第五十話 相反する視点
箱馬車に揺られる間、車内に座る誰もが宙を仰ぎ、口を閉ざす。
まあそれもそうだろう。
一日中立ちっぱなしで見学していたせいで、足が悲鳴を上げている。
その上、人の言動を観察し、あれこれ考え続けたことで頭も疲れた。
まさに疲労困憊。この四文字に尽きる。
俺は自然と閉じゆく目を無理やりこじ開けたが、十分もすると眠り込んでしまっていた。
やがて馬車が保管庫の前に到着し、降車する。
地下まで続く階段を下った先で、
「私はこちらで失礼いたします。皆様、お疲れさまでございました。ごゆっくりお休みください」
と杉松は一礼し、また階段を上っていった。
俺たち四人はわずかに明りのついた稽古場をふらつく足で渡り、先頭にいた俺が取っ手を引いた。
そして、寝静まる男寮の中で寝巻に着替え、床に就く。
「やっと眠れる……」
体全体が安堵感に包まれる。
静かに目を閉じると、すぐに意識が途切れた。
◇◇◇
翌日。
稽古前の朝会には昨夜ぶりの杉松がいる。
血色の良さそうな顔を綻ばせ、二日目に監獄を見学する半眼生の名を呼んだ。
「一組目は美麗さんと十王さん。二組目は高城さんと空丸さんです」
開かれた書物から顔を上げ、
「呼ばれた方は直ちに準備をしてください」
そう言ってニコリと微笑んだ。
◇◇◇
残った半眼生は通常通り、走り込み、石を上げ引きずり、木刀を突き合う。
俺は懸命に食らいついていたものの、一日稽古から離れただけで、これほど息が荒れることに動揺を隠し切れなかった。
やがて、残すは観察眼稽古のみとなった。
全員が黒板前に集まると同時に近付いてきた研究班の物部が、軽やかな調子で手を上げる。
「半眼生の皆さん、こんにちは、いやこんばんは」
俺は肩で息をしながら冷ややかな目線を物部に送った。
(いい加減挨拶を定めてくれよ)
何度目か分からない指摘を心の中でしていると、彼がきらりと目を光らせる。
「そして四人の半眼生――伏さんと音在さん、泥谷さんに葉山さん。昨日はお疲れさまでした。見学はいかがでしたか?」
物部は語尾を上げて感想を尋ねたが、進んで答える者はいなかった。
すると自分の顎を撫でるお得意の癖を披露しながら、
「あれれえ。僕の言葉届いてます?」
と面白おかしそうに目尻を下げた。
「誰も答えてくれないのは忍びないのでねえ。代表して……葉山さん。まだ見学していない人にばらさない程度で感想を伝えてください」
物部が葉山を指差すと、彼は間を置かずして返答する。
「はい。色々な人を観察することで自分の眼を鍛えられました。良い経験ができたと思います」
「おお、それは素晴らしいです。皆さん拍手!」
物部が叫んだ直後、葉山以外の全員が手を叩いた。
当人は照れくさそうにペコペコしている。
「自分の眼を磨くことはすなわち、人演狐を見破る力になります。様々な人を観察することで力を養えますので、今回の監獄がその役割を果たしたのなら本望です。まだ見学していない半眼生もこの意識を持って、自身の観察眼を試してきてください」
物部が場をまとめたところで話はひとまず落ち着いた。
次に俺たちは『人の仕草や癖から推測できる性分』について考える課題を行った。
最後は瞑想の時間だ。
俺は立ち姿勢から胡坐に変えようとした時、
「初日に見学へ行った四人、前に来てください」
と急に手招きされた。
「一人ひとり感想を話してもらいたいので、組んだ人同士で奥に行きましょう。まずは音在さんと伏さんのお二人、ついてきてください」
そう言って歩き出した物部の後を俺たちは追う。
物音ひとつしない空間から、奥――黒板がある場所の反対側まで離れた。
「ここなら他の人に聞かれる心配はありません。思う存分語り合えます。っといっても、そんなに時間をかけるわけではないですが」
俺たちを振り返った彼は人差し指を立て、ゴホンと咳払いする。
「お二人とも昨日は本当にお疲れさまでした。囚人や看守に囲まれて、様々なことを見聞できたと思います」
まずは前置きし、すぐに本題に入った。
「その中で印象に残った出来事を、理由も添えてお話ください。――ええでは、音在さんからお願いできますか?」
物部の視線が俺に向かれる。
その瞬間、「え?」とオドオドしてしまった。
「なんでも結構ですよ」
目を泳がせる俺を見た彼はさらに一言加えた。
(印象に残った出来事……)
どんなことがあったかな、と思い出すところから始まった。
同じ雑居房で暮らす甚平という男を罵倒していた囚人。
娘の寝言について話す額の皴の多い囚人と、関心をまるで寄せない囚人たち。
看守に媚びを売っていた二面性の囚人。
他にも思い出せばキリがないけれど、やっぱり一番は――。
(長治と十郎太のいざこざかな)
「印象に残っているのは長治という囚人が十郎太という囚人を殴った話を聞いた時です。理由はその長治という人を檻に囲まれた独居房で実際に見て、とても怖かったことを覚えているからです」
俺は自信のなさを出しながら、訥々と質問に答えた。
物部は身を乗り出し、「ほうほう」と頷いている。
「それは興味深い。監獄内でそんな騒動が起こっていたんですね」
「はい。俺は長治という人は酷い人に違いないと思いました」
弱々しくもそう断定した。
「どうしてそう思ったんですか?」
「だって人を殴ってはダメだからです。決まりを一度でも守らなかった自分が悪いのに、そのことをからかわれたからって手を出したんですよ。あんな場所に行かされて当然じゃないですか? それに俺、何もしてないのに一方的に睨まれたんです。だから絶対悪い囚人だと思います」
俺の言葉は徐々に熱を帯びていき、最後は力強く断言した。
「それは早計……だよ」
すると、隣から反論の声が飛んできた。
「は? どういうことだよ、伏」
いきなり話に入ってきたやつに顔を歪めて問うた。
「見聞きしたことをそのまま信じる……のはよくないよ」
「いや見るからにあの長治ってやつが悪いだろ? 何でそんなことが言えるんだよ」
「長治さんは模範囚……だと言っていた。そんな人が規則に背いたのは何か……理由があるはず」
「いや、変な気を起こして破っちゃったんだよ。あんな場所にいたら気も狂うだろうし」
まるで売り言葉に買い言葉のよう。
俺は次第にイライラし始め、言葉にも角が出てきた。
伏はいたって平常心を貫いているが。
「それに十郎太さんがからかわなければ殴らなかった……のもあるんじゃないかな」
「少しからかわれたからって普通殴るか?」
「少しかどうかは……分からないよ」
どんどん加熱しそうな予感がした時、
「まあまあ二人とも落ち着いてください」
俺たちの会話を傍観していた物部が間に入った。
「隣同士で観察していたはずなのに、こうも意見が割れてしまうんですねえ」
その後、何秒か沈黙が続く。
一呼吸置くことで、俺は苛立つ気持ちをいくらか収められた。
「一旦、この件は中断しましょう。次は伏さんの番です。印象に残った出来事を教えてください」
「実は僕も同じ……なんです」
伏は声音を変えずにきっぱり答えた。
「ほうほう。同じなんですねえ。その理由を聞いてもいいですか」
「長治さんは模範囚らしい……のに、なぜ違反してしまったのか……がすごく気になりました。他の出来事と比べても一番……心に残っています」
「そうだったんですねえ」
「そういえば、手紙が関係している……というのを聞きました」
「え? 手紙ですか?」
「はい。それ以上のことは……把握していません」
伏の言葉を溜める癖にもどかしい思いを抱きつつ、目を見張った。
まさか同じ出来事が最も印象に残っていたとは。
「非常に真相が気になりますねえ」
物部は好奇心が見え隠れする目で天井を仰いでいる。
次の瞬間、「まあそれは置いておきましょう」と言い、視線を戻した。
「突然ですが、ここで、二人の心に留めてほしいことをお伝えします」
物部が息を吸う。
「『人の本質でさえも捉えるのは難しい』ということです」
彼の目線が俺たちの間を行き交った。
「同じものを見聞きしたにも関わらず、意見が割れてしまいましたよね。したがって、同じ人間でさえも真実にたどり着くのは簡単ではないのです。ましてや我々は誰が人演狐かを見極め、そして殺さなければならない立場。一歩間違えれば、ただの人殺しになる危険性もあります」
一つ一つ、はっきりとした口調で物部は告げた。
(人殺しになるかもしれない……)
俺は体がこわばるのを感じる。
人演狐の音が聞こえるとはいえ、その可能性は捨てきれない……。
この事実を初めて思い知らされた気がした。
「炯眼士になるからには、これらのことを肝に銘じなければなりません」
物部の表情は真摯さを物語っている。
「さらにもう一つ、お話したいことがあります。それは特に音在さんに向けてです」
いきなり俺の名を呼ばれ、ドキリとした。
唾を一回飲み込んで彼を見据える。
「『見えないことほど、真実になりえる』ということです」
一息おいて、物部が口を開く。
「君は見たまま、聞いたままで人を判断しました。それが正しいこともあるかもしれません。しかし、今回の件で言うと、もし長治さんが人を想った行動に出ようとして、規則を破っていたとしたらどうでしょう」
「え? それはどういう……」
不意な話を聞いた俺は口ごもってしまった。
「例え話ですよ。規則に背いたからといって、必ずしも悪意があったとは限りません。例えば、周りにいる囚人に励ましの手紙を勝手に書いたことが看守にバレてしまい、お叱りを受けてしまった可能性だってあるわけです。加えて君は、長治さんに睨まれたことも悪人とする判断の材料にしましたけれど、少々気が早いかと思います。独居房での生活は本当に過酷だと聞きます。そんな環境で人と目が合った時にニコリと笑えるとは思えません」
「ま、まあそうですけど」
「ようは判断を先走らず、伏くんのように一度立ち止まることも時には必要なんです」
なんだか俺が叱られているみたいになっていてばつが悪くなってきた。
自分の背中が小さく丸まっていく。
「今は真偽を問う時間ではありません。僕が伝えたことを理解してほしいだけなんです。この言葉を忘れず、これからも観察眼を磨いていきましょうね。いずれはぱっちりと開いた両眼になることを期待していますので」
物部が「話し合いはこれにて終了です」と両手をパンと叩いた。
これも彼の癖である。
不完全燃焼のまま、この時間が終わってしまった。
意味もなく頭を搔いていると、
「では次の葉山さんと泥谷さんを呼んできてもらってもいいですか?」
と頼まれたために伏とともに戻り、次の二人に声を掛けた。
すぐに胡坐で座り瞑想に入るが、意識を集中させることはできなかった。
依然として唇の尖りも直らない。
正しいと思い込んでいたことを崩され、正論を浴びせられた。
(物部の意見は正しいけどさ)
なんとも素直になれない子供の如くムスッとし、瞑想どころではなかった。
伏からの思わぬ横槍に慌てたこともそう。
物部からの忠告もそう。
判断を早まったこともそう。
(でもあれはどう見ても)
まだ自分の意見が正しいと、どこかで思ってしまっている。
だってあいつらは長治を実際に見てないじゃないか。
会ったら意見も変わるかもしれないのに。
そんな悪あがきをしてみた。
どうもまだ腑に落ちないんだ、情けないことに。
でも確かに一度立ち止まることは大切かあ……。
時間が経つにつれ、不満な部分はそのままに、聞き入れるところは素直に聞き入れた。
そして一日の稽古が終了する。
俺はその後、何度も溜息を吐いていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
監獄の話は一旦、終わります。
それと前回、あと数話で五章が終わると伝えましたが、今回で終わります。
※本文とは関係ないですが。
ここ数か月はなかなか高い頻度で投稿できなかったことをお許しください。
思った以上に自分の不甲斐なさを思い知らされる毎日です。
こんなにも上手くいかないのか……と音在ではないですけど、溜息が何度出てしまいます。
これからも亀の歩みではありますが、着実に一話一話重ねていきますので、どうか応援してください。
音在とともに誠心誠意頑張ってまいります。
第六章からもお楽しみいただけると幸いです。
そして第五十一話もどうぞよろしくお願いします。




