第二十九話 割ることの難しさ
怒涛の入門初日からの七日間、俺は医務室―――畳の間とは違う、洋風の部屋だった―――の中で横たわっていた。
丸眼鏡をかけた男の医者に怪我の経過を見てもらい、身の回りのことは二人の女の看護師に任せ、やることもなく壁を見つめていた。
両隣にいた別の負傷者たちとの会話もない、痛みに耐えるだけの苦痛の毎日だった。
そしてあの日から一週間が経った今日、ようやく稽古に参加できる許可が医者から下りたんだ。
朝起きてから看護師が用意してくれた朝飯を食べ、まだ幾分かふらつく足で地下稽古場の壁沿いまで走った。
すでに列を作り待機する半眼生に混ざり、背筋を伸ばして教官を待つ。
(まだ回復してない半眼生もいるんだな……)
不揃いの列を見ると、改めて妖動山の過酷さを思い知らされる。
俺は教官を待つ間、ふと東が立つ方向に目をやった。
(久しぶりに会った感じがする)
唇を硬く結ぶ東を捉えながら、鬼勢から告げられたことを思い出していた。
自ら悪退の眼に入りたいと望んだ彼の心根を知りたいと俺は考えているが、今のところはまだ話合えてない。
まあ話しかける機会は今度いくらでもあるだろうから、ゆっくり探っていくつもりだ。
それより……あいつ意外と体力あるんだな。
俺より怪我の程度が軽いのか、医務室で見かけることはなかったし、見た感じ、どこにも傷を受けた様子がないんだ。
マジかよ、東すげえな……。
心底羨ましく思っているところに教官二人がやってきた。
俺は姿勢をビシッと正し、大声で挨拶をしてから一礼した。
「諸君らおはよう! 今日も張り切っていこうな!」
「皆さんおはようございます。本日も頑張っていきましょう」
二人が口々にそう言った後に本日の稽古内容を簡単に伝えてから、朝一番の走り込みを行う。
まずは体を入念にほぐして、走る位置についた。
回復したばかりの半眼生は無理をせずという指示があったので、俺は無茶しない予定でいる。
教官が「終了」と言うまで、何往復と走らなければならないらしいからな……。
「全員、走れ!!」
教官の合図のもと、俺たちは一斉に走り出した。
開始早々に先頭集団との差がみるみる大きくなっていくが、気にする余裕なんてない。
終わりが来るまで、無心で動かなきゃ。
「ハアッハアッハア……」
早歩き程度で走っているが、嫌に広い稽古場だから一往復するだけで疲れる。
止めどなく汗が落ちていく。
いつしかそれが地面に落ちて、滑って転んでしまいそうになる。
「フウ、フウ……ハア……フウ」
運動していなかった体には正直、凄くキツイ。
過呼吸になりそうになる。
でも呼吸を整えたり、時にはその場で止まって休憩したりしながら必死で耐えた。
(早く終われ、早く終われ)
そんなことばかりを考えていた。
いやもうそれしか頭になかった。
「ピー!!! 終了!」
ようやく終了の合図が地下内に鳴り響いた。
教官の一人が呼子笛のようなものを吹いたんだ。
俺はその瞬間、バタンと倒れ込んだ。肩を激しく動かしながら呼吸を繰り返す。
「ハア……ハ…ア……つ、か……たあ」
横を見ると、同じように苦しそうな表情を浮かべた半眼生たちがいる。
(みんな頑張ってるな……)
俺は一人じゃない。
女の半眼生も含め、皆大変な思いをしながらも頑張ってる。
だから負けないようについていかなきゃならないんだ。
◇◇◇
休憩を終えて、次の稽古を行うために階段を上り、地下の外に出た。
初日に見た森の中にまた戻ってきてしまったようだ。
「さて次に皆さんにしていただきたいことは、木の実割りです」
森に入り、一丁ほど進んだ先で、小内が話し始めた。
鬼勢は腕を後ろに組んで黙っている。
「いいですか。人演狐には核があるとお伝えしましたよね。実はその核というは皆さんの想像以上に硬いものなんです。ですので、それを破るための力を身に付けなくてはなりません。ということで今回やっていただきたいことが、核の形に似た木の実を手で持っていただき、それを割ってもらいます。核を壊すとはどういうことなのか、身をもって体感していただきたいと思います」
小内が俺たちにやる内容を説明してから、実際に彼の周りに落ちている木の実を一つ拾いあげた。
「一度私が試してみますね」
小内が拾った木の実を俺たちに向けた。
彼の小さな手にもピタッと収まるほどの大きさだ。
「では割ります」
小内が手に力を込めた。
肌の露出が少ない彼の手から骨と血管が一瞬浮き出た時、「パキッ」という音を立てて、いとも簡単に木の実が二つに割れてしまった。
「このように割るのです。粉々にしてやる、という心づもりでいてください。コツは全ての力を手のひらに集中させることです。一瞬の力を使って、割ってみてください」
(一瞬の力を使う……ね)
さも当然の如く木の実を粉々にした小内を見ると、俺でもできる気がした。
でもそんな柔らかいものだとは思えねえ。
俺の握力じゃあ無理な話だよな。
はあ……とため息をつく。
「実際に木の実を割る前に、まずは腕を鍛えましょう。ということで、この辺にあるちょうどいい重さの石を二つ両手で持ち、百回上げた人から木の実を探してください。それでは、開始!」
「「「はい!!」」」
(石を百回持ち上げるだと……? やだよ……)
俺は心の中で嘆きながらも、文句を言わずに石を探した。
手に収まらない比較的重たい石を二つ持ち上げて、小声で「いち、に、さん」と言いながら、上下に動かしていく。
二十回目くらいから腕と肩が痛くなってきた。
「皆さん伸ばすときは腕をピンと一直線に伸ばしてくださいね」
「小内さんの言う通り、ちゃんと伸ばせよ! おい、葉山! 全然腕上がってねえぞ、しっかり上げろ!」
「……はい」
鬼勢は厳しい目付きで長身で長髪の葉山という男を捉え、注意した。
その言葉を聞き、葉山は間を開けてから小さく返事をする。
「よんじゅうご……よんじゅう、……ろく」
残り半分くらいまできた。
そこまで回数を数えた時点で、すでに百回上げ終えた者も七人ほどいるようだ。
あの荒角という男が、石上げを早々に終えて木の実を拾い、「グシャッ!」という凄まじい音を立てながら俺を薄目で見てきた。
「おっせえな」とでも言いそうな表情で、一発殴ってやりたくなる。
(きつい、きつすぎる)
俺の両腕が段々ブルブルと震えてきた。
腕を伸ばそうと試みても一定のところで止まって、これ以上上げられない。
「ハ……ハア……ななじゅう……な……」
「音在、もっと腕上げろ!」
鬼勢からの指示を聞く余裕もないくらい、息が荒れてきた。
ここで二つの石を持ったまま、何十秒か休んでしまう。
その間に次々と石上げを終えていく半眼生を横目で見ると、焦りが大きくなっていく。
(ダメだ、早く終わらせないと)
「はちじゅう、なな……はち、じゅう……く」
頑張れ、もう少しだ。
あと少しで百まで行くから、諦めるな俺。
「きゅうじゅ……ハアハア……く……ひ、ひゃあ……く」
―――やっと百回持ち上げた。
俺は数え終わった時に、二つの石をボトッと地面に落として、両手のひらを広げた。
ブルブルとわななく手を見つめる。
(いってええ……)
肩回りが痛いし、手の震えも全く止まらねえ。
それでも時間がかかってもやり終えた自分を褒めたいと思った。
「音在さん、自分の手を眺めていないで木の実を持ってきてください」
そうしているとすぐに小内に指摘されてしまい、急いで木の実を探し始め、さっき彼が持っていたくらいのものを拾いあげて握った。
そこまで大きくない……が、この木の実……異常に硬えぞ。
俺は先ほど言われた通り、手のひらに力を集中させ、その瞬間ぐっと握った。
「なんだこれ……ビクともしねえ」
手の内に収まる木の実を凝視する。
これが人演狐の核と同じ程度の硬さだったとしたら、俺なんかじゃ砕けそうにねえ。
どうすりゃいいんだよ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
初日から一週間が経ち、音在はまた稽古に参加し始めました。
これから本格的に技術を学んでいきますが、最初から上手くいかないことだらけですね。
木の実割りも小内のようにはいきませんでした。
頑張れ、音在と励ましてあげたい思いです。
それでは三十話もよろしくお願いします!




