第三十九話 予感めいたもの
東の涙の一件から、二週間と数日が経った。
あの日以来、彼との進展はなく、平行線が続いている。
互いに顔を合わせたとて一礼するのみで、俺が親しみを込めて近寄った時もあっちはいたって他人行儀だった。
行き場をなくした自分のこぶしを握りしめることしかできなかったんだ。
◇◇◇
悪退の眼に入門してから始まった痛苦の日々。
走って、割って、振って、鍛える。
同じことを毎日毎日、繰り返していった。
いつしか二人の半眼生――美麗と断髪の志々目も復帰し、十五人全員で厳しい稽古を受けていた。
性別を問わず、汗水を大量に流しながら体に鞭を打つ。
そんな日常のおかげか、次第に体が慣れていったように思う。
早朝の走り込みは自分の最適な速度を保つことで、一定の距離を冷静に走れるようになった。
実を割る前に石を何度も持ち上げたことで腕力がつき、百回目に達するまでの時間をかなり短縮できた。
想像力と正確性の意識付けを徹底し、二週間を経たずして木の実を割ることに成功した。
一万回の素振りはやっぱりキツイ。
だけど二週間目を過ぎたあたりで、二千回まではついていけるようになった。
筋肉を鍛える時も、腕を酷使する懸垂や腕立て伏せ以外は我慢できるまでになった。
自分の体を極限まで追い込むことで自然と体力がつき、さらに自信も芽生え始めていた。
「俺もやればできるんだ」
そんな言葉を口にするようになった。
今までは勝手に限界を決め無理だと思い込んでいただけで、どうやら人間は、為せば成るらしい。
◇◇◇
「それでは本日の観察眼稽古は以上とします。お疲れさまでした」
物部による瞑想という名の退屈な稽古を終えた後は、平素の通り掃除が待っている。
「いやあ疲れた……! それに腹もペコペコだ!」
「だねえ。僕もうへとへとだよお」
「俺様も早く飯食べてえ」
地面を雑巾で拭いている高城と感応、それから阿保の王様――じゃなくて十王の会話を側で聞いていた。
「ていうか僕、地上に行ってお買い物とかしたいなあ。ずっと稽古続きで疲れる! それに飽きちゃったあ……」
「だいだい! 俺様も床屋に行って髪を整えたいところだい!」
「俺も久しぶりに外に出たいぞ!」
なんていうお気楽なやり取りに耳をそばだてる。
三人は言葉の節々で荒い呼吸を挟みながら、地上に思いを巡らせていた。
(俺も東京の町を歩きてえな)
今まで住んでいた村を出てから入門式を行うまでの間、俺は古寺で自由気ままに過ごしていた。
そりゃあ究極の二者択一を迫られて切羽詰まっていたこともあったが、衣食住を約束された環境はそりゃあいいものだった。
あんな生活が一生続けばいいのになあ。
そんな夢物語を頭の中で描きながら、雑巾を手に地下を駆けた。
◇◇◇
夕飯を食い、風呂から出た。
のぼせた体を冷やすために休息室に行き、長椅子に座り目線を上げる。
どうやら斜め奥の椅子にも半眼生がいるようだ。
俺はそいつの名をポロッと口に出してしまう。
「美麗か」
姿勢よく椅子に腰かける背の低い女――美麗玲子は無表情のままだ。
「……」
「き、今日疲れたな……」
「ええ」
彼女は俺をちらと見たと思ったら、すぐに視線を外した。
話しかけるなという雰囲気を醸し出している。
「お、お前も女なのによく稽古についてこれるよな。あと力石も」
「……」
「まあそりゃあ俺たちよりは手加減してもらってるとはいえ、すげ――」
「黙ってくださる?」
頭を搔きながら本音を伝えていたら、力強く割り込まれた。
半開きの口の俺をねめつけながら、
「命の奪い合いに性別もくそもないわよ。その愚かな口を閉じてちょうだい」
と凄んだ。
これ以上は声を出せなかった。
美麗の無言の圧力に耐えきれなくなった俺は、そそくさとその部屋から逃げていく。
「あいつ顔はいいのに、性格がきついんだよな」
もっと笑えば可愛いのに……なんて残念がりながら男寮に戻った。
◇◇◇
寝床に着くと、なにやらいざこざが起きているようだと気付いた。
事の流れをあたふたする感応に尋ねてみると、こういうわけだった。
十王が自身の手鏡を持ち、いつもの如く髪を整えていた。
その時、偶々鏡の中に映った東の姿が一瞬おかしく見えた。
といっても彼が手鏡を動かしたことによる錯覚でそう見えてしまっただけかもしれず、確証はもてなかったようだ。
しかし時が時、環境が環境なだけあって敏感に反応してしまった結果、
「東が変だい!」
と大声を上げてしまったことで、東が尋問―特に荒角と泥谷から―を受けていた。
◇◇◇
「てめえどういうことだよ、東」
荒角が物凄い形相で東を睨みつけながら、語気を荒げる。
角の立つ言い方に俺の体は震えあがった。
「ど、どういうこともなにも十王さんが勝手に騒いだだけじゃないですか」
東は両手をひらひらさせて必死の抵抗を試みている。
「騒いだだけじゃねえよ。普通の人間が鏡に移ったらおかしなことなんて一つもねえはずだ。じゃなきゃ変だなんて言わねえ」
「いやいやただ十王さんが鏡を動かした時に、変に映っているように見えただけですって。ただの言いがかりにほかなりません」
「ペラペラうるせえな。観察眼指南で疑わしきは罰せと教わったろ?」
「いやいや疑いようもありませんよ! 誤解を生むようなことはやめてください!」
二人が言い争っている様子を傍目から観察する。
どんどん過熱していきそうな勢いだ。
俺の心臓が早音を打つ。
「ドクンドクンドクン」
東が荒角に詰められてる。
人演狐であるはずの彼が、疑いの目を向けられ始めている。
――俺は気付かなかった。
悪退の眼は人演狐を殺すための能力を学ぶ場所。
そんな殺意が漲るところに東は自ら乗り込み、自ら居続けている。
いわば敵の居場所にのこのこと足を運ぶ、自殺行為に過ぎない。
常に張り詰められ囚われた地下にいて、疑われない保証は一切ないんだ。
いやむしろ疑われて当然かもな。
あいつだって完璧に人間を演じれるわけではない。絶対に隙はある。
その隙を見逃すようじゃ俺たちは到底、炯眼士になれっこない。
いつかはバレる運命なのかもしれないと、そんなことを今更考えた。
(愚かだな俺は)
ただ東自身はどうだろう。
その覚悟を持ってここへ来たのか、はたまた演じられるという自信を持っているのか。
――「俺は人間だ」
あの時――東京の町で会った東の姿が頭に浮かぶ。
噛み締めるように断言する、その姿を。
それはまるで自分を言い聞かせるような気迫を含んでいた。
俺は足を踏み出し、二人の側まで行くと止まった。
「おいもうやめろよ」
「ああ?」
東に強烈な視線を送っていた荒角が俺を見る。
「十王は少し大げさなところがある。あいつの判断が間違ってたんだ」
「決めつけんじゃねえよ」
「それにこんな人演狐の殺意にまみれた場所にやつ自らが入ると思うか? もし来ても鬼勢さんがぶった切ってる」
「はあ?」
「いい加減落ち着けよ、こいつはどっからどう見ても人間だ。俺が保証する」
「人演狐は見た目は完璧な人間だろ。お前に言われても信用ならねえんだよ」
何を言っても言い返される。
俺は何を説明すれば信じてもらえるのかを探っていた。
「僕も十王くんが間違ってると思うよお」
突然、横に入った感応を見下ろす。
「ほら十王くん、いつも手鏡を持ちながら左右に動かしてるでしょ? その時に東くんが偶々入って、手を動かした拍子に東くんの体が延びたように見えただけじゃないかなあ?」
「はあ?」
「そうだよね、十王くん?」
感応が事の発端である十王に体を向けた。
当人は呑気なもので、まだ手鏡を持ちながら自分の顔を覗き込んでいる。
「ああ、そうかもしれねえ。左右に動かしすぎて目が回って酔っちまって、東が変に映ったと勘違いしたかもしれないやい」
「でしょ? てことでこの一件は終了う! さあみんな寝よ?」
お騒がせ男の十王がお気楽にもそんな証言をしたことで、感応が手をパンと叩いた。
その結果、東の疑いが晴れ、荒角が憎そうに「チッ」と舌打ちをしてから、泥谷とねぐらを出ていった。
「東くん大丈夫う?」
「はい……」
「よしじゃあ寝よっか!」
俺は荒角の恐ろしさで足がへたりこんでしまった。
彼とは対照的な感応に癒され、目線を下げたままの東を心配しながら、床に就いた。
(なんかこれから不安だな)
布団に寝転びながら将来を案じた。
ただでさえ閉鎖的な空間で、閉じられた人間関係の中にいる。
なにが起きても不思議じゃないとすら感じる。
東は平気だろうか。
感応が手助けしてくれなかったら、俺一人じゃどうにもできなかった。
あとで礼を言わないと。
その時、寒さで体が震えた。
小刻みに動く体。
なんとも言えない胸騒ぎを覚える。
不穏な風が漂う予感がする。
そう思えてならなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
第四章はこれにて完結です!
結構長くなってしまいましたが、ようやく終えました。
五章も頑張ります。
引き続き、よろしくお願いいたします。




