第十話 人演狐
「コンコンコン」
襖を叩く音がした。
俺は「はい」と一言返事してから尻を上げ、それを引いた。
首を下に向けて、若い女を見る。
「それでは時間になりますので、ご移動願います」
若い女がすり足で先導しながら廊下を渡る間、俺は気を揉んでいた。これから誰に会い、そして何を聞かされるのか。いよいよ組織の正体が明かされる時、不安で足がすくみそうになった。幸せだった昨晩に戻りたい。いやもはやどこかに逃げ込みたい。そんな思いを必死に抑え、廊下を進んでいく。
(振り返らずに進んでいかなきゃならない。だって……俺が初めて選んだ道だから)
「それではこちらでお待ちください。……失礼いたします」
俺は仏堂まで案内され、三体の仏像の前に置かれた座布団の上に正座し、息をひそめた。その場で何分か待つ。普段しない正座をしているせいで両足がひりひりし始めた。それに骨と皮しかない俺の脚が尻に食い込んで痛い。そろそろ限界だ、と姿勢を崩した時に、人が現れた。
「よう小僧、待たせたな! 俺は鬼勢豪明だ、よろしくな! お前が噂の音在暗之助か?」
正田朔久よりさらに三尺以上背の高い大男が着物の衿を緩め、胸元を開けた状態で片手を上げる。俺は咄嗟に姿勢を正して大男を見上げた。体だけじゃなく声まででかく、左耳がじんじんと痛む。
鬼勢豪明という名の男が握手を求めてきたから、すぐに手を差し出し、握り合う。その時、着物から覗く筋肉質な肌と、そこに残る幾つもの傷痕に思わず目を見張った。
(こんな切り傷のある体見たことない……こいつ何者だ?)
「……は、はい」
「あいつが引き抜くほどだからどんな奴かと思ったら―――言っちゃあ悪いが、結構根暗な感じなんだな! お前友達いないだろ? あはははは!」
「……」
(は? 俺たち初対面だよな? こいつ……失礼すぎねえか)
恐怖心と不快感がぶつかり合う中で、表向きは表情をこわばらせることしかできない。言い返したいけどそんな勇気はさらさらなかった。
大男―――鬼勢豪明が大げさにドカッと尻をついて胡坐をかき、膝の上に手を乗せた。
「―――って冗談だって! そんな顔すんなよ! あははは!」
(全く冗談に聞こえねえよ。俺多分……いや間違いなく、こいつ苦手だ)
「お前もしかして冗談通じない性格? もっと笑って受け流すくらいの器量がないと生きてけねえよ?」
鬼勢豪明が太い眉毛を八の字に動かし、今度は説教までしてきた。俺はその間、じっと俯いていた。胡散くらい男に嫌気を差しながら、また始まった足の痺れにも耐え続ける。
「とまあ説教垂れるのはこの辺にして、早速本題といこうか。その前に小僧、その状態で話を聞くのが辛いなら楽な姿勢になれ」
「え……ありがとう……ございます」
鬼勢豪明からの意外な気遣いにより、顔をしかめながら痺れる足を崩して座り直した。俯いていた顔を上げて、大男と目線を合わす。彼が口を開くまでの間を固唾を飲んで見守った。そしてついに、その者が口を切る。
「始めに一つ確認させてくれ。小僧―――いや暗之助、お前がなぜここにいるか分かるか?」
「それは……俺には才能がある……からです」
「そうだ。その理由を知っているか?」
「理由……いえよく分かりません」
豪快に笑っていたのが嘘のように表情を固め、冷静な様子で俺を覗き込む。それは先ほどとは違い、責任ある立場にいる男の目付きだった。正田朔久のように俺を射貫くような、そんな鋭さだ。
「じゃあその答えを教えよう。それは、音だ」
「音……?」
「ああ。お前が野菜を売りに商店街にいた時、ある者から音が聞こえたそうだな」
「―――あ! そうだ。俺が偶然立ち寄った薬舗で、変な音を聞いたんです。木の枝が割れたようなパキパキという音を……」
数日前に起きた出来事を回想するうちに、すっかり忘れかけていたことを思い出した。それははっきりと俺の耳に届いてきたんだ。自分から発せられる以外の、その説明不能な音が―――。
「音が聞こえてきたのは薬舗の店主だったんだよな?」
「はい。間違いないです」
「そうか……よし、合格だ」
「ご……合格?」
鬼勢豪明が一度頷き、何かを確証させてから、そう発言した。
意味不明な俺は眉をひそめながら首を片方に傾けた。
「お前、こんな話を知ってるか? ―――昔々あるところにそれはそれは美しい女いた。聡明で教養もあり全てを兼ね備えたような女だったんだ。しかしある日、とある陰陽師がその女の正体が狐だと見破ってしまった。そのため女は逃げ、最後には殺生石になった。大昔の伝説ってやつだな」
「―――知りませんでした。その話がどうかしたんですか?」
突然始まった昔話を訝し気に聞きながらも結局言わんとすることがいまいち分からない。狐が女に化けるだのという伝説―――というか作り話、は何となく聞いたことはある。だが、なぜ今この話を持ち出すのか、その真意を汲み取れないでいた。
「まあこんなものはただの人間の創造力の産物にすぎない。ただ―――本当に狐が人間に化けてこの社会に蔓延っているのだとしたら、お前はどう思う」
「どう思うも何も、そんなのいるわけないですよ。あんたも今言ってたじゃないですか、ただの人間の創造力の産物だって。それに第一おかしいじゃないですか、どうやって狐が人間に化けるんです? 作り話だと霧とか白い煙が出て、あっという間に化けますけどね。まあ、勝手に想像する分にはご自由にどうぞって感じですかね」
「お前……やっぱり何も知らないんだな」
「何がです?」
俺が感想を述べている間、鬼勢豪明は深いため息を付き、頭を掻いた。
(いや溜息付きたいのはこっちなんだよ!)
本題に入るとか言っといて、何で昔話を聞かされなきゃならないんだよ。いい加減、子供だましの話を聞くのも飽き飽きしてくる。俺だって暇じゃ―――いや暇だが、それでも遠回りせずにさっさとやること言えよ。社会をよくする―――そんな大層な役目をよ。
「化け狐は存在する」
「だからそれは―――」
「人間を演じる狐―――人演狐と呼ばれる化け物がな」
そう言いながら、真剣な眼差しを俺に向ける。
彼の目は至って冷静そのものだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
何事も豪快な男―――鬼勢豪明という新しい人物が登場しました!
そして彼から明かされた奇想天外な話に音在暗之助は混乱状態。さらにようやく人演狐という名前も出てきて、いよいよ物語が本格的に動き始めました!
次話も引き続き二人の会話シーンから始まりますので、注目してもらえたらと思います!
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