第十五話 迷いのない答え
「僕は人間だ」
赤茶髪の男が改めて言い直した。
(やっぱり人演狐じゃないのかも……)
心の中でそう考えてみた。だけど……腑に落ちない。赤茶髪の男の意見を鵜呑みにできたらそれまでだが、依然として、普通の人間ならば聞こえてこないはずの音が耳に響いてくる。
結局何を言われても信憑性がないと言わざるを得ないんだ……。「人演狐でない」と言えと願ったところで、所詮気休めでしかないんだ。俺は彼から聞こえる音を鬼勢豪明から伝えられた話と結びつけることでしか、この釈然としない気持ちを解消できそうにない。
ただ彼から伝わるものは……なんだか悲しみを帯びているような……そんな印象を受ける。明確な理由は言えない。音の質感か、大きさの違いか、余韻の長短か。それとも直感なのか―――具体的なことは俺にも分からない。だけど俺は……涙が出てしまいそうになるんだ。
慎重に顔を上げ、その者を捉えた。赤茶髪の男は俯いているため互いに目は合わない。視線を口元に集中させると、こちらには聞こえないほどの声でぼそぼそと何事か呟いている。
俺は何と声をかければよいのか判断に迷っていた。だって明らかに彼は動揺しているんだ。顔を見なくても想像できる。俺の一言を言う前と後でここまで変化してしまうのかというほどに、様子がおかしいんだ。
「あ……あの」
俺は沈黙に耐え切れなくなり勇気を振り絞って口を開くが、意味のない言葉を発してしまった。
「変なこと言って……すみません」
「……」
頭を無意味に描きながら謝罪するが、赤茶髪の男は変わらず下を向いたままだ。
「あの……じゃ、じゃあ俺はこれで―――」
「僕は……僕は……」
このまま留まり続けても状況が変わらないことを察した俺は、別れの挨拶だけして去ろうとしたが、彼に遮られてしまった。
次の言葉を待ちながら、赤茶髪の男に注目する。
「お前と同じ人間に決まってるだろう!」
赤茶髪の男がやっと顔を上げ、俺たちの目が合った。切実に訴えるような瞳を向け、周りも気にせずに叫んだ。道行く人が彼の唐突な声に分かりやすく肩をビクつかせている。
その言葉を最後に、赤茶髪の男が勢いよく俺を横切って走り去ってしまった。
俺は体を捻り、彼が走っていった方向を唖然と眺め続ける。
その者が残した繊細な音の記憶だけが、俺の脳裏に焼き付いて離れそうになかった。
鬼勢豪明と話をした日から三日が経った。すなわち大男から告げられていた『三日の猶予』が終了したことを意味する。
四日目の早朝、俺は再び仏堂に敷かれた座布団の上で、鬼勢豪明と顔を突き合わせていた。
「さてと。今の気分はどうだい?」
「普通です」
「昨日はよく眠れたか、暗之助?」
「はい」
「飯は食った―――」
「いいから本題に入ってください」
話をする前から神妙な顔つきの俺を見て、重苦しい空気を和ませようとしたのか、大男が明るい調子で質問を繰り返した。しかし彼からの気遣いをも煩わしく感じ、それらを端的に返し、最後には口を挟んでしまう。
その時の大男の眉が幾ばくか上がったのを確認し、「はいはい」と言った彼がゴホンと一回咳払いをする。
「それじゃあ本題に入る。本日から三日前の早朝、俺はお前に選択肢を与えた。その内容は悪退の眼に入るか、入らないかの二者択一だ。入門する場合は引き続き俺たちが面倒を見る。そうでない場合はここから速やかに出ていってもらう。この選択権をお前に与えてから三日の猶予期間が終了した。そこでお前に問う。音在暗之助、お前が出した答えは何だ?」
鬼勢豪明が改めて前回話した内容をしつこく説明した。俺は、もう理解してるよ……と心の中でぼやきながらも彼の言葉を終わりまで黙って聞いていた。
「俺は……」
一度言葉を切った。目を閉じる。大きく深呼吸し、自分の気持ちを落ち着かせる。
目を開き、率直な視線を彼に向ける。嘘偽りのない、俺の覚悟が籠った目線を―――。
「悪退の眼に入門します」
一つ一つの単語をはっきりと発音し、終わりまで力を込め続ける。
四日前、座布団の上で体を小さくして座っていた俺はもうどこにもいなかった。
堂々たる姿勢を保ち、力の籠った目付きを相手に向けたまま、迷いなく断言した。
もう悩まない。もう足踏みしない。もう怖気づない。
俺は俺の信念に従い、自分の人生を切り開いていく。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
第二章が無事完結しました!
何もかもが初めてのことで最初はどうなるかと思いましたが、なんとか二章まで書き終えることができました。ここまで読み進めてくださった皆さんには感謝の言葉しかありません。
音在暗之助がただの少年から、悪退の眼に入ることを決断するまでの間、並々ならぬ思いをしてきました。決して簡単なことではありませんでしたが、それでも彼自身が自分の人生を切り開く第一歩を踏み出したことを、作者としても大変嬉しく思います。
これからも物語は続いていきます。音在暗之助がどのような選択をして、どのように活躍していくのかをぜひ温かく見守っていただけますと幸いです。
第三章からも引き続き、よろしくお願いいたします!




