第二十九話 割ることの難しさ
怒涛の入門初日からの七日間、俺は医務室――畳の間とは違う、洋風の部屋だった――の中で横たわっていた。
丸眼鏡をかけた医者に怪我の経過を見てもらい、身の回りのことは二人の手当て役の女に任せ、やることもなく壁を見つめた。
両隣にいた負傷者たちとの会話もない、痛みに耐えるだけの苦痛の毎日。
そしてあの日から一週間が経った今日、ようやく稽古に参加できる許可が下りた。
◇◇◇
起床して手当て役が用意してくれた朝飯を食べ、まだふらつく足で地下稽古場の壁沿いまで歩く。
一週間ぶりに顔を合わせる半眼生もおり、顔がこわばるのを感じながら待機する場所まで来た。
俯きがちにその列に混ざり、無言で教官を待つ間、揃ってない列にちらっと目を向ける。
(あいつら大丈夫かな)
まだ回復してない半眼生がいる。
一人は美麗、もう一人は陰の薄い志々目。
言っちゃあ悪いが、俺のように貧弱そうな二人だから心配してる。
早く元気になるといいな…と願いつつ、改めて妖動山の過酷さも思い知らされた。
さらに、あいつ――東が立つ方に視線を移した。
(久しぶりに会った感じがする)
唇を硬く結ぶ東を捉えながら、鬼勢から告げられたことを思い出す。
自ら悪退の眼に入りたいと望んだ彼の心根を探りたいが、今のところはまだ話し合えてない。
話しかける機会は今度いくらでもあるだろうから、ゆっくり探っていくつもりだ。
それより……あいつ意外と体力あるんだな。
俺より怪我の程度が軽いのか、医務室で見かけることはなかったし、見た感じ、いたって健康そのものだ。
いいなあ、羨ましい……。
羨望か嫉妬か、そんな感情を向けているところに教官二人がやってきた。
俺たちは姿勢をビシッと正し、大声で挨拶をしてから一礼した。
「諸君らおはよう! 今日も張り切っていこうな!」
「皆さんおはようございます。本日も頑張っていきましょう」
二人が口々にそう言い、
「本日の稽古内容を伝えます」
と、小内が杖をトンと叩いてから、今日の流れをざっくりと説明した。
「――という感じで進めます。はい、それでは、朝一番の走り込みの準備をしてください」
俺たちは体を入念にほぐして、走る位置についた。
回復したばかりの半眼生は無理をせずという指示があったので、無茶しすぎない予定でいる。
教官が「終了」と言うまで何往復と走らなければならないらしいからな。
「全員、走れ!!」
教官の合図のもと、俺たちは一斉に走り出した。
開始早々、先頭集団との差がみるみる大きくなっていくが、気にする余裕なんてない。
終わりが来るまで、無心で動かないと。
「ハアッハアッハア……」
早歩き程度で進んでいるが、嫌に広い稽古場だから一往復するだけで疲れる。
止めどなく汗が落ちていき、いつしかそれが地面に落ち、滑って転んでしまいそうになる。
「フウ、フウ……ハア……フウ」
運動していなかった体には正直、すごくキツイ。
過呼吸になりそうになる。
でも呼吸を整えたり、時にはその場で止まって休憩したりしながら必死で耐えた。
(早く終われ、早く終われ)
途中からはそんなことばかりを考えていた。
いやもうそれしか頭になかった。
「ピー!!! 終了!」
ようやく終了の合図が地下に鳴り響いた。
教官の一人が呼子笛のようなものを吹いたんだ。
俺はその瞬間、バタンと倒れ込み、激しく肩を動かしながら呼吸を繰り返す。
「ハア……ハ…ア……つ、か……たあ」
横を見ると、同じように苦しそうな表情を浮かべた半眼生たちがいる。
(みんな頑張ってるな……)
俺は一人じゃない。
女の半眼生も含め、皆大変な思いをしながらも頑張ってる。
だから負けないようについていかなきゃならないんだ。
◇◇◇
休憩を終えて、次の稽古を行うために階段を上り、地下の外に出た。
初日に見た森の中にまた戻ってきてしまったようだ。
一週間前の記憶が蘇り、変な汗が出てきた。
「さて次に皆さんにしていただきたいことは、木の実割りです」
森に入り、一丁ほど進んだ先で、小内が話を切り出した。
鬼勢は腕を後ろに組んで黙っている。
「いいですか。人演狐には核があるとお伝えしましたよね。実はこの核というものは皆さんの想像以上に硬いものなんです。ですので、それを破るための力を身に付けなくてはなりません」
小内が神妙な面持ちのまま、間を置いた。
「ということで半眼生の皆さんには核の形に似た、殻付きの木の実を手に持ち、それを割ってもらいます。核を壊すとはどういうことなのかを身をもって体感しましょう」
すると、小男は周りに落ちている数多の木の実から一つ拾いあげ、
「一度私が試してみます」
と言って、それをこちらに向けた。
彼の小さな手にもピタッと収まるほどの大きさだ。
「では割ります」
小内が手に力を込めた。
肌の露出が少ない彼の、唯一見える手の血管が一瞬浮き出た時、「パキッ」という音を立てて、いとも簡単に殻が二つに割れてしまった。
中から白い実が出ている。
「このように割るのです。粉々にしてやる、という心づもりでいてください。コツは全ての力を手のひらに集中させることです。一瞬の力を使って、割ってみてください」
(一瞬の力を使う……ね)
さも当然の如く木の実を割った小内を見ると、自分にもできる気がした。
でもそんな柔らかいものだとは思えねえし、俺の握力じゃあ無理な話だよな。
はあ……とため息をつく。
「実際に木の実を割る前に、まずは腕を鍛えましょうか。皆さん、この辺にあるちょうどいい重さの石を二つ、それぞれの両腕で持ち、百回上げた人から木の実を探してください。それでは、開始!」
「「「はい!!」」」
(石を百回持ち上げるだと……? やだよ……)
俺は心の中で文句を呟きながらも石を探した。
その辺に置いていたゴツゴツした大きな石を二つ持ち、小声で「いち、に、さん」と数えながら、持ち上げていく。
すると、二十回目くらいから腕と肩が痛くなってきた。
徐々に上がらなくなる腕を見た小内が即座に注意する。
「皆さん伸ばすときは腕をピンと一直線に伸ばしてくださいね」
「小内さんの言う通り、ちゃんと伸ばせよ! おい、葉山! 全然腕上がってねえぞ、しっかり上げろ!」
「……はい」
小男の横にいる鬼勢も目付きが厳しい。
長身で長髪の葉山を叱ると、彼は間を開けてから小さく返事をした。
「よんじゅうご……よんじゅう、……ろく」
残り半分くらいまできた。
そこまで回数を数えた時点で、すでに百回上げ終えた者も七人ほどいるようだ。
あの荒角という男が、石上げを瞬く間に終えたかと思うと木の実を拾い、「グシャッ!」という凄まじい音を立てた。
なんとも退屈そうな表情で、潰した木の実を地面に投げ捨てた時、やつと目が合った。
「おっせえな」とでも言いそうな顔だ。
一発殴ってやりてえ。
(きつい、きつすぎる)
俺の両腕がブルブルと震え始めた。
腕を伸ばそうと試みても一定のところで止まって、これ以上上げられない。
「ハ……ハア……ななじゅう……な……」
「音在、もっと腕上げろ!」
鬼勢からの指示を聞く余裕もないくらい、息が荒れてきた。
石を上げるだけでこんなに疲弊するとは……。
ここで何十秒か休んでしまった。
その間に次々と石上げを終えていく半眼生を横目に見ると、焦りが募ってゆく。
(ダメだ、早く終わらせないと)
「はちじゅう、なな……はち、じゅう……く」
頑張れ、もう少しだ。
あと少しで百まで行くから、諦めるな俺。
「きゅうじゅ……ハアハア……く……ひ、ひゃあ……く」
――やっと百回持ち上げた。
俺は数え終わった時、二つの石をボトッと地面に落として、両手のひらを広げた。
手には石の跡がくっきり残り、ブルブルとわなないている。
(いってええ……)
肩回りが痛いし、手の震えも全く止まらねえ。
それでも時間がかかってもやり遂げた自分を褒めたいと思った。
「音在さん、自分の手を眺めていないで木の実を持ってきてください」
手を眺めているとすぐに小内に指摘されてしまい、急いで木の実を探し始め、さっき彼が持っていたくらいのものを拾いあげて握った。
そこまで大きくはねえが。
この木の実……異常に硬えぞ。
俺は先ほど言われた通り、手のひらに力を集中させ、その瞬間ぐっと握った。
「なんだこれ……ビクともしねえ」
手の内に収まる木の実を凝視する。
これが人演狐の核と同じ程度の硬さだったとしたら、俺なんかじゃ砕けそうにねえ。
どうすりゃいいんだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
初日から一週間が経ち、音在はまた稽古に参加し始めました。
これから本格的に技術を学んでいきますが、最初から上手くいかないことだらけですね。
木の実割りも小内のようにはいきませんでした。
頑張れ、音在と励ましてあげたい思いです。
それでは三十話もよろしくお願いします!




