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遠い日の挫折に向き合う覚悟今の俺には無い。


 心地の良い眠りの中に預けていた俺の心と身体を、強制的に現実世界へと引き戻そうとする無粋なノイズが耳朶を打つ。

 俺とベッドとの甘い蜜月の時を邪魔する不粋なノイズを、俺はシカトする事にした。どうも今日は目覚めがよろしく無い様だし、取り立てて急ぎの仕事も無かったし、もう少し眠っていても構わんだろう・・・

 いや、嘘言いました。本当は朝イチの仕事がありました。なので早く起きなければなりません。だがしかし、どうにも精神のテンションが上がらない。幸い俺の目覚まし時計はスマートフォンだ。なのでスヌーズ機能で十分毎にメロディが流れる。であれば後少しだけこの甘い時間を満喫しよう。

 と言うことで、目を閉じて再び眠りの園に身を委ねようとしたその時、俺の顔に生暖かな水気のある感触と獣の呼気匂いが鼻腔に侵入してきた。

 

 すわ何事かと驚く暇もなく、俺の胸元から毛布が払われる。俺から毛布を奪った下手人は無造作に引っ張った毛布を捨て置くと、間髪入れず俺の胸元に跳び乗って元気な声で叫ぶ。


 『くぅ〜っ・・・わん、わんッ!』


 耳朶を打つ小さな獣の鳴き声に俺は観念して瞼を開くと、くりくり眼(まなこ)をかっ開き、口を開け長い舌を垂らして俺を見つめる一頭の小さな獣の姿が。


 「・・・よう、おはようさん恭平。全く、朝から無駄に元気だよな、お前・・・ふぁ〜っ」



『ハッ、ハッ、ハッ、わん!』


 今年三歳になる柴犬、名前は『恭平(きょうへい)』と言う。三年前にばあちゃんが、ご近所さん(と言っても、車で十分くらいの距離)から貰い受けた。当時は生後二ヶ月くらいの小さなカワイイ仔犬だったが、今ではすっかりワンパク小僧だ。

 いや、確か柴犬の三歳って立派な成犬のはずだよな。だけどコイツは毎日元気に遊び回ってるし、あまり落ち着きないし、イタズラ好きだし俺的にはまだ子供だな。

 因みにその名の由来は、テレビドラマのY浜が舞台のあぶない刑事さん役の、ばあちゃんが好きな俳優さんからいただいたものだ。柴犬だから、し・・っと、詳細は省こう。


 「分かったよ、起きるから、よっと!」


 小型犬だから然程重くは無いんだが、何時までも胸元に乗っかられてるのもちょっとウザい。両手を恭平の前脚の付け根、人間で言うと脇に添えて、スイっと恭平を持ち上げながら俺はベッドに別れの言葉を告げること無く身体を起立ち上がり、そのまま床に恭平を降ろす。


 「じゃあ朝飯食ったら散歩行くか!?」


 『くぁっ!わん!』


 朝飯と散歩と言う言葉に反応して恭平がバタバタと何度も両の前脚を上げて二本脚でぴょんぴょん跳ねて、喜びを身体いっぱい使って表現する。そんな現金な恭平にちょっとホッコリしつつ俺達一人と一頭は部屋を出て一階へと向かう。


 「タマコももう起きて、下に居るんだろ?」


 『くぅ!?』


 階段へ向かう廊下を歩きながら尋ねると恭平は、解りかねるとでも言っている様に小首を傾げる。

 コイツ、自分の相棒の居処も知らんのかい!とツッコミたいが、相棒だからとて四六時中常にくっ付いているって訳でも無いわな。誰だって一人になりたい時ってのはあるだろうからな。それがましてや、気分屋の猫であるならば。


 

 階段を降りて一階に着くと、そのままキッチンへ向かうと。するとキッチンの側の食卓の上にスタンバっていた、茶虎猫の『タマコ』が入室して来た俺を目にして朝食の催促に『にゃ〜ん』と一声鳴いて要求して来る。


 『おはようタマコ。すぐ用意するから待ってろよ』


 この茶トラ猫のタマコもまたその名付けの親は、ばあちゃんだ。その名の由来に特別な意味は無いそうだが、猫の名前にありきたりな『タマ』だけでは何だからと、後ろに『コ』を付けただけなんだとさ。

 因みにタマコは八年前にばあちゃんが、何処からか拾って来て以来この家で暮らしている。もう八歳だから、猫年齢的には高齢のばずだが、まだまだ足腰も丈夫で、元気に家の梁の上まで床からジャンプして登る事が出来る元気なおばちゃん猫だ。


 『んみゃ!!』


 「分かってるよ。ちょっと待っててな」


 更なる催促に答え、キッチンの収納棚の中に常備してある犬用と猫用のカリカリを取り出し二人?の皿に適量を盛ってやる。途端にタマコと恭平が自分の皿の前に陣取ると、早速ばかりにカリカリを食べ始める。


 「じゃ、俺は身支度をして来るから、周りを汚さないように食べてろよ」


 『ふが、ふが・・・』


 俺の呼び掛けに返事もせずに朝飯をかっ食らうタマコと恭平を置いて、洗面所へと向かう。顔を洗って口を濯いだら俺も軽く朝飯を食って、腹が熟れたら恭平を連れて朝の散歩へ出かけよう。


 歯を磨きながら洗面所の化粧台の鏡に映る自分の顔を眺める。自分で言うのも何であるが、相も変わらず不景気な面である。特に今朝の表情は常に増して目が死んでいる。一通り磨き終えて口内を濯いで口周りをタオルでふき取る。


「なぁお前。ちったぁ、景気の良いツラの一つも見せてくれても良いんじゃね?」


 そして鏡に映る不景気そうで淀んだ眼をした自分に向かって話しかけてみるんだが、当然だが鏡に映る俺からの返事は無い。どうやらただの屍の様だ。との冗談はさておき、どうにも今朝はスッキリしない。何やら睡眠中に変な夢を見ていた様な気もするんだが、どんな夢だったのか酷く曖昧だ。



 ただいま季節は春三月。寒さも幾分か和らぎ、桜の花が蕾をつけ始め、山菜も芽吹く季節。まもなく春分を迎える頃であり、午前五時を過ぎる頃には日の出前にも関わらず、空は少し明るくなり始めており、日によっては昇る朝日の朝焼けに空が染められて、朱と青とが幾重にも重なり織りなすグラデーションは、あとても風情があってよろしいものだ。

 しかし、此処は山間にあるポツンと一軒家。標高も四百メートルはあるので、朝晩はまだまだかなり寒い。風邪などひかないような健康には気をつけなければな。

 恭平との朝の散歩を終えて、現在午前六時半。少しインターバルを入れてから俺は仕事の準備に取り掛かる。ここで俺はハタと気が付いた。そう言えばまだ俺自身についての紹介がまだだったと。そうい言う理由でここで一つ自己紹介と洒落込もう。

 俺の名は『藤原弾正(ふじわらだんじょう)』今年二十七歳になるアラサー世代の、まぁオッサンだな。

 K奈川県のY浜生まれのY浜育ちの生粋の浜っ子だ。と言いたい所だが、生憎と俺の両親はY浜の出身では無い。従って俺は生粋の浜っ子とは言えないのが、ちょっと残念なところである。

 まぁ、それでもY浜で大学を卒業するまでは両親が建てた家である、俺にとっての実家で暮らしていた。その後大学を卒業し就職を期に、俺は住み馴れたY浜を離れ単身T京へと移住し社会人生活を始めたんだが、まぁまぁ、就職した会社が何と言うか限りなくブラックに近いダークグレーな会社で、当時色々あって俺は妙に生真面目だったと言うか何というか、自身ではちっとも自覚症状は無かったんだが、いつの間にやら社畜戦士に成り果てていた。らしい。

 それに気が付いたのは俺では無く二年前のとある週末に、三年間盆暮れ正月にも実家に帰省しない俺を心配した、二歳年下の弟と十歳年下の妹がわざわざ俺の様子を見に、当時俺が住んでいたアパートまで訪ねて来てくれたのが切っ掛けだった。

 呼び鈴を鳴らし玄関のドアを開けて出てきた俺の顔をみて、その異様さに弟と妹はコレはただ事では無いと即座に理解し、酷く焦ったと言っていた。

 それだけ、当時の俺の顔色や表情は病的にまで異様だったんだろう。まぁ、当の本人である俺は、自分がそんな状態にあった事にも気が付いていなかったんだが。

 まぁ、当人ってのはそんな物なのかも知れないな。弟と妹は本気で俺を心配してくれて、優しく滾々と俺を諭してくれた。そんな半ば死人の様な酷い顔色になるまで、心身を損耗して働く事なんか無いだろう。もっと自分の身を労れよと。

 家族なんだから、二人がそう言ってくれるのは当然の事なんだろうが、その時の俺は自分の身を案じてくれている二人の言葉が他人事の様に感じていて、適当に相槌を入れていただけだったと思う。

 俺がそんな反応を返すものだから二人は思ったんだろうな、コレは不味いと。そうしてこのままでは埒が明かないと両親に連絡を取り、親父と母ちゃ・・お袋が俺のアパートに駆け付けて、四人で俺を諭してくれた。そうこうしていると、何時しかお袋と妹の目から涙が溢れ出ているのを見留めて、その時俺はハッと目が醒めた。

 憑き物が落ちたと言うやつだ。俺を産んでくれた母親と、十も歳の離れた目の中に入れても痛くない程に可愛い妹の涙は、俺を現実に引き戻す為のトリガーとして十分な効力を発揮したって事だ。

 さて、なぜ俺が社畜になってしまったのか、それは後になって思い当たる節などを自己分析し推察してみるに、その原因は俺の高校時代の挫折にあるのだと結論付けた。

 まぁ、その挫折ってのが何なのかは此処では割愛させてもらおうと思う。何れ時が来たら語るかも知れないが。

 高校時代の挫折が尾を引いて、その後暫く無気力に近い嬢達になった俺だったが、時が経つにつれて徐々に気力も回復していった。高校を卒業し大学へと進学し、その間俺は考えた。

 俺は何をするべきなのか、勿論生きる為には糧を得なければならない。それは社会生活を送る人間ならば誰だって同じだ、だが俺はそれ以上に精神的な充足感を求めたのだろうと思う。

 ぶっちゃけて言うとその充足感ってのは、誰かに認められたいとか、誰かの役に立っているんだとかの浅ましい欲求だったと思う。 

 言うならば承認欲求ってヤツなのだろう。高校時代の挫折で俺は仲間達の役に立てない役立たずなんだと絶望した経験が、妙な形で俺の人格に歪みを生んでしまったんだろう。

 そうした中で就職先として選んだ小さな出版社に採用され、事務方の部署に配属。同期の中でも俺は比較的直ぐに仕事を覚えていった物だから、先輩社員達にから高く評価されて調子に乗った。

 此処なら俺は皆の役に立てる。俺は皆から頼られる人材なんだと(実際どうだったのかは、今はもうどうでも良いんだが)思えば貪欲に仕事を求めた。

 そんな人間を見れば、こいつは便利だと多くの同僚や先輩達が俺に仕事をあてがう様になるのは必然で、皆に便利に使われる日々が始まった。

 そうして職務をクリアすると、裏は兎も角表面上は皆矢鱈と俺を褒めてくれるし感謝の言葉も労いの言葉もかけてくれて、いつしか俺もその環境に気を良くし、承認欲求は大いに刺激され、更に仕事を買って出てしまい、結果として真綿でジワジワと自分で自分の首を絞めるかの様に、多くの仕事を抱え込み、時には休みの日まで家に持ち帰って、仕事漬けの毎日を送る羽目になってしまったと言う訳だ。

 マジで、あの頃の俺は陰キャのギター少女も斯くやの、面倒な方向に向いた承認欲求モンスターに成り果ててたんじゃなかろうか。 

 本当にどうしてこうなったんだろうな。正気に戻って本来の俺は本来そんな人間じゃ無かったって事を、思い出す事が出来たし本当に家族の皆には感謝しか無い。


 家族の協力で会社を退職する方向で動き出す決意をするも、当然仕事を辞めれば月々の給料が貰えないので収入が得られない。その辺りの心配が過る俺に、親父が提案したのが父方の祖父母が営んでいる農業を俺が継ぐと言う案。

 五年前に祖父が亡くなり、祖母が一人できり盛りしているのだが、齢八十を迎えようとしている老婆に一人で規模の大きな農業の運営は厳しい。

 なので、祖父が亡くなった後は祖母が一人で管理できる程度に規模を縮小していたのだが、俺が農業を継げば何れ規模を元にとは行かずとも、多少の拡大は出来るのではないかとの事。

 まぁ、普通に暮らす分には問題無いが、じいちゃんが亡くなった後一人で頑張ってたばあちゃんは脊柱菅狭窄症からの坐骨神経痛が辛く、手術を受けた為に農業を続けるのは流石に無理だろうと、そう言った話を俺も以前に聞いていたので、祖父母の農業を継ぐ方へと気持ちが傾き、数日思案した結果俺はそれを受ける事を決意。


 それから会社を辞め一年間祖母に指導を受け、結果及第点をもらい半年前に俺一人で切り盛りを始めた。因みに今祖母はこの地を離れて、俺の実家で暮らしている。コレは俺の母ちゃ・・お袋からの要望だった。お袋は母親(俺にとっては母方の祖母に当たる人だ)を中学時代に病気で亡くし、その後は父親と兄(俺にとっては伯父にあたる)と三人暮らしだった事もあるのかもだが、ばあちゃんの事が大好きなんだ。何なら親父よりもばあちゃんと仲が良いまである。まぁ、親父と母ちゃんは中学からの同級生だったって事で、多少はそれぞれのご家庭の事を知っていたらしく、祖父母は母ちゃん一家に気を掛けていたそうだ、そりゃあ信頼関係も築かれるわな。

 ばあちゃんも今は実家で両親と妹と四人で仲良く暮らしているし俺も一安心ってところだな。


 まぁ、今に至るまでのあらましは、この辺で。長々と自分語りをしてしまったがご容赦願いたい。取り敢えずこれらもちょくちょくと語る事もあるだろうが、その時はまた宜しく願う。




 さて時刻は午前七時四十分。本日の作業はハウス栽培のトマトを収穫して、麓の道の駅に卸すのだが本日の業務だ。家のトマトは比較的大きいので、二キロ詰めの段ボール箱に大凡十二個が入る、それを五十箱で約六百個の出荷だ。

 一人でもやれない事は無いんだが、配達迄を昼には終わらせたいので今日はスキマバイトのTimer(タイマーさん)を呼んであるのだが、実は今日来るタイマーさんは、っと噂をすれば何とやらで俺に向かって軽自動車のクラクションの音が響く。


 『わんッ!!』


 クラクションの音に恭平が反応してひと吠えする。同じく俺もそちらを顧みれば、案の定一台の軽自動車が進んでくる。俺はその軽自動車に向かって軽く手を挙げると、その運転手はあろう事か窓から手を出してヒラヒラと手を振り返して来やがった。


 「何やってんだよアイツは、危ないだろうがよ」


 内心で苦笑しつつも、思わずボヤいてしまう俺がいる。まぁ、二十分前に到着してくれてんだから文句は言わんけど、危険行為を諭すくらいは構わんだろう。

 軽自動車は家の前の広い庭の一角に停めて、本日のタイマーさんが車内から降りてくる。


 「はよぉ〜ん、弾ちゃん。元気してたぁ?久しぶりッ!あっ、恭平ちゃんも」


 「弾兄ちゃんおはよう。良かった、元気そうだね」


 軽自動車から降りてきたのは二人の女性だ。厳密に言えば女性と少女と言うべきなも知れないが。


 まず一人目の女性。彼女の名は『小佐々美依名(こさざみいな)』と言い、俺とは小学生からの腐れ縁の所謂幼馴染と言う奴だ。

 歳は俺と同じだが、少し染めた栗色のセミロングヘアに小柄で童顔で、綺麗系では無く可愛いと形容する方がしっくり来る容姿をしている。

 だが今だに中学生と間違われる事がある為にそれはコンプレックスなんだと。しかし小柄だが出る所はしっかりと出ている、ドえれぇメリハリボディは中々に破壊力が抜群である。

 それは小学五年生の頃から成長し始めて、中学に上がってからは男子に好喜(スケベ)な目で見られていた為に本人的には、自分の誇るべき立派な部位を好きでは無いらしい。勿体ない勿体ない。


 「おう。お前も元気そうだな、サザビー。と言うか運転中に車外に手を出して振ったりするなよ、危ないから」


 彼女の妙に気の抜けた挨拶に応えつつ、先程の危険運転にひと言お小言を付けてやれば。サザビーは腰に手を当ててプンスカお冠状態を演出して怒り出す。

 

 「もう弾ちゃんのアホ!サザビーとか言うな!う〜っ、確かに運転中にアレは私も危なかったかもだけど。久しぶりで嬉しかったんだし」


 ポカポカと俺の胸元を叩きながら文句を言いつつ反省もする、最後の方は声が小さかったから最後まで聴き取れなかったが。しかし小柄で童顔な可愛い系女子がこんな風に男に平気でタッチしてくるんだから、此方としては非常に不味い。コイツは案外無自覚に魔性の女なのかも知れない。

 考えて欲しい。もし、その筋の嗜好がある男にこんな真似をしたら大変危険であるので、そう思わないだろうか、俺はそう思う。なので是非とも自覚していただきたいものだ。


 「ってもなぁ、お前の苗字と名前の一番最初と最後を取ればサザビーじゃねぇかよ。文字通り“こな”を祓えばよ」


 それなりに長い付き合いだが、互いに適齢期の男女。あまり意識しない様に、俺も憎まれ口を返してやれば美依名はやはりお怒りになる。


 「ムッキ〜ィッ。もうホントにもう、弾ちゃんのくせにムカつくぅッ!」


 奥歯をギリリっと強く噛み合わせて怒る美依名と、そんな彼女を適当にあしらって耳の穴を穿る俺を見て。もう一人の少女がクスリと笑う。


 「あはは、もう弾兄ちゃんも美依名お姉ちゃんも相変わらずなんだから」


 誰あろう。それは我が藤原家の至宝にして宝玉そして、我が最愛の妹。その名は『藤原真那伽(ふじわらまなか)』御歳十七歳の花も恥じらう女子高生だ。

 サラサラの長い黒髪のポニーテールが風に靡いて揺れる様は、正に国宝級。女子としては長身の百七十センチを越す長身で、一見すると運動神経抜群のスポーツ系の美少女に見えるがその実は、ラノベ作家志望のオタク少女と言うギャップが堪らない。


 「何を言っているんだ真那伽。サザビーはこのくらい適当にあしらってれば良いんだよ。それよりも、真那伽はまた一段と綺麗になったな。そんなに可愛いと悪い虫が着くんじゃないかと、お兄ちゃんは心配で夜しか寝れないぞ」


 いまだムキィーッな状態のサザビーを放っといて、俺はラブリーなマイシスター真那伽に自分の中の懸念事項を吐露する。


 「あはははっ、もう弾兄ちゃんってば!妹相手にそんな事言わないで、美依名お姉ちゃんか他の女の人にそう言う事は言わなきゃいけないんだよ」

 

 すると真那伽は、一瞬キョトン顔をするが、直ぐに相好が崩れニコニコ笑顔でトンデモない事を宣った。一体この美妹は何を言っているのだ、そんな小っ恥ずかしい事身内以外に言える訳が無かろうもん。


 さて朝の軽いトーキングタイムも終わり、時刻は午前八時の定刻を迎え、俺達は本日の業務を開始する。本日タイマーさんとして仕事に来てくれたのは、実は美依名だけで真那伽の方はタイマーさんでは無く、家族として手伝いに来てくれだけである。

 規約によりタイマーさんは未成年者の雇用は認められて無いのだそうで、真那伽はそれを残念がっていたが問題無い。

 バイトがしたければ何時でも俺がウェルカム。何なら将来の面倒も見てやる所存だ。まぁ、今のところ基本一人でやってる零細農家だから、そんなに余裕は無いが何れは。

 そんな訳で一応、真那伽には俺がポケットマネーでバイト代を払っている形だ。





 作業を開始して二時間でトマトの箱詰めと軽トラへの積み込みも終えて、今は一休み。三人で家の縁側に腰掛けてちょっとしたティータイム。

 家から二十メートルほど先にある、六棟並んだトマトのハウスを眺めながら飲む黒豆麦茶がとても美味だ。


 「二人ともありがとうな。助かったよ」


 ホッとした雰囲気の中で俺は仕事を手伝ってくれた二人に謝辞を述べる。時間契約で金を払っているとは言えど


 「ううん、どういたしましてだよ弾ちゃん。私役に立ってる?」


 「ああ、二人ともきちんと採って良いものを選別出来てるし、十分役に立ってるよ。と言うか真那伽は俺が社畜をやってた頃から、たまにばあちゃんを手伝ってたから、もしかすると俺より選別眼が優れてるかもだがな」


 俺の評価に美依名はホッと安堵の溜め息を吐き、真那伽はエヘンと得意顔だ。


 「えへへ、そっかぁ。それならまあ、良かった」


 美依名は“にへらっ”と破顔し微笑んめ俺からの評価に喜ぶ。高校以来コイツを含めて複数人で集まった事が無いから分からんが、きっと多くの男を勘違いさせているのでは無かろうか。しかし、なればこそ疑問がある。


 「てかお前も、わざわざ仕事休みの日にバイトいれるとか、他にやる事とか無いのかよ?いい歳なんだから、彼氏の一人でも見繕ってだな」


 その疑問を俺は直接本人に聞いてみたんだが、美依名はそれを遮るように強い口調で言葉を重ねてくる。


 「そう言う弾ちゃんだって、彼女居ないじゃん!」


 さっきまでの破顔した笑顔が消し去って、プンスカと怒った顔をした美依名がそこに居た。一体何故にコイツはこんなに怒っているのだろうか。解せぬ。


 「ハァ〜っ、ホント弾兄ちゃんって・・・・タマコ、恭平あっち行ってようか」


 『わん!』


 『みゃ〜ん』


 しかも妹からも何だか呆れられている様で、ジト目で残念なモノを見るような目線を送られ、そのまま恭平とタマコを連れて去っていった。

 本当に何なのだろうか。俺はただ遠回しに美依名は、魅力的な女性だと告げただけなんだがな。まぁ、一部危ない志向の男を惹き付けそうな危うさはあるんだが。



 真那伽がこの場を離れて美依名と二人になってしまった。何とも気不味そうにモジモジとしている彼女に、此方も何となく居心地が悪い気がする。

 そのまま暫く無言で茶を啜り、魔を持たせていると美依名は静かに顔を上げて、ユックリと口を開いた。


 「あのさ弾ちゃん・・・この間私さ、妃奈乃ちゃんと会ったよ」


 その口から伝えられた名は、俺達の共通する知人の名だった。共に青春時代を過ごした一人の女性の名だった。


 「そうか・・・」


 俺は美依名の言葉から気持ちを逸らして、適当に返事を返す。あの頃の事など俺には、もう・・・


 「うん。妃奈乃ちゃん元気だったよ、前よりもずっと綺麗になってるよ」


 そんな俺の思いを知ってか知らずか、美依名は続ける。


 「・・・そう、か」


 もう、止めて欲しい。


 「やっぱりさ、弾ちゃんまだ、妃奈乃ちゃんや皆と会う気ないのかな?」


 チラリと俺な目を向けて、美依名が本命を突き付けてくる。俺のあの頃の挫折に関わる、皆と会うかだって。


 「会う気も何も、今更だな。もう俺達は、十年前に終わってるんだよ。それはお前も知ってるだろう」

 

 今更どのツラを下げて、会えってんだ。俺もそうだが、アイツも皆もそれぞれに今の生活があるんだ。もう、俺達の人生は交わる事は無いんだ。だから、俺は美依名にそう伝え、問う。


 「それは、そうだけど。でも、弾ちゃんも妃奈乃ちゃんも、今でも」


 「ストップだ。もうこの話はこれで終わりにしようぜ、良いな美依名」


 あの頃俺達の事をずっと近くで見守ってくれていたのは美依名だった。だから彼女はきっと今でも俺達の事を慮って、そう言ってくれているんだろうが、今更それを蒸し返して欲しくないってのが、俺の偽らざる思いというやつだ。


 「・・・うん。ごめん」


 俺の言葉に納得したのかは分からないが、美依名は申し訳無さそうに俺に詫びた。悪いな、本当に謝らなければならないのは俺の方なのに。お前は、ただ俺達の事を気遣ってくれただけなのにな。




 休憩を終えて、俺は軽トラックに積んだトマトを道の駅へと届ける為に出発し、その間に二人には後片付けを頼んでいる。それが終われば、ついでに恭平とタマコと遊んでくれてて構わないと。

 一時間程でトマトの引き渡しを終えて、帰宅すると正午前で二人の勤務時間は終了。


 「二人とも今日はありがとうな助かったよ。また忙しい時は頼むかもだが、その時はよろしくな」


 「うん。こちらこそありがとうだよ弾ちゃん。真那伽ちゃんは、今日は泊まってくんだよね」


 互いに感謝を伝え合う。先の事もあり、少しぎこちないながらも美依名は微笑んでくれている。


 「うん。美依名お姉ちゃん、今日は連れて来てくれてありがとう。私は明日弾兄ちゃんに送ってもらうから」


 真那伽は今日は此処に泊まる気でいた様で、美依名の軽自動車の車内から自分のバッグを取り出して肩に掛け、笑って答える。

 まぁ、それは構わないんだが、そうならそうと最初から言って欲しかった。そんなに屋内が散らかっている訳では無いが、一応は気になるからな。


 「うん、分かった。弾ちゃん今日はゴメンね。私の言った事、忘れてくれて良いからね」


 「ああ、俺も悪かったな・・・それじゃ、気を付けてな」


 あの会話によって気不味さを何時迄も引きずるのも宜しくない。彼女も俺も、あの話はもう終わりだと決めて互いに詫びる。

 最後に美依名は『じゃあね』と笑って手を振って軽自動車に乗り込み、もう一度手を振って軽自動車を始動させた。


 「またな。サザビー」


 去り行く美依名の軽自動車を見送って、俺と真那伽は家へと向かう。これから昼食を作って食ったらしばらくは昼休憩だ。メリハリのある作業を行う為には適度に休憩を取る事は、とても重要だ。

 その後は夕方まで、キウイフルーツの樹の面倒を見て本日の作業は終わりだ。

 

 キウイの樹の面倒をみている間に時刻は午後三時となり、休憩の為に自宅の縁側へと向かう。

 縁側に小さなテーブルと座布団とブランケットを足に掛けて、学校から出された宿題を熟している。もう春とは言えど山間のこの周辺はまだ寒い、風邪などひかねば良いんだが。

 すると真那伽は俺が縁側へ向かって来ていることに気が付き、縁側から立ち上がって台所へと向かう。休憩のお供のお茶と茶菓子を用意してくれるのだ。


 「持つべきは、歳の離れた可愛い妹だな」


 心の中で真那伽に感謝の柏手を打って、俺は染み染みとその想いを呟く。こんな可愛い妹を持って俺は幸せだ。これは何を置いても両親に感謝せずにはいられない。


 


 母ちゃ、お袋が真那伽に持たせてくれた、土産の茶菓子のいちご大福のお味に舌鼓を打ちつつ、温かい煎茶を啜る。こんなちっぽけな日常がとても幸せだと思える。

 高校から社畜時代の間、喪ってた感覚を俺は取り戻しているんだろうな。


 「美味しいね、弾兄ちゃん!」


 「ああ、美味いな」


 このマッタリ時間を手放すなんて、もう俺には考えられない。じいちゃんの生前ほどの規模はまだ運営出来なくて、規模は縮小していて収入的にも減少しているが、自分とあと数人くらいなら生活出来る程度の収入はある。

 何なら真那伽の事はずっと俺が面倒をみても構わんのだが、しかし、真那伽の花嫁衣装を着た姿は見てみたいし、しかしどこの馬の骨とも分からん男に真那伽は渡せないしと、何ともままならん。


 「そういえば、恭平とタマコが居ないね。何処か遊びに行ってるのかな」

 

 「ああ、二時過ぎ頃はキウイ樹の近くに居たんだけどな」


 普段なら休憩中にはこの近くで遊んでいるか昼寝をしている恭平とタマコの姿が見えない。まぁ、この付近には他に家は無いから車の通りもほぼ無いし、そこら辺の心配は無いんだが、イノシシやキツネやタヌキなどの野生動物は存在しているので、それらに遭遇して喧嘩などしてなければ良いんだがな。

 それから五分くらいが経過した頃、恭平の吠える声が聴こえてきた。その声は農園から少し離れた場所に生えている五本のクヌギの木の側から聴こえて来る。


 「クヌギの木の方だね」


 「ああ、何かあったのか。しゃあない、ちょっと行ってくる」


 「私も行く!」


 クヌギの木の方へ向かおうと立ち上がると、恭平がこちらへと向かい走って来る。何だ戻って来たのなら良いかと、俺は腰を下ろそうかと思ったんだが、何だか恭平の吠える声がいつもと違う様な気がして、腰を下ろす事を止めて恭平を迎える。


 『わふッ!わん!わん!』


 俺の側に帰ってきた恭平だが、俺の差し出した手に撫でられる事を拒否する様に躱して、タンタンと小さく跳ねて何度も吠える。

 

 「どうしたんだよ恭平、クヌギの木の方に何かあるのか?」


 きっと何かがあったんだろう。頻りにクヌギの木の方と俺達とを交互に見る恭平は、まるで俺達に何かを訴えている様だ。


 「クヌギの木に行けば良いのか恭平」

 

 『わんッ!』


 俺が問うと恭平は鳴いて答えてクヌギの木へ行くことを促し、数歩走り出して立ち止まりもう一度吠える。


 「分かったよ、案内してくれ」


 それを追い、俺と真那伽は恭平が先行して進む後に付いてクヌギの木へ向かう。


 『わフッ!わん!』


 五本立ち並ぶクヌギの木の中の一本の根元に立ち、此処だと言わんばかりに吠えてアピールする恭平。走らず歩いて恭平が立つクヌギの木の側に到着した俺は、その木の根元を見て驚愕する。


 「なっ!?」


 周囲に溜まった落ち葉を踏みしめ到着したクヌギの木の根元から、高さが二メートル弱ほどの、揺らめくように立ち登る黒灰色の霞。


 「まさか、これは、ダンジョンゲート・・なのか」


 それは、紛れも無い。俺の高校時代の挫折の象徴。十年の時を越えて、二度と関わる事もないと思っていた。それが目の前に存在していた。


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