第十一話 伸るか反るか
「人演狐……?」
初めて聞く単語だ。人を演じる狐と書いて人演狐というらしい。
まさかそんな奴らが本当に生きてるっていうのか?
狐は狐で、人間は人間だ。
絶対に交わることはないんだ。
そんなの空想上の話だけで十分だろ。
理解できない。にわかには信じられない。
「ああ。お前の気持ちは十分すぎるほど分かる。ただの作り話だったらどれほどよかったかってな」
鬼勢はそう言うとため息交じりに下を向く。
憂いを帯びたような表情だった。
「しかし俺は実際にこの目で見てきた。器用に人間様を演じる狐をな。奴らは日々、悪事を企てながら平然と生きている。このまま野放しにすると何をしでかすかわかったものじゃないんだ。だから――俺たちがいる」
鬼勢の体には無数の傷痕が残っている。
全身に残る古傷を見ていると、突拍子もない話が妙に現実味を帯びてくる。
もしかしたら本当に、人演狐はいるのかもしれない。
「俺たちがいるってどういう意味ですか?」
自分の体のこわばりを感じながら、前に座る男に問いかけた。
「俺たちが所属する組織の名は、炯眼を持ってして悪を退治する――通称、悪退の眼。人演狐を殺すことを専門とする部隊だ」
「人演狐を……殺す……」
(殺すってのは他の命を奪うことだろ)
殺人――いや元の姿は狐だから、殺狐……てことか。
「そうだ。文字通り、彼らを殺すことが専門だ。お前を助けた正田朔久も俺たちの一員で、彼はとても優秀な炯眼士なんだ。俺たちも頼りにしてる人間だ。そんな奴から見出されたお前も俺は期待したいと思ってる」
「え……てことは俺もあんたたちの組織に入って、人演狐を殺すために命を削って戦えってことですか?」
「その解釈で間違いない。悪退の眼に入ってもらうためにお前をここまで呼び寄せた」
「そ、そんなの無理に決まってるでしょ! 俺は嫌だ! たとえ人間を演じてる狐だろうと、一生懸命生きてる者を殺すなんてできねえよ!」
俺は冷静沈着な男に向かって訴えるように声を荒げた。
体が少しずつわななき、目には涙が浮かび上がってくる。
「お前の気持ちは理解できる。しかし人演狐という存在は本来あってはならないものだ」
瞳を潤ませる俺を覗きながら、鬼勢は落ち着き払った様子で言葉を続ける。
「正しい種に生まれ、正しい種で命を終える。この自然の摂理に反する化け物たちが蔓延る社会がどれほど恐ろしいかを考えてみろ。どんな手を使って人間に化けているか知らないが、こうして人間を演じるほどの強い執念を持っていることは確実なんだ。そんな奴らがいざ人間に勝ち、俺たちを支配しようなんて日がくれば、今度こそ俺たちは自由を奪われ、正しい種族が減り、いずれは絶滅するかもしれない。そんな未来がこないために俺たちがいる。それが俺たちにとっての日本を守る、ひいては社会に貢献するための信念なんだ」
(そんなこと力説されても俺なんかの知ったところではない……)
至って説得力のありそうな回答だ。
確かにそんな未来になったら、人間にとっては屈辱だろうな。
でも世界はそうやって様々な種の入れ替わりを繰り返してきた。
人演狐が人間を滅ぼさなくともいつかは来るかもしれないんだ。
早いか遅いかの違いじゃないか。
それに……そんなの俺には関係ない話だ。
今を生きるので精一杯なのに今度は殺すための技術を身に付けて、それを使って命を削って戦えだって……?
そんなの……今度は俺の頭がおかしくなっちまうじゃないか!
俺は勢いよく立ち上がり、大男を力強く睨んだ。
「そりゃあ人間にとってあんたの言い分は正しいだろうな。でも俺はそんなのどうだっていい。親と縁を切った今、やっと自由になれたと思ったのに、今度は人演狐を殺すために自由を奪われるなんて……そんなのやってやれるか!」
すると男が沈着な様子で語りかけた。
「自由を手にするために不自由がある。制限の多い日々を乗り越えた先で本当の自由が待っていると、俺はそう信じて今まで頑張ってきた。誰だってそうだろう? 容易く自由に生きれる奴なんて、自分の家が金持ちでもない限り難しいもんだ。それに……お前は覚悟を決めてここに来たんじゃないのか?」
「……」
「俺たちはお前を自由にしてやるとは一言も言ってない。別に正田朔久もお前を救うために現れたわけじゃない。お前がただ人演狐を殺す――いや、見破るための才能があっただけだ。だからお前を引き込んだ。そしてお前はお前の意志でここまで来た。違うか?」
「……」
ぐうの音も出ない。
鬼勢の真っ当な意見を聞くと、頷かずにはいられない。
目に溜まった涙が頬を伝って首へと流れていく。
俺は新しいの着物の袖を使ってそれを乱暴に拭いた。
「俺たちは人助けをする集団ではない。お前がここを去るというなら止めないが、もう一切の手助けをしない。自力で家に戻るか、他に当てがあるならそこを頼れ」
「……いや、俺は……」
「ただ今すぐ考えろとは言ってない。お前に三日間の猶予をやる。今日から明々後日までの間でよく考えてみろ。ただしこれ以上は待てないからな。もし入ると言ってくれたなら、その時に改めてお前の今後の流れを教えてやる」
「は……はい」
涙を拭う俺に一切の哀れみをも見せず、大きな図体を立ち上がらせ、仏堂から出て行った。
姿が見えなくなる直前、顔は前を向いたまま、手だけを上げて何度か揺らした。
「今日から三日か……」
予想を上回る内容を告げられ、思った以上に疲弊してしまった。
どっと疲労感が押し寄せ、頭を床につきそうなほ深くうなだれ、ため息を吐いた。
荒唐無稽な話すぎて、考えれば考えるだけ頭がこんがらがって頭痛がしてくる。
何だよ、人演狐って……何なんだよ、悪退の眼って……!
最初からこんな話をしてくれてたら断ってたよ。
殺しが専門の部隊だってあの時言ってくれてたら、こんな場所なんて来なかった。
正田のくそ野郎が!
また込み上がってきた大粒の涙を堪えきれず、静まり返った空間で声を押し殺しながら泣いていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
前回に引き続き、二人の会話が主な内容でした。
音在暗之助は昨晩までの幸せが嘘のように現実――それも過酷な運命が待っていることを告げられてしまいました。
猶予はたったの三日間。彼は三日後、どのような決断をするのか。
第十二話もよろしくお願いいたします!




