5 姫の奪還
ゲントはもともとイングラントよりの町だ。商売上の理由から、大戦争でもずっとイングラントのほうについている。善良公は巧くここも手懐けている。三年前に亡くなったミシェル妃はフランスの王女さまだが、この町に居を据えられた。町のひとから好かれていたのを、フランクも覚えている。ランベルトと初めて出会ったのがゲントだったか、もっと北のどこかだったか、そこは記憶が定かではない。いずれにせよ、この町でも何度か会っている。
そんなことを考えながら、マルクト、つまり市場と呼ばれる広場を過ぎる。なかなか暮れない夏の日も、そろそろ暮れてきた時分。船乗りの守護聖人を祀った教会の脇を抜け、隘路に入る。小さな文字で『アルビオン』とあるだけの、酒場に見えない扉を開ける。開けたところで顔見知りに出くわした。ウィレム伯の臣下の誰か。名前は思い出せないが、何度も顔を合わせた相手。
「フランク」
その男がこちらを認め、低く声をかけてきた。
「こんなところに何しに来たんだ?」
服装はどう見ても商人だが、この顔は間違いない。着甲していた記憶もあるから、槍試合にも出ていたはずだ。
「ここに行けとひとに言われた」
「誰に?」
黙って手の指輪を見せる。
「姫から拝領した指輪」
呟いてフランクを見る。
「つまり、噂はほんとなわけか? ほんとにお会いしてきたわけか?」
無言でうなずく。
「だから、ここに来たと?」
「そうだ」
今度ははっきり口にした。とりあえず、まだ嘘は言ってない。
「裏切ってイングラントに行ったのは、あんたの妹だっていうのは」」
「それは違う。ノーラは姫に忠実だ」
きっぱりと言い切った。疑ってしまったことへの罪悪感があったせいか、強い調子で断言をした。
「だから、計画を教えてくれ」
「ここじゃマズイ。運河に降りよう」
促されるままに道を戻り、運河へと出る。待っていた小舟に乗りこみ、船頭に櫂をとらせる。船は静かに夕闇の運河を滑り、幽閉の城の方に向かう。この運河は城の濠とは繋がってないはずだ。だが確信はない。
「姫は近々、リールの牢に移送される。そこまでは知っているか?」
「だから来たんだ」
ぼそりと応える。これは微妙にウソかもしれない。
「そうか!」
嬉しそうに男は言って、フランクの手をガシッと握った。
「あんたがこっちについてくれれば百人力だ。あんたなら」
「『ブラバン公の摂政として』状況は把握できる。だが、善良公の命令には口出しできない」
「それはそうだな」
「移送の日時はおれが調べる。わかったら連絡する」
「ありがたい! そこが知りたかったんだ」
「連絡は、あの店でいいか?」
「連絡法は?」
「移送の前日、あの店の戸に朱で徴をつける。徴のついた日の日没に、会おう。会う場所はどこがいい?」
「ここにしよう」
男が頭上を指差した。ちょうど橋をくぐるところ。
「わかった」
フランクは短く応え、小舟の上に立ち上がった。船頭が声をあげたが構わず、橋桁に手をかけて飛び移る。小舟は一瞬大きく揺れた。立て直したときにはすでにフランクは橋の上で、軽く手を挙げて見せた。ゼーラントの男なら、このくらいは当然できる。小舟の上の男のほうも、にやっと笑って応えて見せた。
「うーん」
僧房で聞かされたランベルトは難しい顔をした。
「徴つけるの、別のとこにして欲しかったな。ぼくはあそこに出入りできない」
「無茶言うな。ゲントはおれの庭じゃない」
「まあ、そうだね。『ぼくら』のほうも手の内は明かしてない。とりあえず、張り番役を誰か見つける。徴を探すものがあったら、やつらの一味だ」
「一味とわかったら、どうするんだ?」
「さあ、どうするかな」
「ただ、これでかかるのは大物じゃない。『移送』の話がデマだとしたら、デマを流した張本人はかからない」
「フランクに言いきられたら、デマ流した本人だって本当にそうだったのか? って思っちゃうよ。ありそうな話なんだし」
「意外と楽観的なんだな」
「悲観的な性格だったら、キケンなことなんかやんないって」
絵師はハハハと笑って見せる。
「だが、ほんとに舟を仕立ててきたら?」
「そこは手を打ってある。あの城から舟で出るなら、出られるところはひとつしかない。あの高い城壁を超えて外濠になんてことをしたら、ひとの眼につきすぎる。『移送』じゃなく『脱走』だって叫んでいるようなもんだ」
「つまり、出口は抑えてあるわけか」
「当然」
写本絵師はにやりとし、そして普段の顔に戻った。
「どのくらい、こっちに居られる?」
「ある程度カタがつくまで」
「大丈夫なの?」
「連絡は入れてある」
「誰に?」
「善良公」
自分で応えてイヤな気になる。本来ならブラバン公に入れるべきだが、あれに入れてもどうにもならない。「善良公」の存在は、どんどん大きくなってきている。そして何より腹が立つのは、自分までが頼っていること。
「囮の舟を用意する。『護送兵』は味方だから、手加減してあんたが倒して」
ランベルトが低くささやき、フランクは頷いた。
徴を探しに来たものは数人に過ぎず、橋まで来たのはたったの四人。だが彼らは自信ありげで計画を話してくれる。まずは姫の身柄を奪取し、闇に紛れてスヘルデ川をさかのぼる。エノーにはまだまだ味方が潜んでる。姫の御名で召集をかけ、集結する。イングラントの援軍も来ているはずだし……
べらべらと話は続くが、フランクはもう聞いてない。これは「ダメ」だ。どう考えても穴だらけの計画で、成功などするはずがない。エノーの要所はすでに善良公の手の内だ。「イングラント」の支配下にある北フランスの土地のほうは、「フランス摂政」ベドフォート公が制圧している。カレーの港だってしかり。ベドフォード公はハンフリーの兄にあたるが、善良公の盟友だ。弟の軍であっても、通してやるはずがない。だからもう諦めろ。
確かにそう言うべきだった。姫にお会いしたときに、はっきり言っておくべきだった。けれどおれは言えなかった。だから行動するしかない。「姫の味方」を罠にかけ、一網打尽に捕えるしかない。さもなくば、いずれ相対することになる。戦場で「敵」として、姫と向き合うことになる。
約束の橋のたもとで、男たちが息をひそめた。静かに「舟」が近づいてくる。つまり、囮の舟。艫に灯をさげた舟には、後ろ手に縛られた女性。その縄尻は兵の手中だ。善良公の仕着せを着た武装兵がついているが、その数はたったの四人。情報が何もなければ、「お姫さま」には見えないだろう。ただの女囚の移送に見える。舟の「女性」が不安そうに顔をあげ、ちらとあたりを見回した。
「姫」
フランクが小さく呟く。これは台本通りのセリフ。横の男が弓をとりあげ、護送兵に狙いをつける。
「駄目だ。姫に当たる」
フランクは「セリフ」を続け、横の弓を押しのける。
「騒げば人目についてしまう。おれひとりで十分だ」
ナイフを抜いて、小舟に飛び込む。ほぼ同時に「お姫さま」のほうも動く。小舟が大きく傾いて、縄尻が手から離れる。兵のひとりが剣を抜くが、かわしてそいつの腕をつかむ。ナイフを派手にきらめかせ、そのまま水につきおとす。「味方」が上で声をあげ、心の中で舌打ちをする。愚か者、ここで騒ぐな。
「姫」の手に、刃が光った。縄はすでに解けていて、その手には剣がある。残った兵がそれを見て、そのまま水に飛び込んだ。もちろんすべて台本通り。
「フランク!」
「姫」が大きく声をあげ、すがりついた。ほとんどすすり泣いている。相当怖かったのだろう。そして恐怖はまだ終わらない。「姫」の役目はまだ終わらない。
「大丈夫。おれがついてる」
姫でないことがバレたら、このひとの身も当然あぶない。
「お願いだから放さないで。あたしのこと、置いてかないで」
「あなたの身はおれが守る。約束する」
ぐっとその身を抱き寄せる。そして上に声をかける。
「『姫』は御無事だ。奪還した!」
上からも抑えた歓声があがる。
「だが、動揺しておられる。おれひとりで十分だ。夜があけたら『馬』のところで落ち合おう」
これももちろん計画通り。『馬』の場所には「迎えの男」が来ることになっている。いまだに誰だかわからない、釣り針党の「大物」が。そいつがもしも雑魚だったなら、この「冒険」はただの茶番だ。
「フランク! 抜け駆けする気か?」
橋の上の男の言葉に、慌ててしまう。本物のヤコバ姫なら、この程度で「動揺」などするはずがない。
「抜け駆けではない。これは」
動揺しているフランクを、「姫」の声がさえぎった。
「これはわたしの命令だ。フランクの言うとおりにせよ」
「姫」がぐっと顔をあげ、はっきりと言葉を発した。まさかこれはホンモノか? 自問するほどそっくりな声。だけどこれは姫じゃない。姫ならもっとすんなりしている。今腕に抱くひとは、柔らかいからだつきだ。その手のかたちも姫じゃない。けれど顔は全く見えない。フランクから見えるのは、黒いケープの頭巾だけ。
「皆、よくやった。フランクひとりの手柄でないことは、もちろん承知だ。だが話すことがある。フランクと、ふたりきりで」
別人なのはわかっていても、ついドキリとしてしまう。声だけ聞くなら姫としか思えない。声が似てるだけじゃなく、語調までそっくりだ。
「皆は先に行って待て。少し時間がかかっても、心配することはない。積もる話がたくさんあるだけだから」
いくらか甘い声になり、そしてすいとからだを離した。この動きも見事に真似てる。素直に甘える「ジャック」から、「女伯ヤコバ」に戻る瞬間。きっぱり突き放すときの動き。フランクは櫂をとり、ぐいと強く漕ぎ出した。
しばらく無言で舟を進める。女性もぺたりと座り込み、口はきかない。夏の夜はとても短く、すでに夜が明け始めている。「馬」の場所はそう遠くないのだが、ランベルトとの約束の場所は城外の修道院。直線距離ならたいしたことはないのだが、運河は大きく迂回していてそれなりの時間がかかる。
「もう大丈夫だ。心配いらない」
静かに声をかけてみるが、女性は何も答えない。細かく肩を震わせて、俯いている。さっきの芝居はお見事だったが、今はかなり怯えてる。けれどそれも当然だ。バレれば命にかかわるのだから。
ようやく市門が見えてくる。門に至る橋の上に歩みを止めた騎馬がいる。すらりとした肢体だがおとなの男のようではなくて、小姓くらいの背格好。その姿を眼にしたとたん、ぎくりとした。
夜はすでに明けているが、出歩くにはまだ早すぎる。こんな時間に、何してるんだ? 開いたばかりの門のほうから、別の騎馬がやってくる。その後ろからもう一騎。あれは、まさか……
「ダメ」
舟を寄せようとした手を、「姫」が止める。
「兄さまは約束したわ。あたしを置いていかないって」
黒いケープをぱさりと払う。目深に被っていたそれを払除け、兄を見上げる。
「ノーラ! なんで、お前が……」
橋の上の少年が、はっきりこちらに眼を向けた。片手をあげて挨拶をして、ノーラのほうも恭しく頭を下げた。姫だ。間違いなくヤコバ姫だ。男装の姫はくいと乗馬の手綱を引いた。馬は軽く嘶いて、そのまま外へと疾駆していく。門衛は咎めもしない。そしてもう間に合わない。フランクはまだ水の上で、ホンモノの姫は馬上のひとだ。やられた。ものの見事に。
「姫さまを、助けたかったの」
ノーラの眼に涙が溢れた。
「伯領は姫さまのものよ。善良公のものじゃないわ」
涙のいっぱい溜まった瞳で、妹は兄を見つめた。
「姫さまは、善良公の裏をかいたの。善良公など姫さまは怖くないの。兄さまは、裏切りものよ」
裏切りもの。ノーラの口から言われるとひどく堪える。
「リール移送の噂を聞いて、たまらなくてここまで来たの。兄さまも、必ずおみえになると思った。囚われの姫さまを、ほっとくはずないって思った。あたしのフランク兄さまが、姫を見棄てるはずがない。必ず助けに来てくださるって」
涙の粒が頬を転がり、朝の光にきらきらとした。
「でも兄さまは敵だったのよ。だからあたしがお助けしたの。裏切りものの兄の代わりに、脱出の手引きをしたの」
「ノーラ」
疑ったことを深く恥じた。「フランクの妹」は、主君の姫に忠実だ。そして見事に姫を逃がした。
「兄さまなど怖くないわ。このあたしを極刑に処したいのなら、好きなようになさるといいわ」




