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人演狐  作者: 幸人
第四章 痛苦の序章

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第二十九話 割ることの難しさ

怒涛の入門初日からの七日間、俺は医務室――畳の間とは違う、洋風の部屋だった――の中で横たわっていた。

丸眼鏡をかけた医者に怪我の経過を見てもらい、身の回りのことは二人の手当て役の女に任せ、やることもなく壁を見つめた。

両隣にいた負傷者たちとの会話もない、痛みに耐えるだけの苦痛の毎日。

そしてあの日から一週間が経った今日、ようやく稽古に参加できる許可が下りた。



◇◇◇



起床して手当て役が用意してくれた朝飯を食べ、まだふらつく足で地下稽古場の壁沿いまで歩く。

一週間ぶりに顔を合わせる半眼生(はんがんせい)もおり、顔がこわばるのを感じながら待機する場所まで来た。

俯きがちにその列に混ざり、無言で教官を待つ間、揃ってない列にちらっと目を向ける。


(あ(・)い(・)つ(・)ら(・)大丈夫かな)


まだ回復してない半眼生がいる。

一人は美麗(びれい)、もう一人は陰の薄い志々目(ししめ)。

言っちゃあ悪いが、俺のように貧弱そうな二人だから心配してる。

早く元気になるといいな…と願いつつ、改めて妖動山(ようぞうざん)の過酷さも思い知らされた。


さらに、あいつ――東(あずま)が立つ方に視線を移した。


(久しぶりに会った感じがする)


唇を硬く結ぶ東を捉えながら、鬼勢(きせ)から告げられたことを思い出す。

自ら悪退(あくたい)の眼(め)に入りたいと望んだ彼の心根を探りたいが、今のところはまだ話し合えてない。

話しかける機会は今度いくらでもあるだろうから、ゆっくり探っていくつもりだ。


それより……あいつ意外と体力あるんだな。

俺より怪我の程度が軽いのか、医務室で見かけることはなかったし、見た感じ、いたって健康そのものだ。

いいなあ、羨ましい……。

羨望か嫉妬か、そんな感情を向けているところに教官二人がやってきた。

俺たちは姿勢をビシッと正し、大声で挨拶をしてから一礼した。


「諸君らおはよう! 今日も張り切っていこうな!」

「皆さんおはようございます。本日も頑張っていきましょう」


二人が口々にそう言い、


「本日の稽古内容を伝えます」


と、小内(おさない)が杖をトンと叩いてから、今日の流れをざっくりと説明した。


「――という感じで進めます。はい、それでは、朝一番の走り込みの準備をしてください」


俺たちは体を入念にほぐして、走る位置についた。

回復したばかりの半眼生は無理をせずという指示があったので、無茶しすぎない予定でいる。

教官が「終了」と言うまで何往復と走らなければならないらしいからな。


「全員、走れ!!」


教官の合図のもと、俺たちは一斉に走り出した。

開始早々、先頭集団との差がみるみる大きくなっていくが、気にする余裕なんてない。

終わりが来るまで、無心で動かないと。


「ハアッハアッハア……」


早歩き程度で進んでいるが、嫌に広い稽古場だから一往復するだけで疲れる。

止めどなく汗が落ちていき、いつしかそれが地面に落ち、滑って転んでしまいそうになる。


「フウ、フウ……ハア……フウ」


運動していなかった体には正直、すごくキツイ。

過呼吸になりそうになる。

でも呼吸を整えたり、時にはその場で止まって休憩したりしながら必死で耐えた。


(早く終われ、早く終われ)


途中からはそんなことばかりを考えていた。

いやもうそれしか頭になかった。


「ピー!!! 終了!」


ようやく終了の合図が地下に鳴り響いた。

教官の一人が呼子笛(よびこぶえ)のようなものを吹いたんだ。


俺はその瞬間、バタンと倒れ込み、激しく肩を動かしながら呼吸を繰り返す。


「ハア……ハ…ア……つ、か……たあ」


横を見ると、同じように苦しそうな表情を浮かべた半眼生たちがいる。


(みんな頑張ってるな……)


俺は一人じゃない。

女の半眼生も含め、皆大変な思いをしながらも頑張ってる。

だから負けないようについていかなきゃならないんだ。



◇◇◇



休憩を終えて、次の稽古を行うために階段を上り、地下の外に出た。

初日に見た森の中にまた戻ってきてしまったようだ。

一週間前の記憶が蘇り、変な汗が出てきた。


「さて次に皆さんにしていただきたいことは、木(・)の(・)実(・)割(・)り(・)です」


森に入り、一丁(約百メートル)ほど進んだ先で、小内が話を切り出した。

鬼勢は腕を後ろに組んで黙っている。


「いいですか。人演狐(じんえんこ)には核があるとお伝えしましたよね。実はこの核というものは皆さんの想像以上に硬いものなんです。ですので、それを破るための力を身に付けなくてはなりません」


小内が神妙な面持ちのまま、間を置いた。


「ということで半眼生の皆さんには核の形に似た、殻付きの木の実を手に持ち、それを割ってもらいます。核を壊すとはどういうことなのかを身をもって体感しましょう」


すると、小男は周りに落ちている数多の木の実から一つ拾いあげ、


「一度私が試してみます」


と言って、それをこちらに向けた。

彼の小さな手にもピタッと収まるほどの大きさだ。


「では割ります」


小内が手に力を込めた。

肌の露出が少ない彼の、唯一見える手の血管が一瞬浮き出た時、「パキッ」という音を立てて、いとも簡単に殻が二つに割れてしまった。

中から白い実が出ている。


「このように割るのです。粉々にしてやる、という心づもりでいてください。コツは全ての力を手のひらに集中させることです。一瞬の力を使って、割ってみてください」


(一瞬の力を使う……ね)


さも当然の如く木の実を割った小内を見ると、自分にもできる気がした。

でもそんな柔らかいものだとは思えねえし、俺の握力じゃあ無理な話だよな。

はあ……とため息をつく。


「実際に木の実を割る前に、まずは腕を鍛えましょうか。皆さん、この辺にあるちょうどいい重さの石を二つ、それぞれの両腕で持ち、百回上げた人から木の実を探してください。それでは、開始!」

「「「はい!!」」」


(石を百回持ち上げるだと……? やだよ……)


俺は心の中で文句を呟きながらも石を探した。

その辺に置いていたゴツゴツした大きな石を二つ持ち、小声で「いち、に、さん」と数えながら、持ち上げていく。

すると、二十回目くらいから腕と肩が痛くなってきた。

徐々に上がらなくなる腕を見た小内が即座に注意する。


「皆さん伸ばすときは腕をピンと一直線に伸ばしてくださいね」

「小内さんの言う通り、ちゃんと伸ばせよ! おい、葉山(はやま)! 全然腕上がってねえぞ、しっかり上げろ!」

「……はい」


小男の横にいる鬼勢も目付きが厳しい。

長身で長髪の葉山を叱ると、彼は間を開けてから小さく返事をした。


「よんじゅうご……よんじゅう、……ろく」


残り半分くらいまできた。

そこまで回数を数えた時点で、すでに百回上げ終えた者も七人ほどいるようだ。

あの荒角(あらかど)という男が、石上げを瞬く間に終えたかと思うと木の実を拾い、「グシャッ!」という凄まじい音を立てた。

なんとも退屈そうな表情で、潰した木の実を地面に投げ捨てた時、やつと目が合った。

「おっせえな」とでも言いそうな顔だ。

一発殴ってやりてえ。


(きつい、きつすぎる)


俺の両腕がブルブルと震え始めた。

腕を伸ばそうと試みても一定のところで止まって、これ以上上げられない。


「ハ……ハア……ななじゅう……な……」

「音在(おとあり)、もっと腕上げろ!」


鬼勢からの指示を聞く余裕もないくらい、息が荒れてきた。

石を上げるだけでこんなに疲弊するとは……。

ここで何十秒か休んでしまった。

その間に次々と石上げを終えていく半眼生を横目に見ると、焦りが募ってゆく。


(ダメだ、早く終わらせないと)


「はちじゅう、なな……はち、じゅう……く」


頑張れ、もう少しだ。

あと少しで百まで行くから、諦めるな俺。


「きゅうじゅ……ハアハア……く……ひ、ひゃあ……く」


――やっと百回持ち上げた。

俺は数え終わった時、二つの石をボトッと地面に落として、両手のひらを広げた。

手には石の跡がくっきり残り、ブルブルとわなないている。


(いってええ……)


肩回りが痛いし、手の震えも全く止まらねえ。

それでも時間がかかってもやり遂げた自分を褒めたいと思った。


「音在さん、自分の手を眺めていないで木の実を持ってきてください」


手を眺めているとすぐに小内に指摘されてしまい、急いで木の実を探し始め、さっき彼が持っていたくらいのものを拾いあげて握った。

そこまで大きくはねえが。

この木の実……異(・)常(・)に(・)硬(・)え(・)ぞ。

俺は先ほど言われた通り、手のひらに力を集中させ、その瞬間ぐっと握った。


「なんだこれ……ビクともしねえ」


手の内に収まる木の実を凝視する。

これが人演狐の核と同じ程度の硬さだったとしたら、俺なんかじゃ砕けそうにねえ。

どうすりゃいいんだ。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


初日から一週間が経ち、音在はまた稽古に参加し始めました。

これから本格的に技術を学んでいきますが、最初から上手くいかないことだらけですね。

木の実割りも小内のようにはいきませんでした。

頑張れ、音在と励ましてあげたい思いです。


それでは三十話もよろしくお願いします!

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