第四十九話 違和感の形 その二
午後からの作業も基本的なことは変わらない。
決められた物を作り続けるのみだ。
やがて六時を過ぎると、ようやく囚人たちは仕事から解放された。
計九時間にも及ぶ作業を終えた顔は、萎れた草花のように生気を失い、酷くくたびれている。
すぐに風呂の時間となった。
疲弊しきった彼らは作業場の反対側にある内風呂へ向かい、看守に監視されながら体を洗った。
俺は壁に寄りかかり、居心地悪そうにぬか袋で汚れを落とす囚人の横顔を見ていると、あることがふと気になった。
(何の絵柄なんだろう)
ある二人の囚人の背中にはびっしりと入れ墨が彫られている。
俺は物珍しさからまじまじ背中を見つめていると、「見てんじゃねえよ」とでも言いたげな視線を浴びせられてしまった。
すかさず目を背けると、今度は別の囚人と目が合った。
俺を蔑むような視線を送る男の頬には誰かに殴られたと思わしき傷がついている。
(うわあ、痛そうだな……)
またもや視線を壁に移しながら、赤く腫れた頬を横目でうかがった。
いったい何が原因で彼は殴られてしまったのか。
頭を乱暴に掻く当人は不満そうな表情を崩そうともしていない。
――あれ……。そういえば、思い当たることが一つあった。
◇◇◇
午前の休憩時間、丸まった背を俺に向ける囚人たちがヒソヒソと話し込んでいた。
「十郎太の頬なかなか治らないな」
「ああ。あれだけ思い切り殴られたらそりゃあ、治りも遅いだろうよ」
「にしても何で殴られたんだ?」
「あいつが長治をからかったらしいぞ」
「どうしてだ?」
「ほらあの規則を破った例の件で」
「なるほどな」
◇◇◇
あの場にいた時は誰が殴られたのか分からなかったけど、多分、あいつだ。
他に頬の腫れたやつは見た限りではいなかったし、きっと間違いない。
ぞんざいに髪を洗う『十郎太』と呼ばれるあいつが、『長治』なる男をからかったことにより殴られた。
そこまでは予想できたし、十郎太の人柄も分かった気がする。
しかし、さらなる疑問も増えてしまった。
長治はどんな規則を、なぜ破ったのかということだ。
この理由が知りたくなってきた。
余程の間抜けか、はたまた理由があってしたことなのか。
それともうっぷんを晴らすため?
監獄の詳しい規則を教えてもらっていないから想像もできないな。
囚人の裸姿を眺めながら、頭と首を捻り続けた時間となった。
◇◇◇
風呂から上がった囚人は昼と大差のない夕飯を食べる。
腹をすかせた彼らの中には、少しでも飯を多く食べたいと看守に媚びを売る者もいた。
内風呂から雑居房に戻るまでの間に、
「あんののっぽ。丁寧に仕事してやってんのに『もっと早く手を動かせ!』と怒鳴ってきやがって」
と看守に怒りを表していたはずの男が、食事の前になると、
「いやあ本当にいつも俺たちのためにご苦労様です。これからも誰よりも仕事に励みます!」
という猫なで声で手を合わせ、へつらっている始末。
のっぽな看守もまんざらではないようで、わずかだけど味噌汁と葱の量が他の人よりも多かった。
こんなにも態度を変える人がいるのかと驚いたのは言うまでもない。
◇◇◇
ついにやってきた、囚人の自由なひと時。
俺は一日の疲れが顔に出ながらも、「もうひと踏ん張りだ」と小さく活を入れた。
次に隣を見やると、相変わらず、伏に変化はない。
無表情を貫き、木だと間違えそうになるほど微動だにしない。
邪魔で仕方なさそうな手ぬぐいも取る気配はなかった。
(得体のしれない奴)
囚人の中にも気味悪がる者が何人かいた。
「あのガキはなんで手ぬぐいなんて被ってんだ?」
そんな声が何度も届いてきたしな。
彼らの話し声は伏本人も気づいているだろう。
俺もその疑問については入門初日から気がかりだったが、なんとなく気軽に聞けるような雰囲気でもなかった。
いつ何時も被っているし、頑なに取らない理由を知りたいとは常に思っている。
(いつか聞いてみたいけど……)
そんなことを考えつつ、看守のように中廊下で仁王立ちし、囚人に目を向けた。
今度は昼とは異なる雑居房での会話を耳にする。
「そういえば長治のやつ、昨夜、独居房に行かされたんだって」
俺はその瞬間、目を剝いた。
また長治という人が出てきたからだ。
「なんだって! やはり昨日の件でか?」
「それが決定打となったな。あいつは例の手紙で一度、規則を破ったし」
肩幅の大きい髭面の囚人が切り出すと、分厚い唇を縦に広げた囚人が見えた。
俺は眉根を下げる。
(例の手紙って何のことだ?)
全く状況が把握できないまま、彼らの話は進んでいく。
「例の手紙な……」
「だから仕方のないことだ。それに今考えると、俺も長治のやつぁ、どこか変だと思ってたんだ。眼つきが怖えし、いつも地面を見てぶつぶつ、ぶつぶつと呟いていてよ」
「そうかあ? 俺からしたら礼儀の正しい真面目なやつという印象だったよ」
「それは表の顔だよ、きっとな」
すると、二人の会話に「おい長治ってまさかあいつか?」と別の囚人が横槍を入れると、髭面の男が「ああ」と頷き、
「いやに首の長い男だ」
と鼻で笑い、肩を揺らしている。
俺は頭の中で、その特徴に当てはまる人物を想像してみた。
(首の長い男か……)
黒目を天井に向けるうち、一人、覚えのある者がいた。
彼は確か――。
◇◇◇
昼飯を食べ終えた囚人が作業場に戻った後、俺たち二人は束の間の休息を許される。
食堂で同じような飯を食い、まだ時間があるからと、許可を得て一人中庭を歩いていた。
そんな時だった。
東棟と南棟の間にあるいくつかの小ぶりな平屋の一つ――檻が備え付けられた建物の前には看守の姿があった。
木膳のようなものを片手に持ち、もう片方の手でその檻を開ける。
すると中には一人の頬のこけた男がいた。
短い髪には虱のような虫や細かなくずがまとわりつき、着ている橙色の服も黒ずんでいる。
さらに顎が鋭く、竹のように首が細く長かった。
そして目が死んでいた。
生きる喜びなどはとうに捨てた、とでも言うように。
見てはいけないものを見た気分になりながらも目線を外すことができなかった。
(あいつは誰だ、囚人か?)
困惑する頭で彼を凝視していた瞬間。
彼と視線が合った。
俺を睨みつけながら、パクパクと口を動かす。
「失せろ」
凄みのある眼つきで口をそう動かした。間違いない。
俺は反射的にビクリとし、その場から逃げるようにして離れた。
ドクドクドク。
ドクドクドク。
心拍数が上昇している。
恐ろしすぎてもう一度も振り向けなかった。
◇◇◇
休憩中に起こった出来事を思い起こすと、俺は確信をもった。
(きっとあいつに違いない)
化け物を彷彿とさせる男の話をしているんだ。
けれども違和感を感じる。
俺を睨んでいたあの男が『真面目で礼儀正しい』だって?
それは何かの間違いじゃないか?
髭面の囚人の語る通り、表の顔を見せていたのだろうと思った。
ところが唇の厚い囚人はこうも言った。
「長治は模範囚だったんだぞ。そんなやつが理由もなく手を出すわけがないよ」
信じがたいと言わんばかりの表情で持論を述べ続けている。
(手を出す?)
長治は誰に手を出したんだ?
確かにあいつならしでかしそうだけど、しかし何のためにそんなことをしたんだろう。
そういえば、風呂場に頬の腫れていた男がいたな。
もしかしてあいつにからかわれたからその腹いせに殴ったのか?
(あああ分かんねえ!)
中廊下に立つ俺はうわの空で一人考え込んでいた。
イライラするあまり、頭をかきむしりたい衝動に駆られたが、必死に抑える。
叫びたくなる謎を紐解こうとしていたら、西棟に鐘の音が響いた。
「消灯の時間だ!」
看守の声が廊下に響き渡る。
どうやらあっという間に消灯の時間になってしまったようで棟内が暗くなった。
よって囚人の一日が終了した。
◇◇◇
俺と伏は「これにて見学を終了します」と谷口に告げられて中庭に出た。
するとちょうど南棟から出てきた看守の原と、半眼生の泥谷と葉山の姿が見える。
「四人ともお疲れさまでした」
看守の二人が俺たちを労い、代表して原がさらに言葉を述べた。
「長い時間でしたので大変だったと思いますが、全ての指示に従っていただき、感謝しています。今日一日を通して、どうでしたか? 皆さんにとって、何か一つでも得るものがあったことを願っています」
そして、監獄内であまり見かけることのなかった杉松――この場所では本田か――も遅れて中庭にやって来て、
「お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。看守のお二人も長らく付き添っていただきありがとうございます。明日以降もどうぞよろしくお願いいたします」
と丁寧に頭を下げ、裏口から看守所に入った。
看守の二人とはそこで別れて、杉松と半眼生の四人はそのまま正門を出る。
そこには箱馬車が止まっており、順番に乗っていった。
御者が手綱を引くと、馬がゆっくりと歩き出した。
俺は暗くなった視界の中、どんどん小さくなる監獄の正門を眺めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
違和感がありましたねえ。
音在も必死に考えている姿が見えました。
そして、そろそろ監獄編?も終わりそうです。
さらに第五章もあと数話で終わります。
第五十話もよろしくお願いします。




