第三十四話 至福の夕飯
今日一日の稽古がやっと終わった。
立ち上がるだけで「グッ!」と歯を食いしばってしまうほどに両足が痛い。
そんな状態なのに小内が「使用した稽古場は毎日掃除しましょう」と言うから、俺たちは広大な地下稽古場を雑巾がけさせられた。
美麗と志々目はまだ療養中のため、十三人で広範囲すぎる場所を隈なく綺麗した。
「はあ疲れた……」
至るところからそんな声が聞こえてくる。
俺も掃除を終えた頃には疲弊しきっていた。
「やっと自由時間か……」
大きく息を吐いた。
厳しい時間に耐えた代償を全身で感じる。
(いてえな)
体を動かすにも壁を伝ってでないと無理だった。
それほどに限界を迎えていたんだ。
なんとか左から三番目の扉まで移動し、それを開けた。
(寮に来たのは初めてだな)
俺は入門初日から今日までずっと医務室で治療を受けていたから、寮には一度として入ったことがなかった。
そのためどんな間取りなのかを詳しく知らない。
力の入らない手で扉の握り部分を掴んで開くと、目先に見えるは一つの長い通路だった。
奥に進むごとに道幅が広くなっているようだ。
壁には左に三つ、右に四つの入口があり、突きあたりにも戸が見える。
俺は通路を歩き、左側の戸の前で立ち止まった。
上を見上げると、『男寮』と刻まれた四角い板が掛けられている。
そして戸を引いた。
すると中には横に広い部屋があった。
(ここが寝床か)
十二人いる男の半眼生が全員横になっても余りあるほどに広々としている。
(狭くなくてよかった)
素性も知らない人間とともに寝るだけでも息が詰まるのに、その上窮屈な床だったらどうしようかと思っていた。
しかし杞憂に過ぎなかったようで安心だ。
すでに男寮の寝床には、二、三人の半眼生がそれぞれ体を休めていた。
全員疲れているためか誰も口を開かず、しんとしている。
(……あれ?)
思わず目を凝らす。
一人、違和感のあるやつが混じっているからだ。
俺は躊躇いつつもそいつに近付き、声を掛けた。
「おい感応」
布団の上に横たわっていた感応が眠そうに上半身を起こした。
「音在くん、どうしたのお?」
「いや、どうしたもなにも」
俺はまごつきながらも当たり前のことを伝えた。
「ここは男寮だぞ?」
ところが、感応はいたって普通、慌てふためく様子がまるでない。
「うん知ってるよお」
「いやいやお前何言って――」
「?」
「音在くんは何を動揺しているの?」とでも言いたそうな表情で、こちらが面を食らってしまった。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で指を差す。
「だってお前、女だろ?」
俺の言葉を聞いた感応が一瞬、固まったかと思うと、次の瞬間には「フフッ」と笑い始めた。
「音在くん、まさか僕のこと、女の子だと思ってたのお?」
「え、違うのか?」
「違うよお! 僕はれっきとした男の子だよお!」
「嘘だろ。本当なのか?」
「なんで嘘をつく必要があるのお? じゃあ、お風呂一緒に行くう?」
「い、いやいい……」
こいつが男だってのは本気なのか。
まだ信じられないけど、よく考えると、もしこいつが女だったらわざわざ男寮には来ないよな。
当然のごとくここにいるということは、感応が男ということを明白に示している。
そういえば木の実割りの稽古で助言してもらった時に、自分のことを「僕」と呼んでいたっけな。
(正気かよ……)
見た目はどう見ても女なのに……。
こんな可愛らしいやつが同じ男だなんて世の中、色々なやつがいるんだなあ。
「わ、悪いな、勘違いして……」
「いいんだよお! そう思っちゃうのも分からなくはないしねえ」
俺が頭を下げて謝ると、両手を振って気遣ってくれた。
感応は優しいな……と申し訳ない心情を抱きながらその場を離れる。
引き戸まで歩いて開き、長い通路を眺めた。
男寮の隣が厠、その隣が風呂。
反対側は手間から倉庫、女寮、女用の厠に風呂が並んでいる。
女の半眼生は感応を含めて三人いると思っていたが、どうやら美麗と力石の二人だけのようだ。
小柄な美麗に、大柄な力石。
思えばちぐはぐな二人だな。
ていうか、あいつら二人だけで寝床を占領できるのか。
それに美麗が医務室から帰ってくるまでは、力石が独占してる状況ってこと?
マジかよ、羨ましいったらないぞ!
あれ……そういえばこの寮に住むのって半眼生だけだったよな……?
他にも地下で稽古してる人を見るが、あれは誰なんだろう。三等炯眼士とかかな。
彼らは一体どこで生活をしてるんだ?
見る限り、この寮には半眼生しかいないしな。
俺は次々に出てくる疑問を解決できないまま、一番奥の壁を眺めた。
目を細めながら、戸の上にある板を確認した。
そこには『休息室』と刻まれている。
(あそこは何だ?)
よく分からないけど、まだ部屋があるらしい。
今は足が痛くてそこまで行けないけど、今度入ってみるか。
そうと決めて寮を出た。
男女の寮がある扉を出て、左隣りの扉を開けた。
左側はただの壁で、右側に大きな引き分け戸がある。
俺は目線を上げた。
そこには『食堂』という文字が刻み込まれており、いい匂いが漂ってくる。
(飯食う場所だな)
戸を引くと、細長い木製の卓と長椅子がそれぞれ二つ並べられていた。
そこに何人もの人間が座り、それぞれ飯を食っている。
食堂の側にある台所からは、包丁の音が聞こえてくる。
食事の時間は決まっていて、朝は四時から五時、昼は十一時から十二時、夜は十八時から十九時の間に、食べなきゃならないらしい。
食事以外の時間は卓と椅子を片付けて、個人で練習する部屋として使えると教官が言っていた。
(どこで食うかな)
俺は辺りをキョロキョロし、座れそうな席を探しながら台所まで行った。
木膳を持ち、右に移動すると、目の前に両頬の張った料理人が現れた。
「あれ、君は新入り君かな?」
彼が頬をさらに張らせて微笑みかけてきたから、「はい」と返事をする。
「稽古大変だろう。たくさん食べてうんと休みなさいな」
「ありがとうございます」
柔和そうな人だ。
笑うと目尻にできる皺が柔らかい印象を与えている。
俺はその人にお辞儀をし震える手で飯を取ると、木膳に置いた。
台所には眠そうな目をした別の料理人もいて、懸命に野菜を切っている最中だった。
足を引きずるようにして席まで歩く間、男寮での出来事を思い出していた。
「感応が男だった」という事実に改めて言葉を失っていた時、「グー」と腹が鳴った。
壁際に座り、出来立ての飯を眺める。
今日の夕飯は白米、味噌汁、大根の煮物、そして何かの肉を焼いたものだ。
(何度見てもすげえや)
料理が豪華で、俺は目を丸くした。
医務室で食べていた時から思っていたが、この組織の料理、本格的すぎないか?
ここに来る前は白米なんて食べれないから麦米だった。味噌汁もこんなに鮮やかなことはなかった。
それにこの旨そうな肉はなんだ……?
肉なんて滅多に食えるもんじゃねえし、そもそも人生で食ったことあったかな?
それぐらい見慣れてなさすぎる料理だった。
周りには半眼生の伏や葉山、棟方がいるが、当然話しかけられない。
見たこともない大人の男女もいる。
東はどこにいるんだろう……とふと気になり、あいつを探した。
「あ、いた」
俺とは別の卓に座り、行儀よく飯を食う彼の姿が見えた。
(あいつ意外と食べ方綺麗だな)
もしかしたら実家が太いのかもしれない。
そんなことを考えた。
もっと気楽に話せたらいいのにな……と嘆息しながら箸を掴み、味噌汁を一口飲んだ。
「う、うま……」
つい言葉がぽろっと出てしまう。
実家で食べていた味噌汁とは歴然とした差があるからだ。
続いて、大根の煮物、それからよく分からない柔らかい肉を食べ、さらに白米を掻き込んだ。
(うますぎる)
疲れた体にはもってこいの飯だった。
もう飯なんていらないから早く寝たいとすら思っていたのに、一度食べたら止まらなかった。
俺はもう夢中で食べ続けていた。
「ごちそうさまでした」
あっという間に食べ終わってしまったな。
お腹がいっぱいだ。
満腹の腹を擦っていると、自然とげっぷが出た。
完食した後は、器を片付けて、満足気に食堂を後にする。
風呂に入ろうと思い、寮用の扉を開けようとしたその瞬間。
「どけよ」
そんな一言が背に飛んだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
寮での様子を書きました。
いかがでしたか?
次回も寮の様子の続きです。
では三十五話もよろしくお願いします!




