済み」の場所から一通の写しを取り出した。


「破棄はできません」


「なぜだ」


「条約は、先月十日に失効しています。更新通知へ返答なさらなかったためです」


アリスは失効日と受領印を示した。現在の通商は、混乱を避けるため帝国側が三か月の暫定措置として認めているだけだった。破棄を持ち出せば、自国の手続き不備を公に認めることになる。


「その通知は、私へ届いていない」


「王太子執務室の受領印がございます」


「部下が紛失したのだ」


「誰が受け取り、誰が確認し、誰が決裁する仕組みになっていたのでしょうか」


エドワードは答えなかった。紅茶の染みが白い手袋へ広がっている。以前のアリスなら、すぐに新しい手袋を用意しただろう。


「アリス。お前なら直せるのだろう」


「直すべきなのは、書類の置き場所だけではありません」


「ならば、何だ」


「責任を引き受けず、困れば捨てた人間を呼び戻せばよいと考える方です」


エドワードは手袋を外し、卓上へ投げた。アリスは拾わなかった。ルーカスも、使用人たちも動かなかった。


帰りの馬車が出る頃、雪は再び強くなっていた。エドワードは泥を避けながら乗り込み、自分の手袋を応接室へ置き忘れたことに気づかなかった。玄関には、使者が以前持ち帰った蜂蜜菓子と同じ物が用意されていたが、彼は受け取らなかった。


アリスは馬車が門を出るまで見送った。冷えた指を握っていると、ルーカスが毛皮の手袋を差し出す。片方の親指に小さな穴があり、黒い糸で不格好に繕われていた。


「新しい手袋をお持ちではないのですか」


「あるが、これは父からもらった物だ」


アリスは穴の空いた手袋を受け取った。捨てずに持っている理由を、聞く必要はなかった。二人は白い息を吐きながら、雪の積もった領主館へ戻った。


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