第三十七話 真偽の種まき
「昨日の観察眼指南では、狐の特性についてお伝えしましたよね」
疲れ切って、今にも目が閉じそうになる。
寝たら怒られるのは火を見るよりも明らかだから、皮膚を強くつねることで我慢していると、「トントントントン」という音が黒板から響いた。
――どうやらまた物部がお絵かきをしているようだ。
(やっぱりあれは……狐じゃねえ)
形は似てるかもしれないけど、それまでに過ぎない。
「本日は人演狐の人間としての側面、さらに人間とは異なる一面、最後に人演狐ならではの面をお教えします」
物部がさらに人のような絵を書き足してから、本題に入った。
「人演狐は狐としての特性と人間に成ってから得た特質を掛け合わせた者をいうと学びましたよね。そのうちの後者については言うまでもないかもしれません。なぜなら人間としての特質は皆さんにも共通しているからです。例えば、二足歩行になったとか家屋を持ち、衣服を着たりといったようなことです。皆さんと同じような生活をするようになりました」
人間として得た面は俺たちと同じ。
まあそりゃそうだよな。
「続いて、人間とは異なる一面についてです。一部例外は除くとして、世間一般的に見ての相違です。これは無意識の違いにあります」
(無意識の違い?)
「見た目で人間か人演狐かを判断するのは正直なところ、至難の業ですね。姿かたちは完全に人間ですので。特別な能力でも持ち合わせていなければ、一目では真偽を見極められません」
特別な能力という言葉を聞いた時、咄嗟に俺は自分の右耳に触れた。
ただの障害だと思っていたこの耳が、人演狐からの音を察知できる機能をも兼ね備えていたんだ。
これが特別な能力、ということなんだろうな。
「そこで判断材料の一つである、無意識の相違について、皆さんに学んでいただきたいと思います。ただし初めに言っておきますが、全ての人演狐に当てはまることはないということを覚えておいてください。全てが同一の者でないのです。多数もいれば少数もいますので」
物部が「さて」と言いながら、手を叩いた。
「無意識という領域についての話をします。例を挙げるとすると、私がここで突然大声を上げたら皆さんの体が瞬間的に反応しますよね。これはいわゆる無意識の行動というものです。このように人間である皆さんの無意識と、人演狐の側の無意識とで異なる部分があることが分かったのです」
俺は皮膚をつねり続けながら、彼の話を聞いていた。
人間が意図せず行う動作が人演狐と違う部分があると言われても、何もピンとこねえ。
右隣りにいる東だって、特におかしな行動をしていた覚えはないからな。
違和感のあることなんて一つもなかったぞ。
物部が無意識の行動の違いについて、例を交えて、長々を話し始める。
◇◇◇
大きくわけて三つの要素があります。
一つ目が反応の違い、二つ目が好物を前にした時の違い、三つ目が速度の違いです。
まず、反応の違いの一例について。
一般的に、人間は何かの音が急に聞こえた時、瞬時に肩を上げ、のけ反りながら驚くのが通常の反応だと言われています。
しかし人演狐に関しては、以前の狐としての本能により、逆に体を低くするわけです。また、まばたきの数も極端に減ります。要は警戒反応を即座に示し、戦闘体勢に切り替わるのです。
二つ目が好物を前にした時の違いです。
狐は肉食寄りの雑食性だとお伝えしましたよね。
やつらは人間のように植物も食べますが、特に動物の肉を好んで食べます。
現在は人間の消化器官の特性により、生きた動物をそのまま食べることはありません。しかし肉を好んで食べるのは変わりません。
そんなやつらが肉を前にした時、野生の頃の本能が蘇ります。
本性の現れは様々です。
気性が荒くなる者、まるで獣のように無作法に食らう者、目をギラつかせる者、異様に呼吸が乱れる者、まばたきの減る者と多種多様です。
人間にはないような反応を見せる場合は人演狐の可能性が高いと思ってください。
三つ目が速度の違いです。
もとより狐は身体能力が高い生き物でしたので、人間以上に速い動きを見せます。
例えば、体をかわす時、物が落下した時に見せる反射速度、足の速すぎる者と様々です。一瞬の仕草の速度然り、人間以上の能力を見せる者は人演狐の可能性ありです。
このように要素を分解して、人演狐だと特定していきます。
◇◇◇
物部が話し終えた頃には、俺の頭から煙が出ていたと思う。
疲れて考える気力すらもないのに、ペラペラと相違についての内容を語られても、覚えられるわけがねえんだ。
そんなところまでいちいち気にしなきゃ区別できないなんて無理だろ。
どんだけの年数重ねたら、人演狐だって見抜けるんだよ。
ただ……俺には特別な力がある。
(人演狐の音が分かるんだ)
これがあれば十分じゃねえか?
鬼勢が前にこの能力だけじゃ足りない的なことを言ってたけどさ、もうこれだけあればよくないか?
と、自暴自棄に陥りそうになる。
極限まで体を鍛えて、かつ観察眼まで磨かなきゃならないのが辛い。
達成しなきゃならないことが多すぎて手に負えねえって。
「俺なんかじゃ炯眼士になれないのかも」
首を垂れ、ぼそりと弱音を吐いた。
瞳がどんどん潤んでゆく。
そんな俺を置いてくように、物部が話を進めていった。
「続いては人演狐ならではの面に関してですね。それは、影の揺れ、鏡の中の姿、甘美な匂い、不気味な音、黒い煙です。他にもありますが、代表的な要素を取り上げています」
物部がそれらの特徴を言いながら、指を折り曲げていった。
俺は周りにばれない程度に潤んだ瞳を稽古着で拭いてから、また彼に注目した。
◇◇◇
影の揺れはそのままの意味です。
彼らの影は時折不自然に揺れることがあります。
それも本人は全く無自覚の場合のみに限ります。
理由は分かりませんが、やはり人間としての体を維持し続けることにも限界があるのかもしれません。
続いては、鏡の中の姿について。
人演狐が映る鏡を覗くと、一瞬、体の一部が異様に飛び出したりといったように、明らかに普通とは違う姿が見えます。鏡は本質を捉える道具なわけです。実に面白いと思いません?
人演狐から漂う甘美な匂いについては、諸説ありますが、核から放たれる香りである説が濃厚です。
匂いが放たれる理由も存じません。さらにこの匂いが人間の体にどんな影響を与えるのかは、まだ調査中です。
まあよからぬ効果があることだけは理解できます。
我々で結論付けができ次第、また皆さんにご説明しますね。
ちなみに甘美な匂いにも種類があり、花や果物などに分類されたり、言い表せないような漂いを放つ者もいるようです。
次に不気味な音に関しては、骨の音なのか、核の音なのかは知りませんが、「ボキボキ」や「パラパラ」などといったような人間からは鳴りえないような不気味な音が聞こえてきます。
音が聞こえる瞬間は、そう多くはない上、普通の人間にはまず聞こえません。
最後は黒い煙です。
実は人演狐の核は黒い煙で覆われています。核を守るための大事な要素らしく、その煙が目視できることもあるのです。特に人演狐の感情が高ぶった時に比較的見えやすくなります。
以上の要素が人演狐にしかない面についての紹介でした。
◇◇◇
(な、長い……)
俺は頑張って物部の話を聞こうとしたが、途中から眠さに負けそうになり、また手や足の皮膚をぎゅっとつねっていた。
ただ……人演狐から聞こえる不気味な音の話は聞き入ってしまった。
俺の耳に届く違和感と似たような現象が話されたためだ。
しかしそれ以外にも意外と見分けられる部分はあるらしい。
そういえば、いい対象が右隣りにいるのを思い出す。
よし、稽古の時に東の影を覗いたり、どうにかしてあいつの前に鏡を置いてみるか。
それからあいつの側まで近寄って匂いも嗅いでみないと。
「という感じですかね。皆さん理解できましたか? できた方は挙手をお願いします」
俺は目を左右に動かした。
ぞろぞろと手が上がっていく中、俺も反射的にゆっくり手を上げた。
「流石は半眼生の方々です。皆さんの目は眠さで半眼のようですけど、心は炯眼に近付きつつありますね。あっぱれ、いっぱれ、うっぱれです!」
シーン。
物部の発言の後、その場の空気が冷えた。
(あれなんだろ、寒さで目が覚めてきた)
このひょろ長い人はいちいち面白くもない駄洒落を挟まないといけない体質なんだろうか。
その場の雰囲気が固まっていても本人は慌てる素振りもなく、至って平常心を貫いている。
どうやら肝っ玉の据わった変人らしい。
「ではでは、最後は瞑想といきましょうか」
大きな目をぎょろりと動かし、そう指示した。
俺はそっと目を閉じた
後は眠さとの戦いだけが続いた。
結局はそんな時間が続き、意味のない時間となった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
人演狐を見分けるさらなるヒントを変人の物部が伝授してくれました。
音在は終始眠そうでしたね。
他のみんなも同じような状況だったと思います。
では三十八話もよろしくお願いします。




