第十八話 殺意の地下
悪退の眼に入門する当日。
俺は若い女から指定された時間―――朝の五時以前には、内務省・重要書類保管庫の裏口前で待機していた。そして……俺を囲むように他の畳の間にいた客人たちも黙って立ち尽くしている。
(はあ……居心地が悪い……)
己の体を縮め、ただただ地面を眺める。
誰一人として口を開かない。
異様とも言える静けさが辺りを覆った。
すると―――裏口の扉が開き、片手にランプを持った大男―――鬼勢豪明が姿を現した。
「ようお前たち、おはよう! いよいよこの日が来ちまったな―――って、みんなしけた面してるが大丈夫か? 特にお前だよ、暗之助!」
鬼勢豪明から突然名を呼ばれ、俺は肩を大きくビクつかせた。
その場にいる全ての視線を感じながら、俯きがちで不気味に口角を上げ、小さな声で返事をした。
「は、はい」
「ったく、弱っちい返事だなあ。まあ俺たちがこれからビシバシ鍛えてやるから安心しろな! あははは!」
鬼勢豪明の笑い声が辺りにこだまする。
彼と彼以外の人間との温度差を明確にさせた瞬間だった。
「てなわけで、早速移動するか! みんな逃げずにちゃんとついて来いよ?」
軽い冗談を言いながら鬼勢豪明が一度閉めた扉を開け、中へと入った。その後を俺たち客人が列を成してついていく。
「最初に一つだけ言っておくぞ。この先は階段を下っていく。中は暗いから足元には十分気を付けろ」
全員の耳に届く音量でそのように伝えてから、難しそうな書類が多く並ぶ棚の間を抜ける。そしてあるところまで来ると、中腰の姿勢になり、床をじっと眺め始めた。何の変哲もないただの床を、である。
(何で床なんか眺めてんだ…?)
奇妙な行動を取る鬼勢豪明に対し、俺は戸惑いつつも音ひとつ立てずに様子を見守った。
彼は床を覗き込みながら着物の帯に掛かっていた根付に触れた。そこから何やら錠前のようなものを取り出し、それを迷うことなく床に挿す。
その途端―――正方形に切り取られた床の一角が上がったんだ。穴の中にはさらに下へと続く道―――階段が姿を見せている。
(そんな……! こんなところに地下への入口があったなんて!)
俺は呆気にとられ、立ち尽くす。前後にいる人々も大小問わず、驚きの声を上げている。
まさかこの世に隠し扉が存在するなんて……空想上の話じゃなかったんだな。
「お前らしっかりついて来いよ!」
鬼勢豪明の掛け声より、彼を先頭にして階段を降りていく。
まっすぐに伸びた石段。
視界は暗く、足元に注意を払わないと、滑って転びそうになる。先を行く鬼勢豪明のランプの明りだけが頼りだ。
(本当にこの下に地下なんてあるのか……?)
そんな疑問が頭を過ぎった。延々と続きそうな石段を見ていると、疑いの一つもしてしまう。このまま地球の裏側まで行っちまうんじゃないか……? なんて思ったり。
「そろそろ着くぞ」
歩き始めて何秒―――いや何分ほど経った頃だろうか。鬼勢豪明が俺たちにそう伝えた後、ようやく歩みを止め、また根付から錠前のようなものを壁に差し込んだ。甲高い音が聞こえた次の瞬間、厚みのある扉がゆっくりと開かれた。
「ここがお前らの稽古場だ」
重厚な扉の先には―――見たこともないような世界が広がっていた。
薄暗くだだっ広い空間。
丸みを浴びた天井。
そして……聞こえてくる門下生の叫び。
ここが悪退の眼―――人演狐を殺すための稽古場。
予想以上の壮大さに、俺は唖然とすることしかできなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
遂に音在暗之助が悪退の眼の稽古場に足を踏み入れましたね。これからどんな門下生に会い、どんな稽古をしていくのか、稽古編を丁寧に書いていきたいと思いますので、ぜひ気長に楽しんでいただけますと大変恐縮です。
次話もお楽しみに!




