第二十二話 入門式 その二
東から響いた切ない音。
人演狐であるはずの彼が「人演狐は悪だ」と言い切った裏で、同情してしまうほどの内なる叫びが聞こえた。
(こんな場所にいるべきじゃないんだ……)
なぜ東は悪退の眼に来てまで、人演狐――自分を否定するのか。
殺されるかもしれないのに、同族をその手で殺すことになるのに。
そこまでしてなんで……踏み入れちまったんだよ。
「諸君らの思いはしかと受け取った! 初心を忘れるべからず!」
気持ちが沈む一方、鬼勢が指を立てながら元気よく言った。
小内も風に揺れる草花のようにゆっくり頷いてから、羽織の中に手を入れ、何かを取り出した。
「皆さんの熱意は十分に伝わりましたが、しかし一つだけ頼みたいことがございます。それがこちらです」
小内が四つ折りにされた和紙を広げると、それを半眼生に見せた。
俺は不信感から目を細める。
「我々は悪退の眼に入門し、如何なる理由においても、半眼生としての役目を放棄しないことを誓う。そして三か月後の昇格試験に合格し、炯眼士として務めを果たす時、命を尽くして戦うことをここに宣言す」
淡々とした声で、和紙の上に墨で書かれた短文を小内が読み上げた。
俺は唾をゴクリと飲むと、不愉快な音が耳の内に鳴り響いた。
「この紙はいわゆる契りというものです。言葉だけでなく書面を通じて、約束を守っていただきたいと思います」
(契りか……)
これで俺たちを逃がさないように鎖で縛られるわけか。
事態の重さをいよいよ実感する。
「この意味は当然、ご理解いただけますよね? 万が一納得できない方がいる場合、申し訳ありませんが、今すぐここを出て行ってください。入門式の最中ですがそれでも私は構いません。その代わり、どうか二度と姿を現さないでいただきたいです。それができる方は、出口から出て行ってください」
祝辞を述べていた時の小内とは、まるで別人のようだ。
手のひらを扉に向けながら「ご自由にどうぞ」と付け加えた彼に怯えつつも、絶好の機会なのではないかとも思った。
(東……行くなら今だぞ)
そう、これはまたとない好機だった。
東が悪退の眼を離れる最後の逃げ道を教官自らが示してくれたんだ。
だからここから逃げられるのは今しかない。
頼むから、早く背を向けて帰れ!
「……」
沈黙が続いた。
必死で願う俺をよそに、当の本人はうんともすんとも言わない。
彼の内なる音は聞こえてくるが、それ以外は呼吸音も衣擦れの音すらも聞こえてこない。
どうしてだよ、東。
(本当に傷ついてしまう前に逃げてくれ)
「……誰もいないですかね」
首を左右に動かし、小内は俺たちを眺める。
俺の切実な願いも虚しく、動こうとする者は一人もいなかった。
これで、あいつの逃げ道は断たれてしまった。
ここが運命を分ける線引きだったはずなのに、横にいる馬鹿は何を考えてるんだ。
「皆さんが生半可な気持ちでここにいるわけではないことが分かり、とても嬉しいです。悪退の眼に入門した以上、これからも覚悟を見せてくださいね。その上で、私は口先だけの薄っぺらい約束事は嫌いなので、事実を作ります。今から朱肉と筆を渡すので、指印を押した上にご自身の名前を書いていただきます」
小内が後ろに置かれた筆と墨入れを持ち、先ほど一番最初に決意を述べた男――高城に紙と朱肉を手渡した。
彼が朱肉の染まった指を紙に押付け、その上から自身の名前を書き込んだ。
彼を先頭に、同じような動作を順々にしていく。
俺も不満が漂う中ではあるが、同じように朱肉に染まった指を紙にぎゅっと付けて指印する。
(契りを結ぶんだ……)
ブルブルと震える手で筆を持つ。
自分の名を書くということは、俺ももう引き返せない。
この選択は果たして本当に正しかったんだろうか、と心が揺れ動くが――。
(今更考えてももう遅い)
俺は目を瞑り、「これが自分の運命だ」と言い聞かせてから、「おとあり」と平仮名で汚く書いた。
あ、朱肉で墨が滲んでしまったな。
まあいいか。
名を書いた後、例によって、筆と墨入れを背後の入門生に無表情で渡した。
「皆さん、ありがとうございます。これで全員分の指印と名前をいただきました。ご協力に感謝いたします」
小内は一度広げた紙をまた四つに折り直して、それを懐にしまってから、深々とお辞儀をした。
「これでやるべきことは終わりましたが、最後にもう一つ大事なことをお伝えします。皆さん、左胸の辺りを触っていただけますか?」
彼が突然、片手で自身の胸を触り、俺たちにも同様のことをするよう尋ねた。
入門生たちはわけの分からないまま、左胸に手を当てる。
(あれ……何かこの辺凹んでるような)
「皆さん気付きましたか? 実はこの辺りに模様――半分に開かれた目が隠れているんです」
小内はこう言った後、さらなる説明を加えた。
◇◇◇
型押しといって、服の表面に専用の型を押すことで、模様を作ることができます。
例えば、光に当たった時などに、半分に開かれた目が浮き上がる仕組みです。
これがいわゆる悪退の眼、半眼生としての紋章でございます。
左胸――心臓の位置にこの紋章があることは、すなわち、命を懸けて稽古に励めという意味合いを含んでいます。
したがって皆さんは半眼生であるということを自覚し、死力を尽くしてください。
◇◇◇
(半分の目が俺たちの紋章で、命がけて事に当たらなきゃならないわけだ……)
この命が惜しいと思った矢先に、「命をかけろ」と命令されてしまった。
俺が取った行動の重さを、嫌でも感じさせられる。
後戻りのできない階段を上ってしまい、後悔ばかりが募ってゆく。
「それでは皆さん、お立ち下さい」
小内の言葉により、入門生全員が立ち上がり、教官と向かい合う。
「以上をもちまして、悪退の眼、入門式を終了とします」
全員がお辞儀をし、ようやく入門式が終わった。
俺は大きく息を吐く。
形の見えない重りが圧し掛かったように体が重たく、苦しかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
入門式がようやく終わりました。当初は一話で終わらせる予定でしたが、意外と長くなり、その一、その二に分けました。
次回からは稽古編に移ります。長くなりそうですが、少しでも面白いと思っていただけるように頑張ります。
そして、入門式からが第四章となりました。少しずつ章も増えてきましたね。これからもゆっくりではありますが、積み上げていきたいと思います。
第二十三話もどうぞ、よろしくお願いいたします!




