第三十六話 苦痛の先へ
「カンカンカンカン!!」
突然、耳を劈くようなけたたましい音が男寮に鳴り響いた。
(――うるせえ)
「カンカンカンカン!!」
(――もう黙れって!)
瞬間、俺は飛び起きた。
薄目を開けて、周囲を見渡す。
(今の強烈な音はなんだよ!)
どこから何の音が鳴ったんだ?
人がせっかく気持ちよく眠ってたのに。
ったく、邪魔されたじゃねえか。
(最悪の目覚めだ)
「パキパキ」
唾を飲み込むと、右耳の奥で渇いた音が響いた。
はあ。朝っぱらからこの雑音を意識したくないよ。
イライラしながら寝巻から、洗ってもらった墨色の稽古着に着替え、布団を畳んで両腕に抱えた。
それを壁際まで運ぶ間、盛大な欠伸をかます十王や、あちこちにはねる薫兵藏の寝癖姿が視界に入る。
不覚にも俺はフッと笑ってしまった。
あいつらのおかげで怒りが少しだけ収まった。
布団を積み重ねた後は朝飯を食うために、男寮から食堂に移った。
長卓には十くらいの人が座り、みな黙々と食らっている。
台所の前まで歩き、木膳を取った。
飯をその上に乗せながら中を覗くと、昨晩いた頬の張った料理人でなく、目力の強い老人が大鍋をかき混ぜている。
俺は老人に対して小声で「いただきます」と言って、台所を離れた。
今朝の献立は白米と味噌汁に加えて、主菜が塩鮭、副菜が沢庵。
なんとも旨そうで、よだれが出てくる。
(早く食いたい)
彩豊かな飯を前に、腹の虫がグーグーと間抜けな音を上げた。
箸を持ち、脇目も振らず、礼儀もわきまえずにがっついた。
「もう腹いっぱい」
存分に朝飯を食ったのち、男寮に戻り、稽古に備えて体をほぐす時間を取った。
◇◇◇
「半眼生の皆さん、おはようございます。本日も実りのある一日にしていきましょう」
小内の淡泊な声より、一日の稽古が始まった。
隣にいる教官の鬼勢はなにやら眠たそうな様子で、時折、人目も気にせず大きな欠伸をしていた。
(あいつ寝不足か?)
どうせ酒を片手に女との夜遊びにふけっていたんだろ、と勝手に解釈しながら、ある疑問が浮んできた。
(教官らはどこで暮らしているんだろう)
俺たちのように寮があるのか、はたまた自分の家に帰っているのか。
試しに聞いてみたいけど、答えてくるのかな。
尾行でもしてみるか?と悪知恵も働いたが、秘密裏に閉じ込められた地下から抜け出すことなど到底できない。
そんなことを考えていたら、小内が「早朝は森を駆け抜けていただきます」と笑い、杖を「トン」と突いた。
階段を上って薄暗い森に移動し、足場の悪い中、全員――いやまだ十三人か――で走った。
俺はまだ回復したばかりな上、足の筋肉が痛くて全く速さがでなかった。
他の半眼生も同じような状況で、高城は終始右足を引きずっていたし、伏は途中で過呼吸になり木にもたれかかっていた。
寝癖のひどい薫兵藏も石っころに足を取られて突っ伏し、なんと鼻から血が出ていた。本人はケラケラしていたが。
東も疲れが見え隠れしていたし、落第生の空丸も辛そうだった。
あのムカつく二人は平静を保っていたけどな。
負けてなるものか、と対抗心を燃やせど、あっけなく差を開かれてしまったのが腹立たしい。
でもなるべく足は止めずに、必死に取り組んだ。
◇◇◇
「皆さんお疲れさまでした。続いては木の実割りです」
昨日挑戦した実割りを今日も行った。
石を百回持ち上げた者から先に木の実を分断させる。
「よし……石上げ終わった」
両腕もズキズキと痛むから、上げるのに時間がかかってしまった。
顔を歪めながら木の実を見つけ、右手で包む。
そして昨日、感応から伝えられたことを頭に浮かべた。
「実の殻にあるつなぎ目を指のかたい部分で押し当てる」
ぱっと弾けるように笑いながら、感応が与えてくれた助言を自分なりに要約して呟いた。
「グッ!」
指のかたい面を殻に押し当て、全ての力を手に籠めながら、思考を巡らした。
ただ単に力を入れても俺の握力じゃ決して割れない。
要は想像すること。的確に狙うこと。
俺は頭の中であることを描いた。
殻のつなぎ目を左右から押し当てて、実をグシャッと潰す様子を。
または針のように鋭い指先を一直線に動かし、真っ二つにぶった切る瞬間を。
「フン!!」
それらの様子を思い浮かべるごとに蓄えた力を一気に放出する。
この動作を何度も繰り返した。
しかし――。
「――い、もう諦めろ」
誰かが俺の肩を叩いた。
瞬時に相手を見ると、眉間に皴のよった鬼勢が後ろにいた。
「あ、すみません」
その瞬間、一気に疲れが押し寄せ、「ハアハアハア」と肩を大きく上下させた。
「随分と集中してたようだがな、大事なことを忘れてる。呼吸はしっかりしろ」
と鬼勢が腕を組んだ。
驚きを含んだような瞳をこちらに向けている。
「はい……」と一言だけ添えて、あとは手を膝につき、呼吸を落ち着かせていた。
◇◇◇
結局木の実を割ることはできなかったが、やり方は何となく掴んだと思う。
明日からも同じようにやればいける気がする、という自信が湧いてきた。
(俺も成長してるんだな)
なんだか少し嬉しくなる。
木の実割りを終えてからは、一万回の素振りをし、案の定ぶっ倒れた。
うつ伏せの状態で、舌を出しながら半目で寝転ぶ。
「ああきっちい……」
隣で素振りしていた感応も「僕もう限界かもお……」と、張り付いた笑顔のまま胸を大きく動かしている。
あっちもこっちも地面に倒れ、虚ろな目をどこかに向けていた。
東も例外ではなかった。
荒角と泥谷は木刀を杖代わりにして、腰を丸めている。意地でも地面に頭をつけたくないようだった。
やっぱりこの時間は辛いな……。
そんな苦痛の後も稽古は続いていく。
次は、筋肉を鍛える時間だ。
「思い切り筋肉を刺激して、ムキムキを目指そうぜ!」
引き締まった自身の上腕を見せながら鬼勢が気楽に笑ったことで、半眼生との気分の差が浮き彫りになった。
俺は雑巾を絞り切る前の最後の力を使い、稽古に挑んだ。
「いてててて……」
もう足も腕も腹も、何もかも痛くて動けない。
筋肉鍛錬を終えた後の俺は雛鳥のように歩くことしかできなかった。
それはもう惨めだが、そうしないと無様に転んでしまうほど限界を迎えていた。
◇◇◇
息も絶え絶えの状態で、本日最後の『観察眼稽古』が待っていた。
また物部とかいうひょろ長い人がやって来て、「皆さんこんにちは、いやこんばんは」と言いながら手を振った。
「お疲れのところですが、観察眼指南の続きを進めていきますよ」
そう言って、ニヤッと口角を上げ、歯を見せた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
さて、四章も残りわずかとなりました。
音在も少しは成長していそうですかね。
そうであると嬉しいのですが。
では三十七話もよろしくお願いします。




