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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第九章 対決   Anno 1425
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4 密談

「まったく」


 僧服姿の写本絵師が、大仰にため息をつく。同じく僧衣のフランクも、ため息をつく。結局「ただ会っただけ」で、目的を果たせていない。伯位を諦めさせるどころか、こっちが陥落寸前だった。だからこそ、「逃がすな」と指令を出した。せっかく伏せた自分の名前で、ブラバン公の摂政ルワードとして。「侍僧」ランベルトがなんとか言い繕おうとしたが、「変装した本人」なのは隠しきれない。


 そのまま連れて来られた先が、修道院の中の僧房。むき出しの石の壁に囲まれ、床は三和土たたき。家具といえば寝椅子がひとつあるきりで、ほとんど牢屋の独房だ。自分の房だと絵師は言ったが、画材の類はまるでない。


「すまん」


 勧められた樫の寝椅子に腰をかけ、フランクは下を向いた。

 ランベルトとの約束は、すっかり忘れ果てていた。伯領を諦めるなど、あの女はありえない。再会してしまった今は、はっきりとそう思う。ヨハネスに描かせたあの似姿は、確かに可愛らしすぎる。しおらしい乙女ではなく、猛々しい戦姫なのだ。艶やかな姿の裏に、隠しているのは強い意志。囚われの身であってすら、誇りを棄てない。ここまで追い詰められてさえ、我こそ女伯と言い切れる。善良公など怖くない。あの言葉ははったりではない。言い切る姿は強靭にしてしなやかで、美しい。臣下に与えてくれるものは、あの細い指先だけだ。ただそれだけで、全てを捧げたくなった。わたしこそが正しい女伯だ。だから勝てる。あの言葉は力強く、そして甘美だ。だからこそ男たちは命を捧げ、歓喜のうちに死んでいく。フランクが手にかけた、あのアルケルのヴィムのように。


「フランク?」

 隣に座ったランベルトが覗き込む。

「重症だな」

 絵師が再びため息をつく。

「手引きなんかするんじゃなかった」 

「いや、これで良かったんだ。甘い顔をしてはいけない。そうハッキリ悟ったから」

「それはどうだか」

 腐れ縁のランベルトには、散々世話になってきている。とっくの昔に、心の底まで見透かされている。

「ともかく、あの姫さんは脱走を企んでいる。手を貸したりするんなら、フランクでも容赦はしない。それだけははっきり言っとく」

「手なんか貸すはずないだろう。戦はもうこりごりだ」

「その言葉がほんとなら、ぼくらに協力して欲しい」

「『ぼくら』?」

「釣り針党は、絶対に救出に来る。そこまではつかんでるけど、『どうやって』かがわからない。『あんたを使って』ってことも考えられる。ぼくはそれを心配している」

「おれは逃がす気はないぞ」

 軽い調子をつくろいながら、きつく自分を戒めている。ヤコバ姫を逃がしたら、再び戦になってしまう。そして今度戦になったら……


「姫の身柄が近々『移される』手筈だって聞いても?」

「移される?」

「つまり、どっかヨソの地下牢へ」

 ざわと髪が逆立った。

「フランク」

 ランベルトはフランクの手を取った。

「地下牢に放り込みたいのなら、今いる城でやるはずだ。わざわざ夜中に小舟を出して、はありえない。善良公の指示だとしたら、絶対にそれはない」

「どういう意味だ?」

「噂によると、善良公は『姫の夫』グロスター公ハンフリーに巨額の身代金を請求している。今させてるゼイタクにかかる費用も、当然上積み請求してる。だけど払ってくれそうじゃない。ハンフリーには、ほかに恋人ができているから」

「女官をひとり連れて帰った。そこは聞いた」

「女らしくて淑やかな、イングラントの美女だそうだ」

「イングラントの騒乱に、関わる家のひとと聞いた」

「それはただの口実だ。そうでも言わなきゃイングラントに連れて行けない。なんたって、『自分の妻の侍女』なんだから」

「イングラントのひとだというのは?」

「そこんとこは確かじゃないかな」

 またほっと息をつく。浮気の相手はノーラではない。これはもう確実だ。

「んで、善良公は気が変わった。どうせ金にならないんなら、監禁費用は節約したい。だから」

「それは、ありうるんじゃないのか?」

「ほんとにそうなら、あの城の地下に放り込めばいい。『小舟』で『夜中に』移すなんて、わざわざチャンスを与えるだけだ」

「つまり、そう噂を流しておいてあえて小舟で脱出させる計画。君らはそう読んでるわけか? 『脱出』じゃなく、『移送』だって見えるように?」

「かもしれないって思ってるだけ」

「それで?」

「あんたに囮になってもらう」

「おとり?」

「あんたが姫に会ったことは、間違いなく敵に知れてる。今あんたが接触するなら、釣り針党は気を許す」

「だがおれは、警備の強化を命じたんだ。けして姫を逃がすなと」

「『ブラバン公の摂政』として。フランク・ファン・ボールセレとは言ってない」

 握った手に力がこもる。

「ボールセレのフランクは、心の底では姫の騎士だ。表向きはああ言ってても、本心は別にある。あんたがそう言い切れば、釣り針党は信じるよ。あいつらは『あんた』が欲しい。のどから手が出るくらいにね」

「ランベルト?」

「ゼーラントの船の多くはボールセレの支配下にある。本家の当主はまだ年若で、実質あんたが牛耳っている」

 「釣り針党」こそ、そこはよく知っている。あいつらを足止めしたのはおれが率いたボールセレの艦隊だ。海戦ならば、確かにおれも指揮できる。けれど陸に上がったならば……

「あんたを味方に引き込めるなら、あいつらは妥協するよ」

「妥協?」

「寝返った過去は問わない。そして姫は『あんたに』与える」

「なんだと!」

「トゥーレーヌ公が亡くなったとき、ウィレム伯は『あんたのこと』も考慮していた。鱈党の有力貴族と添わせるのも、悪くない」

「なん……だと?」

 声がはっきり弱くなる。

「やつらはそう言っている。本当だとあんたは思うか?」

「たとえ本当だったとしても、もうどうにもならなんだろう。あのひとには『夫』がいるんだ。それも『ふたり』も」  

「もしも姫も同意だったら? 『結婚』はともかくとして、自分を与える気だとしたら?」

「黙れ!」

 思わず大きな声で怒鳴った。石の壁がわんわん反響するほどに。そんな女は願い下げだ。からだで誘惑するような、そんな売女に用はない。ヤコバがそんな女なら、もう二度と会いたくもない。そしてほんとにそうかもしれない。ヤコバはおれを誘惑したのだ。このフランクに、色仕掛けを企てたのだ。


「ぼくもそれは違うと思う」

 ランベルトが顔をあげた。驚くほどに真面目な顔で、きっぱりと言い切った。

「あのひとは、とても誇り高いひとだ。伯領全て取り返すまで、けっして諦めたりしない。最期まで闘い抜こうとするはずだ」 

 その通りだ。あの女に大切なのは、ただ女伯であることだけだ。操も愛もどうだっていい。全てただの道具にすぎない。おれが姫の側につくなら、ボールセレの船のすべてが味方につくのだ。指先ひとつで艦隊が手に入るなら、安いものだ。このおれの気持ちなど、かけらほどの意味もない。

「だから身は許さない。あんたに今抱かれたら、姫はもう戦えなくなる。だから絶対それはない」

 おれはぽかんとしてしまう。意味がよくわからない。

「あの姫の意志の強さに、ぼくは心底敬服している。だからこそ、畏れてもいる」

「それでおれにどうしろと?」

「マルクトの裏手にある、地下酒場に行って欲しい。店の名は『アルビオン』だ」

 アルビオン。イングラントを意味する雅称。アーサー王の国の名だ。

「名前の通り、イングラントの商人たちがよく使う。だから釣り針党も来るし、間諜も出入りする。そしてぼくは出入りできない。足を踏み入れたりしたら、出てくることはないはずだ」

「おれなら平気ってか?」

「フランクは大丈夫。だって利用価値があるから」

 絵師はまたにっと笑った。   

「あんたに囮になって貰って、『釣り針党』を壊滅させる。ここで姫を逃がしたら、また戦になってしまう」

「それは君の計画か?」

「『ぼくら』の計画。それ以上はぼくは言えない」

「『ヨハネス』は?」

「弟は関係ない」


 ランベルトは腰を上げ、そして房の扉を開けた。帰れと口には出さなかったが、もちろんそういう意味だった。 










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