第四十話 攻撃山の端緒
悪退の眼に入門してから早一カ月が経ち、試験まで残すところ二カ月を切った。
心身ともに限界を超え続けたことでボロ雑巾のような体だけど、入った頃の自分よりかは体力然り、精神面もぐんと向上した。
自分の成長を実感しながら、ある自覚もどんどん芽生え始めている。
言うなればそれは、人演狐と戦う覚悟。
二カ月後に迫った試験に合格したら終わりじゃない。
ここからが本当の起点であって、今以上に辛いことが待ち構えている。
だからこそ俺は強くならなきゃダメなんだ。
でないと人演狐を殺す基準を作ると息巻く以前に俺が殺されてしまうから。
いつしか、そう思えるようになったんだ。
◇◇◇
「皆さん、準備はよろしいですか? ――では位置についてください」
杖を「トン」と地面に叩きつけ、小内が俺たちを促した。
――相変わらず暗くて不気味だ。
十三尺弱ほど先にある暗闇を見つめ、体を構えた。
(絶対負けねえ)
心の中で自分を奮い立たせる。
もう前の自分とは違うと、こぶしを握りしめた。
目の前にある妖動山の入口を睨みながら、昨日起こった出来事を回想する。
◇◇◇
一カ月目、最終の一日が始まった。
早朝の走り込みをするために半眼生が体をほぐしていると、教官の鬼勢が声を張り上げる。
「半眼生の諸君、一旦集合してくれ!」
鬼勢による、唐突な招集命令に不審がりながらも、急いで黒板の前に集まった。
半眼生全員が列を作り、教官に視線を向ける。
「悪いな。しかし諸君らに伝えねばならないことがあるんだ。――入門して明日から二カ月目に入るだろ? あ、落第生は五か月目だけどな! 血涙を流しながらも稽古に耐え、いよいよ慣れてきたところで、明日からまた『妖動山走り稽古』を再開しようと考えている!」
俺は鬼勢の口から「妖動山」という言葉が出た時、固唾を飲んだ。
体に力が入るのを感じる。
(妖動山……初日に走った山)
あの日を回顧する――。
足場の悪い山道、蛇のように動く根、どこからか飛んでくる石、刃物のように切れ味のよい風。そして頂にひっそりと佇む祠。
障害物のせいで、いくら走っても一向に進まず、時間だけが虚しく過ぎていった。
途中で意識までもを失い、目が覚めた頃には傷まみれの体で横たわっていた。
痛めつけられ、苦しめられた記憶だけが残っている。
こんな経験は二度と御免だ、と思っていたのに、またあの試練がやってくるのか……。
「諸君らがひでえ顔になっ――ゴホン。あれだ、大変な目に合った山を走ってもらう! 来月からは週に一度、三か月目からは三日に一度の頻度で、だ。さらに以前にも言ったと思うが、試験でも走ってもらう予定だから侮るべからず! あははは!」
鬼勢が「ひでえ顔」という単語を言いながらニヤッと笑いそうになった時、一瞬小内の方を見た。
すると一度咳払いしたかと思ったら、表情を即座に戻した。
(あいつ……小内さんの前ではいい人ぶってんな)
俺が今まで言われてきた侮辱を隅から隅まで小内にチクってやりたい。
そんな気持ちが溢れ出る。
「まあただで走れとはもう言うつもりはない。妖動山の実態を知っているか否かで大分変わるゆえ、諸君らに手がかりを授けようと思っている!」
鬼勢が背を向け、白墨を手に持った。
――どうやら山を書いているようだ。
「よく聞けよ」
腰を捻り、彼が白墨で俺たちを指した。
◇◇◇
妖動山という山は蠢き様なる神様が支配している山だ。
蠢様の詳細は不明。
山がいつできたのかも、発見した人が誰かも不明。
高さは三十九丈六尺ほどで、通常の山なら走って上り下りすれば二十分程度で往復可能。
ところが普通とは異なり、入る者を皆敵とみなし、排除するための攻撃が飛んでくる摩訶不思議な山。
まるで生き物のように根を動かし、風を吹かせ、石を投げ、草や茎などで対象者に攻めかかる。
ただし動きのない者は死んだとみなし、攻撃を止める。
正直なところ、これらの攻撃を予測することはできない上、規則性もない。
攻め込まれた時は瞬時に避けるしかないのが現状。
しかし全く立ちあえない相手ではないことも確かだ。
なぜなら対象者の数が増えれば増えるほど、狙いが分散されるから。
もし山に一人で入った場合、狙う対象は一人なため、蠢き様は全方位からその者を攻撃できるが、人数が多くなればなるほど限定的になる。
そこまで万能な神様ではないらしい。
一度に攻撃できる回数、頻度が少なくなることで、不届き者の諸君らは集中して観察すれば避けることができる。
◇◇◇
鬼勢が説明している姿を食い入るように見ていた。
(そんな理屈があったとは……)
初めて明かされた事実に、俺は困惑の色を浮かべる。
やはりあの山に眠る神様は恐ろしいし、薄気味悪い。
どんな因果があって、あんなところで修業しなきゃならないんだ、全く。
それに知恵は得られたのはいいとしても、つまるところ、攻撃は察知して避けるしかないってことか。
溜息の一つもつきたくなった。
◇◇◇
鬼勢から妖動山の真実を告げられてからは、暗澹たる思いだった。
どうか明日が来ませんように、と手を合わせながら眠りについたが、無駄に終わってしまった。
(もう走るしか道はない)
現実から背く時間は終わった。
俺はやるしかない。
そう決意したら、あとはどうでもよくなってきた。
一カ月前の自分とは違うんだ。
心身ともに逞しくなったし、何もできなかった頃とは雲泥の差だ。
だから絶対負けない。
なんとしてもここまで戻ってくる。
それだけを考え続けよう。
呼吸を整えながらじっと合図を待った。
「それでは、全員走れ!」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
またこの時間がやってきました。
音在を含め、半眼生が痛めつけられた妖動山の走り込み。
さあ、どうなるでしょうかね。
四十一話もよろしくお願いします。




