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魔王が現代転生してコンビニに就職した ―― 恐怖で世界を統べた覇王が、深夜のレジで"本当の強さ"を知るまで  作者: もしものべりすと


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第十章 社会インフラという名の城

この店はただ物を売る場所ではない。


 眠らぬ灯りは誰かの命を夜ごと繋ぎとめていた。



 佐々木は一命を取りとめた。


 栄養失調と、軽い脱水。発見があと半日遅れていたら危なかったと、医者は言った。玄の起こした行動が、ひとつの命を救ったのだ。


 数日後、佐々木は店に来た。少し痩せた体で、いつものようにあの茶色い煮物をひとつ取って、レジへ来た。玄がそれを受け取った。


「……無事で、何よりだ」玄はぶっきらぼうに言った。


 佐々木はしわだらけの顔を、くしゃりと崩した。


「兄さんが見つけてくれたんだってね」老人の声はかすれていた。「もう、誰にも迷惑かけたかないと思ってたんだ。妻が逝ってから、ひとりでね。だから、人に気づかれないように、こそこそ生きてきた。でも……気づいて、くれる人がいたんだなあ」


 玄は何も言えなかった。


 ただ、煮物のパックを丁寧に袋に入れた。いつもより、ずっと丁寧に。


 その一件以来、玄の中で、この店への見方が変わり始めていた。


 ここはただ物を売る場所ではない。


 深夜、灯りをともし続けるこの店は、行き場のない者の最後の拠り所だった。終電を逃した者。家に帰りたくない者。眠れぬ夜を抱えた者。そして、佐々木のように、世界とのか細い糸をここでしか結べない者。彼らにとって、この灯りはただの店ではなかった。


 玄は店の仕事を通して、それを肌で知っていった。


 たとえば、収納代行という仕事がある。客が電気や水道の料金を、この店のレジで支払えるのだ。役所や銀行が閉まった後でも、ここなら、いつでも払える。昼間に時間の取れぬ者にとって、それは暮らしを支える、大事な仕組みだった。


 宅配の受付もそうだった。遠くの誰かへ、荷物を送る。その窓口をこの店が担っていた。荷物の伝票に、震える手で、宛名を書く老人。遠くに住む、子や孫へ。その荷物を玄は預かった。ただの荷物ではない。人の、想いだった。


 ある晩、ひとりの老婆が、小さな箱を持って来た。中身は手編みの、子ども用の毛糸の帽子だという。遠い町に住む、孫へ送るのだと、老婆は嬉しそうに言った。寒くないように、と。玄はその伝票を丁寧に受け取った。震える字で書かれた宛名。その一文字一文字に、会えない孫を思う祖母の心が、にじんでいた。


 この灯りがなければ、この想いは行き場を失う。深夜にしか動けぬ者の暮らしも、回らなくなる。玄はそう思うようになっていた。便利とはただの楽ではない。それは弱い者の、命綱なのだ。


 この小さな店は、街の、目に見えない血管だった。


 ある夜、玄は真壁がレジの陰でこっそり薬を飲むのを見た。錠剤をいくつも。それを水で流し込み、ふっと息を吐く。玄が見ているのに気づくと、真壁はいつもの顔で笑った。


「歳ね。あちこち、ガタがくるのよ」


 玄はそれ以上は聞かなかった。だがその横顔にふだん見せない疲れの影が差していたのを、彼は見逃さなかった。この店をたったひとりで背負い続けてきた女。その背中がほんの少し、細く見えた夜だった。


 あちらの世界で、玄は城を築いた。高く、堅牢で、誰も寄せつけぬ城。それは彼を守り、彼の力を誇示するためのものだった。だがこの店は城とは正反対だった。誰でも入れる。誰も拒まない。むしろ、弱った者ほど、この灯りに引き寄せられてくる。


 守るための城ではなく、迎えるための城。


 玄は自分がその城の門番のひとりであることに、奇妙な誇りを覚え始めていた。覇王が守るべきものを、見つけ始めていた。


 その夜、休憩室で、玄は胸の核の異変に気づいた。


 力がもう、ほとんど戻っていた。


 あれほど待ち望んだはずの、その熱。満ちれば、帰れる。あちらの世界へ。玉座へ。彼の本来の望みが、もう、手の届くところに来ていた。


 なのに、玄の胸は晴れなかった。


 帰る。この店をひかりやミンや真壁や佐々木を、置いて。そう考えたとき、彼の胸に、覚えのない痛みが走った。それは玉座を失ったときの痛みとは、まるで違う種類の生々しさだった。


 彼は自分の望みが揺らいでいることに戸惑った。


 帰りたい。それは何ひとつ揺らがぬ事実のはずだった。なのに、店の皆の顔を思うたびに、その事実の輪郭が少しずつぼやけていく。レジに立つひかりの横顔。賄いを頬張るミンの笑顔。薬を飲む真壁の、細い背中。それらがいつのまにか、玉座と同じくらいの重さを持ち始めていた。守りたい。そんな思いが覇王の胸の奥に、初めて静かに芽吹いていた。だが彼はそれをまだ言葉にできずにいた。彼はそれを認めたくなかった。覇王の望みはただ一つ。玉座を取り戻すこと。そのはずだった。


 ちょうどそのとき、表で、ひかりの声がした。


「あれ……向かいのビル、いつのまにか、お店できてる」


 玄は表へ出た。


 通りの向かい。これまで空きビルだった建物に、こうこうと、青白い灯りがともっていた。看板には見慣れぬ文字。「オムニグリッド」。冷たく、無機質な、青い光を放つ看板だった。


 その店には店員がひとりもいなかった。


 硝子の向こうに見えるのは、整然と並んだ棚と、無数の機械。客は商品を手に取り、機械にかざし、機械で支払って出ていく。誰とも言葉を交わさない。誰の、いらっしゃいませも、ない。


「無人……決済の店、ですかね」ひかりが首をかしげた。「最近、増えてるって、聞きますけど」


 玄はその青い灯りを、じっと見た。


 なぜか、胸がざわついた。あの冷たい光の奥に、覚えのある気配を感じたのだ。


 そのとき、オムニグリッドの自動扉が、開いた。


 ひとりの男が出てきた。仕立てのいい、隙のない装いの、若い男。背が高く、整った顔立ちをしていた。だがその目は氷のように、冷たかった。男はまっすぐ、玄のほうへ歩いてきた。そして、通りの真ん中で、足を止めた。


 男は玄を見て、薄く笑った。


「久しいな」と、男は言った。「ヴェルグ」


 玄の、全身が凍りついた。


 その名をこの世界で呼ぶ者が、いるはずがなかった。ヴェルグ。捨ててきた、覇王の名。それを呼んだ男の顔を、玄はまじまじと見た。整った、冷たい顔。記憶の底から、ひとつの顔が浮かび上がってきた。


「……まさか」玄の声がかすれた。「レオハルト……勇者、レオハルトか」


 男は笑みを深めた。


「こちらでは一条聖と名乗っている」男は言った。「お前と同じだよ、ヴェルグ。私も転生した。そして、ずっとお前を探していた」


 聖は温かな店の灯りを、冷ややかに見やった。


「相変わらず、無駄の多いことをしている」聖は言った。「人が人を相手にする。笑い、悩み、間違える。非効率の塊だ。私はそれを終わらせに来た。あの無人の店を見ろ。間違えない。疲れない。誰も傷つけない。あれこそが人が行き着くべき、完成された姿だ」


「完成、だと」玄は低く返した。


「そうだ。私はかつて、剣で世界を救おうとした。だが剣では何も変わらなかった。人はまた争い、また飢えた」聖の目が青い看板の光を映した。「だから今度は仕組みで救う。すべてを管理し、すべてを自動化する。人の手の、愚かさをこの世から消し去る。それが私の新しい聖戦だ」


 玄はその言葉に、ぞっとした。


 かつて世界を救おうとした男が、いま人から、人の手を奪おうとしている。便利という名の刃で。効率という名の城で。


「断る」玄は言った。「俺はこの店を選ぶ」


「ほう」聖は笑った。「ならば、見せてやろう。お前の選んだ温もりが、いかに脆いものか。じきに、思い知る」


 言い残して、聖は青い灯りの中へ消えていった。


 二人の覇者が転生した世界の深夜の通りで、再び向かい合った。


 青い無人の灯りと、温かな店の灯りが、その間で静かににらみ合っていた。

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