第四十六話 実践の地上
一瞬、俺の中で時が止まった。
(地上に出れる……?)
物部の意図をいまいち――いや、全く掴めなかった。
急に「地上に出られます」と目を輝かせられても困るって。
他の半眼生――落第生以外の――も間違いなく、目が点になっていることだろうよ。
「あれ? 思ったよりも反応が薄いですね」
顎に手を当てた物部は不思議がり、そして首をかしげている。
「物部のおっさん! 『地上に出れる』ってのはどういうことだい?」
すると、空気の読めない十王が意のままに問うた。
礼儀をわきまえない素振りに肝を冷やすが、意外にも当人――物部に気にする様子はない。
「十王さん、よくぞ聞いてくださいました。ズバリお伝えします。それは『観察眼の実践』のためです」
何秒か言葉を溜めて、さらに続ける。
「明日から順々に、ある場所を見学してもらいます。そこで繰り広げられる出来事から、真実を見極めていただきます。状況を見て判断し、納得のいく答えを出してみましょう。その中で、今まで学んできたことを活かしてみてください。活かさずもまあ……良しですが。皆さんの観察眼を試せる機会がいよいよ訪れたのです」
つらつらとそう語った物部に怪しさを覚える。
(なんか曖昧だな)
とりあえず『観察眼の実践』とやらの内容を事細かく教えてほしい。
俺たちはどこへ行き、どんなことを見聞きし、何を判断するのか。
それを一番に聞きたいんだよ。
「一組は二人、または三人です。無作為に組まれたのち、当日の早朝、担当の者より声を掛けます。呼ばれた方は移動をお願いします。残された方々は通常通り、稽古に励んでいただきます」
朝に担当の者が呼びに来て初めて知るのか。
でも、なんで?
適当に割り振って、今伝えてくれてもよくないか?
そんなことを考えていると、
「ところで俺たちはどこにいくんだい?」
と、また有難い質問を十王が投げてくれた。
(流石は王様だ)
物怖じしない彼に拍手を送りたい気持ちになった。
期待した目線を物部に送る。
「それは当日のお楽しみといきましょう」
「えええ!」
またもや言いはぐらかされた。
十王が大口を開ける様子を眺めながら、奥歯にものが詰まったようなひっかかりが残った。
「では。この話はここで終了といたします。さあて、本日の内容に進みましょう」
得意げに手を叩き、物部はその場の空気を無理やり変えた。
釈然としない俺を気にも留めず、細長い体を翻して、持ち物に手を入れた。
その中から書き物と筆を取り出す。
「皆さんには、内面が垣間見える――嘘をついている時の人間の特徴を学んでいただきます」
と述べ、俺たちに背を向けた。
◇◇◇
明朝。
耳を劈くほどの音で目を覚まし、眠い目を擦って食堂に行った。
香の物をかみ砕きながら、昨日に伝えられたことを反芻する。
(今日から始まるな、観察眼の実践とやらが)
詳細を聞かされていないゆえ、地上に出られる嬉しさよりも先を案じる思いで、自然と肩に力が入る。
担当の者はいつ現れるんだろう。
疑問の浮かぶ頭で体をほぐし、地下稽古場に入ると――。
(――あれは誰だ?)
物部のように白衣を着た人が一人、教官たちと談笑していた。
手足が短く、白衣に着せられているという印象を持つその人の腕には、薄い本が収められている。
今のところ、彼に見覚えはない。
――ということはすなわち、あの男が『担当の者』であるわけだ。
半眼生が全員集まった時、教官の鬼勢から「杉松さんから話がある」と言われ、俺はいよいよか、と身構える。
「半眼生の皆様、お早うございます。研究班に所属する杉松と申します。昨日、物部より伺った件に伴い、早速ではございますが、本日の実習に参加する方をお伝えいたします」
言葉の節々に懇切丁寧さを感じる。
へなへなとし、場をしらけさせる才能のある物部とは違い、真面目一辺倒の人のようだ。
しかし表情はいたって柔和なため、近寄りがたい人ではなさそう。
「今回の参加者は二組、四名になります。では名を呼ばせていただきます。一組目は泥谷さんと葉山さんです」
薄手の本を開き、目線を下げた状態で明瞭な口調で話す杉松。
口角はずっと上がったままだ。
呼ばれた二人はそれぞれ「はい」と短い返事をした。
(交わらなさそうな二人だな)
顔は正面に向け、目線を当人たちに逸らした。
二人きりになったらどんなことを喋るんだろう、そんなことを考えながら。
「二組は伏さんと音在さんです」
しかし突然、自分の名を呼ばれ、慌てて注意を杉松に戻した。
(おいおい、初日かよ……)
心の準備もできてないのに、まさか今日行くことになるなんて。
ああ。せめて二日目以降がよかった。
それなら、誰かに内容をコッソリ教えてもらえたかもしれないのにさ。
「以上の四名です。それではご移動の方、お願い申し上げます」
◇◇◇
外が冷えるとのことで、まずは男寮に置かれた厚手の羽織に腕を通した。
うなだれる背中を見せながら地下稽古場を出て、内務省重要保管庫の隠し扉に続く階段を上っていく。
いよいよ扉が開かれると、見覚えのある本棚が現れた。
最後に見たのは一カ月と半月ほど前のこと。
だからそんなに日数を隔てているわけじゃないが、どうも感覚というのはおかしなもんだ。
一日一日が濃すぎるゆえ、入門式の日から一年近くも経っているような錯覚に陥っていた。
いくつもの本棚の間を通り抜けると、入口横には小太りで片眼鏡をかけた人が座っている。
横を通る時、彼が「いってらっしゃいませ」と右目の眼鏡を左手でクイと上げた。
そして屋外に出ると――。
雲に覆われた灰色の空が視界いっぱいに広がった。
杉松の言う通り、気温が低く、鳥肌が立ちそうになった。
その上。
保管庫の奥にある門構えの前には、箱馬車が止まっている。
初めて東京へ訪れた時に乗ったものと相違はなかった。
「あちらの馬車に乗車してください」
杉松を先頭に箱馬車まで歩いていくと、以前に嗅いだことのある匂いが漂ってきた。
(やっぱりくさい……)
煙のような香りで、どうしても鼻を摘まみたくなる。
もういい加減、この匂いを消してくれよ。
はあ。気分が悪くなってきた。
空気を吸い込まないため、息を止めるようにして箱馬車へ乗り込む。
杉松は御者の横に、半眼生は向かい合って座った。
御者が手綱を軽く引くと、馬が足音を立てて歩き始めた。
◇◇◇
馬車に揺られる間は誰もが押し黙る。
手ぬぐいを頭に被る伏は石のように固まり、景色を眺める葉山は心ここにあらず。
困り顔の泥谷は何を思うか、天井を眺めている。
俺と言えば。
他の誰とも目線を合わせぬように俯くのみ。
景色を見たいけど、前に座る葉山か泥谷と目線が合ってしまったら嫌だからな。
もし半眼生が馬車に乗っていなかったら杉松に向かう場所を訪ねたりしたかったが。
まあ、もう流れに身を任せよう。
◇◇◇
三十分は経過しただろうかという頃、どこかに到着した。
西洋風の煉瓦で造られた正門が立ち並び、見上げるほど大きく立派だ。
その門の前には看守らしき人が二人いる。
「皆様、降車してください」
先に降りた杉松が箱馬車の扉を開けた。
「こちらは監獄になります。私の後に付いてきてください」
温和な表情を崩さずに伝えると、彼は腕で入り口を示しながら颯爽と歩き始める。
(監獄?)
もちろん聞いたこともない。
俺は動揺を隠しきれず、「あの……」と杉松を呼び止めてしまった。
「はい?」
「カンゴクって何ですか」
言い慣れない言葉を使い、思い切って質問した。
「罪を犯した、またはその疑いをかけられた方々が収容されている場所です」
もはや貼りついている笑顔で造作もなく答える杉松。
「ありがとうございます」と礼を言うも、俺はスッキリした顔ではなかっただろう。
悪い人が沢山いるところなのかな……と解釈し、監獄とやらの敷地に足を踏み入れた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
杉松という新しいキャラが出てきました。
そして音在一行は一体、何を見学させられ、判断しなければならないのか。
第四十七話もよろしくお願いします。




