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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第九章 対決   Anno 1425
37/55

7 完敗

 薄暗い僧坊で、柄にもなく祈りを捧げた。こみあげてくる怒りを抑え、ノーラの無事を神に祈った。イェハンは、無残に処刑させてしまった。ノーラまで、そうさせてたまるものか。


 おれは姫の味方ではない。そうおれが言い切ったから、ノーラに危険な役を命じた。手を貸すものは極刑に処すとこのおれが言ったからこそ、姫は「ノーラ」に手引きをさせた。あの女には心がないのだ。利用するだけ利用して、簡単に見捨ててしまう。姿かたちは美しくても、ひとを惑わす力はあっても。

 なんとかノーラは町から逃がした。町はずれの旅籠の男は巧く話を繕って、なんとか無事に逃がしてくれた。けれどその先のことは、祈るしかない。


「フランク」


 低い声で名を呼ばれ、我に返った。いつの間に戻って来たのか、ランベルトが横にいる。


「完敗だ。姫さんに、してやられたよ」

 おれは黙ってうつむくしかない。

「こっちの計画、全部姫に筒抜けだった。『馬』のところでぼくたちが捕まえたのは、十匹たらずの雑魚だけだ。ほっといたって捕まりそうな、頭の足らないやつらだけ」

「情報源は……」

「あんたの妹」

 言いかけて呑んだことを、ランベルトが言い切った。

「ぼくが伏せてたこともたっぷり、仲間たちから聞きだしている。さすがはあんたの妹だ」

 あの調子では、釣り針からも聞きだしている。危険極まりない行動だ。

「囮のひとの安全を、あんたはとても気に掛けていた。自分の妹なんだから、当然だとも思ってた。あんたの妹だってことは、ぼくは知ってた。だからこそ疑わなかった」

「すまん」

「あんたが謝ることはない。これはぼくの失敗だ」

「だがおれはノーラを逃がした。妹だけは……」

「そこはいいよ」

 ランベルトは笑ってみせる。

「あんたの大事なノーラちゃんを、極刑になんかしたくない。だけど仲間に見つかってたら、見逃せるとは思えない。だからむしろ助かった」

「だけど君は」

「あんたがそこまで非情だったら、友だちなんかやってない」

「君はほんとに大丈夫なのか? 責任は問われないのか?」

「逃がしたのは『ぼく』じゃない。あんたが『敵』にならない限り、姫の側につかない限り、ぼくは仲間に消されない」

 ランベルトは言い切った。

「あんたは今ここにいる。妹は逃がしても、約束どおりここにいる。だからあんたは『敵』じゃない。姫の側にはついてない」 

 姫の側にはとてもつけない。おれは姫が信じられない。姫こそ正しい女伯と、おれはもう信じられない。

「姫との戦は避けられないものになった。けれどさっさと終わらせる。妹を利用されたフランク・ファン・ボールセレは、けして姫の側にはつかない。善良公の提督として、有能な指揮官として、姫の軍を叩き潰す。そうだろ?」

「そう仲間に言ったのか?」

「まだ言ってない。だけどこれからそう言ってくる。姫にはもう逃げられた。そこはもうどうにもならない。『フランクの妹』を捕えたところでできるのは腹いせだけだ。有用な情報は、彼女はもう持ってない」

「どうい意味だ?」

「姫はもう、大船に乗ってる」

「もう? スロイスは張ってたんじゃなかったのか?」

「スロイスじゃない。まっすぐ東に駆け抜けてアントウェルペンまでたどりつき、釣り針党の船に乗ってる」

「アントウェルペン? いくらなんでもそれは」

 スロイスでも難しいのに、さらに遠いアントウェルペン? 屈強な男でも徒歩なら一日かかる距離。女性が馬で移動するなら、半日は最低かかる。姫が市門を抜け出してから、三時間と経ってない。

「ぼくだって、自分の耳を疑った。ぼくが馬を飛ばしても、スロイスだって着けないはずだ。だけど騎士なら、駿馬を乗りこなせるひとなら」

「なんで『アントウェルペン』なんだ? もっと近いところが……」

「近いところはぼくらが張ってた。スロイスだけじゃなくてほかも。だからこそ、あっちがかえって手薄になってた。ついさっき、ハトが通信運んできたよ。姫と思しき男装の麗人がハームステーデの船に乗船、出航を阻止できず ってね」

「ハームステーデだって!」

「あんたがずっと足止めしていた、ゼーラントの釣り針党だ。出てくるとは思っていたけど、まさかあっちを狙うとはね」

「あのあたりはこのおれの……」

 本城シントマールテンスダイクからは対岸の港町。「ブラバン公の」封土でもある。

「風は今、東から西へと吹いてる。だからこそ、ハトもずいぶん速くついてる。姫を乗せた帆船は快調に北西へと向かい、釣り針党の根城のどっかに着くはずだ」

 心当たりがいくつかあるが、警戒は解いている。おれは今ここにいて、通信の手段などない。伝書バトなど連れてきてない。 

「クソったれ」

「まさにクソだ。もうとても追いつけない」

 不気味なほどに静かな声でランベルトが呟いた時、ひとりの男が飛び込んできた。


「ランベルト、あいつはやっぱり姫の手先だ!」

「あいつって?」

 問いかけたランベルトに男は紙片を押し付けた。絵師は紙片を受けとって、ざっと目を走らせる。

「これはどこで手に入れたんだ?」

「フランクの妹を、逃がした旅籠屋」

 なんだと? 思わず出そうになった言葉をなんとか呑み込む。

「締め上げたらこれを寄越した。『恋人』からの手紙だとか抜かしたが、ヤコバの紋で封印してある。開けてみたらこれだった。『助力を感謝する』とある。動かぬ証拠だ」

「結果的にそうなった。これはむしろ、ヤコバ姫の嫌がらせだな」

 ランベルトが紙片を寄越した。

「フランクはどう思う?」

 男がひっと声をあげた。

「フランク・ファン・ボールセレ?」

「確かにこれは『フランク』宛だな。「おれ」かどうかはよくわからんが」

 わざと恍けた声を作るが間違いなく「おれ宛て」だ。紛れもない姫の手跡に「ジャック」の署名。

 

  『我が騎士フランク

   そなたの助力、心より感謝する。

   完全なる愛をこめて、ジャック』

 

「クソったれ」

 おれはまた呟いてその紙片を握りつぶした。見事なまでに利用された、おれへの嘲笑。そうとしか、思えなかった。   






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