4 密談
「まったく」
僧服姿の写本絵師が、大仰にため息をつく。同じく僧衣のフランクも、ため息をつく。結局「ただ会っただけ」で、目的を果たせていない。伯位を諦めさせるどころか、こっちが陥落寸前だった。だからこそ、「逃がすな」と指令を出した。せっかく伏せた自分の名前で、ブラバン公の摂政として。「侍僧」ランベルトがなんとか言い繕おうとしたが、「変装した本人」なのは隠しきれない。
そのまま連れて来られた先が、修道院の中の僧房。むき出しの石の壁に囲まれ、床は三和土。家具といえば寝椅子がひとつあるきりで、ほとんど牢屋の独房だ。自分の房だと絵師は言ったが、画材の類はまるでない。
「すまん」
勧められた樫の寝椅子に腰をかけ、フランクは下を向いた。
ランベルトとの約束は、すっかり忘れ果てていた。伯領を諦めるなど、あの女はありえない。再会してしまった今は、はっきりとそう思う。ヨハネスに描かせたあの似姿は、確かに可愛らしすぎる。しおらしい乙女ではなく、猛々しい戦姫なのだ。艶やかな姿の裏に、隠しているのは強い意志。囚われの身であってすら、誇りを棄てない。ここまで追い詰められてさえ、我こそ女伯と言い切れる。善良公など怖くない。あの言葉ははったりではない。言い切る姿は強靭にしてしなやかで、美しい。臣下に与えてくれるものは、あの細い指先だけだ。ただそれだけで、全てを捧げたくなった。わたしこそが正しい女伯だ。だから勝てる。あの言葉は力強く、そして甘美だ。だからこそ男たちは命を捧げ、歓喜のうちに死んでいく。フランクが手にかけた、あのアルケルのヴィムのように。
「フランク?」
隣に座ったランベルトが覗き込む。
「重症だな」
絵師が再びため息をつく。
「手引きなんかするんじゃなかった」
「いや、これで良かったんだ。甘い顔をしてはいけない。そうハッキリ悟ったから」
「それはどうだか」
腐れ縁のランベルトには、散々世話になってきている。とっくの昔に、心の底まで見透かされている。
「ともかく、あの姫さんは脱走を企んでいる。手を貸したりするんなら、フランクでも容赦はしない。それだけははっきり言っとく」
「手なんか貸すはずないだろう。戦はもうこりごりだ」
「その言葉がほんとなら、ぼくらに協力して欲しい」
「『ぼくら』?」
「釣り針党は、絶対に救出に来る。そこまではつかんでるけど、『どうやって』かがわからない。『あんたを使って』ってことも考えられる。ぼくはそれを心配している」
「おれは逃がす気はないぞ」
軽い調子をつくろいながら、きつく自分を戒めている。ヤコバ姫を逃がしたら、再び戦になってしまう。そして今度戦になったら……
「姫の身柄が近々『移される』手筈だって聞いても?」
「移される?」
「つまり、どっかヨソの地下牢へ」
ざわと髪が逆立った。
「フランク」
ランベルトはフランクの手を取った。
「地下牢に放り込みたいのなら、今いる城でやるはずだ。わざわざ夜中に小舟を出して、はありえない。善良公の指示だとしたら、絶対にそれはない」
「どういう意味だ?」
「噂によると、善良公は『姫の夫』グロスター公ハンフリーに巨額の身代金を請求している。今させてるゼイタクにかかる費用も、当然上積み請求してる。だけど払ってくれそうじゃない。ハンフリーには、ほかに恋人ができているから」
「女官をひとり連れて帰った。そこは聞いた」
「女らしくて淑やかな、イングラントの美女だそうだ」
「イングラントの騒乱に、関わる家のひとと聞いた」
「それはただの口実だ。そうでも言わなきゃイングラントに連れて行けない。なんたって、『自分の妻の侍女』なんだから」
「イングラントのひとだというのは?」
「そこんとこは確かじゃないかな」
またほっと息をつく。浮気の相手はノーラではない。これはもう確実だ。
「んで、善良公は気が変わった。どうせ金にならないんなら、監禁費用は節約したい。だから」
「それは、ありうるんじゃないのか?」
「ほんとにそうなら、あの城の地下に放り込めばいい。『小舟』で『夜中に』移すなんて、わざわざチャンスを与えるだけだ」
「つまり、そう噂を流しておいてあえて小舟で脱出させる計画。君らはそう読んでるわけか? 『脱出』じゃなく、『移送』だって見えるように?」
「かもしれないって思ってるだけ」
「それで?」
「あんたに囮になってもらう」
「おとり?」
「あんたが姫に会ったことは、間違いなく敵に知れてる。今あんたが接触するなら、釣り針党は気を許す」
「だがおれは、警備の強化を命じたんだ。けして姫を逃がすなと」
「『ブラバン公の摂政』として。フランク・ファン・ボールセレとは言ってない」
握った手に力がこもる。
「ボールセレのフランクは、心の底では姫の騎士だ。表向きはああ言ってても、本心は別にある。あんたがそう言い切れば、釣り針党は信じるよ。あいつらは『あんた』が欲しい。のどから手が出るくらいにね」
「ランベルト?」
「ゼーラントの船の多くはボールセレの支配下にある。本家の当主はまだ年若で、実質あんたが牛耳っている」
「釣り針党」こそ、そこはよく知っている。あいつらを足止めしたのはおれが率いたボールセレの艦隊だ。海戦ならば、確かにおれも指揮できる。けれど陸に上がったならば……
「あんたを味方に引き込めるなら、あいつらは妥協するよ」
「妥協?」
「寝返った過去は問わない。そして姫は『あんたに』与える」
「なんだと!」
「トゥーレーヌ公が亡くなったとき、ウィレム伯は『あんたのこと』も考慮していた。鱈党の有力貴族と添わせるのも、悪くない」
「なん……だと?」
声がはっきり弱くなる。
「やつらはそう言っている。本当だとあんたは思うか?」
「たとえ本当だったとしても、もうどうにもならなんだろう。あのひとには『夫』がいるんだ。それも『ふたり』も」
「もしも姫も同意だったら? 『結婚』はともかくとして、自分を与える気だとしたら?」
「黙れ!」
思わず大きな声で怒鳴った。石の壁がわんわん反響するほどに。そんな女は願い下げだ。からだで誘惑するような、そんな売女に用はない。ヤコバがそんな女なら、もう二度と会いたくもない。そしてほんとにそうかもしれない。ヤコバはおれを誘惑したのだ。このフランクに、色仕掛けを企てたのだ。
「ぼくもそれは違うと思う」
ランベルトが顔をあげた。驚くほどに真面目な顔で、きっぱりと言い切った。
「あのひとは、とても誇り高いひとだ。伯領全て取り返すまで、けっして諦めたりしない。最期まで闘い抜こうとするはずだ」
その通りだ。あの女に大切なのは、ただ女伯であることだけだ。操も愛もどうだっていい。全てただの道具にすぎない。おれが姫の側につくなら、ボールセレの船のすべてが味方につくのだ。指先ひとつで艦隊が手に入るなら、安いものだ。このおれの気持ちなど、かけらほどの意味もない。
「だから身は許さない。あんたに今抱かれたら、姫はもう戦えなくなる。だから絶対それはない」
おれはぽかんとしてしまう。意味がよくわからない。
「あの姫の意志の強さに、ぼくは心底敬服している。だからこそ、畏れてもいる」
「それでおれにどうしろと?」
「マルクトの裏手にある、地下酒場に行って欲しい。店の名は『アルビオン』だ」
アルビオン。イングラントを意味する雅称。アーサー王の国の名だ。
「名前の通り、イングラントの商人たちがよく使う。だから釣り針党も来るし、間諜も出入りする。そしてぼくは出入りできない。足を踏み入れたりしたら、出てくることはないはずだ」
「おれなら平気ってか?」
「フランクは大丈夫。だって利用価値があるから」
絵師はまたにっと笑った。
「あんたに囮になって貰って、『釣り針党』を壊滅させる。ここで姫を逃がしたら、また戦になってしまう」
「それは君の計画か?」
「『ぼくら』の計画。それ以上はぼくは言えない」
「『ヨハネス』は?」
「弟は関係ない」
ランベルトは腰を上げ、そして房の扉を開けた。帰れと口には出さなかったが、もちろんそういう意味だった。




